第一章十二話「年齢差」
「やっぱり無理だったか」
つい五分前も歩いた道を引き返しながら、圭太は干し肉を噛み千切った。
エルフに監視されるかと思っていたのだが、圭太の予想は外れ監視の目はない。帰ると宣言したわけだしエルフの族長たるスカルドは二人を客人と呼んだ。客の後をつけるような不躾はしないつもりらしい。拍子抜けだ。
「予想できていたのか?」
「まあな。気難しいって噂なんだ。イブを連れてこないと話にならない。代表者同士で話をしないとな」
しかも今回魔族が頼む側だ。頼む立場の分際で代理を立てるなど許されるはずがない。
圭太はこの展開が読めていたからこそ引き際はあっさりしていたし一人で来たかった。
「分かっていたのに一人で来ようとしていたのか?」
「俺は人間だからな。最初からイブを連れてきたら話がこじれる可能性がある。それこそ人間と手を組むまで落ちぶれたと言われただろう」
現にシャルロットは嘲笑されていた。エルフにとって人間というのは劣等種以外の何物でもない。劣等種と手を組まなければならないほど追い込まれたと分かればさぞ笑いのタネになるだろう。
しょうもないと思ってしまうのは圭太が異世界人だからか。
「だから先に一人で来たかったと? わたしがいなければ死んでいたんだぞ?」
「別にそれでも構わない。魔王のお気に入りが殺されたとなればエルフも拒否できないだろ? 三つ巴の争いはエルフも魔族も望んでいないはずだ」
圭太を召喚したのはイブだ。代償に両足の自由を失った。
つまり彼女にとって圭太を殺されるということは両足を奪われるに等しい。魔王はきっと黙っていないだろう。犯人が誰なのかを突き止め、動かない足で勇みよく制裁するはずだ。
いくらエルフが魔族と手を組みたがらないとしても、魔王が攻めてくれば無視できない。そしていくらスカルドが実力者だろうと不老不死の魔王には敵わない。エルフの今後のためにも協力を申し出るはずだ。エルフと魔族が揃えばこの大陸の人間などひとたまりもないだろう。
圭太の命一つで話がトントン拍子で進むのなら安いものだ。
「自分が殺されたときまで想定していたのか。頭がおかしいんじゃないか?」
「かもな。でも来てくれて助かったよ。おかげで損失無しだ」
計画としては問題だ。圭太の顔が知られた以上、知らずに殺しました作戦は使えない。
だが圭太の命だって別の使い方ができるのもまた事実。結果として魔族とエルフの全面戦争を回避できたのだから、シャルロットがもたらしたプラスの部分のほうが多い。
「ん?」
「どうした?」
圭太が突如振り返り、シャルロットは首を傾げた。
「聞こえなかったか? 話し声だ」
なぜだろうか。聞き慣れたような声だ。知り合いの声ではない、複数の男たちが喋っている。エルフや魔族とは違う本性を隠しきれていない。
「話し声? エルフが監視しているんじゃないか?」
「いや違う。エルフはここまで下品な笑い声じゃない」
「エルフも大概だと思うが」
先ほど下品な笑い声に晒されたばかりのシャルロットが眉間にしわを作った。
「悪い。先帰っててくれ」
「あっおいケータ」
戸惑うシャルロットを残して、圭太は声のした方向に走った。
「へへっ運がいいな」
「ああまったくだ。とびきりの別嬪。こりゃ高値で売れるぞ」
男二人は舌なめずりをした。肌は小麦色、角は見えずしっぽも生えていないし翼もない。純粋な人間のようだ。
「なんですか貴方たちは。訓練の邪魔です」
男たちが取り囲んでいたのは、絹のような緑髪を背中へと流しているエルフの少女だった。
綺麗というよりは可愛い系の顔立ち。体格は子供体形のイブと成熟したシャルロットの間といったところだろうか。背の高さも一部のふくらみもだ。シャルロットほどではないにもかかわらず、肩にかけるようにして弓を背負っており、細い弦が服を押さえ込むことでちょうどいいサイズが強調されていた。
三人がいる場所は開けており広場のようになっていた。円形の的がいくつか木に立てかけられており、彼女の言う通り訓練をしていたようだ。矢の何本かは的の中心に刺さっていた。
「訓練なんて下らないことせずにおじさんたちと話しようぜ」
「まだ子供でしょう。エルフとの年齢差を知りませんか?」
「ああそうだった。こんな見た目でもババアだもんな」
男がそれはもう下品にゲラゲラと笑っていた。漫画でしか見たことがない笑い方だ。映画でも役者の人の好さが出るからあまりお目にかかれないというのに。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
「バッ――……三秒以内に失せなさい。じゃなければ」
「じゃなければ、どうするんだ?」
流れるように弓を構え矢を用意する少女は、男たちの背後に回っていた圭太の登場に動きを止めた。
彼女にとっては新手の敵が現れたような状況だ。表情に少しずつ絶望の色が広がっていくのも仕方がないだろう。
「おわっ。なんだ人間か」
男の一人が振り返って圭太を視界に入れ、わざとらしく顔をのけぞらせた。
「コイツは俺たちが最初に目を付けたんだ。あっち行け」
もう一人が腰に手を回してナイフを取り出す。いや、色々装飾がされているからダガーと呼ぶべきだろうか。意味は変わらないと思うが、ファンタジーな世界だ。ナイフとは違うだろう。今度からナイフを見ても全部ダガーと呼ぼう。
「そんな寂しいこと言うなよ手伝うから。山分けにしようぜ? イロアス」
圭太は戦意はないと手をヒラヒラ振ってから腕輪をハルバードに変える。
一人で丸腰だからと舐められては困るという意思表示だ。ついでにいえばエルフの少女に向けた脅しでもある。余計な真似をすれば攻撃するぞということだ。よくチンピラが武器をこれ見よがしに見せつける理由と一緒である。
「おおっすげえ。魔道具なんて初めて見たぜ」
どうやらイロアスのような武器は魔道具と呼ばれているらしい。
「だろ? 特別品だ。なんたって魔王城から拝借したんだからな」
「はっは! そりゃあすげえ! じゃあ手伝ってくれや!」
男たちは手を叩いて承諾してくれた。交渉成立だ。
「ああ、俺には一割くれればそれでいい」
「それだけでいいのか?」
「これだけの美人だ。高値なのは間違いないんだろ?」
圭太は不敵に笑ってみせた。
奴隷の価値など分からない。だが、エルフの奴隷が基本的に高額で取り扱われていること、美人の奴隷も高額であるということは今までのテンプレから予想できる。
このエルフの美少女なら、値段は一割といえど決してバカにできない金額になるはずだ。
悪役のような笑みをぎこちなく浮かべていた圭太は、急いで首を横にずらす。
「――ッ!」
圭太の頬に一筋の赤い線が刻まれた。
エルフの少女が持っていた矢を放ったのだ。首を動かさなければ真っ直ぐ圭太の額を貫いていた。いい腕だ。
「何しやがる!」
「このアマ調子にのんじゃねえぞ!」
手を組むと決まったからか、仲間意識が芽生えたらしい男二人は圭太より先に怒りを露わにする。
「そうだそうだ」
圭太は男二人に適当に同意しながら一歩下がる。エルフに詰め寄る男どもの無防備な背中がよく見えた。
「調子に乗るなよ人間」
イロアスを横に構え、圭太は腰を使って一気に振り抜いた。
「「えっ?」」
上半身と下半身が永遠のお別れをした男二人は、同時に呆けた声を出して地面に落ちる。まさか圭太が襲ってくるとは思わなかったのだろう。ざまあない。
「うんさすが神造兵器。恐ろしいぐらいの威力だな――うぷっ」
人間二つを両断した圭太は胃から込み上げてくる液体を我慢できず吐き出す。すっぱいにおいの黄色い液体が、先ほど食べたばかりの干し肉と一緒に出てきた。
「ケータ大丈夫か!?」
遅えよシャルロット。
圭太はようやく手助けに現れた魔族のナンバーツーを尻目に、口の中で悪態をついた。
「ああ。そっちのエルフさんの心配をしてやってくれ。人間に絡まれていた」
「見るまでもなく無事そうだぞ。弓を構えてお前を睨んでいる」
「そりゃあよかおえぇえええ」
また込み上げてきたので、今度は我慢せずに吐き出す。ウェーブ戦なんて聞いていない。出るなら一回で出ろよ。
圭太は自分の胃に悪態づいた。どうやら何かに当たらないと気が済まないようだ。
「あれっ? えっ? 魔族? どういうことですか?」
「我々は魔族だ。この人間は特別に魔族の味方をしている」
嘔吐を続けている圭太の背中をさすりながら、シャルロットはエルフの少女に説明する。
やはりシャルロットを連れてきて正解だった。嘔吐しながら頭に矢を刺されるなんてまさに踏んだり蹴ったりだ。
「えっでもさっきわたくしを捕えようと」
「そうした方が警戒を解きやすいだろ? ありがとシャルロット。もう大丈夫だ」
圭太が口元を乱暴に拭いながら礼を言う。しかしシャルロットは離れようとはしなかった。
「本当に大丈夫か? その様子からして殺しの経験はなかったんだろう?」
場数の違いとはこういうことなのか。シャルロットは圭太が突然吐いた理由を見事言い当てた。
圭太は平和な日本の平和な学校に通っていた普通の高校生だ。ハルバードなんて触ったことがないし、人殺しの経験はゲームの中だけ。気分が悪くなったのも、人を殺したという罪悪感があるからだ。
「どうせ遅かれ早かれ通る道だ。すぐに慣れるさ」
分かっていたことだった。殺人が容易に人を狂わせるなんて、想定していた通りだ。
想定していたなら、立ち直りを早めることもできる。
例えばゲームで人を殺したとして罪悪感に苛まれたりしない。実際に生きている人間ではないし、基本的に殺さなければならないのは敵ばかり。目的のない快楽殺人ができるゲームは多くない。
ならば考え方を変えよう。圭太が人を殺すときは目的が存在する。そして彼らは圭太が生まれ育った世界には実在しない。
つまり状況はゲームと変わらない。そう思い込めば、幾ばくかは気が楽になる。
「さて、見苦しいところを見せたなエルフのお嬢さん」
「取り繕わなくて結構です。貴方とわたくしの年齢差を知っているはず」
「やっぱり? 助かるよ。正直まだ気分が悪いんだ。気を使わなくて済むなら少しは楽になる」
エルフの少女が冷たい視線を送りつけてきたので、圭太は有難く頂戴した。
テンプレではエルフは人間の十倍ぐらい長生きだ。先ほどまで動いていた肉たちもお年を召している的な発言をしていたし、きっとこのエルフの少女も圭太と同年代に見せかけてかなりの年上なのだろう。
「貴方は何者ですか?」
「勇者だ」
そんな警戒心丸出しにされたら困るな。あいにくと利用できる立場にないんだ。
圭太はエルフの少女の態度に苦笑した。自分一人で大丈夫とか考えているんだろう。だから今みたいに人間に絡まれるんだ。
「勇者……? ってあの?」
「そっ。魔王を倒す者。本来は、だけど」
「この男を召喚したのはイブ様だ。だからこの男は魔族の味方をしている」
シャルロットを連れてきて助かった。大体の難しい説明は彼女がしてくれる。しかも彼女は魔族だ。圭太みたいな人間では信じてもらえなさそうな話でもすんなりと受け入れてもらえている。
「イブとは魔王の名ですね? 人間に討たれたはずでは」
「封印されていただけだ。今頃元気に盗み食いしているんじゃないか?」
「しているだろうな。わたしは外に出ているし。後で説教しなければ」
シャルロットが拳を固めて決意を表明する。
圭太の知る限り彼女がイブに説教するなんて姿は一度も見ていないのだが、いったいどちらのほうが立場が上なのだろうか。なんやかんやでシャルロットが言い負ける予感しかしないのだが、大丈夫なのだろうか。
圭太が心配するようなことではないか。
「まあまあ。とりあえず、誰か水を持ってない? 口ゆすぎたいんだけど」
「わたしは持っていない」
「それでしたらわたくしが。一応恩人ですし」
計算通り、ではないが、大いに期待していた言葉がエルフの少女から出てきた。
その言葉を待っていた。でなければ誰がわざわざ人間を殺すものか。
「えっ本当? いやー悪いなあ」
「なんと白々しい」
シャルロットの刺々しい言葉と冷たい視線は無視した。




