第四章十話「勇者コハク様」
一晩が経ち。
「今度こそ本当にありがとうございました」
心なしか肌がツヤツヤしている琥珀は頭を下げた。
琥珀を含めた全員が旅の衣装に着替えている。予想外の一晩を消費したのだ。その分疲れは回復したけど、今日の休憩は短めになるだろう。
「頭を下げるのはこちらです勇者様」
そう言って、宿を提供してくれた村長が琥珀よりも深く頭を下げる。
琥珀はため息を吐いて上体を起こした。
「ボクのことは琥珀と呼んでください。勇者と呼ばれるのは嫌いなんです」
「勇者コハク様」
そういう意味じゃないんだよ。
「話を聞いていたの? コハクはそれをやめろって――」
「いいんだよクリス。どうせ聞いてもらえないって分かっていたから」
琥珀は諦めの表情を浮かべ、村長を責めようとするクリスの肩を掴んだ。
「だからって話を聞かないのはどうかと思うの」
クリスは村長に向けていた厳しい目を今度は琥珀に向けた。
「コハクは甘いものね。そんなだから話を聞いてもらえないのよ」
「コハク様のせいにするな。どんな理由であろうと話を聞かなかったそっちにも落ち度がある」
「まあまあ。喧嘩しないでください。村長さんが困っています」
キテラが肩をすくめ、サンがそんな彼女を睨む。
イオアネスは剣呑な雰囲気になる二人の間に割って入り、苦笑しながら顔を青くしている村長をあごで指した。
「申し訳ありませんでした。この無礼をどうかお許しください」
「頭をあげてください。村長さん。ボクたちは旅人です。無礼だからと人を斬り捨てる資格はありませんよ」
勇者パーティのほとんどが機嫌一つで人の生死を左右できるほどの権力はない。ただし例外も一人いる。
「どうしてわたくしを見るのでしょう? ハッ! まさか旅の仲間だと思ってもらえていないということですの!?」
「違うよどうしてそうなるのさ!」
自然と唯一の例外であるイオアネスに視線を向けていると、彼女はとんでもない勘違いを口に出した。
琥珀は慌てて否定する。仲間であることを疑うつもりはなかった。ただ、イオアネスが許してくれればだけどね、という気持ちが行動に現れてしまっただけだ。
「てっきりそういう意味なのかと」
「分かってるくせに」
「ええ冗談ですわ。ですからそんな怒らないでください」
「ふんだ。もう知らないから」
イオアネスはケラケラと口元を手で隠して笑い、琥珀はふくれっ面になる。
言っていい冗談と悪い冗談がある。今のは明らかに後者だ。
「拗ねてるリーダーは放っておいて、キテラ」
「はいはい分かってるわようるさいわね」
「声かけただけでそこまで言う?」
キテラの冷たい態度にサンは肩を落として涙目になった。
いつものことなのでキテラはもちろんクリスや琥珀たちも触れはしない。村長も困惑したような顔を浮かべているが、その視線は懐に手を伸ばしているキテラへと向けられていた。
「はいこれ。あげる」
キテラが懐から取り出したのは丸められた羊皮紙だ。
羊皮紙を受け取った村長は丸められていた紙を上下に広げた。キテラのイメージカラーである赤いインクで描かれた魔法陣が刻まれている。
「……こちらは?」
「魔法陣なの」
「いやそれは見れば分かりますが」
一通り目を通して首を傾げた村長に、横に回り込んで一緒に眺めていたクリスがどや顔で説明する。
村長には呆れられてしまった。クリス以外の全員が申し訳さから胸中で手を合わせた。
「この村に魔力を扱える人間はいる?」
「魔法ですか? いえ、魔法が勉強できるようなお金は――」
「違うわ。魔力よ魔力。魔法の真似事をする奴はいないのかって聞いてんのよ」
キテラは咳ばらいを一つして話を本筋に戻し、クリスに邪魔をさせないよう人差し指を立てることで指先に全員の意識を集中させる。
「魔法の真似事? どういうことですか?」
「僕も分からないな。せっかくだし教えてくれないかな?」
村長だけでなく、仲間であるサンも首を傾げて興味深そうにしている。
「あのねえ。村長はともかくサン、アンタは知っていないとおかしいでしょうが」
この村で生まれ育ち、ほとんど村から出たこともないだろう村長なら理解できないのも分かる。
魔法を専門で教える学校は珍しく、王都などの主要都市にしか存在しない。そのため、小さな村では魔法についてほとんど無知な人間というのもよくある話なのだ。
だが、サンは王都の出身で学校にも通っていたはずである。魔法に詳しくないわけがない。
「仕方ないの。サンは筋肉バカなの。どうせ剣を振ったことしかないの」
「クリスには言われたくないな。剣の稽古しかしてなかったのはあってるけどさ」
「やっぱりなの。ほら見たことなの」
クリスに指摘されたサンは不満げに後頭部を手でかいて、予想が当たったと確信したクリスはやっぱりとでも言わんばかりに肩をすくめた。
「まったく。一度しか説明しないからよく聞きなさい」
「はい」
「うん分かった」
キテラがため息を吐き、村長とサンは同時に頷いた。
「魔力を持っていない人間ってのはいないの。魔力量が少なすぎて魔法が使えない人がほとんどだけど例外もある。一つは血筋がいい人間。貴族とかね」
琥珀パーティで言えばイオアネスが該当する。
主に王都などに住み、学校で魔法を学ぶ人種。魔法を自在に使える人間の一番の要因だ。
「なるほど。僕も元を辿れば貴族の血統らしいし、魔力があるのか」
「騎士団に入る奇特な人間はほとんど貴族の出よ。まあそれはどうでもいいんだけど」
サンが手を打つが、キテラは触れずに説明を続ける。
「もう一つ魔力量が多くなる可能性として、突然変異みたいなタイプがあるわ。クリスとかアタシみたいな生まれは平凡でも魔力が多い人間がいるのはそのためよ」
確率としてはかなり低くなるが、貴族ではない者でも魔法が使えるぐらい魔力量の多い人間はいる。
ただ貴族とは違い学校で魔法を学ぶことはできないので、独学で学んでいたり自力で新たな形式の魔法を自ら生み出したりする場合もある。自分で魔法を習得していったキテラや神に祈りを届けられるクリスが学校に行っていなくても魔法が使えるのはそういう事情があるからだ。
そのため王都などに住めなかった者、僻地で育った者が扱う特殊な魔法はたまに研究対象になったりする。
「多分コハクも同じタイプなの。生まれは聞いたことがないから予想なの」
クリスと目が合った琥珀は露骨に目を逸らした。
琥珀が生まれた世界は魔法なんてなかったので血統は関係ない。特殊な体質だったとしても自分ではまだ自由に扱えないため何も言えない。
「突然変異はどこにだって現れる可能性がある。小さな村でも例外ではないわ」
「ふんふん。つまり我が村にも魔法使いの素質を持った人間がいるかもしれないということか」
村長は見るからに興奮しており、鼻息を荒くしている。
自分の村に魔法を使える人間がいるかもしれない。
村長からすれば、いや小さな村からすればその事実はお祭り騒ぎになるようなできごとなのだ。何せ、あの貴族様と同じ力を持つかもしれない人間が自分の故郷にいる。長年の友人か自分の子供のように成長を見守ってきた人か村を走り回っている子供か。誰にあろうと魔力を持つと言うことは貴族と同等の権利があるということ。村をあげてのお祝いが起きたとしても不思議ではない。
「鼻息荒くしている村長の言う通りよ。魔法使いの素質がある。でも魔法は学んでいない。すると魔力の高い人間はどうすると思う?」
「分からないな。どうするんだい?」
首を傾げるサンをキテラは睨んだ。
「……ホントに考えてる?」
「考えてるよちゃんと」
「だといいけど。正解は自分の魔力をおもちゃにして遊びだすの」
キテラははあ~あと息をこぼして、あっさりと答えを打ち明けた。
「魔法とも呼べない稚拙なものよ。誰にも真似できない感覚的な遊び。だから魔法の真似事ってわけ」
「なるほど。そんなの考えたことなかったな」
生まれた頃から貴族の端くれとして魔力の扱い方を学んできたサンでは思いつきもしないだろう。
要は暇つぶしだ。勉強中にペン回しをするように、手持ち無沙汰になった魔力持ちが小さな竜巻を作って遊んだり水を波立たせたりする。魔法とは違い理論化されていないので誰にも受け継げず、またコツさえつかめば誰にでもできるため魔法の真似事と称した。
魔力の少ない人間が探そうとするにはあまりにも感覚が違うため骨が折れるだろうけど、それでもボーッと波打つ水たまりを見てる人を見つけることぐらいなら可能だろう。
「って、話が脱線したじゃない。それは前提として」
キテラは手を叩いて話を無理やり転換する。
「村長。アンタの村で誰が魔力を持っているのかまでは分からない。だから自分たちで見つけてもらう必要があるわけだけど、もしも見つけられたらこの魔法陣を渡しておけばいいわ」
キテラが羊皮紙を指先でなぞると、紅蓮の魔法陣が鈍く輝きを放った。
「この魔法陣はアタシたちに助けを求められる。また魔物に悩まされるようなことがあれば遠慮なく呼んで」
「おおっ! いいのですか?」
「アタシたちもすぐ来れるわけじゃないけど、それでもないよりはマシなはずよ。いざとなったら近くの駐屯所にも連絡がいくようになってるから」
「ありがとうございます!」
キテラの説明を聞いた村長は九十度腰を曲げた。
キテラが渡した魔法陣は情報を発信するだけなので魔力の消費は少なくて済む。
また魔物が出現したときにはきっと助けになってくれるはずだ。
「礼ならあの子に言って。これはコハクの頼みなんだから」
キテラに突然指差された琥珀は、頬を指でかいて恥ずかしそうに微笑んだ。
今まで訪れた村に平和と安全を。
勇者として琥珀が命令したのは、キテラの労力と羊皮紙を至る村に配るというものだった。




