第一章十話「夢の」
圭太はあてがわれた自室で一人、明かりもともさず作業していた。
「地図オーケー食料オーケー武器オーケー置手紙オーケー」
持ち物を声出し確認しながらカバンに詰め込んでいき、最後に備え付けの机に書き置きを残す。
「準備完了! 忘れ物なし! いざ行かん夢の――」
「夢の、なんだ?」
カバンを背負って部屋を出ると、壁に背を預けて腕を組んでいるシャルロットがジロリと睨んできた。
圭太の全身から、滝のような汗が流れ落ちる。
「ずいぶんと大荷物だ。まるでどこかに行くみたいだな? ん?」
壁から背を離して近寄ってくるシャルロット。まるで恋人のような人懐っこい笑みさえ刻んでいる。
「……どうしてここに。まだ暗いのに」
思わず勘違いしそうになってしまうが、日が昇る直前に圭太の部屋の前で待ち伏せされたという事実が甘い夢さえ見させてくれない。
少なくとも圭太の目論見は外れた。誰にも気づかれないようにしたかったのに、暗闇の中でも輝くような笑顔のシャルロットは圭太を逃がしてはくれなさそうだ。
「図書室から地図とメモ用紙の盗品報告があった。厨房から一週間分の食料が消えたという報告もだ」
「犯人だと疑っているのか?」
「イブ様が小腹がすいたからといって食料を盗むのはよくあることだし、鼻をかもうとメモ用紙を使うこともある。だから疑うとしたらイブ様だ。前科は数えきれないからな」
何やってんだあの魔王は。
圭太は呆れながら、手のひらに浮き出た汗をそっとズボンのすそで拭う。
「だが地図だけは違う」
シャルロットの表情から笑顔が消えた。
「イブ様はこの大陸のほぼすべての地形が頭に入っている。わたしもだが、地図は必要ない」
「他の魔族かもしれない」
「奴隷になるかもしれないのに?」
「あー」
失念していた圭太は額を押さえて天を仰いだ。
言い逃れようと思っていたのに、墓穴を掘ってしまった。魔族の立場は既に聞いていたのに。
「この城に残る魔族のほとんどは行き場がなく、人間を恐れている。地図を盗んでまで遠出したがる奴はいない」
「魔族でもイブでもないとなると、疑わしいのは俺だけか」
「ああ。人間でこの辺りの地理に詳しくないのは、最近召喚された勇者だけだ」
つまり、地図やメモ用紙、食料を盗んだのは圭太という推理だった。
ごもっとも。ちょうど先ほどカバンに詰め込んだのが魔王城から無断拝借した一品たちである。
「盗んで悪かった。全部返すから許してくれ」
「わたしの質問にまだ答えてもらってない」
「質問?」
圭太がカバンごと差し出すとしっかりと受け取って、シャルロットは中身を確認して一度頷く。
盗んだものはすべてそのカバンの中へ詰め込んでいる。カバンの中身を見て本当に全部返したのか確認したのだろう。信用がないのかと言いたくもなるが、盗みを働いた身である圭太は強く言えない。
「どこに行くつもりだ? 食料を一週間分も盗んで、何を企んでいる?」
睨むシャルロットから、肌を刺すような殺気が溢れた。ただの気迫で、全身にピリピリとした痺れが走る。
なんでそんな怖い顔をしているのだろうか。盗みは彼女の主も常習犯のはずである。今にも剣で首を飛ばしかねない殺気をぶつけられるいわれはないはずだ。
「あっそうか。俺が人間の仲間になるのを阻止したいのか」
何をやらかしたか考えていた圭太が答えを出すのと、シャルロットが剣を抜いたのは同時だった。
「そうだ。我々魔族と一緒にいるよりも同じ種族を好むのは当然のこと。だがイブ様復活の情報を持つお前を人間側に渡すわけにはいかない」
「まあこの城にいる人たちって角だの何だの生えてたり肌の色違ったりするからなあ」
シャルロット以外の魔族とも顔を合わせた。映画で見たような青い肌の人のような種族やトカゲ頭の種族。頭にケモ耳を生やした種族もいた。よくもまあ多種多様な種族がいるものだと感心さえした。
彼らは圭太を見た瞬間に震えあがっていた。人間を恐れているのだろうとすぐに理解できた。
疎外感を感じなかったといえば嘘になる。圭太はこの世界の人間ではないし魔族の皆もそれは理解しているようではあったが、必要以上には近付いてこなかった。それどころか避けられてさえいた。同じ人間の群れにいたのなら、これほど疎外感を味わうこともなかったはずだ。
「人間に会いに行くわけじゃないって言っても信じられないんだろ?」
だが圭太は魔族からの冷遇などどうでもよかった。元の世界で生活していたときだってクラスメイトたちから執拗に避けられていたのだ。肌の色や見た目が違うからという明確な理由があっての態度はむしろ好感すら抱いていた。
「嘘を吐いていると判断して拘束する」
「それは困る。どうやったら信じてもらえる? 腕でも落とすか? イブならくっつけられるし」
「自分を傷つけることを躊躇わないのはどうかと思うぞ」
「じゃあどうしたらいいんだよ。諦めるのはなしだからな」
イロアスを呼び出して自分の左腕に刃を当てる圭太に、シャルロットは一歩下がって顔を引きつらせる。どうみてもドン引きされている。
「わたしも同行する。わたしなら人間相手に後れを取ることもない」
剣を鞘に走らせて、シャルロットは殺気を潜めた。残念ながら彼女の目からはまだ警戒の色は消えていない。何か変なことをすれば圭太の首はすぐに胴体とおさらばするだろう。
「俺はいいけど、大丈夫なのか? 忙しいんじゃあ」
「イブ様がいる。一人で動けるのだし問題ないはずだ」
「まあシャルロットがそれでいいならいいけど」
圭太も同じ考えだが、シャルロットはイブにすべての仕事を押し付けて良心が痛まないのだろうか。
圭太は首を傾げて、一歩後ろでついてくる処刑装置を先導した。
たてがみの立派なサーベルタイガーみたいな魔物が胴体で二つに分かれて消えた。
「ふんっ」
シャルロットは剣を一度払い、鞘に納める。
たった今戦闘を終えたとは思えない落ち着いた反応。傷一つどころかほこり一つついていないシャルロットが魔物を両断したとはとても考えられない。
それもそのはず。彼女は既に五回ほど魔物と戦闘を行なったが、どれも一太刀での瞬殺だ。攻撃に移るどころか吠える間すら与えない。
「改めて見ると綺麗な太刀筋だよな。そりゃあ勝てないわけだ」
またしても出番がなかったイロアスを腕輪に戻して圭太は呟く。圭太が魔物を知覚した瞬間には戦闘が終わっていた。これが五度だ。ようやく魔物が消える前の姿を確認できたところである。
空はすっかり明るくなっているがそれでもあまり時間が経ったわけではないだろう。体感だが、魔王城を出てすぐに日は昇っていた。まだ一時間も経っていないかもしれない。
「稽古をつけろと言った本人が何を言っている。師匠を超えるつもりで励め」
「簡単に言ってくれるなあ。精進しますよ師匠」
間違いなく神業の剣技を身に着けているシャルロットを超えるのは簡単ではないだろう。一生をかけても無理かもしれない。
圭太は苦笑いを浮かべながら、内心で気合いを入れ直した。
「ところでどうしてエルフの村へ? 気難しいとは話しただろう?」
魔物が多くてあまり話をしてこなかったシャルロットが、ようやく圭太の目的を聞いてきた。
最初にこの世界の歴史を軽く学んだとき、エルフについて説明するイブは確かに顔をしかめていた。面倒な相手だとも言っていたような気がする。
「だからこそだ。人間はこの大陸を侵略してて、魔族だけではなくエルフにも手を出している。利害の一致で協力関係が結びやすいと思ったんだよ」
「待て」
シャルロットが足を止める。
「あん? また魔物か?」
「確かにわたしは魔力量が多いから魔物を引き付けやすいが違う。そうじゃない」
「長いな。なんだよ」
圭太も彼女に釣られて足を止め、一歩後ろの位置にいる角の生えた女性に振り返った。
彼女はなんだか信じられないものでも見たような顔をしていた。いつもすまし顔か怒ったような表情を浮かべている彼女だ。驚いている姿はとても新鮮だった。
「お前は人間を倒すつもりなのか?」
「そうだよ。だったら?」
なんだそんなことか、と圭太は即答で肯定した。警戒して損した気分だ。
「同じ種族だろう。どうしてそんなことを」
「別の世界だ。思い入れなんて微塵もない」
仲間意識の高い魔族では考えられないかもしれないが、圭太は別に人間を愛しているわけではない。邪魔をするのなら容赦なく排除しようと動けるし動かなければならない。
彼は魔族の味方をしている。そして人間は、魔族の敵なのだから。
「それに、イブの両足が動かないのは俺のせいだ。借りは返す。そのためには、人間を全滅させるぐらいで取り組まなければならない」
圭太は自殺しようとしていた。今彼が息できているのはイブに召喚されたからだ。
勇者を召喚する代償にイブの両足は二度と動かなくなったが、その結果圭太は助かった。ならば彼は、イブの両足分は働かなくてはならない。
「魔族の平和のため勇者を殺す。当面の俺の目標だ」
「ふざけている、わけではないのだな」
「正気だ。冗談でこんな恐ろしいこと言えるわけがない」
圭太は戦闘経験はないし当然ながら人を殺した経験もない。そして冗談で虐殺宣言できるほど肝が据わっているわけでもなかった。
「そうか分かった」
シャルロットは驚いた様子から一転して、澄ました顔で一度頷いた。
「ならばいっそうケータを鍛えよう。我らの救世主になってもらうために」
シャルロットは胸の位置で両手を合わせていた。まるで絵画の一場面を見ているような不思議な気持ちにさせられる。
「……どうでもいいが俺は圭太だ。け・い・た。ケータじゃない」
どこぞのお子様魔王みたいな呼び方に、圭太はしかめっ面になった。




