はじまりの物語
「染める思いは」(n3669el)より。
むかしむかし、染色は魔法の技などではなく、人びとは草木などからとれる染料のみを使って布を染めていました。
そのころ、とある街にひとりの魔法使いが住んでいました。彼には染色師――もちろん、彼は魔法染色師ではない、ただの染色師でした――の友人がいたのですが、ある日魔法使いの彼が天球儀とにらめっこして宇宙の真理を読み解こうとしていたところに、友人の染色師が古い書物を手にずいぶんと興奮した様子で駆け込んできたのです。
「きみ、きみ! これを見てくれたまえ!」
「落ち着きたまえ、いったいどうしたのだね」
手渡された書物は古い詩集のようでした。
「これ、このページだよ。なんと、はるか古代には染色とは魔法で行われていたというのだ!」
世紀の大発見だとはしゃぐ友人はひとまず放っておいて、魔法使いはその詩に目を通します。
今ではもうその作者の名前も忘れられてしまったその詩は、染色師を父に持つ作者――おそらく女の人だろうと思われました――が、父の染める布を通じて受け取った愛情への感謝がうたわれ、その染色の技は魔法だったのだと回想しているものでした。
「ああ、ああ、いったいどのような魔法だったのだろうねえ! そんな素晴らしい技術が、なぜ途絶えてしまったのだろう、そうは思わないかい」
魔法使いは染色師の友人に、それはたとえの話で本当に魔法で染めていたわけではなかったのではと指摘することもできましたが、「染色を魔法でする」という可能性に興味を引かれたものですから、かわりにこう答えたのでした。
「ふむ、それではきみとぼくとでその魔法を再現してみようじゃないか」
こうしてふたりの試行錯誤がはじまりました。
“魔法”である以上、ただ布に色をつけるだけではないはずだ、という染色師の主張を受けて――まあ実際、そこをとっかかりにするのがよさそうでしたから――魔法使いは染料に使われる植物の“イメージ”を布に込めることを思いつきました。
それは花言葉であったり、薬草ならその効能であったり。
そしてとうとう完成した染色魔法は、布を染める際にその染料に合った“おまじない”を込めるというだけの単純なものでした。
草花の“色”という“イメージ”を込めるという、今では染色師というと誰もが思い浮かべるであろう魔法が生み出されるには、のちの時代を待たなくてはならないのですが、とにかく、このようなわけで染色魔法は誕生したのでした――。
一応申し上げておくと、本作は「なろう的な異世界」ではありません。
日本からの転生、転移者、その他日本要素は一切関係ありません。ご了承ください。
・魔法使いと魔法染色師
染色魔法を、染色師と魔法使いどちらの領分とするのかという議論は、いまだ決着がついていません――自ら染料を扱い布を染める古い染色師が少なくなっている近頃では、魔法使いに分類すべきだとする意見がやや優勢のようです。
ですが、彼ら染色師は、「魔法を使っている」のではなく「魔法を利用して染色している」のであり、自らが染色師であることに誇りを持っていますから、魔法使いたちも、染色魔法を扱うことはしないのです。