7 王様と遭遇
「?」
不意にシガルが立ち止まり、李花は危うくその背中に顔をぶつけるところだった。
「頭を下げてください」
彼は戸惑う「彼女」の腕を強引に掴むと、廊下の端に引っ張る。
シガルの囁きは低音で艶があり、李花の乙女の心は刺激され、硬直してしまった。
しかし彼はそんなこと知るよりもないので、反応しない「彼女」に痺れを切らして、頭を押した。
「ちょっと!」
「黙っていてください」
冷たく言われ、李花は仕方なくされるがまま、腰を折って頭を下げる。
絨毯を軽く踏みしめる音が近づいてきた。
「コダマ!」
足音が直ぐ側で止まり、声と共に手を掴まれた。
李花はぎょっとして、顔を上げてしまう。
「お、王様!」
「コダマ様!」
叱るような調子で名を呼ばれ、李花は慌てて頭を下げる。
「シガル。いいではないか。コダマ!余は暇なのだ。付き合え!」
「陛下!」
(暇?王様が?)
王はいぜんと李花の手を掴んだままだ。戸惑いながらも顔を上げないように心がける。
「シガル。ちょっとコダマを借りるぞ。そうだ。お前もついて来い」
少年らしい笑顔で言われ、シガルの表情に困惑の色が浮かんだ。
無表情な人の顔色が変わるのは珍しく、李花は思わず彼の顔を横目で観察した。
年齢は二十代後半。兵士らしく短く切られた髪は茶色で、青色の瞳は二重瞼だが細く鋭く、薄い唇は今はへの字に曲げられている。
(よく見たらちょっとかっこいいかも。いやいや。そんなこと思ってもしょうがない。私は今は男なんだから!)
彼に対する評価を打ち消して、様子を窺っていると王が軽い笑い声を上げた。
「ははは。お前のそういう顔は久しぶりに見たぞ。困らなくてもよい。王命なのだ。従うしかなかろう」
(王様だからか。少年なのに、妙に爺くさい口調だな)
王に対して失礼極まりないことを思っていると、大きな溜息を横から聞こえた。
「かしこまりました。コダマ様行きましょう」
「よし。コダマ。ついてこい」
少年王は満足そうに頷き、歩き出す。手を掴まれていた李花は引っ張れる格好になった。
「王様。あの、自分で歩きますので」
口答えするのはどうかと思ったが、このまま引きずられていくのは、いい気持ちではない。
「ああ」
王が素直に頷き、突然李花の手を離したので、「彼女」は前のめりに倒れそうになる。それを捕まえたのはシガルだ。
「あ、ありがとうございます」
肩をつかまれ引き寄せられたので、シガルの胸に頭を寄せることになった。鍛えているらしく、その胸板は硬く、妙に意識してしまった。李花の頬が自然と赤く染まる。
「シガル。離してやれ。コダマの顔が真っ赤だぞ」
王の言葉にシガルは目を大きく開くと、李花から慌てて離れた。
(え、今ゲイだと思われた!?いやいや心は女なので免疫がないだけなんですよ。ゲイじゃないんだけど)
それから、シガルに距離を置かれることになり、王は笑い続け、李花の心中は面白くなかった。
「さあ、ここだ」
王に案内されたのは彼の私室だった。
「さあ、コダマ。入れ。シガルは部屋の前で待機だ。サイラルを入れるな」
「え?」
「陛下!」
(何?何のようなの?サイラルって宰相様のことだよね。どういうこと?)
王様は顔色を変えたシガルを面白そうに見ていた。
「王命だ。従え。心配ならばコダマが武器を持っていないか確認しろ。余は知っての通り幼い時から鍛えておる。コダマ程度に遅れはとらない。大体。コダマはそういう輩には見えない」
「陛下」
「王命だ」
「かしこまりました」
暫く二人の攻防は続いたが、最初に根をあげたのはシガルだった。大仰に息を吐くと、李花が武器を持っていないか検査を始める。
服を脱がされるわけではなかったが、しっかり触れられるので、いい気持ちではない。またシガルも李花を誤解しているので、嫌々ながら確認しているようだった。
「武器は携帯しておりません」
ズボンを二枚重ねていたので怪しまれるかと思ったが、お咎めなしで李花は安堵する。
「ほらな。これでよいな。コダマ。中に入れ」
「え、あの」
王と二人きりになる意図がわからず戸惑うが、李花に選択肢はなかった。
「お邪魔します」
メイド達に両扉を大きく開けられ、「彼女」は恐る恐る部屋に入る。王が次に中に入ると扉が閉められた。
「……緊張するではない。取って食うわけでもないし。余もそのような趣味はない!」
「わ、私だってないですよ!」
(大きな誤解だ。体は男だけど。心が女だから、驚いただけなんですよ)
性別が逆転していることは王には言えない。
サイラルの条件をしっかりと頭に刻み、李花は緊張しながらも王を観察する。
真正面から王を見るのは礼儀にかなっていないと思ったのだが、誰も側にいないので李花は開き直っていた。
髪は少し癖のある金髪。頬が少しピンクに染まり、肌は雪のような白さ。睫は金色で、青い瞳に影を作っている。
(ああ。天使だ!これこそ究極の王子様ルックス!ああ、王だけどね。私も男になるならこんな風がよかった)
知らず知らずのうちの溜息が漏れる。
「どうかしたのか?元の世界にもどりたいか?」
(はい!)
言葉には出せず、李花は心の中で大きく頷いた。
「悪いことをしたな。お前まで連れてきてしまって」
「お前まで?そうですよ!係長、いえ、姉上が目的だけなのに。私まで巻き添えになって」
李花は思わずそう言ってしまう。
「巻き添えか。一人だと聞いていた。だから、他の者を巻き込むなんて思わなかったのだ」
少年王の美しい顔が翳り、李花の憤りが少し収まる。その代わり少し同情心が芽生えた。
「いえ、あの。すみません。でもどうして、王は異世界から王妃を連れてこようと思ったのですか?」
「政治的な理由だ。余は大臣達の娘と結婚するわけにはいかない」
「大臣?」
(何の話?)
「悪いが、姉君を返すわけにはいかないのだ。理解してくれ」
(理解って、いやいや。理解できないですよ。人攫いと一緒だもん。これ。一国の大事なのはわかるけど、私たちに関係ないし)
「……理解できません。おかしいじゃないですか。やっぱり」
李花が王を見据えそう答えると、その青い瞳が大きく見開らかれた。
「余に意見するとはたいしたものだな」
(やばい!王様だった。なんか調子にのりすぎた)
「いえ、あの」
「よい。コダマ。お前のことは気に入った。こちらにこい」
王は微笑むと、奥の部屋へ行き、李花を招く。誘われるまま、部屋に入り、飛びのきそうになった。
(え?ベッド。っていうか私室なのはわかったけど寝室だったの?よく見ていなかった。っていうか、なんで寝室?)
「心配するな。余はそういう趣味はない」
ベッドに腰掛けた美少年が艶やかに微笑み、李花は自分の顔が引き攣るのがわかった。
(いやいや、そういうことじゃないから)
「コダマ。隣に座れ。疲れただろう」
「え、あの……」
「余が信じられぬか?」
威圧的に凝視されて、「彼女」は仕方なくその隣に座った。
(えっと、どういう展開?)
肩が触れ合うほどの近さ、李花はなぜか緊張してしまい、王の横で縮こまる。
「……お前はやはり男なのだな」
「え?」
「何でもない」
(何?いったい?)
戸惑う李花の隣で、王は視線を一度床に落とすと再び「彼女」に向き合う。
「コダマ。お前を余の友人とする。まあ、そのうち弟になるな。だから余のことは、キリアンと呼べ」
(な、何を偉そうに。っていうかなんでいきなり友人?)
「さあ、呼んでみろ。ちなみに敬称は要らぬぞ」
(え?)
期待交じりに見られ、李花は困惑しながらも口を開く。
「き、キリアン?」
すると、キリアンは満足そうに少年らしい笑顔を浮かべた。
その笑顔は日本に残してきた弟に重なり、懐かしくなる。
「まあ。サイラルや他の者がうるさいから、二人だけのときは、そう呼んでほしい。ところでコダマというのはお前の本名か?」
「はい。でも名前ではなく苗字です」
「苗字?名前はなんと言うのだ?」
「李花です」
「リカ、リカか。よい名だ。気に入ったぞ」
(いや。気に入られても。私の名前だし)
妙にはしゃいでいる様に見え、李花は微妙な気持ちになる。
「あ、ありがとうございます」
しかし、王なので取りあえずお礼は言っておいた。