宰相の結婚 中編
「おっはよー!」
マグリートの屋敷に足を伸ばそうと思っていた矢先、本人の声が聞こえ、サイラルはかなり不機嫌顔で振り返った。
「あらあら。かなり不機嫌だね。初夜失敗した?サイラルが多分わからないだろうから、かなり説明したんだけどね」
「あなたか!」
(説明とはなんだ。そもそも私がわからないとは、どういう意味だ!)
その場で怒鳴りつけたいところだが、「あなたか!」の一言ですでに注目を浴びており、サイラルは咳払いをするとマグリートを宰相の執務室へ招いた。
「サギナ。すこし席を外してもらえるか?」
部屋の前で待機していた彼に伝え、サイラルはマグリートを押し込むように部屋に入れる。
「座ってください。彼女に何を吹込みしたか?確かに目的は子をなすことですが、物には順番があり、彼女にも申し訳ない」
「はは。マリエールちゃん。どんなことしちゃったの?ああ。申し訳ない?そんなこと考えてどうするの?今回の結婚は、目的はひとつだけ。飾っても仕方ないよね。だから、君も結婚式をしなかったんだろう?」
「ええ」
マグリートに図星を付かれ、彼は溜息をつくと頷く。
「それで、子を出産後に離婚する気だろう?」
目を細めて、そう続けざまに言われ、サイラルは黙って彼の表情を窺う。
「酷いよね。生まれた子どもはどうするの?お母さんがいないなんて。でも、まあ。マリエールにとってはそれがいいかもしれないね。君がマリエールを好きになる可能性はなさそうだしね。彼女も理解しているけど、君のこと好きになっちゃったみたいだから」
好き。
そんな言葉を聞いたがそれはすぐに記憶から抜け落ちる。それよりもマグリートがまるで彼女をよく知っているような言い方をするのが気になった。
「彼女のことをよく知っているのですか?」
「うん。あの子、僕の姪だから。本当は、もうお嫁にだしたくなかったんだよ。でも、ほら。君の条件に合う人がなかなかいなくて、しかも、早く結婚しなきゃなんなかっただろ。だから、僕の姪にしたの」
「姪……。そんなこと知りませんけど」
「まあ、フォーネ家で公式に認めていない、父の愛人の子だからね。妹は田舎の貴族と結婚して幸せだよ。子どもも四人と恵まれて、本当に母の鏡だよね。だから子どもの作り方に詳しいだろうし、その娘だったら出産もしやすいんじゃないかと思って頼んだんだ」
(姪だなんて思わなかった)
マグリートは満面な笑みを浮かべており、サイラルはマリエールが何か彼に報告していないかと心配になる。しかし、昨晩何もなかったことを知らないようなので、少し安堵した。
彼は終始機嫌よさげだったが、ふいに真面目な顔でサイラルを見た。
「彼女はかなり打たれ強い性格だけど、繊細なところもあるから、傷つけないでね。もし泣いちゃったりしたら、妹に怒られるからさ」
マグリートに散々愚痴をもらす、またはなじるつもりだったのに、結局そう言われてしまい、それ以上追求できなかった。そうして他に用事はないよね?とそそくさと出て行こうとする彼をただ見送ることになった。
夕方、もうすべきことは終わっているのに、サイラルはなかなか椅子から腰を上げようとしなかった。それは、自宅に妻がいるということが億劫であるからに違いないのだが、マグリートの言葉が蘇り、彼は仕方なく席を立った。
サギナに本日の業務終了のことを伝え、彼は用意した馬車に乗り込む。夕暮れ時の空を見ながら、サイラルは屋敷にいるだろう、妻のことを思った。
「お帰りなさいませ」
屋敷に戻ると執事よりも先に、玄関先でマリエールに挨拶された。
それが丁度よい時間で、サイラルは彼女が玄関でずっと待っていたのかと心配になる。
「サイラル様」
返事も返さないサイラルに彼女が首をかしげ可愛らしげに呼びかけた。
「ああ、すみません。今度から玄関で私を待つことはありませんから」
「いえ。お迎えをするのは妻の役割です!ただでさえ屋敷でゆっくりさせていただいているのですから、役割はこなしたいです」
「そう。それならいいですけど」
鼻息荒く返され、サイラルは少し引きぎみに同意した。
冷静沈着。相手にのせられることはない……そんな自分であったのに、マリエールには調子を崩され、サイラルは憮然として居間に向かった。
食事もサイラルを待っていたらしい彼女は、彼がテーブルにつくとその隣に腰掛ける。
久々に屋敷で食事をする。しかも女性と二人で食事をするなど数年ぶりであり、サイラルはぎこちなく隣に座るマリエールに顔を向けた。
「サイラル様?」
「何か不自由なことはありませんでしたか?」
「いいえ。不自由どころか、快適にすごさせていただいています。お食事も美味しくてありがとうございます」
彼女は微笑を浮かべ答える。食事のことを言われたとき、一瞬ルイーザ、いや李花が食事をする様子が脳裏に浮かび、サイラルは首を横に振る。
(コダマ様が浮かぶなんて、まったく疲れているんだ。きっと)
「マリエール」
初めて彼女の名を呼んだと思う。それくらいまだ口に馴染んでいない彼女の名を呼ぶとマリエールは顔を少し赤らめて顔を上げた。
裸でも恥じらいをみせなかった彼女の不思議な恥じらいに、サイラルは興味を持つ。
「マリエール」
もう一度名を呼ぶと今度は俯いてしまった。しかも耳は少し赤く染まっており、彼女が恥らっているのが見て取れる。
「あの、なんでしょうか」
夫に対して俯くことが良くないと思ったのか、彼女はゆっくりと顔を上げる。頬をまだ赤く少し染めたまま問い返され、サイラルは妙な気持ちを覚える。
何をしたわけではないが、一緒にベッドで寝た中だ。彼女の裸も見ている。だが、あの時は驚いただけで何も感じるものはなかった。そんな自分の気持ちが新鮮で、サイラルはナイフとフォークをテーブルに置くと、彼女を凝視した。
「サ、サイラル様?」
彼女は見られることが恥ずかしいらしい。また俯いてしまい、サイラルは本当に可笑しくなってしまった。
「な、何か、おかしいですか?」
大きな声をあげて笑う彼に、マリエールは戸惑うしかない。それがますます面白くてサイラルは執事が止めるまで笑い続けた。
☆
食事どころではなくなり、マリエールは寝室ではない、彼女専用の部屋に逃げてしまった。食事を終わらせていない彼女に使用人が何か軽いものを届けると言っており、サイラルは少しだけ安堵する。
笑うつもりなく、決して侮っているわけではない。
ただ、恥らう様子がおかしくて、笑ってしまったのだ。
昨晩の少し妖艶な彼女とは全く異なる姿だ。あれは別人だったのかと思えるほどで、サイラルは自身の食事を済ませると湯浴みを行い、着替えた。
夕べが良く寝付けなかったので今日は早く寝ようと寝室に向かうと、部屋の前で女性の使用人の姿を見かけた。
「……彼女がいるのか?」
「はい」
怒っていた様子だったの、今日は寝室に来ないだろうと予測していたのに、今夜も彼女はわざわざ寝室に来たようだった。
裸だったらどうしようかと思いつつ、扉を叩く。
返事があり、自分であることを伝えると、サイラルは扉を開けた。
すると、彼女はそこにいたが、寝間着姿ではなく、室内用の普通のドレス姿だった。それを残念に思う自分がいて、サイラルは自身に舌打ちすると、彼女に近づいた。
「サイラル様。先ほど私をお笑いになった理由をお聞かせいただけませんか?」
マリエールは彼が笑ったのがよっぽど気にかかったらしい。まあ、確かに自身でも笑いすぎたとは反省している。
しかし笑った理由がくだらないもので、サイラルは言うか言わざるべきか迷ってしまった。
「私の無作法ぶりが滑稽でしたか?それとも、話し方、なのでしょうか?」
彼女はかなり気にしている。落ち度はなく、単におかしかっただけだのだが、笑う理由として適切ではない。サイラルはかなり渋った挙句、観念して口を開いた。
「あなたが昨晩とは別人のように恥じらいのある方で、おかしかったのです」
彼がそう口にすると、何かが破裂したのではないかと思えるくらい、一気に彼女の頬が真っ赤に染まった。
「き、昨日は、申し訳ありませんでした!あの、あれは決して普段の私ではないのです。お母様やマグリート様に初夜のあるべき姿を聞いて、実行したまでで、私の本意ではありません!」
「そうなのですか?」
「はい!」
(その割にははまっていた)
その言葉を飲み込み、サイラルはマグリートのにやけた笑みを思い出す。
「……誤解して申し訳ありません。しかし、確かに結婚の目的はそうであるから、飾ってもしかたないことなのですが……」
「マグリート様から聞いております。私、初めてなのですが、母からきちんと説明をうけておりますので、行為は無事行えると思います!」
マリエールはやはりこのことには恥じらいを覚えないのか、やけにはっきり宣言する。
サイラルだって経験はある。
だが、今日もなんだかやる気を失ってしまった。
「あなたも今日は疲れているでしょう。着替えをして、早く寝てください」
彼の言葉に彼女ががっかりしたのがわかる。だが、やる気がないのは仕方がない。サイラルは着替えを心置きなく行ってもらおうと、ベッドの近くの机から本を取り、読み始めた。
すると彼女がベッドを立つ気配がして、さらりと部屋からいなくなってしまった。
結局、その夜彼女は再び寝室に戻ってくることはなかった。




