38 シズコとタエの村
「すんごい顔だな」
「ははは」
翌朝七時。
朝早くても朝食は食べたいという李花の意向を汲み取って、泰貴の部屋で朝食を取ることになっていた。
早く寝ろといわれていたにも関わらず、結局寝れずに朝を向かえ、しかも泣きはらしたものだから瞼が腫れた上、隈ができていた。
「今日はやめるか?」
「いえ、行きます」
「大丈夫か?」
「はい」
(私の都合でいけなくなったなんて駄目だ。どうせ今夜も寝れないはずだから。あの月。多分今日が満月。そういえば、今日で帰ってきてから十六日目だ)
「どうした?シガルのことか?」
考えないようにしてきた彼の名前を出され、李花は顔を強張らせた。
「今日で十六目だからな。丁度こっちでも満月だ。でも、ありえない。キリアンは王宮の池を破壊すると言っていたからな」
「……わかってます。私だって」
「ならいいけど」
(わかってる。そんなこと。二度と異世界の人間は呼ばない。そう決めていたもの)
「飯が冷めるぞ。早く食べろ」
「はい」
どんなときも食欲だけは揺るがないのだが、この時ばかりは寝不足のためか李花は朝食をほとんど食べなかった。
「お前、今日。やっぱりやめるか?」
「いいえ。行きます」
「無理すんなよ」
「はい」
旅館にいても気が滅入るだけに決まっていた。それなら、タエの村に行ったほうがいいと、李花は頷く。
「辛い時は言えよ」
「はい」
彼女はしっかり返事したが、泰貴はそんな李花に少し寂しげに微笑んだ。
六十年程近く放置された道は、雇った探偵が一度通ったためか、割と問題なく歩くことができた。平坦な道が続き、李花は早足とは言えなかったがペースを崩すことなく順調に足を進めた。
「このままなら本当にあと一時間でつくかもな」
二人は小休憩を取り、水分補給をする。
七月の中旬、全国的に梅雨明け宣言がされ始めていた。
今日の天気予報は曇り。雨の確率は二十パーセントだ。予報通り空は雲が覆っており、照りつける暑さはない。だが、蒸し暑く、喉が渇きを訴えていた。
「疲れたか?」
「ちょっと」
「もう少しだからな。村についたら昼飯にしよう」
「はい」
(お弁当……。朝は食欲なかったけど、ちょっと今はお腹すいてきた。昨日のご飯もおいしかったし、お弁当もきっとおいしいはず)
歩いたせいか、気分が軽くなっていた。
また緑好きな李花には草花の香りは癒しになっており、食欲も戻ってきている。
「まさか。もうお腹すいてるのか?まだ十時だぞ。そうか、朝あまり食べてないからな。お前先に食べる?」
「いや、いいですよ。後で。早く食べても後でお腹減るだけですから」
「そうか、そうだな」
(まだ十時。今食べると三時ぐらいにお腹が減る。旅館に戻るのは多分夕方になるだろうから)
「じゃ、行くぞ」
「はい」
椅子代わりの苔の生えた切り株から腰を上げ、二人は再び歩き始めた。
タエの村――シズコの村でもある川安村。
昭和二十五年、最後まで残っていた村人が死亡し、廃村になった。
「あの、遺体とか残ってないですよね」
「当たり前だろ。え、でもその人じゃなくて。別の死体があるかもな」
「ええ!」
脅かされ、李花は泰貴の服の袖をおもわず掴む。それを嫌がることなく、彼は川安村に踏み込んだ。
村の入り口で一行を出迎えたのは半壊している木造の一軒屋だった。
それを泰貴は確認することなく、通り過ぎた。
「どの家がわかるんですか?」
「うん。配置図も入手してもらったかな」
彼はそう答えると、真っ白な紙をリュックサックから取り出した。
「新しいものですね」
「コピーだからな。流石に原本を持ち出したら犯罪だろ。まあ、コピー自体どうなのかって気もするけどな」
探偵の仕事であって自分自身がしたことではないためか、泰貴は気楽そうだった。
(なんか、どうやって入手したんだろ。きっと嘘ついて入手。いや、泥棒?)
その考えに至り、ふとシガルがサイラルの部屋から日記を泥棒してきたことを思い出す。
そして着替えに戻るといって窓から出て行った時に彼が見せた笑顔を。
自然と表情が硬くなり、李花は袖を掴む手に力が入った。
「どうした?」
「な、なんでも」
「そうか。……じゃ、先に進むぞ」
配置図を畳み、手に持ったまま彼は歩き出した。
「ここだ」
五分ほど歩いたところで、泰貴は足を止めた。
そこは家というより小屋の残骸が寂しげに立っていた。
「本当にここなんですか?」
「ああ。ちなみに隣がシズコさんの実家だ」
「シズコさん」
「そこまでわかったんですか?」
「ああ。タエさんとシズコさんは従姉妹だろ。だから一緒に調べてもらった」
(シズコさんも。シズコさんのほうは確か村を追い出された上に、野犬に……)
「シズコとその母親は同じ日に死亡している。多分、母親のほうが自殺だろ。まさか一緒に追い出されたと思われないし」
「そんなことまで」
「ああ、戸籍を見たからな」
「ええ?」
「村の住所と関係がわかれば、簡単なことだ。俺は親戚だからな。なんとでも理由がつく」
「はあ」
(なんか泰貴さんまで探偵みたいだな)
李花は廃屋の二軒を見比べる。
シズコの家のほうはすでに原型すらとどめていなかったが、同じように小屋であったことが想像できた。
「そういえば、シズコさんとタエさんはお父さん達が兄弟だったんですか?」
「ああ。二人兄弟で、シズコさんの父親は戦争で亡くなっている」
(戦争。百年前くらいってことは、第一次世界大戦の頃かな)
第二次世界大戦からはまだ百年もたっていないと、李花はそう予想する。
実際に彼女の予想は正しく、シズコとその母親は大正五年、第一次世界大戦の二年目に死亡しており、父親もその後を追うように同年に戦死していた。
「李花。入るぞ」
「え?入るんですか?」
「ああ。まあ、外で待っててもいいけど」
(外で待つ?)
李花は周りを見渡し、静まり返った廃屋から何かが出て来そうな錯覚に陥る。
「一緒に入ります」
「そうか。じゃあ、ついてこい」
足を進める泰貴のシャツの裾を思わず掴んでしまうが、彼は何も言わなかった。
扉の前まで来て、彼はリュックサックを下ろした。中から軍手を二双取り出す。
「これ付けろ。念のために」
「準備いいですね」
「まあな」
(軍手なんて、想像もしなかった。そういえばリュック、重そうだけど、結構いろんなものが入ってたりして)
李花がそんなことを考えているうちに彼はリュックサックを背負い、軍手をはめた。屋根は半分ほど落ちていたが、上から入るわけにもいかず、引き戸に両手を添え、一気に引いた。
「ごほっつ」
前にいた泰貴は埃を吸ったらしく軽く咳をする。後ろにいた李花は無事で、彼女は反射的にその背中を擦った。
「大丈夫。ありがとう」
振り返り、イケメン度百パーセントの笑顔を向けられ、李花は再び硬直した。
(えっと。こういうの困るな。なんか)
「ハンカチかなんかで口を押さえて家に入ったほうがいいぞ」
泰貴は硬直した彼女に気がつくことなく、そう言うと勝手に中に入った。
「待ってください!」
言われたとおり、ポケットからハンカチを取り出すと口にあて、彼女は彼を追う。