表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/63

1 異世界トリップ

 古玉こだま李花りか

 それが彼女の名前だ。


 歳は二十二歳。

 本人は自覚がないのだが、巨乳の持ち主。その上、お尻もこれまた程よく大きい。所謂いあゆる安産型の模範のような体をしていた。

 けれども李花は自身の体型を好んでおらず、スリムな友人達を羨んでいた。


 なので、彼女に起きた変化は彼女にはとても嬉しいことであり、性別が逆転していたとしても、彼女にとっては喜ぶべき変化であった。



 ☆


(あれ?)


 李花が目覚めると視界を覆ったのは灰色の天井だった。

 しかもコンクリートでもなく、石造りで、彼女は驚いて体を起こす。


 寝ていたのは木製のベッドで、すぐに体に違和感を覚えた。


 いつもの息苦しさがなくなっており、反射的に胸に目を向ける。


「え?」


 胸の膨らみがなかった。

 寝ていると息苦しくなり、乳房の下に汗をかくこともよくある。

 それがぺったんとなくなっており、嬉しくなる。


 だが股の間に何が挟まっている感じでしておかしかった。

 買った覚えのない黒のズボン。上着も見たこともない綿製。作りも手縫い感が漂うもの。


(まあ。それは置いといて)


 自分の体の変化のことが気になったので、李花はズボンの上からそっと股の間を触った。

 

「え?えええ?」

「なんだ。うるさいぞ、古玉!」


 口調は横暴、しかし艶のある高い声で怒鳴られた。

 股間を触って、固まっている李花の隣のベッドで体を起こしたのは、長い黒髪の女性。睫毛が長くて、色白で、お人形のような美人。彼女は目を細めて李花を凝視していた。


古玉こだま?」

 

(名を呼ばれた?しかも苗字?)


 よく見れば、李花が苦手とするあの人の面影があった。妹がいたらこんな感じだろう、それくらい似ていた。

 しかも記憶を辿り、目を覚ます前まで一緒にいたことを思い出す。


「お前、古玉なのか?なんで、そんな」


 言い方があの人そっくりで、李花は嫌な予感がした。

 自分の体の変化、それならあの人も変化していてもおかしくない。


「……もしかして係長ですか?」

「そうだが?お前は古玉だよな?」

「はい」

「なんで、お前。胸がないんだ?しかも、髪まで短くなって。背も高くなってるようだし。まるで男みたいだが?」


 係長――長井ながい泰貴たいきは李花を睨んだまま、横暴に放つ。

 以前なら、おびえてしまった李花だが、美人に色っぽくそう言われても迫力がなかった。

 

(係長?気づいていない?髪も長くなって、背も縮んでるのに。だいたい小さいけど胸もちゃんとあるみたいなのに)

 

 李花はおかしくなって笑い出してしまった。


「……何がおかしいんだ?」

「だって、係長。私が男みたい。いや、男になっちゃったみたいなんですけど。そういう係長は、女の人になってるみたいですよ」

「あ?」


 泰貴は李花の言葉に自分の体を改めて確認した。まずは髪の毛、それから顔に触れ、最後に胸に目を落としていた。

 小さいが女性的膨らみをそこに見つけ、彼は絶叫した。


「なんだこりゃーー!!」



 ★


 話は数時間前に戻る。


「古玉!」

「はい!」


 泰貴に呼ばれ、李花は溜息をつきそうな自分を抑えて、返事した。立ち上がり、顔を向けるといつもの鬼係長が、その二重瞼の涼やかな瞳を細めて睨んでいた。


(なんだろう。もう嫌だな)


 四月に、人材派遣会社「箱舟」に入社した。

 大学卒業後、就職浪人をすることもなく、正職員に採用されたため、父親は大変喜び、李花は安堵した。

 しかし仕事は甘くなかった。女性が多い職場だと思いきや、女性は少なく、係長の泰貴は唯一の新人社員の李花に厳しかった。


 ゴールデンウェークに退職の考えがよぎったくらいだ。だが、「働かざる者食うべからず」の信条の古玉家では、ニートなど許されない。

 なので、仕方なく仕事を続けている。

 厳しいのはなぜか係長だけで、先輩方は親切な人ばかりだった。


「聞いているのか?」

「は、はい?」


(しまった。なんだっけ。確か書類の、)


「古玉!何度言ったらわかるんだ。正式な文書に口語体で書くな!」


 怒鳴られて渡されたのは、今朝作成した求職者リストだった。もちろん氏名は伏せてあるが、性別、年代、および希望給料、所持資格など特徴を明記している。

 人材を採用してもらうため、月一で各企業に郵送やメール送信でリストを送っている。


「……明るく、協調性があってアパレル企業にはピッタリ?ピッタリとはなんだ?ここは適正がある、とかだろうが!」


(はは、なんか勢いでピッタリって打ってたなー)


 ノリノリで皆さんの特徴、いわゆる短いプロフィールを作っていたことを思い出し、李花は苦笑いを浮かべる。


「やり直しだ。赤で修正してやったから、今日中に終わらせろ!」

「はい」


 ご丁寧に赤丸、しかもコメントまでついた文書を受け取り、李花はとぼとぼと席に戻る。


「どんまい」


 隣に座る一つ上の先輩が近づき、しょんぼりしている彼女の肩を叩いて励ますと、雷が彼に落ちた。


「そこ!竹下!サボるな!お前も残業したいのか?」

「いえ、とんでもない!」


 彼女のいる竹下は、慌てて李花から離れると自分の机に戻り、キーボードを叩き始めた。


(うう、先輩はいい人たちばかりなんだけど。係長が怖すぎて誰も助けてくれない)


 手元の紙は赤で修正されすぎて赤く染まっている。

 残業は確定事項だった。


「古玉。早く帰りたければ、早く修正始めろ。修正するときは、注意されたことをよく考えて、修正しろ!」


 パワハラではないだろうか、いつもそう思うが口に出すこともできず、李花はただ頷いて、仕事にかかった。

 リストをよく確認すると、修正はさほど多くなかった。なぜ赤く染まっているかと思えば、コメントが多いためだった。

 泰貴の文字は荒い口調とは異なり、繊細なものだった。美しい字で読み易く、李花はコメントを読みながら修正を続けた。


「終わった!」


 最後の求職者の欄まで辿り着き、思わずそう声が出てしまった。

 いつの間にか部屋には誰もいなく、いや違った。

 泰貴と李花が残されており、彼女の声が独り言であるのにやけに響いた。

 

「終わったのか。一、二度は確認しろよ」

「はい……」


(わかってますよ。それくらい)


 少し休憩した後に確認する予定だった。座りっぱなしで肩と腰が痛くなっていた。


「古玉。販売機に行くなら、俺の分も買ってきてくれ。その分は奢る」

「え!本当ですか?」


 ちょうどコーヒーを買いにいこうと思っていたので、李花は渡りに船だと、浮かれてしまった。

 たった百円だが、人に奢ってもらうのはうれしい。


「ほら。三百円。お釣りは駄賃だ」

「え、駄賃はいらないですよ!奢ってもらうのに」


(なんだか、へんだな)


 妙に優しい泰貴に違和感を覚えながら、彼の手の平から、百円硬貨を三枚受け取る。


「なんだ?」

「なんでもないです」

「俺はカナルのブラックコーヒーな」

「了解です」


 首をかしげながらも、妙に優しいのはおかしいとは言えず、李花は部屋を出た。

 販売機で、ミルクコーヒーとブラックコーヒーを購入し部屋に戻り、お釣りをしっかり渡す。

 

「ご馳走様です。いただきます」


 一応ぺこりを頭を下げた後、李花はタブを開け、コーヒーを飲む。口に甘味と苦味が同時に広がり疲れを癒した上、香りが更に気持ちを落ち着かせる。

 それから確認を二度して、李花はリストを印刷した。


「終わりました」

「ありがとう。お疲れ様」


 言葉とは裏腹に顔色を変えずに泰貴はリストを受け取る。


「今、目を通すからちょっと待ってろ」


(うへー。これで間違っていたらアウトだな。でも二回も見直したし大丈夫。きっと)


 緊張しながら待っていると、泰貴はふと顔を上げる。


(何?間違っていた?)


 うろたえる李花に対して、彼は何も言わず、再び下を向いた。


(何なの?)


 意味がわからず、眉が自然に八の字になる。


「変な顔だな」

 

(顔のことか!失礼な!)


 再び顔を上げ、暴言を吐いた泰貴に苛立ちを覚えたが、その後に微笑まれ毒気を抜かれる。

 イケメンの笑顔は破壊的だった。

 しかもいつも怒鳴ってばかりいる彼の笑顔だから余計である。


「間違いはない。帰っていいぞ」

「はっ、ありがとうございます」


 笑顔に見惚れていた自分を心の中で叱咤し、李花はぺこりを頭を下げた。


 そうして残業を続ける泰貴に挨拶をして、会社を後にする。

 その予定だった。


 だが、パソコンの電源を切って、空き缶を捨てて、部屋を出ようとする呼び止められた。


「俺も帰るから。ちょっと待ってろ」


(ええ?)


 戸惑う李花に構うことなく、泰貴は自分の机の上を物凄い勢いで片付け、その側に立った。


「帰るぞ」


(ええ?)


 会社のビルの警備員に、意味ありげに微笑まれ、李花達はビルを出た。


「もう九時だから。駅まで送っていく」

「え、いや、大丈夫ですから」


 李花はゆっくりと駅への道を散策して帰るのが好きだった。泰貴と一緒であれば、緊張してそれどころではなかった。

 しかし、彼は彼女の意思を無視して、その隣を歩く。


「嫌そうだな」


 歩きながら溜息を思わずついていたらしい。

 李花はぎくりとして愛想笑いを浮かべる。


「まあ、俺はいつも怒鳴ってばかりだからな」


(わかってるんだ。だったらなんで)


 苛立ちながらも上司なので、自分の気持ちを押さえ、黙って歩く。

 何分そうやって無言で歩いていたのか、李花の目の前に急に水溜りが現れる。


 六月の梅雨の時期。

 水溜りがあってもおかしくはない。


「係長?」


 だが、隣を歩いていた泰貴は足を止め、その水溜りの表面を凝視していた。


「古玉。おかしくないか?月が映ってる」

「え?」


(何言ってるの?係長)

 

 そうは思ったが、真剣な口調だったので彼女も水溜りの表面に目をやる。


「本当、ですね。月?なんで?」


 空に月は浮かんでいない。それどころか、空は曇っており、頭上には星ひとつも輝いていなかった。

 しかしその表面には丸い月が映っている。


「係長!」


 霊的なものを想像し、李花は怖くなって、隣の泰貴の腕を引っ張る。

 だが急に腕を引かれ、バランスを崩した彼は足を水溜りに突っ込んだ。


「お前!」


 水しぶきが飛び、ひやりと冷たい感触がした。

 泰貴の怒鳴り声がかき消され、眩い光が李花の視界を覆った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ