17 思惑
昔は王宮の官職はすべて能力とは関係なく、身分とコネで決まっていた。
しかし、百年前の第九代王ライベルが王立学院を設立し、優秀な成績を収めたものに官職を与え始め、貴族の間で反対の声があがった。
王は反対をよしとはせず、そのまま敢行。没落していく貴族も増え、貴族と王の内乱も起きた。それを制圧し、アヤーテ王国の貴族は半分以下に数を減らすことになった。残った貴族は真に王に忠誠を誓った者たちで、学問や武道に力を入れ、王を現在まで支え続けている。
サイラル・エファンは地方貴族の一人で、わずか九歳で王立学院に入学した秀才で、卒業まで首席を保ち、王宮にそのまま入った。当時皇太子だったナダリと同じ年齢であったため、特別に皇太子付きになり、出世の階段を上る。
その後、王位についたナダリの相談役、皇太子キリアンの教師、ナダリ没後は宰相となり、キリアンの傍ら、その才覚を振るっている。
「頭が痛い」
「それはそうですよね」
執務室では不自然な笑顔をなくしたサギナが頷く。
「どうしてあのマグリートはいつもこう事態をややこしくするのだ」
温和な印象が強いサイラルだが、こうして心が知れている者の前では感情を露わにする。それがサギナには嬉しかった。
幼いサギナとメリルを暴漢から救い、屋敷に引き取ってくれたサイラルは二人にとって命の恩人であり、命をいつでも捧げられる主でもあった。
「方法は絶対に見つかるはずがない。陛下すら事実を知らないのだから。方法が見つからなければ彼らは元の世界には戻れない」
だから、自分の計画を進めるだけだと、サギナを傍らに呼ぶ。
明日は国防大臣ラックス・リカルドの娘が昼食会を開く。勿論キリアンを招待しているのだが、必然的にサイラルも出席することになる。
ラックスに疑問を抱かせず、サイラルが手配した者が問題なく昼食会に参加できるように万全の準備を整える必要があった。
★
「ところで、どうしてボットさんは自宅謹慎処分になったんですか?やっぱり私の味方をしたからですか?」
自室に到着すると、シガルは嫌な思い出にどっぷり使っている李花に、サギナの使っていた本を使って読み書きを教え始めた。
言われた通り文字を書いていると、ふと李花の脳裏にそんな疑問が沸いてきて口に出す。
「……そうですが」
何をいまさらという質問で、感情を表に出さないシガルでも少し唖然としつつ、言葉を続ける。
「謹慎を解いてくれたのは陛下です。エファン様は珍しく苦い顔をされてましたが」
「じゃあ、外務大臣は? あの人がなんで介入してくるんですか?」
「ああ、マグリート様ですね。彼は姉の友人でもあったし、エファン様を困らせるのが好きだから。私が謹慎から解かれたと聞いて、楽しそうにやってきました。味方はほしいと思ったので、事実を話しました」
(なんか、困った人っぽいな。マグリート外務大臣?まあ。味方になってくれたからいいけど。これで敵だったら、宰相様より絶対に面倒なことになりそう)
「さて、コダマ様。疑問は解決されましたか。時間はないですよ。早く本を読めるようになっていただいて、元に戻る方法を探してもらわねばいけません」
「あ、もうひとつ」
決して勉強から逃げる口実ではなく、大事な質問が李花の頭に浮かんだ。
「どうして、ボットさんは私の味方をするんですか?」
(私の印象は悪いし、彼は近衛兵で、キリアンの叔父。だったらキリアンが望むことをするんじゃないの?私の味方をするってことはキリアンの望みとは逆だもん)
ふと大分印象が幼くなった、頼りなさげなキリアンの顔を思い出し、李花は羽ペンをきつく握ってしまった。
「なんとなく、姉がそう願っている気がします。陛下はあなたの顔に姉を重ね、政治的判断というよりも、思慕で動いています。だからエファン様の強引なところも目をつぶっている。今回の件、エファン様らしくない。国や陛下のことを思って、進めているとは思えない」
(そうなんだ。うーん。わからないけど。確かに百年前に事例があるからって、大臣の娘と結婚させないためだけに、王妃候補を異世界から呼ぶとかおかしいよね。もっとしっかりした打開策を頭のいい人なら浮かべそうだ)
「さあ。国のことは私たちにお任せください。私はこの婚姻を無効にするため、あなた方に帰ってもらう必要があります。だから、まずは文字を覚え、本を読んでください」
「……ほかに方法があると思うのですけど」
「現時点で浮かばない以上、できることをしてください。どうで暇で仕方がないと思うので」
(暇って確かにそうだけど。本を探すならボットさん自身が読んで探したほうがいいと思うけど……。いや、だめだ。自分で何かしなきゃ)
やる気を失いそうな自分を励まし、李花はシガルの少しスパルタぎみに授業についていった。
「ここまでにしましょう」
始めた時間が遅かったため、李花が再び気力を失う前に授業はお開きとなる。
「これは宿題です」
「え?ボットさんも宿題だすんですか?」
「ああ。サギナもやはりそうでしたか。コダマ様は覚えが悪いので、何度も繰り返して完全に覚えていただく必要があります」
「……はい」
(覚えが悪い。サギナもボットさんもなんか失礼な気がする。そういえば二人はどんな関係なんだろう。同じ本を使ってるし。仲がいいとか?いや、引き続きのときに本をもらったんだよね。でも仲悪かったら同じ本使わないだろうし)
「コダマ様?」
「あ。宿題ですね。がんばります」
「はい、頑張ってください」
彼らしくない励ましに少し驚いて、顔を凝視してしまった。するとシガルは顔を背け、机に本を置くと、逃げるようにいなくなった。
「なんなんだろう?」
彼の態度に首をひねっていると、夕食が運ばれてきて、興味は完全に食べ物に移る。
そうしていつものように平らげ、慣れてきた所用も自室で済ませると寝間着とともに暖かいお湯が運ばれてきた。
(ああ、体拭くだけじゃやっぱり足りない。髪とか洗いたい。でも無理だろうな)
髪を洗うとなるとかなりの量のお湯が必要で、そのような我侭をいうほど、髪の毛はまだべたついていない。髪が短くてよかったとこの時ばかりは男体化に感謝する。
着替えを済ませて、片づけをしてもらったが、眠くはない。
しょうがないので、李花は宿題をすることにした。蝋燭のぼんやりした光の中での勉強は目によくないのだが、宿題だし、ほかにやることがないので、目を凝らしながら李花は続ける。
どのくらい経過したのか。
微かな物音が聞こえた。
顔を上げて、注意を向けると、ゆっくりと窓が開いていく。
「!」
最初に白い手が出てきたので、悲鳴を上げそうになったが、その後に現れた人物を見て、胸を撫で下ろす。
「古玉」
それは薄着の寝間着が少し悩ましく見える美女――泰貴だった。
窓を閉めて、「彼」は勉強している李花の傍まで歩いてきた。
そして腰を屈めて、「彼女」の仕事を見る。
「文字か。お前頑張ってるな」
「はあ。宿題がでちゃったので」
「宿題?お前に?」
「はい。なんか元に戻る方法が本に隠されているかもしれないから、本を読めるまでのレベルに持っていきたいみたいです」
「ほお。なるほどな。っていうか、ボットは協力的だな」
「え?係長は彼が戻ってきたのを知ってるんですか?」
「ああ。部屋に戻るときにお前の扉の前に立っているのを見たからな」
「そうだ!係長。すごいニュースがあるんです!」
味方ができたこと、サイラルの意図を教えてもらったことなど、話したいこと、話すべきことがたくさんあったことを思い出し、李花は興奮気味にそう言った。
「胡散臭いな」
「え?」
話を聞き終わり、泰貴が最初にもらした言葉がそれだった。
「その外務大臣。あの晩餐会の時も変なやつだなと思ったが。何か別の考えがあるんじゃないか?」
「えっと、多分あるかもしれません。でもボットさんがあの人は宰相様を困らせるのが大好きな人だから、そういう理由じゃないかと言ってました」
「はあ?」
泰貴の反応は最もで、李花もマグリートのことが完全に信じられずにいた。
「まあ。いっか。大臣達は皆俺が王妃になることに反対してるってことで。それならやりやすいな」
美女姿なのに、泰貴はベッドの上に胡坐をかいて、腕を組んでうなる。
(美女が台無し。ああ、もったいない)
李花は脱力しながら、椅子に腰掛けていた。ベッドに座るように言われたが、隣り合って座るのに抵抗があり、近くの椅子を選んだ。
「俺も収穫があるぞ。お前似のルイーザ妃のことだ。マーベルを限界まで苦しめたらしい」
「え?マーベル?」
「あ、俺の先生だ。ほら、宰相がそう呼んでいただろ?」
そう言われたが顔が浮かばなかった。
しかし、あの学習用の部屋で泰貴を教えていることはわかった。
「本当、お前って……。ルイーザ妃はお前そっくりで物覚えが悪くて、最後には匙を投げられたらしい」
「ええ?ルイーザさん、ここの人なのに字が読めなかったの?」
「……なわけないだろ。マーベルは読み書き以外にも歴史とかいろいろ教えているんだ。俺だって結構この国の歴史に詳しくなったぞ。ちなみに、いまのキリアンは十四代目だ。百年前に異世界の王妃を娶ったのは九代目のライベル王だ。俺の予想通り、やはり九代目のライベル王は二度結婚している。両方とも異世界の女だ」
(それって、係長のご先祖様だよね?)
李花は心配になり、泰貴の顔色を伺う。
「心配してくれるのか?」
「え、まあ」
じっと見つめ返され、視線を逸らしてしまった。
女性になっても輝きが変わらない泰貴の瞳を見ていると、李花は妙に落ち着かない気持ちになった。
そんな「彼女」に微笑み、「彼」は言葉を続ける。
「異世界の王妃がいた時代、四十年間はかなり栄えたようだ。領土も今の一・五倍ほどだったらしい。だから、異世界の王妃は女神としてかなりもてはやされていたらしい。だから、俺の王妃が公式に発表されたら、国は大騒ぎというか、女神到来とかいうことで、国中が華やぐだろう」
(えっ、それっていいこと。でも、そのために王妃になるものねえ)
今度は少し気の毒になって泰貴を見ると、「彼」も「彼女」を見ていて目が合う。
(えっと)
李花は視線を逸らし、なぜか動悸が激しくなった心臓をおとなしくなせようと、胸に手をやった。
「俺の言いたいのはそこじゃなくて。おかしいと思わないか?」
「え?」
(何が?)
質問の意図がわからず、李花は首をひねる。
「それだけ期待されている異世界の王妃は、なぜ百年も誕生していないんだ?おかしくないか?」
「……たしかに。なんで百年も」
「もう一つおかしいことがある。最後の異世界の王妃――タエは子供を作らなかったらしい。また、前の王妃のシズコの一人息子は王となったが、子はいない。だから今の王家には異世界、シズコやタエの血はまったく入っていない」
李花は話がまったく読めずにただ泰貴を見つめる。
「サイラルは俺に王との子をもうけるように言った。だが、前の王妃もその前の忘れ形見も子どもいない。俺はわざと子どもを作らなかったようにしている、そう考えている」
「係長は、なんで、わざとって考えるんですか?」
「異世界の、血を残したくなかったんだ。この国に」
「え?」
「俺は、異世界、日本から人を呼ぶために血が必要だと思うんだ。だから、タエは二度と誰も呼ばせないようにと、血を残さなかった」
「え?だったら、なんで、私たち、係長はここに呼ばれたんですか?」
「生き残りがいるんだよ。公式には残っていないが、異世界の王妃か、その息子に子供がいた。それが現在まで血を引き継いでいる。こう考えると辻褄があう」
「だったら、その生き残りを探せば、元に戻る方法がわかるわけですね!」
「ああ。簡単にいけばな。宰相殿はとても頭がいい。その生き残り、もう死んでるかもしれないな。俺ならそうする」
「え?」
「だって、俺はここにいる。だから、もう必要ないだろ?」
「そうだけど」
李花は想像して怖くなった。
泰貴は立ち上がると、椅子に座っている「彼女」をそのまま抱きしめた。
「こうすると、ちょうど胸の位置……」
「ちょっと、かか、」
小さいが胸に顔をうずめる形に少し苦しくなる。
「そういえば、気になっていたんだよな。ここは会社でもないのに、係長、係長って。俺のことは泰貴って呼べ」
「た、たいき?む、無理です。む」
「そうか?そうなら、俺の胸の中で息を引き取るか?あ、そうだ。俺もお前のこと、李花って呼ぶな。王だけがお前の名を呼び捨てにするのはなんか、気に障る。子供だがな」
(気に障る?何?っていうか、すっごく苦しい。なんだっけ。泰貴って呼べばいいの)
「た、たいき、さん」
「おっし。よくできました」
ふっと力を緩められて、李花はやっと新鮮な空気を得ることができた。
(い、生き返った。小さいとはいえ、胸の中ってあんなに苦しんだ)
自分も弟を抱きしめるときは気をつけようと、李花は心に誓った。
結局、そんな風に曖昧に話が終わり、「李花、またな」と泰貴は忍者のように窓から姿を消した。