15 宰相と味気ない朝食
「いたっつ!」
翌日李花は毛皮の上で目を覚ました。
ベッドの下には、絨毯の上に毛皮が敷かれており、落ちても衝撃だけで痛みは感じないようになっていた。実行者はそれを予想していたため、乱暴な手段に出たようだった。
「おはようございます。コダマ様」
寝ていた李花からはぎ取った毛布をメイドに渡し、にこりと微笑んでいるのはサギナだ。
(何、なんでこんな起こされかたをしないといけないの?)
昨日は結局遅い夕飯をメイドに運んでもらい、平らげた後寝付けず、薄暗い明かりの中で目を凝らして宿題をしていた。李花がベッドに入ったのは夜半過ぎで、勉強の疲れもあって熟睡していた。
メイドが何度呼んでも起きないので、サギナが強引に起こしたのだ。
「コダマ様。顔を拭いてお着替えを。サイラル様が朝食を一緒に取られます」
「え?!」
サイラルの名前を聞き、李花の眠気が一気に吹き飛ぶ。
(なんで、なんで?)
動揺している李花の顔をメイドが慌ただしく拭き、服を着替えさせようとしたので、我に返った。
「自分でできます。すみませんが部屋を出てもらえますか?準備ができましたら呼びますので」
「そうですか。それでは早めにお願いします」
退出するように促すと、サギナはそう言い部屋を出ていく。
李花は会いたくないと思いつつ、選択肢はないので心地のよい寝間着から城の従者の服に着替える。履物も替え、扉を叩いた。
部屋のテーブルに昨日の朝よりも豪華に見える食事が準備される。スープ、パンに加え、ソーセージやハムが食卓に上る。ナプキンとフォーク等を揃え、給仕用のメイドが少し緊張の面持ちで、テーブルの傍に控えた。
ほどなく扉が叩かれ、爽やかな水色のジャケットを羽織ったサイラルが表れた。笑顔を浮かべていたが、李花にとっては胡散臭いとしか思えない。
彼は給仕用のメイドとサギナに退出を命じる。メイドはお茶を二人に注ぎ、サギナと一緒に部屋を出ていった。
部屋の中に二人きり。
冷たい美形――映画の中の人物で、鑑賞だけならいいのにと李花は小さくため息をついてしまった。
「元気がないですね。コダマ様」
「はは。そうですか」
(あなたのせいでしょうか。あなたの。まあ。いいや。美味しそうなハムだし。食事だけでも楽しもう)
愛想笑いを浮かべ、食事を始めようとフォークとナイフを手に取った。
「……コダマ様。あなたは礼儀作法を勉強する必要がありそうですね。サギナに伝えておきます」
「ええ?」
「あなたの部屋にこうして私が参りましたが、身分が上の私が食事を始めるまで、あなたが食べることはできません。わかりますか?」
「あ、」
(そうだよね。日本でもそうなのに。ああ。私の馬鹿)
自分の馬鹿さ加減に李花は首を垂れた。
「まあ。食事時に小言はこのへんにしておきましょう。どうぞ。食べてください」
「い、いただきます」
「イタダキマス?」
ご飯の前の挨拶にサイラルが首をかしげる。
「日本では食事の前にこう言うんです」
「そうですか」
一応そう説明し、李花はハムを切り、口に入れた。
「おいしい」
「そうですか。それはよかった」
笑顔を浮かべる李花にサイラルも嬉しそうだった。
(こういう人だっけ?わからないな)
「……あなたは本当にルイーザ様に似ている。ルイ―ザ様も本当に美味しそうに食べてらした」
(ルイーザ様?私に似てるってことは、キリアンのお母さんか)
「抜けているところも、感情がそのまま表に出るところも、似てますね。本当に」
(なんか褒められていない?っていうか、宰相様はルイーザ様が好きじゃなかった?)
「だから、陛下も惑わされる。あなたは今は男なのに」
そう言って、サイラルはフォークでソーセージを刺した。そのまま、李花に目を向ける。
灰色の瞳が刃物ようにひらめき、「彼女」は自分が哀れなソーセージになったような気分になった。
「陛下に請われて全部を話しました。あなたがもう嘘をつく必要はありません。しかし陛下を傷つけるようなことをしたら、わかってますね?」
「え?」
「陛下はあなたにルイーザ様の面影を見ています。彼の方はまだ若く、未熟です。陛下を裏切るようなことは決して許しません」
「え?」
「わかりましたね」
「……はい」
(怖い。何。裏切るって。だって帰りたい。元の姿に戻りたい。係長だってあのままじゃかわいそすぎる。っていうか、係長を王妃にする上に、私まで王に仕えろって?横暴すぎじゃないの?)
返事がしたが、なんだか理不尽すぎて李花は怒りがこみ上げてきた。
(大体。十四歳になってお母さんって。王様じゃないの!うちもお母さんなくなったけど、そんな弟だって甘えなかったし。どうなの。それ!)
「う、裏切ったらどうするんですか?」
怒りのまま、そう口にした李花は心の底から後悔した。
硬そうなパンにナイフが縦につきたてられる。
「消えてもらいましょう」
「……ごめんなさい」
冷え切った氷のような瞳、唸るような声にすっかり怯え、李花の怒りは風船のように空気が抜け、すっかりしぼんでしまった。
結局食事の味などわからぬまま、朝食は終了。サイラルはとびっきり美しい笑顔を「彼女」に向けると退出した。
メイドが食器を片付け、誰もいなくなったところで、李花はベッドに倒れこむ。
「帰れないんだ」
泰貴が方法を探ろうとしているが、期待はできない。サイラルが常に目を光らせている以上無理に近い。
李花の心が絶望で埋め尽くされ涙が出てきた。
だが、感傷に浸る暇はなく、サギナが本を抱えて入ってきた。もちろん扉を叩いたが、返事を聞くまでもなく入室している。
「泣いてらっしゃるんですか」
ベッドで俯いている李花にサギナは、笑顔のままそう言う。彼は態度が柔らかい。そう思ったのは間違いで、彼の笑顔はいつもの顔で、何があっても笑顔を崩さないのだ。 今も「彼女」が泣いているにも関わらず、彼は心配する様子はない。
「泣いている暇などありません。さあ、昨日の宿題を見せてくださいね。語学の勉強が終わったら、次は食事作法です」
にこにこと人の良さそうな――あくまでも仮面のような笑顔を貼り付け、サギナは持ってきた本をテーブルの上に置いた。
(逆らってもしょうがないんだ。この人も宰相様と一緒なのだから)
李花は涙を拭うとベッドから立ちあがる。蝋燭入りのランプを置いてあるサイドテーブルから昨日終わらせた宿題を掴んだ。
★
笑顔のスパルタ指導による、語学の勉強。
アルファベットのような基本の文字は習得し、次に簡単な単語を教えられる。
トイレ休憩などを挟んではいたが、言語学習が苦手な李花は最後あたりには意識が朦朧としていた。
「それでは本日の語学の勉強はこれで終わりましょう。昼食を取りながら、食事作法についてお教えてあげますから」
(ご飯もゆっくり食べれないの。ああ、ひどいよ)
李花は精も根も尽き果て、テーブルに顔をうつぶした。
「それでは昼食までお休みください」
サギナはテーブルの本を片付けると立ち上がる。しかし思い出したように一冊の本を差し出した。
「これは宿題ですから。暇を見てやっていてくださいね」
(ええ?休憩っていってなかった?)
テーブルから顔を上げて、彼を睨んでみるが効き目はまったくなかった。貼り付けた笑顔はいつも通りで、慇懃無礼に頭を下げると部屋を出て行った。
「うう、死ぬ。ひどすぎる。受験の時もこんなに勉強したことがなかった気がする」
しかし泣き言が通じる相手ではない。
李花は机に残された本とノート代わりの白紙の本を開くと、羽ペンを取り今日習った単語を発音しながら書いていく。
羽ペンとインクを使った文字書きも二日目となる今日はお手の物だった。
二ページほど書いたところで、扉が軽く叩かれる。
「どうぞ」
(ああ、もう戻ってきたの。お腹はすいてるけど、食べながら食事作法とかは習いたくないなあ)
浮かない顔で羽ペンを置きインクの蓋を閉めると、そこに立っている人は予想外の人物だった。
(見たことはある。アニメの美少年の髪型。だけど、顔は平凡の)
無作法にも李花は、挨拶もせず何度も彼の顔を見て、やっと思い出す。
「あ、大臣だ!」
心の声が思わず出てしまい 背後に控えていたサギナが軽く咳き払いをする。そして、李花は自分の立場を思い出した。
(身分が高いから挨拶だ!)
「お久しぶりです。古玉李花です」
立ち上がり、頭を下げて名前を名乗る。
「……お久しぶり?おかしいね。君。本当!」
黄色のジャケットを羽織った金色の髪の御仁は、お腹を抱えて笑い出した。
(あ、ちがった。こんにちは。とかでよかったのか)
「コダマ様。こちらは外務大臣のマグリート・フォーネ様です」
サギナの張り付いた笑顔は李花の恐怖心を煽るようものだった。両端をあげて微笑む唇は微かにぴくりと痙攣している。
「あ、すみません。失礼をしたようで申し訳ありません」
(サギナ。怖いな。笑顔が怖いってありえない)
再度頭を深々と下げていると、マグリートは笑いの発作から立ち直り、李花に手を振って頭を上げるように促す。
「いいよ。いいよ。僕は気にしないから。本当。君は性格までルイーザにそっくりみたいだね」
「え?」
「ルイーザは陛下の実母で、生きていれば王太后だよ。その顔じゃ知っていたかな?だったら、僕とルイーザが友達だったことも知ってる?」
「え?」
(ということはもしかして味方になってくれる?この人は確か、係長が王妃になることに賛成もしてなかった気がするし)
もしかしたら希望かもしれないと李花の顔が綻ぶ。
それに対して、サギナのほうは笑顔が強張っていた。
「サイラルは今取り込み中だよね。サギナ。君もここにいるといい。呼びに行かれても面倒だし。昼食を二人分、いや三人分運んで。君もここで昼食としよう。サイラルには後で伝えればいいし。別に隠し事をするわけじゃないんだからね」
外務大臣に命じられ、サギナは硬い笑顔のまま頷き、ハンドベルを鳴らしてメイドを呼ぶ。昼食を運ぶように命じて、マグリートの背後に立った。
「怖いね。さすがサイラルの懐刀。君の妹もあちらについて頑張ってるみたいだし」
マグリートの言葉にサギナは何も反応しなかった。腹をくくったようにいつもの笑顔に戻っている。
(妹?あちら?もしかしてメリルさん?)
そう思い、サギナの顔を記憶の中のメリルと比べてみる。
いつも無表情のメリルといつも笑顔のサギナ。対照的であるが、よく見ると顔立ちは似ている。二人とも平凡な顔立ちで、茶色の髪に瞳など城で働く人たちの中でありふれていたので、その可能性を考えていなかった。
「さあ。話をしよう。サギナ。君も座ったら?」
「いえ。私は結構です」
彼は笑顔のままだが、頑なに断った。