11 王様と飲む
部屋に戻り、シガルは軽く頭を下げると出て行く。
その後、扉を軽く叩き、「どうぞ」と返事をすると、二人のメイドが入ってきた。一人は布と衣服を、もう一人は桶を抱えていた。桶から湯気が立ち上っており、李花は自分の体が汗でべた付いていることに気がついた。
「ああ、自分でやりますから」
床に布を敷きその上に桶を、衣服と体を拭くための布はベッドの上に置いて、二人が李花に促すような様子を見せたので「彼女」は慌ててそう言った。
二人が困ったように顔を見合わせたので、李花は付け加える。
「終わったら呼びますので、部屋の外で待機してもらってもいいですか」
それを聞くと二人は安心したように微笑み、優雅に頭を下げ、退出した。
前回鍵を掛け忘れ、とんでもない場面を見られてしまったので、今回はしっかり鍵を掛け、手を服に掛ける。
男体化した体で服を脱ぐのもこれで三度目。二回目に手痛い失敗をしているので、ゆっくりと服を脱ぎ、椅子の背もたれに掛ける。
部屋の中で全裸になり、あれを直視しないように桶の中に浸された布で体を拭く。お風呂やシャワーが恋しいが、それは我侭だとわかっていた。
下半身を拭くときは、目を瞑りながら終わらせ、仕上げに乾いた布で体を拭く。
最後に壁の端っこに置かれてあった布製の靴を履いて、終了だ。
少し窮屈な感じもしたが、裸足で歩き回るのに抵抗があるので我慢することにした。
外にいる人を驚かせないように、扉を叩いてから開ける。
先ほどのメイド二人がすぐそばに立っていて、片づけをするために入ってきた。
桶や衣服を手に持ち、メイドが出て行き、李花は一人になったことに安堵する。
すると急に立っていることに疲労を感じて、ベッドに腰掛けた。
一人になり、今日のことを振り返る。
夢のようだが、夢ではない異世界トリップ。
(係長……)
取り乱した李花を慰めてくれたことを思い出して、あの柔らかい唇の感触を思い出す。すると触れた額の部分が熱を帯びてくるような気がした。
(うわあ。何思い出しているの。まったく。でもあれは一種のキスだよね。なんで係長。そういえば、自分のせいだっていってたけど)
思いつめた様子の泰貴、晩餐会で王妃として振舞った「彼」。
何が彼を変えてしまったのか考えて、李花はひとつの結論に達した。
「私、私のせいだ」
(私が帰りたいって願ったから、係長は帰る方法を探すよりも私を先に返すことを優先したんだ。こちらに来たことは自分の責任だって言ってたし)
確かに泰貴を恨み、王妃になってしまえと願ったこともあった。
でもそれは一時的で、男性である彼が女性として過ごすのはつらいだろうと、今自分が逆の立場であるから理解できる。しかも、女性としてキリアンの相手もしなくてはならないのだ。
キリアンは少年と言えども男性。子を為す子ことを義務だと考えていた。
(嫌だよね。そんなの)
「止めなきゃ。私を戻せると言っていたのだから、係長も戻れるはず。馬鹿なことやめさせないと」
晩餐会では大臣達は泰貴が王妃になることに不服そうだった。キリアンとサイラルの二人だけがこの件を勧めているような印象を受けた。
「どうしたら止められるかな」
ベッドから立ち上がり、考えを生み出すため部屋を歩き回る。
すると突然扉が叩かれ、夜食が運ばれてきた。
李花は小腹もすいていたので、関心は食べ物のほうへ移ってしまう。お皿に乗ったハムサンドを全て平らげ、ポットのお茶も全部飲み干す。給仕されるのは面倒だったので、部屋には誰もいなかった。
「私の馬鹿」
思わず言葉に出てしまった。
李花は再び膀胱に苦しめられることになった。お茶をがばがば飲んだので当然の結果だった。外に出て案内してもらうおうか葛藤する。
膀胱の訴えは激しく、「彼女」は静かに扉を開けた。すると先ほどは姿が見えなかったシガル戻ってきており、青い瞳を細くして李花を見た。
「あ、あのえっと、と、違った。厠にいきたのですが」
その視線に少しおびえながらも、メリルにはトイレでは通じなかったので、別の言葉で伝えてみる。
シガルは少し考えた後、隣の近衛兵に一言二言伝える。それからどこかに消えてしまった。
「……すぐに戻るのでお部屋の中でお待ちください」
別の近衛兵に言われたので部屋に戻り、膀胱の訴えを誤魔化すために歩く。暫くして、扉を叩かれたので開けると、そこにいたのはシガルで壷を持っていた。
「こちらをお使いください」
「え?!」
「夜、出歩かれるのはできるだけお控えください」
同様する李花に無理やり壷を押し付けるとシガルは出て行ってしまった。
(うわっつ、この壷。いやだ!)
小便用の壷を抱えるのは嫌だった。放り投げたい気持ちを抑え、ゆっくりと壷を床に置く。そして壷を見つめながら、膀胱の訴えと格闘する。
「……もう、嫌だ」
だが、すぐに白旗を上げ、部屋の隅で小便をする。あれを直視することになり、泣きたくなった。
水道もないので、手も洗えない。
困っていると扉が軽く叩かれた。
「終わりましたでしょうか?お片づけいたします」
聞いたことのない女性の声だったが、李花には救い手だった。「どうぞ」と声を掛けると、扉を開け少し小汚い男性とメイドの一人が入ってきた。
男性は壷を回収し、メイドは持ってきた桶で丁寧に李花の手を洗うと部屋から出て行く。
「ああ、よかった。ボットさんじゃなくて」
回収するのがボットであった場合は、李花は明日から真剣に担当を代わってもらおうと思っていた。
お腹もいっぱい、疲れも感じていたので、李花はベッドに横になる。
眠りに落ちそうになり、李花は我にかえった。
(私の馬鹿。何流されてるの!今は係長のこと考えないと)
鳥頭と泰貴に言われたこともあったなと今は冷静に自分の単純さにあきれてしまう。
しかし疲れは本物で、考えてつもりが睡魔に襲われ、船をこぎ始めた。
「陛下!」
争うほどではないが、強い口調の声が外から聞こえ、李花の眠気が一気に醒める。
扉に耳を貼り付けると、シガルとキリアンの声が聞こえた。
「寝ておるのか?」
「……そう思われます」
「夜の約束をしていたのだがな」
「……お待ちください」
(え?これって。昼間のあれだよね。あの時、係長は普通だったから、絶対拒否すると思ったけど。晩餐会の時はおかしかったからな。もしかして抵抗しないかもしれない。そうなると!)
体は動いていた。
「キリ、王様!」
シガルが泰貴の部屋の扉を叩くよりも早く、李花は自分の扉を開けた。
「リカか。お前はまだ起きていたのか?」
「はい!なかなか寝付けなくて。王様。今晩は私にお付き合いください。異世界の話をたくさんお話いたしますので」
泰貴の操を守らなければと李花はキリアンを必死に誘う。
シガルが冷たい目で「彼女」を見ていたが、あえて気づかない振りをした。
「そうだな。面白そうだ。シガル。ナガイには確認しなくてもよい。余は今宵、リカと語り合うことにする。酒を用意させろ」
「お、お酒?」
「そうだが。お前は飲めぬか?」
「いえ。でも」
キリアンはまだ十四歳。日本の常識でそう考えてみるが、それはキリアンには当てはまらないと言葉を飲み込んだ。
★
シガルが李花の身体検査を行い、部屋の確認も行う。安全を保障し、キリアンが入室した。
「殺風景な部屋だな」
この部屋には入ったことがないのか、部屋を見渡しキリアンはそう述べた。
李花自身はそう思ったことはなかったが、王の寝室の豪華さを思い出し頷く。
「もう少し色々なものを取り揃えてみるか?」
「いえ、十分です。長居もしないと思いますし」
「長居をしない?」
(うわって、地雷だった?)
問い返したキリアンの瞳に物騒な色が宿ったので、李花は慌てて首を振る。
「私にはこの部屋で十分なので、気にしないでください」
「そうか。それならいいがな。さて。お前は余にどんな話を聞かせてくれる?」
十四歳の王の身長はすでに李花と並んでいた。顔立ちが幼いため少年さをまだ残している。悪戯をしかけるような表情をされ、その可愛さが小悪魔的で、李花の乙女心を刺激した。
(いけない。いけない)
あくまでも今は男だといい聞かせ、李花は王に椅子を勧めた。着席を確認した後、向かいの椅子に座る。
「私たち日本の、世界の話からしますね」
李花はまず地球の存在から話を始めた。内容は半信半疑の王であったが、興味深そうに耳を傾ける。
地球、世界、日本の誕生などを語っていると、お酒が運ばれてきた。それをキリアンと一緒に飲むうちに李花の言語能力が怪しくなっていく。
給仕は李花がしていたのだが、今はキリアン自らがしており、それを無礼だと思えないくらい酔いが回っていた。
(なんだろう。すごく気持ちいい。キリアンも偉そうだけどすごく可愛いし。うわあ。私、なんか高級ホストクラブに来てる?)
思考は完全におかしくなっており、李花は薄ら笑いを浮かべ始める。向かいに座るキリアンはそんな「彼女」の様子を面白そうに眺めていた。
「だからですね、」
李花とキリアンの酒量は同じだった。しかしキリアンは体がまだ成長過程であるのに関わらず、顔を少し赤らめたくらいで、余裕がある。
「キリアン。係長とそんなに結婚したいんですか?」
すでに冷静に話をできる状態ではなく、李花は感情に任せてそう聞いてしまった。泰貴のことも、そのまま「係長」と呼んでいる。
「……お前は嫌か?」
「はい」
「なぜだ?」
「だって、」
言いかけて李花の言葉が突然途切れる。そして、そのままテーブルに上で寝落ちしてしまった。
キリアンは小さく息を吐くと、目を細めて「彼女」の寝顔を愛で、その頬に触れた。
「お前が女であれば、お前を妃にしたかったのだ」
「陛下!」
「古玉!」
キリアンの呟きは闖入者二人によってかき消された。
入室の伺いもせずに入ってきたのはサイラルと泰貴だった。
「なんだ。無礼だな。ナガイまでどうしたのだ?お前はまだ寝ていなかったのだな」
キリアンは椅子に座ったまま、二人を見上げる。
「陛下。失礼いたしました。陛下がコダマ様のお部屋にいらっしゃると聞いて」
「それが何か悪いことなのか?」
キリアンはサイラルの慌てた様子に違和感を覚え、聞き返す。
「いえ。なにも」
「それならよい。ナガイ。弟を借りて悪かったな。夜の約束も果たせなかった」
「それはまたの機会に。それとも今からいかかですか?」
スレンダーだが女性的な丸みがわかる薄地のドレスを身に着けた泰貴からは、色気が立ち上っていた。
しかし、キリアンは誘いには乗らなかった。
「いや。次回の楽しみにしておく。余も飲みすぎてしまったしな」
高らかに笑い、キリアンは椅子から立ち上がる。
「サイラル。部屋まで供をしろ」
「はい。陛下」
キリアンは一度だけ寝ている李花に視線を投げ、入り口へ向かう。その後をサイラルが追った。
頭を垂れ、二人が部屋から出て行くのを確認し、泰貴は李花に近づく。
「ナガイ様!」
突然李花の体を横抱きにして、その腕に抱え込んだので、シガルが慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫だ。俺が運ぶ」
泰貴は言葉どおり揺るぎもせず、ベッドまで歩くとその体をゆっくりと降ろした。
「お前、何考えてるんだ?」
寝ている李花の体に布を掛けながら、泰貴はそう聞かずにはいられなかった。
彼は王妃になることを覚悟した。泣いている李花を元の世界に返すことを第一に考えたからだ。
すべてのことをあきらめたつもりだったのに、こうして自分の元へ来るはずだったキリアンを足止めした。
「……あきらめさせてくれ」
掠れた声でそう呟き、泰貴はその頬に触れた。