10 係長の謎
五年前、第十三代アヤーテ王国の国王ナダリが三十歳の若さで病死した。当時後継者は九歳になったばかりのキリアンのみで、彼が幼い国王となった。
病気がちだった先王は、友人で賢者と名高いサイラル・エファンを師としてキリアンにつけた。そのため、先王が没した後も彼は九歳ながらも立派な王として国を統治。先王の遺言もありサイラルは宰相としてキリアンを支え、百年間保ち続けているアヤーテ王国の平和を現時点まで維持している。
アヤーテ王国は豊かな土地に恵まれ、国内だけではなく国外に販売できるほどの農作物を毎年生産していた。領主への指導も行き届いており、領民から不服が出るようなことなかった。王宮に勤める官吏はすべて貴族出身のものであるが、私益に走るものもおらず、また私益を肥やしたものは厳しく罰則されたため、民衆から不満が沸き起こることもなかった。
理想的とも言える王国は隣国から羨望されているが、同時にそれは嫉妬も買っている。外務大臣マグリート・フォーネは、先王時代から各国相手にうまく立ち回り、戦を起こさない外交を展開していた。
現在の財務大臣ジャン・バレッタと国防大臣ラックス・リカルドも先王から仕え、その手腕を発揮している。
晩餐会はこれら三大臣が異世界から王妃候補が召喚されたと聞き、王に促し開いたものだった。
(えっと、これが晩餐会?)
晩餐会は李花が想像していたものと異なっていた。
華やかな衣装をまとう男女がダンスを行う舞踏会のイメージだったのだが、実際は単なる食事会だった。
場所は昼食と同じ広間。
上座にはキリアン、その右斜めがサイラルで、左斜めはなんと泰貴の席であった。弟という設定であるので、自然と李花の席は泰貴の隣になった。二十席近くあるはずなのだが、李花の隣に間を置くこともなく、三人の男性が座る。
李花の隣に座るのは眼鏡をかけ、黄土色の髪を後ろに束ねた神経質そうな中年の男性だった。財務課長に雰囲気が似ていると思っていたら、財務大臣のジャン・バレッタと紹介された。
ジャンの横には、赤褐色の短髪に眼光の鋭い四十歳過ぎの男性が腰をかける。着ているものがシガルの近衛兵の制服に類似していると思ったら、それが国防大臣のラックス・リカルドだった。
最後の一人はサイラルの隣を陣取る外務大臣のマグリート・フォーネだ。金色に近い髪を肩の上で切り揃えている、アニメキャラではお馴染みの髪型をしていた。
(美少年定番の髪型。でも顔は普通かな)
そんな感想を彼に対して持ったのだが、それが不味かったらしい。彼はその緑色の瞳を李花に向け、にこりと笑った。主役ではないはずの自分に注意が向けられる理由がわからず、自然と顔が俯き加減になってしまう。
外務大臣はそんな李花の様子がまたおかしいらしく、笑みをこぼしていた。
隣で泰貴が面白くなさそうにしていたのだが、俯いている彼女は気がつかなかった。
そうして晩餐会は始まる。
サイラルがまずは李花達を、それから大臣の紹介をした。
まず李花が、財務大臣と国防大臣の二人からは友好的ではない視線を向けられ、挨拶をしなければならなかった。顔を上げ、名乗るだけなのだが、握った拳の中は汗で濡れていた。
それに対して、泰貴は堂々としたもので、立ち上がると大臣達を眺め、落ち着いた笑みを湛える。口調は男性的な言い方をやめ、ですます調の丁寧語で短く済ませた。その時に、王妃候補であることを自ら口にしており、李花は驚かずにいられなかった。
また王妃候補発言によって、財務大臣と国防大臣の表情が更に険しくなったので、二人が歓迎していないことは明らかだった。
「ナガイ殿。アヤーテ王国をどう思う?」
挨拶が終わり、最初に質問したのは外務大臣のマグリートだ。利花から視線を外し、目を細め、泰貴の反応を窺うように注視する。
(なんか、大臣なのに話し方がラフだなあ。私を見て笑ったのも謎だし)
傍観する李花の隣で、泰貴の方は笑みを浮かべたまま答えた。
「そうですね。百年もの間、平和を保っており、民衆を飢えさせない。立派な国だと思っています。それもお三方の力があってこそなのでしょうね」
(すごいな。係長。いつの間にそんな情報を。私がキリアン様と会ってるときかな?)
無難な答えだったが、そんな台詞を簡単に言える泰貴に李花は素直に感心してしまった。
「おお。ナガイ。お前にはこの偉大な大臣達の力がわかっていると見えるな。さすが。余の妃となる女性だ」
キリアンが泰貴を褒め称える発言したため、財務大臣のジャンと国防大臣のラックスは複雑な表情を浮かべる。だが、マグリートは口を歪めて笑った。
「ナガイ殿は、頭は悪くないようだね。だけど王妃にはふさわしくない。そう思わないかい?ジャン、ラックス?」
マグリートの方がかなり年下のように見えたが、彼は二人の大臣に親しげに呼びかける。
「ああ。そうだな。マグリートの言う通り相応しくないな。清廉な王の隣に並ぶには派手すぎで、歳も行き過ぎているように思える」
(歳?そんなこと関係ないじゃない。だって、歳っていってもまだ二十八歳。若いでしょ?)
完全に脇役の李花は、直視する勇気もないので横目で国防大臣の顔を窺う。ラックスは自分の主張があたかも的を得ているように、自信満々な様子だった。
「ナガイ殿。財務大臣の立場から申し上げても、貴方のように派手に着飾るのは国庫の圧迫につながります。いつまでも若々しくしていたいのは理解できますが、それでは王妃としてはふさわしくありません」
してやったりと、ラックスの主張の後に付け加えたのが財務大臣のジャン・バレッタだ。
(この人も派手とかそんなこと言ってるけど、結局係長のこと年増だと言いたいの?二十八歳は年増じゃないのに)
李花から言わせれば馬鹿馬鹿しいことであり、溜息が自然と出てしまった。慌てて口を押えたところ、キリアンが笑い出した。
「まあ。そう憤るな。リカ。大臣達はナガイが子を産むことができるかが心配なのだ。余は大丈夫だと思っているがな。ナガイはどうかな?」
(リカって、呼び捨て。まあいいけど。っていうか、子が産めるか、どうかが大事なのね。本当なんか王妃は子ども生む道具なのかって話よね)
女性に対して冒涜だと思いつつ、発言していい立場じゃないことは理解しているため、李花はおとなしくしていた。
「……陛下が大丈夫と申している以上、私も大丈夫と答えられます」
(係長?)
泰貴は少しの沈黙の後、そう返したので、李花は反射的に「彼」の横顔を見る。
(どうしちゃったんですか?係長?)
泰貴の視線はぶれることなく真っ直ぐであったが、優雅な笑みは少しぎこちない。
明らかに「彼」の様子は以前と異なっていた。自ら進んで王妃役をこなそうとしている、そのように李花には思えた。
「どうだ。ジャン、ラックス。そしてマグリートよ。ナガイは優秀な女性だ。年齢が問題だといえばすぐに式を挙げ、子を為せばよいこと」
(え?そんな急な展開?)
李花は一人だけ置いていかれるように気持ちに陥る。
泰貴は部屋を出てから一度も李花を見ることはなかった。
自分の知らないところで何かが起きているような気がして、「彼女」は不安になった。
(係長……?)
「陛下。早急すぎるのは王国に混乱を招きます。異世界の女性ですので、この世界について学んでいただく必要もあります。婚儀の件は暫くお待ちいただけませんか」
(宰相様?)
日本からこちらに連れてきた上、王との婚姻を一番に進めていた張本人のサイラルが、大臣達に優位な発言をしたので、李花は怪訝な気持ちになる。
急いで結婚させたいのはサイラル本人であったのではないか、そんな疑問が沸き起こる。
「陛下。私もサイラル殿の意見に同意いたします」
「我も右に同じでございます」
財務大臣ジャンに続き、国防大臣ラックスが同意の旨を表す。
「僕も賛成。ナガイ殿には王妃教育が必要そうだからね」
単に同意するわけでなく、一言を加えて外務大臣マグリートが発言した。
王相手だと言うのに口調は相も変わらず砕けたもの。だが注意するものは誰もいなかった。
泰貴は『教育』という言葉に眉を少し寄せただけで悠然と構えたままだった。
こうして始まった晩餐会はとても和やかな雰囲気ではなく、李花は傍観しているだけだったのに、口の中に消えて言った食物は味気のないものだった。
「か、係長!」
やっと晩餐会はお開きとなり、王が退室し大臣達がそれに続く。
まだ正式な王妃ではないため、泰貴達は最後に部屋を出ることになった。
先を進む泰貴を呼ぶと足を止めた。
「古玉。今日は疲れただろう。部屋に戻って休め。メリル、着替えを頼む」
しかし振り向いた泰貴は疲れたような顔で、それだけ言うと再び歩き始めた。
(係長。おかしい。なんで、あんなに)
突然変わってしまった態度に李花は原因を考えてみる。
そして自分のせいだと言っていたことを思い出した。
(だから、責任を自分で被ろうとしているの?でも自分のせいって。確かに宰相様は係長だけが目的、え。でも男なのに?おかしい。わからない)
「コダマ様」
ふいに腕を掴まれ、李花は我に返る。そして後ろを振り向き、飛びのいた。
「ぼ、ボットさん!」
(な、なんでここに?!っていうか係長は)
壁を背に左右を見るが、泰貴もメリルの姿も見えなかった。
「……ナガイ様はお部屋に戻られました。コダマ様を自室に案内するように指示されておりますので」
シガルは青い瞳を細め、そう口にする。
(そ、そうか。そういえばこの人、私の世話係みたいなものなんだろうな)
今朝からシガルにはトイレに案内してもらったり、着替えを持ってきてもらったりと身の回りのことをしてもらっている。メリルが泰貴担当で、シガルが李花担当で、世話も兼ねているのだろうと考えた。
(ゲイ疑惑だけならまだしも、半裸見られているから、もういやだな。担当替えてもらうことはできるのかな)
「コダマ様。私はあなたを部屋に案内するだけです。先ほど腕を掴んだのは在らぬ方向へ歩いていたからです」
(変な誤解を生まないためかな)
シガルはわざわざ説明した。
(誤解なんかしないのに。本当に疑ってるんだ。あ、でも下半身丸出しのことは気にしていないようでよかった。絶対にお尻とか見られてるはずだから)
「私が嫌であれば別の者を呼んできましょうか?」
壁から離れようとしない李花にシガルはそう言って、別の場所へ歩き出そうとする。
「いえ、いえ。ボットさんで大丈夫です。案内お願いします」
すでに日は完全に落ちており、明かりは松明のみだった。そんな夜のお化け屋敷状態に一人で置いて行かれるのはごめんだった。それなら恥を忍んで頼んだほうがよかった。
「それでは着いてきてください」
それだけ言うと、シガルは歩き出してしまう。
その後ろを李花は追うことになった。しかし、速度はゆっくりで、時折確認するように後ろを振り返り、遅れているようなら立ち止まる。
(悪い人じゃないんだな)
お尻を見られたことは消してしまいたい過去であるが、シガル自身にはいい印象を持った。




