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第一話 燕巣幕上

昭和二〇年 一一月一五日 大日本帝国 帝都東京 総理大臣官邸


『――耐え難きを耐え、忍び難きを忍び』


 内閣総理大臣の執務室にある机の上に置かれた木製ラジオから高くて独特な声が出ている。現人神と呼ばれるやんごとなきお方のものであった。

これは、大日本帝国が今日の正午を持って戦争が終わったということを国内外に正式に宣言するものであった。一一月一日から交戦相手が存在しなくなったのが理由であったが、勝ったか負けたか全然分からなく、訳の分からない力によって本土決戦は避けられたという結果に、立ち上がってきっかりと姿勢正しく聞き入っていた白髪の老人は、表向きは無表情を装っていたが、内心複雑であった。

しばらくすると声が切り替わった。事前にレコードに録音された終戦詔書の放送が終わってアナウンサーが同じ内容を奉読しているのだ。その後は終戦関連のニュースがいくつか読まれて自分の声が聞こえてきた。

自分の声を聞くつもりはなかった老人はラジオの電源を切り、椅子に座って深呼吸を一つ行い。肩の力を抜いた。


「取りあえずは一段落……いやまだまだ安心はできんな」


 男の名は、鈴木貫太郎すすき・かんたろう。今ではもう数少なくなった明治の栄光を築き上げた坂の上の雲世代の人間で、海軍に所属していた頃は戦場で多大な戦果を挙げ部下から鬼貫と呼ばれ恐れられた。今は高齢を押して第四三代内閣総理大臣となり異変による混乱を短期間で収束させた。

 大事を終わらせたのに関わらず、鈴木の表情はとても険しかった。脳裏にあるのは帝国が航路を選べる程に穏やかではない情勢のことだ。

 扉をノックする音が三度聞こえてくる。

 入れと鈴木は入室を許可する。扉が開かれた目の前には見覚えのある初老男が立っていた。日本人離れした長身で黒い長髪をした彼は、お時間はよろしいでしょうか?とにこやかな笑みを浮かべて問い掛けてきた


「おお!! 米内君!!」


 さっきと打って変わって笑顔を浮かべた鈴木は、海軍大臣である彼――米内光政よない・みつまさの訪問を歓迎した。


「まともに話をするのは何時ぶりでしょうか? お元気そうな声が聞くことができた安心しました。今回は海軍省が現時点で手にしている異変の報告に参りました」

「ふむ、分かった。では報告を頼む」


 すぐに表情を真剣なものに切り替えた鈴木は米内に報告を促した。


「それでは……水路局の二週間に渡る調査の結果、やはり米軍が日本各地に投下した機雷は姿を消したようです」

「……始めて聞いたときは半信半疑だったのだが、本当なのか?」


 異変が起きた当初、連合国やソ連の通信、放送が突如途切れてしまった、満州がいなくなってしまった、電探が捉えていた敵機がいきなり消失、飛行していた米軍の夜間戦闘機が消えたなどの怪現象が一一月一日に入ってすぐに同時に頻発した。

 米国自慢の超空の要塞と呼ばれる重爆撃機B-29によって日本各地、朝鮮半島の港や海峡にばらまかられて封鎖されたことで航路がズタズタに寸断され、戦争継続のとてつもない悪影響を及ぼしていた機雷の群れが消え去ったことも怪現象の一つで大規模なものであった。

 確か、海軍省の外局である水路部が機雷群のあると思われる海域に艦艇を派遣し、機雷存在するかどうかの調査を行っていた筈だ。一歩間違えれば、艦艇は沈み多大な犠牲が出る決死の調査である。


「水路局の最終結論によると、全てとは言い切ることはできませんが殆どは消えたと思われます」


 この言葉に、鈴木は喜色を浮かべる。


「海路が回復したのは喜ばしいことだな」

「はい、空爆によって鉄道網が壊滅している以上、これが復旧するまで大きな助けになるでしょう。陸海合同の海上輸送作戦の準備を急速に整えています」


 同じく米内も喜色を浮かべていた。無数にあると思える機雷の処理が海軍にとってどれだけ頭の痛い問題であったのかを示していた。

 都市の焦土化と海上封鎖を終えたB-29などによる空爆の標的は、本土決戦での物資、部隊の移動を妨害するための日本中に張り巡らせてある鉄道網に切り替わった。結果は一部を除き大半がやられてしまい、列車は定刻通りの運行は不可能になっていた。

 陸海空の運輸行政を司る運輸省と陸軍が共同で復旧計画を立てているようだが、戦前の元通りの姿に戻るにはどれだけの年月が掛かるのは、かいもく見当がつかなかった。

 食べ物の不足により国民の間に栄養失調が蔓延し、これからは餓死者が大量に出てくる可能性が高いなかで、食べ物の増産とそれらを全国に輸送させるインフラの復旧と整備は急務であった。

 そんななかで、海上封鎖が解除されたということは大きな手間が一つ解消されたことになる。あとは鉄道網の復旧だけだ。海運が完全に復活することは日本の物資と人員の輸送に大きな助けになるだろう。

 日本の計画と作戦内容のお粗末さを思い出した鈴木は米内に釘を刺す。


「なるべく実現可能なものにしておきたまえ。戦争計画の二の舞いは何とかして避けたい」

「それについては同感です」


 米内は頷く。

 その姿に鈴木は秘書官が、これが噂ですがという前置きを置いて言っていたことを思い出す。

これは、戦争継続派に属していた陸軍の壮年将校の一人が『一億の数で攻めて大和魂を見せれば本土に上陸したアメ公や露助を本土から叩き出すことができる筈だ』と発言していたことを、部下を通じて知った米内が『物凄く馬鹿なことを言ってらぁ』と苦笑しながら言ったということだ。

思い込み、感情的、ご都合主義ばかりの計画で実行されていた戦争に対し、米内は何かしらの思うところがあるようだ。

 鈴木がそんなことを考えているのを露知らず、米内は報告を続ける。


「次に、人だけ転移し新大陸や島々に漂流してしまった海軍部隊ですが、ブーゲンビル島に配備されていた佐世保第六陸戦隊との無線連絡が成功したことにより全部隊との連絡が回復しました」

「それについて、少し前に下村君から報告を受けたよ。陸軍もできたようだ。少し前に報告を受けた。ただ、少しややこしいことになっているようだ。特に支那派遣軍が……」


 本土、台湾、朝鮮半島とは違って、地面と共ではなく人と物だけ転移したことは、鈴木にとって予想の範囲外であった。まあ、転移先が海ではなく大陸や島であり、装備を損失しなかったのは幸運であった。

ところが、支那派遣軍を始めとして関東軍の残存部隊、駐蒙軍が転移してしまった大陸は無人の地ではなく、現地住民が存在し複数の国があるようだ。

 それが原因で騒動にならないことを祈っているのだが、長く生きたことや数々の修羅場をくぐり抜けたことで培われた勘がそう上手くいかないとささやいていた。

 長生きするものではないなと鈴木は思う。意見の異なるものに殺されかけた。一歩間違えれば祖国の滅亡を見届ける羽目になりそうになった。責任のある身分の故に逃げることができない苦難が襲いかかってくる。荒廃した祖国を受け入れなければならない。本当に碌な目に遭わない。

 できることならため息をつきたかった。


「その対処が当面の課題になりますね」

「そうなるだろうな。気づいたら分からないところにいて着の身着のままとなった民間人の数を考えると憂鬱になる」


 国外にいた日本人は台湾と朝鮮半島を差し引いたとしても約六〇〇万以上。民間人に限定するならば約一〇〇万以上の規模であった。生活基盤と財産の殆どを失ったのだから目も当てられない。迅速な彼らの本土の引き揚げと帰還した彼らに職と食を提供しなければならない。今の帝国にそんな余力があるかどうか、考えるだけで鈴木は頭が痛くなった。


「……心中をお察しします。報告はこれで以上です。詳細は報告書で確認して下さい」


 米内が差し出した報告書を読み終えると、鈴木は大きく息を吐いて大きく額を押さえた。そして語り始める。


「米内君、我が国は原因が分からないが別の世界に逃げることができたことで滅亡は免れ。大義名分を失った継続派が政権を投げ出し、後始末を我々に押しつけたお蔭で何とか一〇年以上も当たり前となっていた戦争状態を解消することができた。だが、実に課題だらけだ。正直、私は不安だらけだ」

「この世界について我々は知らないことばかりですからね」


 同感と言わんばかりに米内は頷いた。


「一番の不安は、国民は果たしてこの事実を受け入れるだろうか? 少し前まで孤立しているのは当たり前で空襲と餓死の恐怖に怯えていたのが、いきなり戦争が終わって別世界に行きましたと常人ならば信じまい」


 鈴木も異変による怪現象が起きていると知った当初は全く信じず、目撃者が栄養不足による幻覚を見ただけと思っていた。ところが首相となり各地からの報告とそれに添えられた写真、止めに夜空の景色を見たことによって、帝国は別の世界にいることを信じるしかなかった。


「私としては、きっと本土、朝鮮、台湾……島にいるものも、何とか現実を受け入れるでしょう。そうでなければ困ります。戦争は終わりましたが我が国は安心できる状態ではありませんから。それに、今私が心配しているのは急に緊張が解放されたので将兵と国民が無気力になっていないかということです」


 いきなり戦いと死の恐怖に解放されたのだ、戦時中の心持ちではいられないだろう。しかし、国民が無気力になるのは米内のいうとおり困ることであった。

軍はこれから一番苦労する時期を迎えることになる。戦争に負けることはなく勝つこともなかったが、この戦争は軍やこの国に大きくて重い課題を残した。二度と繰り返さないように振り替って、得た教訓と戦訓を基にして新たな体制を作らなければならない。国民も無関係ではいられない。帝国を構成する一部なのだから。

だが、今はそんなことをやっている暇はない。まず帝国はこの世界で生きていける基盤を築く必要があった。そのためには可能な限り早い復興が望まれる。


「一理あるな。それは……取りあえず、大臣直々報告をありがとう」


 米内を下がらせ、再び一人となった鈴木は呟く。


「燕巣幕上……」


 祖国が不安定で危険な立場であることを四字熟語で表現した。幕の上の燕の巣のように本土がいきなり沈没しなければいいのだかと鈴木は冗談めいたことを考えてしまう。

 すると、電話が突如鳴り響いた。

 何ごとかと警戒しながら鈴木は受話器を手に取った。


「もしもし……」

『――総理、またとなりますが、お時間はよろしいでしょうか?』


 陸軍大臣の下村定しもむら・さだむの声が鈴木の耳朶に届く。


「ああ……君か、もしかしてあの遺跡の調査に進展があったのか?」

『はい、あの地下遺跡は予想よりも大きくて広い可能性が出てきました。まだ調査中ですが、もしかすると整理さえすればここに人が住めるかもしれません』

「何、本当かね?」


 信じられないと言わんばかりの疑念に満ちた言葉が鈴木の口から出た。全く、時間を経るごとに課題と謎が出てくるばかりだ、と心中でまた愚痴ってしまった。

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