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プロローグ

一九四五年 一〇月三一日 午後一七時二三分 大日本帝国 帝都東京


「帝都も変わってしまった……」


 誰も聞こえない声でそう呟いた神代秋人かみしろ・あきひとは、無事な建物を見つけるのが難しくなる程に焦土と化した東京の姿に、とてつもない寂寥感を覚えるのと同時に深く嘆いた。

幼い頃、父と一緒に行った古本、古書が集まる街である神保は無事だろうか? そんなことを思うが確かめる暇はなかった。

 築城、物資や装備の調達、訓練など本土決戦に備えて全部隊が忙しい日々を送っているなか、一日だけ実家に戻ることができたのは、上官の付き添いとして帝都を訪れ、彼の計らいで休暇を与えられたお蔭であった。

 列車の窓から見える景色は、焦土や廃墟となった東京の姿、特に秋人が心動かされたのはここに生きる人々の姿だ。B-29の攻撃によって住処を失っても生きている以上、生きていくために必要なことを行うのを放棄する訳にはいかない。特に変わりなく動いていた。

 鋭い視線を感じる。

 秋人は警戒心が湧き上がって周囲をきょろきょろと見渡すと、険しい表情をしながら乗客を見張っている中年男性が確認された。

 姿を捉えたのは一瞬だけで、目を合わせないように視線を向かいにある窓に瞬時に切り替えた。下手な疑念を持たれて厄介事になるのは御免だからだ。今の秋人は軍服ではなく国民服を着ており、自分の身分を証明するものは持っていない。一部の市民が軍人に因縁を付け、暴力を振るっている噂が流れていたからだ。

 顔つきからして堅気には見えなかった。国民服を着ているので私服警察官だと思えた。大方、列車内でヤミ物資を隠匿して運んでいる運び屋、戦況に不安や戦争を継続する政府に不満を持つ反戦主義者など犯罪者がいないか車内を回って見張っているのだろう。


(余計な騒ぎが起きなければいいのだが……)


 ここで一悶着が起きてそれに時間を取られてしまえば実家で一夜を過ごせず勤務地に戻る羽目になることは深く考えなくても分かることであった。何でここまで戦争に振り回されなければならないのか? そんな憤りが秋人の心の中で湧き上がり、戦争が終わればいいのにと思ってしまう。

それに、かなり弱気になっていることに気づいた秋人は自嘲する。物資不足、訓練不足などで計画通りにいかない日々にかなり心労が重なっていたのかもしれない。


(沖縄がアメ公に、満州と樺太が露助に落ちた以上、連中は本土に攻めてくるだろうな。ここまで来たら果てまで行きつくしかない)


 秋人は、本土が戦場にならずに戦争を集結させる機会が完全に失われているように思えた。これは政治が知らないものでも分かることであった。

 戦況はハッキリと言って極度によろしくない。

六月にドイツが降伏したことで日本は完全に孤立してしまい世界を相手に絶望的な戦いを続けることになった。最後の砦あった硫黄島、沖縄本島は激しい戦いの末に陥落しており、本土に攻め込む橋頭堡と化している。八月にはソ連が中立条約を破棄して参戦、大軍が満州と南樺太などに攻め込んでいる。

 空襲は激しさを増していき、日本全国にある都市の大半は廃墟となり、インフラや連絡網は崩壊寸前であった。

比較的最近である一〇月には、敵の本土侵攻が間近であるという噂が流れている。クーデターで政権を奪取した臨時政府は徹底抗戦の意志を崩さず、軍は本土決戦の準備を急速に整えている。

 もう破滅まで一直線、どうしようもない――身内や友を今のところ敵の攻撃によって失っていないので比較的冷静に物事を見ていた秋人の結論がこうなのだから実に絶望的である。

 憂鬱になった秋人はそれを心中に留めず顔に出してため息をつく。今はただ、家族と彼女の顔が見たかった。



 神代秋人は、父と後妻である母の間に生まれた神代家の三男坊である。家族は、父と母、流行り病かかり若くして亡くなった先妻の子である長男、次男と、彼の後に生まれた双子姉妹と含めると七人であった。

 神代家は武士の家柄のためか、この家の男たちは皆、職業軍人であった。できることなら軍人にならずに歴史学者となり戦史を研究したかった彼も例に漏れず、戦争の激しさが増すにつれて深刻化した兵力不足を補うために、文科系学生を対象にした徴兵延期措置の撤廃が実行されたことにより徴兵、出征されて軍人になる羽目になった。

 帝都にある明治神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会に参加した後、徴兵検査を受けて帝国陸軍に入営、そのときに幹部候補生試験を受け、甲種幹部候補生として採用された。

陸軍予備士官学校にて教育を受け卒業した後は、少尉となった。幸運に恵まれたのか配属先はフィリピンや硫黄島、沖縄といった激戦となった地ではなく、本土決戦に備え今年の二月に新設された第一四〇師団であった。この部隊の隷下にある第四〇三歩兵連隊所属の歩兵小隊の指揮官として今に至る。


「……」


秋人は、自分の家があった場所の前で直立していた。表情は強張っていた。

ここには確かに家があった。しかし、幼い頃から住み慣れた家は存在しなかった。粗末な一階建てのバラック小屋であった。

町内の様子からして空襲で全焼したのだろうか? 空襲を受けたという報せと届いた手紙から覚悟はしていたが、目の前に事実として突きつけられると衝撃が大きかった。

少し道に迷いながらも何とか見覚えのある目印を見つけ実家に帰還したのだが、帰らない方が良かったかもしれないと後悔で胸一杯になった。


「なに、贅沢なことを……」


 空襲などの戦火で一家全滅、孤児となった人々を比べたらまだ自分はとても恵まれたものだと言い聞かせて後悔を心の外に追いだした。

すると別の負の感情が秋人の心の中に湧き上がる。秋人は不安で一杯となったのだ。今日、家に帰る。一泊することができることがあまりにも急であったために実家に伝えることができなかったからだ。強張った表情が青ざめる。

早とちりしやすく、思考の向きがちょっとおかしい……少し言い過ぎてしまった、四半世紀以上経って使われている天然という言葉が似合う母が、突然帰ってきた息子にどんな反応を示すか秋人にはとても不安であった。

だが、立ったままではいられない。誰かに見られて警察の世話になったらさらにややこしいことになる。決意した表情を浮かべて戸を、ドンドンと叩く。


(脱走したと勘違いしないことを祈るしかないな)


 そんなことを心中で呟いていると、内なら「誰ですか?」という声が聞こえてきた。秋人の母である春子はるこの声であった。


「ただいま――」


 ぎこちない笑みを浮かべた息子が目の前にいることに、母は面食らった表情を浮かべていたが、すぐに心の底から喜んでいるように満面の笑顔に切り替わって――。


「おかえり」


 と返した。


「驚いたわ。神奈川にいると思っていた秋人が目の前にいるなんて、生霊か幽霊が出たと思った」

「これ、洒落にならないから、母さん」

「あー三兄様が返ってきた、逃げ出してきたのですか?」

「そんな訳あるか、馬鹿」


 天然を丸出しにする母と、毒を吐く妹の涼香すずかに突っ込みを返しながら秋人は座り込む。家のなかは実に狭かった、四人でギリギリであった。


「しかし、良く建てられたな。相当苦労しただろう? 三人で建てたのか?」

「まさか……ご近所さんと協力して建てたのよ。私たちではとうてい無理だったわ。全て建ったのは昨日だったのよ」

「近所総出でバラック町を作ったのか?」

「そうよ、忙しかったけど、何とか路上生活は避けられたわ。正直、こんな生活をしたくはないからね」


確かにと秋人は思う。歩いている際に路上生活者と化した被災者を多数存在するなかで、雨風を凌げる家があるのはまだマシであった。

 誰かが袖を引いている感覚がした。振り替えてみると、涼香と同じ顔立ちをしているものの物静かな表情を浮かべているため彼女とは違う印象を与える少女が秋人を見ていた。


「……おかえりなさい、です」

「ああ、ただいま」


 末子で涼香の双子の妹であるあずさの控えめな口調で言う姿に、殺伐していた心が洗われる気が秋人にはした。笑みを浮かべて梓の頭を軽く撫でると彼女は気持ち良さような表情となった。

 何か思うところがあったのか、涼香がまた毒を吐き始めた。


「全く、梓は甘えん坊ですね。それでも私と同じ一五なのか、本当に疑問です」

「少し言い過ぎだぞ。お前のことを、清吾せいご兄さんは口が悪すぎる、信吾しんご兄さんは一発殴りたくなるって言っていたけど、僕も同感だよ。このままで大人になったら貰い手誰もがいなくて、行き遅れと呼ばれるぞ」

「余計なお世話です。三兄様のほうが一兄様、二兄様よりも口が悪いです。よくもまあ上官や部下と喧嘩して脱走しなかったものです」

「うるさい。毒舌、行き遅れ、隠れ婦人運動かぶれ」

「なんですって!! 軍人になるのを嫌がって父様と喧嘩した神代家の反逆児!!」


 秋人と涼香、二人は顔を真っ赤にしながら口喧嘩いや罵り合いを始める。


「喧嘩は止めて下さい……」


 困惑した表情を浮かべた梓が必死に声を出して諌める。


「喧嘩はおよしなさい。ご近所の迷惑よ。したいのなら、外に穴を掘ってやりさない」

「母さん、童話の王様の耳はロバの耳じゃないんだから」

「全くです」


 母の一喝に、秋人はため息をつき、涼香は何とも言えない表情を浮かべた。母の思考は常人よりも少し逸れている。


(父さんは母さんのどこが気になったのかな?)


 そんな疑問を抱いていると、秋人はあることに気づいた。


「そういえば、父さん、清吾兄さん、信吾兄さんはどうしているの?」


 秋人の問い掛けに、母は表情を暗くする。


「お父様は最近忙しくて家に帰ってきていないわ。清吾はソ連の上陸は近いが軍人としての役割を果たすから安心して家を守っててくれと手紙が先週届いたわ。信吾は……何も音沙汰はないわ……」


 神崎家の家主、母の夫、秋人たちの父である誠一郎せいいちろうがいつも忙しいのはいつものことであるが、家に全く帰ってこなかったことはなかった。全然帰ってきていないということはとてつもなく忙しいように思えた。極度に悪い戦況であるなか、尉官である自分とは違って、権限と責任が桁違いにある佐官は苦労することが多いのだろうと秋人は思う。

 長男の清吾は、陸軍幼年学校に入校し勉学を重ねて陸軍士官学校を無事卒業すると北海道に配備にいる部隊に配属されてしまった。あそこは、いい噂を聞かないソ連軍が上陸し戦場となるのは確実であった。大丈夫だろうか? 秋人はとても心配であった。

 次男の信吾は……特に心配はなかった。兄弟たちと違って陸軍ではなく海軍に志願し、海軍兵学校を卒業した後は、風の噂によると軍艦で勤務していたが今は海軍陸戦隊に所属しているようだ。乱暴者の癖に器用さを持ち合わせている性質の悪い性格なので、心配するだけ損であった。


「親不孝な二兄様です。どれだけ母様が心配していると思っているのですか」


 腹立たしく涼香は言う。毒吐きで自由気まま性格だが、根は悪い奴ではなく優しいところもある。自分の母を思って怒っているのだ。そんな素直になれないところが嫌いではなかった秋人はフッと笑って呟く。


「……らしいね。父さんも、清吾兄さんも、信吾兄さんも、涼香も」

「な、な、な、な……なに気持ち悪いことを言ってくるんすぅかあ」


 再び顔を赤くした涼香が、混乱しているのか口調を乱しながら秋人に飛びかかろうとした瞬間――。


「――こんばんは」


 聞き覚えのある声が秋人の耳朶に届いた。そういえば聞くのを忘れていたなと秋人は間抜けにも思ってしまう。


「……静奈しずな


 と秋人はその声を主の名を小さな声を漏らした。



 丸眼鏡がせっかくの美人を台無しにしている大人の女性が秋人に話しかける。

ここは家から少し遠くに離れた場所。周りにあるのは瓦礫ばかりで夜のせいか人っ子一人誰もいない。いるのは、秋人と北江静奈きたえ・しずな二人だけだ。ここにいると、秋人は彼女と世界で二人だけになったような錯覚を得てしまう。


「まさか、帰ってきているとは思わなかったから、本当に驚いたわ」

「今日帰れるなんて考えられなかったんだ……ごめん」

「別に怒っていないわ」

「……」


 秋人は複雑な気持ちになっていた。理由は彼女にあった。


「髪……」

「うん?」

「髪、切ったんだ」


 今の静奈には腰まで伸びていた美しい黒髪はなく。ハサミでバッサリと切り取られたのか短髪となっていた。

 


「えぇ、身も守るために仕方なく、できれば切りたくなったのだけど……」

「そうだね……仕方ないね。敵の上陸が近いから、身を守る必要があるからね」


 二人の間に沈黙が流れる。気まずい空気も漂う。色々言いたいことがあるものの、ありすぎで言うことができないでいた。


「……静かね」

「えっ」

「空。何も音がしない。三月一〇日の空襲とは大違いだわ」


 夜空を見つめる静奈は遠い目をしていた。今の彼女の胸に去来しているもの一体何なのか秋人には分からなかった。


「……」

「あら、どうしたの?」


 無言のまま秋人は静奈に近づいた。彼女の問い掛けに秋人はそっけなく答える。


「別に特に理由はないよ」

「……そう」


 静奈は短く答えた後、手を繋ごうとする。それに対し秋人は拒絶する訳もなく手を重ねた。彼女の匂いが秋人の鼻腔をくすぐり、鼓動を急速に高めた。

男女の交際がとても厳しかったこの時代。公衆の面前でこんなことをするのは憚れるのだが、周りには人が全くいないので特に構う必要がなかった。手のひらから伝わる、温もりを、感触を互いに感じていた。

 すると――今まで変わりなかった夜空に異変が現れた。


「何これ……」

「……」


 二人とも呆然とした表情を浮かべた。緑色に輝く光のカーテンが突如出現したのだ。それは瞬く間に夜空一面に広がってその神秘さを地上にいる人々に伝えた。


「綺麗」

「……だね」

 

 静奈の言葉に秋人は同意する。同時に、何が起きているのか分からないが、この光景を心にずっと留めておこうと思った。


 後に《転移のオーロラ》と呼ばれる現象は、一〇月三一日時の大日本帝国の勢力下にあった地域全てに発生した。これが終息すると――日本人全てと日本列島を始めとする島が地球から消え去っていた……。

 この謎の失踪の原因は分からず、永遠に明らかにならないと言われている。消えてしまった存在の消息は不明であった。


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