1話 「運命」
懐かしい夏の匂いに彩られ、心は兎のように弾んだあの日。
俺は愛する人に出会った。
いや、正確にはまだ愛していない。そもそも顔も名前も知らない。
けれど、俺の直感的な、世界の法則のような、必然的な何かが囁いたのだ。
彼女は自分の愛する人なのだと。
不意に彼女は俺の方を向いた。美しい黒曜の瞳を内にして瞼が大きく見開き、ふっ、と瞼を細めて微笑んだ。
きっと彼女も俺と同じ感覚を覚えた。そう、確信する。
二人はその日、
ーーーー運命と出会った。
○○○○○○
「明希、お前最近調子はどうよ」
「あ? なんで?」
俺はあえて質問に質問で返した。
「そりゃあよ。この間の魔術試験で珍しく成績低かったじゃねえか。いつもBランクのところが一転してEランクなんてよ。どう考えてもおかしいだろ」
友人、安芸 智則は小さい頃からの幼馴染だ。特にこいつは人の感情の機微に敏感で、俺の調子が悪い事にすぐ気付く。今回もそうなのだろう。きっと優しいこいつは俺のことを心配してくれている。
「それな。俺もおかしいと思ったよ。魔力がろくに扱えなくてさ、んで昨日検査してもらった」
「結果は?」
「魔力回路のいたるところが破損。修復も不可能だと」
心なしか声のトーンが落ちて、気持ちに陰りができる。
「マジか」
「マジマジ、その代わりに新しい回路ができていたらしい」
「新しい回路?」
智則は目をまん丸にして俺を見る。当然だ、普通なら新しい回路ができることなどあり得ない。魔術業界では常識中の常識。横断歩道の赤信号を渡っちゃいけないくらいの常識だ。
「そう、最近の研究で判明して、仮の名称がつけられた。魔力回路とは別の回路。固有回路っていうんだと。主にこの固有回路を持つと何が起きるか、簡単に言うと普通の魔術が使えなくなって特殊魔術の1系統に特化するらしい」
「もしかして最近話題になってる特化魔術師ってのは......」
「ああ、たぶん俺と同じだ。けど、後天的に特殊回路ができるのは初の事例らしいぞ。基本的に先天的にしか持ち得ないもんなんだとよ」
「はー、まさか明希がそんなことになってとは思ってなかったなあ。俺にゃあなんもできねえかもしんねえが困ったら声かけてくれ。できる範囲で助けてやるからよ」
智則はサムズアップして俺に満面の笑みを浮かべて言った。本当、こいつには敵わんよ。
「おう、頼りにしてるぜ」
俺たちは拳をこつんと合わせて互いに笑い合った。
○○○○○○
「明希、今日からお前には学園を一旦休学してもらう」
朝飯を食べている時に親父が言った。俺は思わず咳き込み、水を飲んでから親父の方を向く。母さんは予め知っていたのか一切の動揺を見せない。
「どういうこと?」
「お前の特殊回路は学園でカバーしきれんからな。専門の家庭教師を呼んでおいた」
専門の家庭教師? 嘘だろ。いきなりなんの相談もなしに。
「ちょ、いきなりおかしいだろ」
「明希ちゃん、相談もなしに決めたのはお父さんも悪いと思ってるのよ。でも明希ちゃんは断っちゃうでしょ? それに私たちも一魔術師として、親としてあなたを守る義務があるの」
母さんはいつも優しいが、今は真剣そのものだ。こんな母さんは今まで見たことがない。確かに俺は普通の魔術を使えないから学園でどれだけ頑張っても無駄だというのは分かっている。でもあの学園には友人たちがいるのだ。そう簡単に割り切れるものでもない。だが、今回ばかりは俺が折れるしかないのも確かだ。ここは親父たちの意思を汲もう。
「......分かったよ。それで、専門の家庭教師はいつくるんだ?」
「ああそれなら」
来客を知らせるインターホンが家中に響き渡る。家の外から「家庭教師でーす」という声が聞こえる。
俺はがくりと肩を落とし、大きなため息を吐いた。
「どもども、アルスマグナ魔術機関日本支部研究科所属のマリーンです」
「あらあら、ずいぶんと可愛らしい家庭教師さんね。まずあなたの部屋に案内するからその後に息子の明希と顔合わせお願いね」
早速家に来た家庭教師マリーンとやらは「はーい」と言って母さんと二階に上がっていった。
「親父、なんで母さんは部屋の案内してるんだ?」
「当然だ。これから彼女には住み込みで家庭教師をやってもらうことになっている。それに母さんや俺も特級魔術師の仕事でしばらく家を開けることになる。住み込み以外ありえんだろう」
思考が止まる。現実から意識が逃げたがっている。こんな宇宙の法則は間違っている、などとおかしなことを考え始めて、しまいには頭がこんがらがりそうだ。