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狐の盆還り  作者: 哀ノ愛カ
6/13

第五帳

急展開します!

バタン。

戸を閉じた瞬間、張り付いた笑顔が剥がれ落ちた。

「可憐」

幼馴染の震えた声に反応して、心の闇が広がっていく。

「冗談じゃない・・・冗談じゃないわよ」

当主の座を奪還する?

家族に戻ろう?

「反吐が出るわ」

口にすると本当に吐きそうになって、思わず口元を覆った。

「力が欲しい。もっと力が欲しい・・・鈴音、どうしたらいい?」

「それは・・・」

友は言う。

「狂うしかないやろ」

分かり切った答えだった。

「貴方も同じ意見?」

鈴音が連れてきた物言わぬ男にも一応聞く。

だが、男は首を縦にも横にも振らなかった。

ただじっと、強い目をこちらに向けているだけで、その心の内を図ることはできない。

「ナツさん、一緒に狂う覚悟はおあり?なければ立ち去りなさい。狂い狐に飲み込まれて死ぬのがオチよ」

男の頤に指を当て、詰め寄る。

もう何年も女にしか触れたことがないというのに、自分自身驚きの行動だった。

ナツは、蛇に睨まれた蛙の如く、目を逸らさない。やがて、コクリと頷き、肯定の意を表した。

これじゃあ、まるで、脅迫してるみたい。

否、歴とした脅迫だ。

それでも、

「良い子ね」

数少ない味方は確保しておきたかった。

何をしてでも生きたい。

あの(・・)()の好きにはさせない。

もう一度妾を―――――

「どうしたん、可憐」

 鈴音の呼びかけに飲み込まれそうになっていた意識が戻った。

「何でもないわ」

 自分のもののようでそうではないような劣情をどうにか押し殺し、可憐は前を向いた。



*        *         *



石畳の階段を一歩ずつ登っていく。

左右には所狭しと屋台が並び、耳を澄ませば、雑踏の中から微かにお囃子が聞こえる。

懐かしい。

そんな言葉がぴったり合うだろうか。

子供の頃に感じた淡い高鳴りが、心臓を疼かせる。

祭などという浮かれた行事にはここ数年ゆかりのなかった流は、内心浮き足立っていた。

その心の内を見透かしてか、浴衣姿の玉零が後頭部をうちわでバシッと叩いた。

「良い気なものよね。私は一睡もしてないっていうのに。あ、あれも買ってちょうだいよ、陰陽師」

袖の牡丹を揺らして、ベビーカステラ屋を指差しながら、玉零は言う。

「鬼」

思わず毒づくと、

「可憐な少女に向かって何言ってんの?」

わざわざ説教するためだけに流を呼びつけた白の鬼は、口元に人差し指を当ててぶりっ子する始末だ。

確かに、あの後――雅が当主の座を奪還すると宣言した後、混乱する思考を整理する間もなく、誰もが家に着くなり意識を失ってしまった。

儀式での霊力の消耗は想像以上に凄まじかったようで、目が覚めたのは翌日の朝だった。

ほぼ丸一日眠りこけていたわけだが、その間、百花は玉零と共に夜店を切り盛りしていた。その時に百花が事の次第を話したのだろう。同じ陰陽師だと信じて疑わない白木零に。

「私がいなければ、どうしてたの?」

もう何回も聞いた小言を受け流しながら、流は所望されたベビーカステラの袋を渡す。

陰陽師ではないが、人を守るのが使命だという白の鬼は、店じまいしてからも伏見山神社を見張っていたそうだ。

そんなこと、頼んでもいないのに。

「何、不服な顔してんの?頼まれもしてないのにしゃしゃり出るななって?」

「チッ」

いちいち癪に障る。

心を読むな。

「そうは言ってもね、危機感が足りなさ過ぎるわよ?もし、すぐに狂い狐とやらが行動を起こしてたらどうするのよ」

「あのな、これは陰陽師同士のいざこざだ。俺達で何とかする。それに、伏見山は隆世がずっと見張ってただろ。そのために式神を配置してんだから」

お節介に嫌気が差して口を挟む。すると、キッとした目で睨まれた。

「なら、隅田は儀式に参加させるべきじゃなかったわね。隅田の当主が万が一に備えて寝ずに頑張ってたのは百花から聞いたけど、それだけじゃダメよ。異変を感知しても自分で対処できる力は残ってないし、味方に知らせたところで貴方達は寝てるんだから。この祭のこと、甘く見過ぎてない?これはただの当主争いじゃない。狂い狐・・・妖怪が関与してるのよ」

クソッ。

悔しいが、何も言い返せない。

「おーい、流!」

その時、後ろから峻介の声が聞こえ、流は振り返った。

「あー、やっと見つけた」

峻介は息を切らしながら、階段を駆け上ってくる。その後ろには早希もいた。向日葵柄の何とも早希らしい浴衣を着ている。

「お前、鳥居のとこで待ち合わせってラインしただろ!既読スルーだったけど。隼にいたっては、俺、口頭で言ったよな?」

隼?

気づけば隣に長身の男が突っ立っていた。

玉零の姿はない。

「あ、もしかして〜お前ら、迷子になってたのか〜」

肘で脇腹をつつく峻介を適当にあしらい、隼を見やる。

相変わらずの仏頂面だ。

「鳥居は上にもあるから、間違えた」

隼はぶっきら棒に言い訳の言葉を述べた。

思わぬ人物の助け舟に流は内心驚いた。

「そうなん?」

峻介に追いついた早希が会話に入る。

仕方ないので、ここは素直に隼と口裏を合わせることにした。

「そうだよ。荒井が言ってたのは、山道の入り口にあったやつのことだろ?でもあれは本来の鳥居じゃない。伏見山神社の鳥居は、この階段を登った先にあるんだ」

とはいえ、待ち合わせの目印として使おうとするのは当然入り口にある鳥居のわけで。

「はあ?それ知ってたなら、連絡寄越せよー。鳥居二つあるとか普通知らんやん。てか、電話出ろや」

口をちょん曲がらせた峻介に詰られるのも無理はない。

だが、入り口の鳥居の前で待っていたところを玉零に連れ出されたのだ。電話については・・・マナーモードにしていたから気づかなかった。

「まあ、会えたんやから別にええやん。まずは、神咲君と白木君の妹さんのとこ行くで」

バシッと峻介の背中を叩いた早希は 再び階段を登り始めた。流と隼に妹がいることは峻介から聞いたのだろう。

「いってぇ。力加減ってものを知らんのか!」

口では怒っていても、峻介の顔は完全ににやけている。

「はあー。何でこんな茶番に付き合わせられなきゃなんねぇんだよ」

二人の背中を見ながら、流は独りごちた。

「それは、こっちの台詞だ」

すかさず入った隼のツッコミに「だよな」と返す。

全部、あんたのご主人様のせいだ、という念を込めて。

何の嫌がらせか、この企画を立ち上げたのは玉零である。その危害を被っているのは隼も同じなわけで・・・。

流の嫌味が通じたのか、隼は苦い顔をして渋々足を動かした。



生い茂っていた雑草や倒れていた木を取り除けば、それなりに見栄えのする山道になった。

最初に来た時は、どこから山を登れば分からなかったほどだというのに。

目印にと新たな鳥居を備え付けたが、そんなものなくても山道だと一目で分かる。

それに加え、今は左右に夜店が並び、店の灯りが道案内の代わりとなっていた。想像以上に多くの人が集まり、賑わいを見せている。

そんな道を一歩、また一歩と足を踏み出していくうちに伏見山神社本来の鳥居までたどり着いた。

「あー、流が言ってたんはこれか。結構古いなぁ」

峻介は感慨深く呟くと、早希と共に鳥居をくぐった。

その後に流も続こうとして、一瞬足が止まる。しかし、その躊躇いはほんの僅かな時間のことで、誰もそのことには気づかなかっただろう。

「神咲君、妹さんの屋台ってどこ?」

早希の問いにはっとする。

流は既に鳥居の内側にいた。

「えっと、祭壇横って言ってたかな。チョコバナナ屋の看板出てるらしいから、それ探したらすぐ見つかると思う」

冷や汗がつーっと、背中を伝う。

「何も感じなかったか?」

流は隼にだけ聞こえる声で問うた。

「別段、何も。昨日、玉零様とこの屋敷を見張っていた時と同じだが」

「そうか」

儀式のためにここを訪れたのはつい昨日のことだ。その時でさえ、不快感と多少の圧迫感はあった。

それが今では・・・

隼の話と照らし合わせれば、少なくとも昨日の夕方から、か。

「シロオニの言う通りだな・・・」

祭りのことを甘く見ていた。

儀式のことも、何も知らずに、ただ手渡された祝詞を読んで。

不覚、としか言いようがない。

もう、狂い狐を抑える結界は完全に解かれている。

彼の者を縛るものは何も、ない。

「神咲先輩!こっちこっち」

ゾッとする思考は、流を呼ぶ明るい声に多少は打ち消された。

先ほど辛辣な忠告をしてきた人物は、打って変わってニコニコと手招きをしている。

それも、

「荒井先輩も!ここですよ!」

人の大群の隙間から。

「まさか、あれ?」

戸惑いながら、早希は漏らした。

百花と玉零のチョコバナナ屋の前には信じられないほど長い行列が出来ていたのだ。

しかも、男ばかり。

そのてんやわんやに百花は必死に対応しようとしているが、全くといって間に合っていない。

「しゃーないな」

その光景を見て、峻介が声を張り上げた。

「みんなで手伝うで!」

「そうやな!屋台とかいっぺんしたかったし」

早希も腕まくりして、やる気満々の様子である。

恐らく普段なら、この空気を無視してでも流はパスしただろう。

だが、

「何してる?早く行くぞ」

隼の真剣な声が響く。提案した峻介よりも俄然やる気を見せて、玉零の手伝いを始めた。

(性分じゃないし、絶対こんなことしないんだけどな・・・)

だが、大切な人のことになると、話は別。

それは人間も妖怪も同じなのだろう。

百花の横に立つ。

「流兄様、ご友人の方と遊んでいらして下さい。ここは私が」

「いいから」

「でも・・・」

「ほら、喋りながらやってると間違えるぞ」

百花の手にある百円玉を五十円玉と交換する。

自分が損する間違え方をするあたり、百花らしい。

「ねぇねぇ、何て名前?いくつ?高校生?」

その時、百花が釣り銭を渡そうとした客が矢継ぎ早に質問してきた。しかも百花の手を握りしめながらだ。

「おい、お前ずるいぞ!なあ!俺あと五つ買うから握手してもいい?あと、ライン教えて」

今度は別の客が百花に近寄る。

売り子として人選は間違いではないだろう。

間違いではないけど・・・。

「お客さん、早くお釣りを受け取ってくれませんかねぇ?」

百花の手を包む指を一本一本引き剥がしながら牽制する。

「何やねん。いきなり現れて。ここは女の子ばっかりでやってる店とちゃうんか?」

どういう情報が流れているというのだろう。

そういう店に行きたいなら、木屋町界隈にでも行けばいい。健全な祭祀の出店に求めることではない。

「ねぇ、店長!」

睨み合っていると、業を煮やした男が叫んだ。

呼ばれてやって来たのは、

「お客様、大変申し訳ありません。しかし、当店はお触りはNGなんですよ〜。見るだけです。さあさ、美味しいチョコバナナですよー。これを頬張りながら、存分にご鑑賞下さい」

下衆な鬼だった。

百花は玉零によって、あれよあれよという間にいすに座らされ、きょとんとしている。

「百花ちゃんは、鑑賞用。神咲先輩、お金のやり取りはお兄ちゃんと一緒に頼みますね。荒井先輩と宮根先輩は注文の受付と列の整備してくれてるんで。私は最後にチョコバナナを渡して、バカな男どもを・・・百花ちゃんを鑑賞中のお客様が変な気を起こさないように見張るから」

見張る・・・その役目も確かに担っているのだろう。しかし、その実、百花に見惚れながらチョコバナナを食べている男の馬鹿面を鑑賞したいだけなのでは?

「あんたのご主人様って、すっごい悪趣味なのか?今すぐぶん殴りたい気分なんだけど」

そんなことを言えば、隼に殺されるかもしれないとは思ったが、言わずにはいられなかった。

「違う」

だが、案外落ちついた様子で隼は否定した。

「・・・とは言い切れんな」

いや、否定しなかった。

こういう無茶に長年付き合ってきたのだろう。

隼は諦めたような表情で淡々と業務をこなして行く。

流も殴りたい衝動をグッと抑えて、与えられた仕事に専念した。



「皆さん、本当にすみませんでした」

全てのチョコバナナを捌き切り、店終いしてから、百花が深く頭を下げた。

「やめてやー。大繁盛で何よりやん。案外楽しかったし」

早希が百花に頭を上げるように促し、峻介も「せやせや」と頷いた。

本当に頭を下げるべき人物は他にいると思うのだが、玉零はまだ売上金を数えている最中だ。

「昨日はここまでお客さん来なかったんですけど・・・」

不思議そうに首を傾げる百花の横で「Twitterで売り子の宣伝しといたからねー。画像付きで」と玉零はしれっと呟いた。

「あんた・・・」

「でも、ま、一時間で完売!凄いですよね!これで思う存分遊べるんじゃないですかー?」

流の嘆きを無視して、玉零は嬉々として話し出した。

売上金はちゃっかり懐に仕舞い混んで。

まさか、そのまま持ち逃げするつもりじゃないだろうなと思いつつ、玉零を睨みつける。

「やだなー神咲先輩、怖い顔して。これからがお楽しみだっていうのにー」

(ほんとーに、あんたはお楽しんでるもんな!)

「さあ、さ、皆さん、夜店回りますよー。でも、こんな大勢でぞろぞろ歩くのも何かと不便ですし、組分けしましょ!はいはい、百花ちゃんはこれ、神咲先輩はこれ、荒井先輩、宮根先輩、最後にお兄ちゃんと私はこれっと。紙を開いて下さい。同じ番号の人とペアで回りますよー」

玉零は、目にも止まらぬ速さで折りたたんだ紙を渡し、事を進めた。

結果は、流と百花、峻介と早希、隼と玉零・・・。

完全に仕組まれている。

というか、玉零が勝手に紙を渡している時点で必然的なものでしかない。

「じゃあ、レッツゴー!」

玉零はそう叫んで、隼(それから金)と共に人混みの中に消えた。

呆気に取られているうちに、峻介と早希も動き出す。

「ま、くじで決まったことだし。しゃーないか。行くぞ、早希」

「うん」

手が触れそうで触れないもどかしい距離を保ったまま二人は行ってしまった。

早くくっつけばいいのに・・・

だなんて。

どっかのお節介な鬼に触発されて、そんなことを思ってしまった。

「流兄様」

Tシャツの裾を引っ張られ、振り返る。

恥じらいながら、「どうしましょう」と問いかける百花にギュッと心臓を掴まれる。

あー、本当に。

お節介なんだよ、あの鬼は。

しかし、そのお節介に助けられている自分がいるのも確かで。

「行こうか」

百花の柔らかな手をそっと握り、流は歩き出した。

どこかで、白の鬼がニヤニヤしながら見ているのだろうと思うと悔しいが、存外気分は悪くなかった。



*        *         *



我ながら良い事をした。

「そうは思わない?」

伏見山神社を見渡せる木の上で、従者に聞けば「はあ」という何とも気の抜けた返事が返ってきた。

これだから朴念仁は、と思いながら玉零はベビーカステラを頬張る。

そして、風に靡く白の髪を耳にかけ、狂い狐がいるという屋敷をじっと見つめる。

昨日から見張っているが、今のところ変わった動きはない。

変わった動きというか、そもそも動き自体がなかった。

屋敷の中に意識を集中させても、人の気配がないのだ。

まさかとは思うが、既に屋敷には誰もいない、とか。

そんな不安に駆られた時だった。

「陰の気が流れていくぞ」

耳元にゾクリとする冷たい声が掛かり、玉零は思わず仰け反った。

「貴方!」

いつからいたというのだろう。

己のことを無名と名乗る亡霊は隼の短剣を術で弾き飛ばし、玉零の隣に立った。

「躾ておけ。気が緩めば危うく退治してしまうやもしれんからな」

確かに、無名ほどの力の持ち主ならば、隼を消すことぐらい造作もないのだろう。

「玉零様に近づくな!」

「黙れ」

「っ!」

現に、その言霊だけで隼を黙らせることができるほどだ。

「やめてちょうだい。私達は貴方の敵にはならない」

「なれないの間違いじゃないか?」

白鬼の特性を知っているのか、無名はそんなことを言う。

「そうね。なれない。霊ではあるけど貴方は怨霊じゃないから。手出しをすれば白鬼の血を引く私はただじゃ済まないでしょうね」

だから、無名の件については人間に任せることにしている。

かつて流の祖先が封じた陰陽師。

昔に何があったかは知らないが、これだけは言える。

「親切に教えてくれてありがとう」


この男は、死しても陰陽師だ。


山の麓から人のざわめきが聞こえる。

目を凝らしても人だかりで何も見えないが、鼻腔を擽るねっとりとした匂いで何が起こっているのかは瞬時にして分かった。

陰陽の流れをどうこう言われても玉零には分からない。

だが、無名が言うのだから間違いない。これは――――

「妖が人を傷つけた・・・」

「行きますか?」

ようやく術から解放された隼が問う。

「当たり前でしょ」

ふわりと木から飛び降りて、隼と共に現場へと向かう。

当然無名もついて来ると思っていたが、彼はその場を動かなかった。

飛び降りる直前にボソリと呟いた無名の声が頭でこだまする。

――――難儀な生き物だ。

言われなくても分かっている。

人のために動かざるを得ない。

人を想わずにはいられない。

そういう難儀な性を生まれながらにして持っている。

それが、白鬼。



*        *         *



特に何をするということもなく、特に何を買うということもなく、流は百花と手を繋いで階段を降りていた。

高鳴る鼓動を抑えようとすればするほど、息が苦しくなって、歩き方もぎこちなくなる。

百花は黙ったまま俯いており、何を考えているのかも分からない。

「あ、あのさ」

そんな沈黙に耐えきれなくなって、口を開いた時だった。

「二人でデート?」

背後から聞こえた声に思わず百花の手を離す。

「ゆ、優衣さん!」

後ろには、りんご飴を舐めながらニコニコしている優衣がいた。

「あ、お邪魔しちゃった?」

「そんなことは、ありません」

りんご飴よりも赤い顔をして、百花は否定する。

「そう?てか、百花ちゃんお店は?」

「今日の分は完売したので、店じまいしてきましたの」

「え!もう?」

優衣は驚いたように目を丸くした。その直後、りんご飴の端をガリっと噛み砕きながら「あ、デートしたかったから、張り切ったのかなー」なんて呟くものだから、慌てて流は別の話題を振った。

「ところで、優衣さんは?うちわの係でしたよね?」

だいぶ前に優衣が一人で頑張ってうちわを作っていた姿を思い出す。

「あー。あれは、町内会の人が引き受けてくれてん。やから、こうして祭を満喫してるってわけ」

「一人でですか?」

途端に優衣の眼光が鋭くなり、しまったと思った。

「いえ、扇さん達と一緒じゃないんだなーっと思って」

慌てて言葉を付け足すと、優衣ははあーと溜め息をついて、腕を組んだ。

「扇お兄ちゃんは、雅さんと会談中。で、楓お姉ちゃんは例によって隆世さんと・・・」

「兄貴と?」

「お兄様と?」

百花と同時に聞き返すと、優衣は首を横に振って「何でもない」と苦笑いした。

予想は付くが、お互いの兄と姉がそういう中だと想像するのは何だか気恥ずかしい。それで、優衣は言葉を濁したのだろう。

「それより、雅さん、戻ってきたんですね。扇さんと、どうやって当主の座を奪還するか相談でもしてるんですか?」

流の問いに優衣は頭を掻いて、うーんと唸った。

「さあ。昼過ぎに扇お兄ちゃんに雅さんから河原町まで来てほしいって電話があって。ま、そういうことなんだろうけど。心配だったから私もついて行こうとしたんだけど、お前は来るなって扇お兄ちゃんに言われて」

「扇さんも、これ以上妹を巻き込みたくないんでしょうね・・・」

狂い狐が関わっているとはいえ、事の発端は両家の兄妹喧嘩だ。少なくとも、流はそう思っている。

「できるだけ穏便に済んでほしいですよね。雅さんは、何か不穏なこと言ってましたけど」

十年前、可憐のせいで生死を彷徨うはめになったとかなんとか・・・。

扇は狂い狐である可憐が雅を殺そうとしたと考えているみたいだが、正直流は、その意見には承服しかねた。

確かに可憐には、人の傷を抉るような性格の悪さはある。しかし、本当に人を傷つけるようなことはしない、というのが流の見解だ。

 狂い狐を身の内に飼っているせいか、性的嗜好は特殊なようだが、歴代の狂い狐に比べれば無害と言ってもいいのではないだろうか。雅を陥れたのは事実だとしても、扇の言うように、殺してまで当主の座を奪おうとするような人物には見えない。

「そうは思いませんか?」と、優衣に同意を求めた直後だった。

「下で人が刺されたって!」

「通り魔らしいで!」

「さっき、パトカーも来たって!」

どこからともなく聞こえてきた声に、流達はもちろんのこと周囲は騒然となった。

喧騒に紛れて聞こえてくるサイレンの音に、一気に緊張が走る。

「通り魔って・・・」

百花の不安な声に答えるかのように、近くにいた若いカップルが話し出した。

「この間も通り魔の事件あったよな」

「亀山のやろ?」

「そうそう。あれ、犯人まだ見つかってないらいで」

「マジか。もしかしてその犯人ちゃうん」

「かもしれん。ねえー、もう奈良帰ろ。京都、物騒やわ」

「せやな、帰ろか」

通り魔。

そうなのだろうか。

そんな犯罪は、ありきたりと言えばありきたりで。

ありふれてはいる。

だが――――

「行ってみる?」

優衣の呼びかけに流はすぐさま応じた。

それは決して野次馬根性などではなく、陰陽師としての直感が働いた結果だった。

「百花はここにいろ」

「えっ、ちょっと!流兄様!」

「ってことで、百花ちゃん、これ預かっといて!」

食べかけのりんご飴を百花に押し付け、優衣も流に続いた。



山道の入り口にある鳥居を抜けて、しばらく行くと、人だかりが見えてきた。

ちょうど救急隊員が被害者を担架に乗せて運ぼうとしているところで、近くにはパトカーも数台停まっている。

人混みを掻き分けて現場に近づく。

ようやく視界が開け、目に飛び込んできたものは、血だまりと――――

「気が流れていった跡・・・」

黒い気・・・怨霊の思念か。

否、妖怪の妖力の残存。

「優衣さん、これはかなり」

まずい。

そう言い終わる前に、女性の悲鳴が耳に届いた。それも、聞き慣れた声だ。

「まずいで、これ・・・戻るで、流君!」

「はい!」

今度は何事かとざわめく群衆を払い除け、元来た道を急いで戻る。

「神咲君!」

山道の中腹で、泣きそうになっている早希を見つけた。

「大丈夫です、荒井さんの傷は浅いですから!」

そこには腕から血を流している峻介と、応急措置をとっている百花の姿があった。

「荒井、何があったんだ!?」

「いや、それが・・・気づいたらって感じで・・・ってぇ!」

「我慢して下さい。きつく縛らないと止血できませんの!」

百花の浅いという言葉とは裏腹に、血は次々と溢れてくる。

百花の薄ピンクの浴衣も鮮血に染め上げられていた。

「こっちです!」

ドタドタという足音と共に、救急隊員を連れた玉零が現れた。

「女の子の言っていた通り、怪我人発見しました。いえ、そちらは先に病院へ向かって下さい。代わりの救急車の手配を至急お願いします」

救急隊員は無線での通信を切ると、峻介の元へと駆け寄った。

先ほど担架で怪我人を運んでいた救急隊員だ。救急車には乗らず、こちらに駆けつけてくれたのだろう。

「大丈夫ですか!?」

「まあ、何とか・・・この子のおかげで血は止まりそうな感じです・・・」

隊員は、峻介を見るや否やその完璧な処置に驚いたようであった。

「君が?」

百花の顔を見て、問う。

「看護科の学生さんとか?」

「いいえ。ただの中学生です」

もはや、その言葉は謙遜でしかない。

早希はグズグズと泣きながら、その場にしゃがみ混んでいるし、周りの大人達でさえ、遠巻きに見守っているだけなのだから。

何というか・・・。

さすがは、あの隅田家の令嬢といったところか。

霊力があれば、隆世同様、立派な陰陽師になれただろう。

「百花ちゃん、すごーい!私なんか、血見ただけであわわってなっちゃうのに!」

まあ。

そう言って大袈裟に褒める玉零が一番、この状況に迅速に対応しているのだが。

救急隊員に肩を担がれながらも、峻介は自分の足で歩いていった。

その様子に一安心しながらも、緊張感は続く。

峻介に付き添っていく早希の足取りは覚束なく、百花も一緒に下に降りて行くと言う。

「じゃあ、俺も」

当然の如く流もついて行こうとしたが、百花に止められた。

「流兄様達は」

その強い目に見つめられて、ようやく気付いた。

霊力があれば立派な陰陽師になれただろう、だなんて。

霊力がないからこそのことであるというのに。

百花は自分の本分を知っている。陰陽師として共に戦えずとも、できることを必死で探してきた結果が、今の百花なのだ。

ならば――――

「シロオニ」

「分かってる」

自分のすべきことを、今は為そう。



*        *         *



朱色に染まった空の下で、約束した。

それをこの人は覚えているだろうか。

「なあ、雅さん・・・」

でも、言いかけて止めにした。

覚えていなかったら悲しいから。

忘れられていたら寂しいから。

だから、言葉を、気持ちを飲み込む。

「妹達を救おう」

きっと、そんな約束なんかなくても、この人は――――


「はい」

楓からの緊急の連絡が入ったのは、雅が玉無邸を後にして程なくしてのことだった。

「兄貴!大変や!今隆世から連絡あってんけど――――」

――――伏見山邸で可憐さんを見張らせてた式神が全部消滅させられたって――――



*        *         *



いつの間にか、ポツリポツリと雨が降り出していた。

「夕立ちか」

誰かが放った言葉を皮切りに、人々は散っていった。

所詮は野次馬などこんなものだ。

怪我をした峻介のことなど、もうどうでもよくなって、今は雨に濡れる自分のことしか考えていない。

その時、アナウンスで祭りの中止が発表された。楓の声だ。

雨のせいもあり、人々は瞬く間にいなくなった。

最後に残った金魚掬い屋の店主が荷物をまとめ、去っていく。

それと入れ違いにやって来た扇がぼそりと呟いた。

「狂い狐」

その顔は無表情に等しかったが、冷静さは微塵も感じられなかった。

「扇お兄ちゃん・・・」

優衣は心配そうに兄を呼んだが、今の扇にその声が聞こえているかは怪しい。

「一歩遅かった。間に合はへんかった。救えんかった!」

それは、そっくりそのまま伏見山にいた流達にも当てはまる。

「兄貴。こんなん誰も予想できんかったって。隆世の式神が破壊されるなんて、そんなこと・・・」

客の誘導が済んだ楓が周囲の異様な空気を察してか、急いで駆け寄って来た。

「はっ。まあな。でも、死人が出てるんやで。亀山の通り魔事件。被害者の女性は病院で亡くなった。さっきのかて、知り合いの刑事から聞いた話やと、意識不明の重体やって。流の友達は大丈夫やけどな。こっちは事件性はないということで、調査はしいひん言うてたわ。というより、俺がそういうことにしといてくれて、頼んでんけどな。これは、警察の手に負えるもんやない。この問題は俺達の専門や。そうやろ?鈴音。こっそり証拠隠そう思てもそうはいかんぞ!今、手にしたもん、出しぃ!」

いつの間にそこにいたのだろう。峻介が刺されたという、その場所に鈴音が立っていた。

「怖いわ。上手く隠れてたつもりやのに、兄さんは西洋の術も見破ってしまうんやね」

「いいや。術なんか関係ない。お前は絶対にここに来ると思てただけや」

鈴音は降参のポーズを取り、手の中にある金色の糸らしきものを見せた。

「やっぱりな・・・さっきの現場にもそれと同じものが落ちてた。警察が押収してったから、俺は手ぇ出されへんかったけど、馴染みの刑事が教えてくれたわ。亀山の事件の時も全く同じのが現場にあったってな。初めは犯人の頭髪ちゃうか思われてたんやけど、調べてみたら、動物の毛やいうことが分かったらしい。金色のそれは」

「狐の毛」

金色の長い髪から雫を滴らせながら、茂みから現れた巫女装束の女は答えた。女は鈴音の前に立ち、不適な笑みを浮かべる。

いよいよ本格的に降り出した雨に構うことなく、流達は可憐と対峙した。

役者は揃った。

「隆世には悪いけど、この件は陰陽京総会の総代代理である俺が取り仕切る」

「待って扇お兄ちゃん、それは!」

優衣の制止に耳を貸すことなく、扇は続ける。

「伏見山可憐、狂い狐覚醒に伴い、人間に害を為す妖怪であると判断した。よって、陰陽師としての資格を剥奪した上、明日未明、処刑執行を言い渡す」

処刑・・・。

現代日本では聞きなれない物騒な言葉に、その場の誰もが息を飲んだ。

「随分と横暴やないの。そんなんうちが許すとでも・・・」

鈴音が懐から見たことのない呪符を取り出す。エクソシストが使うものなのだろう。十字の文様が見える。

しかし、それは玉無家の秘宝、一の扇によって払い退けられた。

「並びに、玉無鈴音は共犯者と見做し、玉無邸に蟄居。身内やからて容赦はせんぞ、鈴音。風気、風霊、風精!」

鈴音が扇の術によって、吹き飛ばされた。

「うっ!」

大木に背中を打ちつけ、鈴音が倒れこむ。

直後、扇の背後にナイフが飛んだ。が、それも一の扇で叩き落とされた。

「風気、風霊、風精。縛!」

気流によって身体を拘束されたナツが扇の前に現れる。

「この者の処遇は、また後日言い渡す。それまで玉無邸地下牢にて幽閉。以上や。楓、優衣、流、陰陽京総会構成員として、今の俺の沙汰の承認になってくれ」

と、言われても・・・というのが流の実情だった。

しかし、

「承認?そんなものは必要なくてよ。私はどこにも逃げない。逃げられはしないのだから・・・」

可憐自身が、この騒動に終止符を打った。

「抵抗しいひんのか?」

扇の問いに可憐は「ええ」と頷く。

「まあ、欲を言えば、傘をさしてくれれば助かるかしら?」

今更、さしても意味などないだろう。

ずぶ濡れの女は「なんてね」と付け加えると、扇に呪符で拘束され連れていかれた。

「楓と優衣は鈴音のこと頼む。その男はそのまま転がしといてくれて構わへん。後で俺が連れていく」

扇に言われた通り、楓と優衣は意識を失った鈴音の肩を担ぎ、一向はタクシーで玉無邸に戻った。

その間、白鬼・玉零は終始無言を貫いていた。

陰陽師の問題に口を出すなと言ったからか。

だが、これはもはや単なる兄妹喧嘩などではない。玉零が言った通り、妖怪が関係しているのだ。

でも、本当にこれでいいのか。

狂い狐に取り憑かれていると言っても可憐は・・・人間だろ?

その疑問は、今はまだ心の中だけに留めておくことにした。


 誰が、どう動くか。

 見極める必要がある。


 そして、自分はどう動くか、何を信じるか。

 考える必要があった。

流君は、どうするんでしょうね・・・。少なくとも玉零はこのまま黙ってはいないでしょう。

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