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狐の盆還り  作者: 哀ノ愛カ
2/13

第一帳

まだ、玉零と隼は学園にいます笑

 七月初旬。

梅雨が明け、本格的に暑い季節がやってきた。

春が過ぎて夏が来る。その流れは変わらないが、流の日常にほんの些細な変化が一つ。


「流、もう無理。今からやっても間に合わへんて」

荒井峻介は流のベッドに突っ伏して頭を抱えた。

「明日でテスト最終日やん?俺、今まで受けたテストの点数予想して計算してみてんけど、平均で三十切ってたわ・・・もう、残りの三教科もあかんやろ。全教科補習とか・・・考えただけで死ぬ」

修学旅行を終え、すぐに迎えた期末試験が明日で終わる。

修学旅行から帰ってきてから、峻介と話す機会はほとんどなかった。すぐに試験が始まったからというのもあるが、もともと峻介には友達が多く、流の入る余地がなかったというのが正しい見解だろうと思う。

それが今日、突然峻介は流に話しかけてきた。

『頼む!流の家で勉強させてくれ。俺んとこ兄弟いっぱいいて集中できへんねん』

正直、なぜ自分のところなのかと思った。が、あまりの切迫した様子に流は頼みを聞くことにしたのだった。

『友達やろ?』

と、言われたことが想像以上に嬉しかったからなのかもしれない。

いつの日か、百花が白木零に頼まれて数学の宿題を見せてやっていたことを思い出す。

あの時は「お人好し」と百花に耳打ちしたが、流も人のことを言えない。

これが、峻介でなければ完全に付け込まれることだろう。

「流ぇ」

峻介が甘えたような声を出して詰め寄ってきた。

「なんだよ。暑苦しい」

直感的に嫌な予感がした。

「絶対にバレないカンニングの方法、一緒に考えへん?」

峻介は決して人に付け込むタイプではないが、人を巻き込むタイプではあるようだ。それは修学旅行の一件ではっきりしている。

峻介の単独意見で信州の登山に決まったのだから。

流は峻介を横目で睨み、手にしていた教科書で思いっきり頭を叩いた。

「いっ・・・てぇー」

「バカ。そんなん考えてる暇あるんなら勉強しろ」

流の最もな意見に、峻介は渋々教科書と向き合うことにしたようだった。

ちょうどその時、階下から何やら騒がしい声が聞こえてきた。

兄弟ではないが、流には同居人がいる。

玉無家次期当主、玉無扇とその妹の楓、優衣、そして流の元義妹で婚約者の隅田百花である。

「あー、ちょっと・・・」

「・・・・せやかて、」

「とりあえず・・・・・」

「でしたら私が」

何を話しているのかは分からないが、同居人全員の声がする。

「悪い・・・これじゃ、あんたん家と変わらないだろ?」

申し訳なさそうに流が言うと、峻介はブンブンと首を振って否定した。

「俺の兄弟、うるさいだけじゃなくて、遊んでほしがんねん。せやから、ホント助かってる」

ニヤリと笑う峻介の表情から、勉強に集中したいがために流の家に行きたいと頼んだわけではないことが分かった。恐らくは、兄弟の子守りから逃げてきたのだ。

「あんた、兄貴なんだろ?それぐらい面倒見ろよ」

きっと隆世ならと考えて、余計な口が出る。

峻介は不機嫌そうに「流に上の気持ちは分からへんよ」と言った。

それもそうだ。

義妹がいるとはいえ、流には義兄もいる。一番上の気持ちは経験したことがないから分からない。

すると突然、

「待て!こいつをこの家に上げんな!!」

一階から扇の怒声が聞こえ、身体が跳ねた。

はっきりと聞こえたその言葉は何やら不穏だ。

「ちょっと下見てくる」

峻介もただならぬ空気を感じ取ったようで、何も聞かず「おう」とだけ返事をした。


階段を降りると百花が困った顔をして立っていた。

「何があった?」

「それが、私にもよく分からないですの」

「分からないって・・・誰か来たんだろ?」

扇は確かに、『こいつをこの家に上げんな』と言っていた。

「お客様がいらしたと思って、お茶をお出ししようとしたら、扇さんに止められて・・・それで、私は奥に下がるように言われたましたの・・・」

「楓さんや優衣さんは?」

「扇さんと一緒に応対していますわ。扇さんよりは、普通でしたけども・・・」

扇よりは、ということは、楓と優衣もその来訪者を少なからず快く思っていないのだろう。

玄関先ではまだ扇が喚く声が聞こえる。楓と優衣はそれを宥めているようだった。例によっていつものパターンだ。

「お前に玉無の敷居は跨がさんって決めてるんや!」

「相変わらずですのね。そんなにわたくしのことがお嫌い?」

京都ではあまり聞き慣れない言葉遣いが耳を掠める。二階にいた時には聞こえなかった来訪者の声だ。

「嫌いや!大が付くほどな!」

「心配しなくても、わたくしも貴方のことは大嫌いですわ」

「そうか。せやったら、もう二度とその顔見せんといてくれへんかな?反吐が出るから」

「あーら?ご気分が優れないんですの?でしたら、病院に行かれてはどうかしら?一生入院されたら、わたくしの顔を見ることもなくなりますわよ?」

「お前が病院送りにされたいみたいやなァ!?」

ひやひやするような会話だ。想像以上に扇と来訪者は仲が悪いらしい。

「どうしましょう、流兄様」

心配そうな声で百花が聞く。

何とかしたいのは山々だが、流が出ていったところでどうにかなるとは思えない。

「いや、これは扇さん達の問題だろうから放っておいた方がいい」

少し冷たい物言いが不満だったらしい。百花は何か言いたげな目で見つめてくる。

「百花も、巻き込まれないように自分の部屋に行ってろ」

事実、扇はそのために百花を奥に下げたのだろうから。

流も峻介を待たせているということもあり、階段を登ろうとした。

その時、

「あ、ちょっと!」

「きゃーっ」

楓の戸惑った声と優衣の悲鳴が聞こえた。

「妹に手ぇ出すな!しばくぞ、こらっ!!」

そして続く扇の怒声。

緊迫した状況を察知し、慌てて流と百花は玄関へと駆けつけた。

「扇さん、何があっ・・・」

目の前では巫女装束に身を包んだ金髪の美女が扇に胸倉を掴まれ、壁に叩きつけられているところだった。

その光景に息を飲む。理由は、完全に、金髪美女の胸元がはだけていたからに他ならない。

「流兄様!」

百花の声に正気を取り戻し、来訪者の胸から目を逸らした。

「あら、さっきの可愛いお嬢さんじゃない」

金髪美女は流の存在を無視して百花に向き直った。

その様子にますます扇の機嫌は悪くなったようで、「伏見山!」と叫ぶ。

どうやら、それが彼女の名らしい。

そこで、流ははたと気づいた。


伏見山。


陰陽京総会の構成家系を頭で思い浮かべる。

隆世が現当主の隅田家、同居人の姉妹が属する玉無家、流が七年前に継いだ神咲家、十三年前に断絶した黒縫家。そしてめったに姿を現さないという伏見山家。

否、現せられない(・・・・・・)の間違いか。

陰陽家は少なからず呪いを受けている。

神咲は子を残せぬ呪い、玉無は男が女の身体で生まれる呪い。

神咲はその呪いを克服するために取った手段が残酷非道だったことから、忌み嫌われているが、呪いの種類として一番残虐性が高いと恐れられているのは、伏見山だと言われている。

「伏見山、お前、何しに来たんや!」

興奮しきった扇が思いっきり来訪者を突き飛ばした。

咄嗟に流が抱きとめる。が、瞬間その手を払われた。

「触らないでくれます?男の汚い手なんかで」

「可憐さん、それはないで。流君は」

「あら・・・これはごめん遊ばせ。貴方があの残忍な神咲の生き残りだったなんて、知りませんでしたの。知っていれば、わたくしに触れさせさえしませんでしたわ」

伏見山可憐は乱れた衣服を正しながら、全く悪意を隠さない様子でそう言い放った。

「狂い狐が!」

扇の罵声を制する者はもはや誰もいない。それほどに皆、憤っていたのだ。

流は表情を崩さなかったが、内心傷ついたのは事実なので、同じく黙っておいた。

しかし、同情を禁じ得ないのもまた事実。


伏見山家は狐憑きの呪いを受けている。


時は戦国の世。

当時の伏見山家当主の妻が狐の怨霊に取り憑かれたという。

妻は身重だったらしい。ほどなくして、無事に子は生まれたが、その日の夜、事件は起こった。半狂乱の妻が家の者を次々と殺していったのだ。そして、妻が我が子にまで手をかけそうになった時、駆けつけた当主自らがその首を跳ねた。

これで、全てが終わったと誰もが思った。しかし、時は流れ戦国の世が終わりを告げた頃、伏見山家に普通ではない子が生まれた。

血を好み、狂ったかのように笑う忌み子が。

その時、伏見山家はあの時の狐の呪いが脈々と受け継がれていることに気づいた。

血を排除しようにも、時既に遅し。

狐憑きにあった妻の血は時を経て、本家のみならず分家筋にまで渡っていた。

その後も、何世代かに一人は必ずそういう者が生まれる。

狂い狐―――皆はそう呼び、身内の中でも忌み嫌い、隔離した。

そして、現在。伏見山家に百年振りの狂い狐が誕生した。

伏見山可憐、その人である。

同じく忌み嫌われる家同士。他人事には思えない。

可憐が流を罵倒するのも同族嫌悪から来るものなのだろうと思う。

「随分な挨拶じゃない?確かにわたくしは狂い狐。でも、同時に伏見山の当主でもあるんですのよ。立場的には貴方より上ということ、お分かりになってる?玉無家次期当主さん」

可憐は体勢を整えると、「次期」という言葉を強調して扇に詰め寄った。人を誑かす妖狐のごとき妖艶さを漂わせ、扇の顎に人差し指を当てる。

長い金の髪は狐の毛のようで、まさしく可憐が狂い狐であることを象徴していた。

「お前が当主?笑わせんな。(みやび)さんが本真の当主やろが。お前は当主代理や。そういう意味では俺より格下ってこと分かってるんか?」

「ええ。でもお兄様は当主の座を放棄されましたから。わたくしが、正統な当主であることに変わりありませんわ。それは陰陽京総会・・・玉無家現当主もご承知のこと」

可憐の兄、雅は十年前に当主の座を可憐に譲り、消息を絶っている。両親はそれよりも昔に亡くなっているらしく、親戚もいない。よって、伏見山家は現在可憐ただ一人。狂い狐である可憐を隔離する者は誰もいない。

ただ、陰陽京総会の監視下には置かれている。人目には触れない。その条件の下で、可憐は生活している。伏見山家の屋敷から出ることは基本的に禁じられているのだ。

そのことを指してだろう。扇は「規定違反や」と呟いた。

二人の睨み合いが続き、一触即発の雰囲気が漂う。

確かに、可憐はいけすかない。初対面であんなことを言われれば嫌いになるなという方が難しい。

だが、少なくとも、楓や優衣、百花には敵意はないようだった。

扇がここまで可憐を嫌う理由が見つからない。

「扇さん・・・」

いい加減にこの場を収めなくてはと口を開いた時だった。

「狂い狐は傍にいる者まで狂わす。鈴音も風夏もお前のせいで、おかしくなったんや。俺は兄として、妹達を守る義務がある。二度と、妹をお前に近づけさせへんと誓ったんや」

直後、可憐の表情が曇ったように感じられた。しかし、それは見間違いだったようで、可憐は高笑いすると、「兄、ねぇ」と意味深に呟いた。

「可憐さん!」

扇を馬鹿にされ我慢できなかった楓が叫ぶ。襲いかかりそうになっているのを優衣が腕を掴んで必死に制した。

鈴音と風夏は玉無家の次女と三女の名だ。いや、扇は本来男なので、長女と次女と言った方が良いのかもしれない。

流は会ったことがなく、どんな人かも知らない。ちょうど流が京都に来るのと入れ替わりのようにして、二人は家を出て行ったという。

玉無家では鈴音と風夏の話はタブー中のタブーだったので、詳しいことは聞けていない。それが今、扇と可憐が尋常でないほど険悪である理由と共に明らかになろうとしている。

「どうしたん?玄関先で何してるん?」

重い空気を切り裂いたのは、のんびりとした女の声だった。

「す、ずね・・・」

掠れた扇の声に「鈴音姉さん!」という楓の声が重なった。

「うそ。本真に鈴音お姉ちゃん?」

優衣も驚いたようにその女を見つめる。

「久しぶり。楓も優衣も大きくなったなぁ。兄さんはどうしたん、その髪。何で長ごしてるん?」

あまりにも場違いな穏やかな口調。そのゆったりとした話しぶりや声音もそうだが、何より見た目があまりにも玉無家現当主にそっくりで流は驚いた。

彼女が、玉無家長女、玉無鈴音。

「わー可憐も久しぶり!会いたかったわ」

嬉しそうに可憐に抱きつく鈴音を我に返った扇が引き剥がす。

「お前、今まで何してたんや!?一向に連絡も寄越さんと、みんなどんだけ心配したか!」

「わたくしもずっと会いたかったのよ、鈴音」

割って入る可憐を当然の如く睨む扇。それを諌めたのは他でもなく鈴音だった。

「兄さん。可憐をそんな目で見やんといて」

可憐を庇われたことがショックだったようで、扇は「せやかて!」と声を荒げた。

「こいつはお前と風夏をおかしくさせた張本人やぞ!?それに規定を破ったんや!伏見山の屋敷出てきてオカンが黙ってるわけない!」

鈴音は深く溜め息を吐くと「兄さん」と言って目配せした。

鈴音の見ている先、玄関の奥へと皆が一斉に振り向く。

「あ、すみません。すごくお邪魔ですよね、俺」

そこには苦笑いしながら困った顔で立ち尽くしている峻介がいた。

「えーっと、取り込み中みたいやったんで、もう帰ろうかと思いまして・・・」

峻介は目を泳がせながら、歯切れ悪く言った。

「荒井、悪いな」

本当に申し訳なく思い、流は軽く目を伏せる。

「いや、良いって!まあ、試験なんか何とかなるやろ!」

明らかに無理して笑っている姿が逆に痛い。

「じゃ!」

「おう」

すれ違い様にポンと軽く肩を叩かれたのが異様に重い。

お前の家、複雑過ぎ。まあ、頑張れよ。

と、言われているようで。

「さーて。とりあえず中で話そか」

峻介の姿が完全に見えなくなるのを待って、鈴音は言った。その提案に扇の顔が青ざめる。

「こいつを家に入れる言うんか!?」

鈴音は無言で扇を睨むと、可憐に向き直って「疲れたやろ。また会いに行くから、後は任せとき」と優しく囁いた。

「分かったわ。それじゃ、またね、鈴音」

何だかよく分からないが、二人の間には深い信頼関係のようなものが見える。扇が考えているようなことはないように思えるのは気のせいだろうか。

「それから、お嬢さんも」

可憐は去り際、流の後ろに控えめに立っていた百花にウインクして去っていった。

それに対して何か言いかけた扇を制して、鈴音は靴を脱いで家へと上がる。

「話は私からするし、兄さん達は座敷に。ああ、君らもね」

流と百花も在席するように言われ、流は一瞬扇を見た。

扇はそれに気づいて、うんと頷く。

正直、百花をこの騒動に巻き込みたくなかったのだが、当の百花はピッタリと流にくっついて歩いてくる。仕方なく二人揃って座敷に座ることになった。


客間に重い空気が張り詰める。

結衣と百花が六人分の茶を配り終え、席に着いたところで扇が口を開いた。

「鈴音、今までどこで何してたんや」

鈴音はゆったりとした所作で茶を啜り「海外で修行してた」と事も無げに言う。

「海外てどこや?何の修行してた言うねん」

「ヨーロッパとかいろいろやな。エクソシストになるための修行してたんや」

その言葉に扇はおろかその場の全員が耳を疑った。

「エクソシストて・・・あ、あほか、お前!俺らは陰陽師やぞ!?」

焦った様子の扇を「だから?」と言った冷たい目で一瞥して、鈴音は再び茶を啜る。

「鈴音姉さん、もうちょい詳しく説明してや。そもそも七年前、何でいきなり家出てったん?風夏姉さんは一緒とちゃうの?」

「せや!風夏はどうした!?お前ら二人一緒に出てったんや。風夏もお前と一緒に戻ってきてんねんやろ?どこや!?言え!」

ショックが大き過ぎたのか、普段からは想像できないほど扇は冷静さを欠いている様子だった。

「兄貴、うるさい!で、どうなん?」

興奮状態の扇を一喝し、代わりに楓が話を引き継ぐ。

「まず最初に言っとくけど、風夏は一緒とちゃうで。同じ日に家出たんは確かやけど、それ以来会ってないわ。どこで何してるか、私にもさっぱり」

その回答に扇は意気消沈し、質問攻めにする気力も失せたようだった。

「それから、みんな、私らがいきなり家出た言うけど、別にそうでもないよ。そもそも高校卒業したら、家出るんが玉無の習わしやろ?数か月早よ出たくらいどうってことないやん。風夏は一年とちょい?まあ、誤差やわね。みんな大袈裟に言い過ぎ」

七年前、高校卒業を待たずして家を出た。ということは現在鈴音は二十五歳。そして、風夏は鈴音の一つ下のようなので二十四歳。扇の二つ下と三つ下の妹達ということになる。

そんな最低限の情報すら流は知り得ていなった。

風夏のことは分からないが、陰陽家に生まれたにも関わらずエクソシストを目指したことといい、少なくとも鈴音の存在は玉無家でも特殊なのだろう。皆、腫れものに触るようにして固く口を閉ざしてきた。

そしてそれは、鈴音と兄妹との関係性を如実に表している。

扇は鈴音をひたすらに心配しているようだが、その心配は哀れみに近く、完全に鈴音の存在を持て余しているように見えた。

優衣は七年ぶりの再会だというのに嬉しい表情は一切見せず、訝しんでいるようだった。目の前にいる人物は本当に自分の姉なのかと言う風に。七年前と言えば優衣は十歳なので、あまり鈴音に対して思い入れがないだけなのかもしれないが。

楓にいたっては何かに怯えるような目で鈴音を見ている節がある。

でも、その理由は既に察しがついている。

「せやかて、配属地は母さんが決めるし、何も言わんと海外行くとか」

「楓」と、鈴音は諌めるような声で言った。

そういうところも彼女達の母親にそっくりで。

楓の身体がギクリと僅かに揺れたのは見間違いではない。姉の姿と母親の姿がダブって見えたのだろうと流は思った。

それに追い打ちを掛けるようにして鈴音が「楓は、母さんの言う通りに生きてるん?」と聞く。

瞬間、部屋の温度が一、二度下がったように感じた。

「鈴音。楓はお前と違ごて当主に従って真っ当に生きてるんや。楓がまだ家に残ってるんはな、俺がなかなか結婚できひんから、それを心配して」

完全な見当違いのフォローに楓の顔が歪む。

楓が母親を快く思っていないことは周知の事実だが、皆それを軽いものだと思い込んでいる。流もそうだった。しかし、修学旅行に発つ日、楓が流に見せた母親への不信感にも似た憎悪は決して軽いものではなかった。

母親に恐怖すら抱いている。鈴音に怯えているのは、そのせいだろう。

母親と仲が良い扇は恐らくそれに気づいていない。しかし、鈴音は気づいているようだった。

「兄さんのそういうところ、昔っから嫌い」

何も知らない扇を詰って鈴音ははっきりと言い放つ。

「な、んやて!」

「だって、それってつまり、いざとなれば兄さんは楓を犠牲にするってことやろ?世継ぎを楓に産ませて、自分は当主として玉無を仕切る。それで飄々と生きられる兄さんは、すっごく幸せな人やな」

嫌いだと言った直接の理由を跡継ぎ問題へとすり替えて非難する。

侮れない。

流は素直にそう思った。

七年間家を離れていたにも関わらず、鈴音は誰よりも兄妹のことを理解している。

「せやから、俺かってそうならんように頑張ってるんや!」

立ち上がりかけた扇を止めたのは楓ではなく優衣だった。

「お兄ちゃん、座って」

無言で俯いている楓を心配そうに覗き込みながら、優衣は扇の腕を引っ張った。

「じゃあ、今度はこっちが質問する番」

頭に血が上っている扇には目もくれず、鈴音は流と百花の方を向く。

「君らは誰?」

本当は一番に聞かれるはずだったことだが、扇を一先ず落ち着かせる―――いや、黙らせるために後回しにしていたのだろう。

流は軽く頭を下げて「神咲流です」と自己紹介した。

「七年前からここでお世話になっています。神咲龍子の息子と言えば大体のことは察して頂けるかと」

 流の母、龍子が余命幾ばくもない男と駆け落ちした話は結構有名である。

龍子の死後、流は誰にも知られずに隅田隆凱に引き取られたが、龍子の遺体は京都で埋葬された。当時は龍子に隠し子がいるのではと噂されていたらしく、七年前に流が神咲家を継ぐことになった時も大して驚かれはしなかった。

そして、目の前の鈴音もさして驚いた表情は見せなかった。ただ、面白そうに口元を歪めている。

「それからこちらは隅田家のご息女で、訳あって今年の四月から一緒に暮らしています」

事情をぼかしたのは流と百花の関係が未だはっきりとしていないからに他ならない。それに、自分から婚約解消を望んだというのに、元婚約者として割り切ることができていないというのもあった。

百花は流の言葉に続けて良家のお嬢様らしく深々と頭を下げると、自分の名を名乗った。

鈴音は感慨深そうに頷き「私のいない間に面白いことになってるやん」と漏らした。

やはり面白がっているようだ。しかし流はあえてそれには応えずに、先ほどから気になっていたことを聞いた。

「鈴音さん。貴女はどうして今になって帰ってきたんですか?」

不躾とは思いつつ聞かずにはいられなかった。

これほど頭の切れる人が何の理由もなく突然家に戻るはずはないと思ったからだ。

「ここは私の家やで?帰ってきたら悪い?」

「いえ。ただ、伏見山可憐さんがここに来たことと何か関係があるのかと思いまして」

そしてそれは、必然的に伏見山可憐の来訪と繋がった。

「わあ、怖い。さすがは神咲家当主」

どういうつもりで言っているのか流には分かり兼ねた。しかし、その真意を聞く前に鈴音は話を始める。

「兄さんらはすっかり忘れてるみたいやけど、今年やで。伏見山の鎮魂祭」

その言葉にあっと息を飲んだのは扇ただ一人だった。

「鎮魂祭って?」

優衣は全く心当たりがないらしく姉達の顔を見る。

すると楓が「もしかしてやけど、伏見山神社の夏祭りのこと?」と聞いた。

「そうや。十年に一回のお盆祭り」

鈴音の返答にようやく優衣もああ、と声を上げる。

「お姉ちゃんらがおかしくなった、あの」

直後、しまったという表情で優衣は顔を顰めた。

「ごめん」

「いや、優衣が謝ることはない。鈴音が帰ってきた今、この問題から目を逸らすことはもうできへんのやから」

「そんな大層な」と鈴音は鼻で笑ったが、扇はいたって真剣だ。

「あの祭があってから、鈴音と風夏はおかしくなったんや。祭の終わりに雅さんが突然当主の座を可憐に譲る言うていなくなってしまったんも、俺は伏見山可憐の仕業やと思てる。祭の間に何かしたに違いない・・・。あの女が鈴音も風夏も雅さんも狂わしてしもたんや。あの狂い狐が!」

「始まった。兄さんの被害妄想」

「被害妄想やない!」

「被害妄想や。それに今付き合うつもりはない。大事なんは、今年鎮魂祭があるってこと。規定では鎮魂祭が始まる一ヶ月前から可憐の行動の制限はなくなる。兄さんが可憐を非難するのはお門違いなんよ」

決して声は荒げていないというのに鈴音の怒りがひしひしと伝わってきた。

これには扇も言い返せなかったらしい。ぐっと握り拳を固めたままピクリとも動かない。それもそのはず。話を聞く限り完全に鈴音の言い分の方が正しい。

きっと、ここは鈴音に詳しい話を聞いた方がいい。そう判断して流は鎮魂祭について聞いた。

鈴音は微笑を浮かべて説明を始め、その間、扇は沈黙を貫いた。ということは、その説明に偽りはないのだろう。


伏見山は陰陽師であると同時に伏見山神社の神主も代々受け継いでいる。狐を恐れ敬い、狂気を鎮めるために屋敷を社に作り変えたのが伏見山神社のそもそもの始まりだという。

鎮魂祭は十年に一度行われ、その目的は二つある。

一つ目は狂い狐を縛る結界を張り直すこと。結界は伏見山の敷地を囲うようにして張られている。通常この結界から狂い狐は出られない。が、十年も経つと結界の効力は弱まる。祭の一ヶ月前に屋敷の外に出られるのは規定云々よりもそれに起因しているらしい。

二つ目は呪いを鎮静化する神器に霊力を補填すること。この神器は言わば御神体のようなもので、伏見山神社の本殿に安置されている。言い伝えでは、狐の呪いを受けた妻の首を切った時に使われた薙刀がそれだとか。言い伝えの方の真偽は定かではないが、いざとなれば狂い狐を殺すことのできる力を秘めているという。

これらは、盆の三日間で正しい手順に則り儀式を行う必要があり、すぐにいつでもできることではない。

だから、今が一番危ないと鈴音は言う。

結界の効力も神器の力も弱まった今、狂い狐の狂気は解放されてしまうのだ。


「私が帰ってきたのは、祭があるからっていうのもあるけど、祭が終わるまで可憐を見守るためなんよ」

陰陽京総会の構成員は基本的に祭には全員参加。それほどに結界の張り直しと神器の霊力補填には膨大な力が必要なのだろう。

それに加え、狂い狐が自由に動けるようになるこの時期には必然と監視役が必要になる。

鈴音は決して監視とは言わなかったが、要するにそういうことなのだと流は理解した。

「それやったら俺がやる」

鈴音が七年ぶりに戻ってきた理由を聞き、今まで黙っていた扇が口を開いた。

「鈴音にその役目を任せるわけにはいかへん。俺がやる」

どうしても妹を可憐に近づけさせたくないのか扇は鈴音に詰め寄って懇願するかのように言う。

その瞳には妹がおかしくなってしまうことを恐れる気持ちが現れていた。

一体、何があったというのか。

この兄妹を取り巻く問題が流には掴めない。

見る限り鈴音は普通に見えるし、可憐も狂い狐だという割りには髪の色以外特におかしな様子は見受けられなかった。好き嫌いは激しいようだったが。

「兄さんに任せられるわけないやろ。可憐は男嫌いやねんから」

「やからやろ!女やったら何されるか分からへん!」

ここで新たに分かった情報に瞠目する。

と同時に可憐の態度に納得した。

楓と優衣、百花には優しかったのも、流には触れられただけで嫌がった理由もこれで説明がつく。

「鈴音、お前まさかあの女と」

「やめて。可憐は大切な友達やねん。そんな邪推せんといて」

狂い狐はその名の通り常人には理解できない狂い者だという話だ。

血を好む者、人語を話さない者、いつまでも幼子のように振る舞う者。

伏見山可憐は、女を好む変わり種であるようだ。

と言っても、そんなものは一般的ではないにしても世の中には有り得る話で、さほど狂っているという印象は受けない。

「鈴音、俺は許さへんで。あの女のところに行くやなんて。俺やったら身体は女やからええやろ」

「中身が男やからあかんの。というより、それ以前の問題や。兄さん可憐、仲悪いやろ」

「仕事や思えば割り切れる」

「可憐が嫌がるの!」

この応酬を止めるべく立ち上がったのはやはり楓だった。

「じゃぁ、兄貴と鈴音姉さん二人でやればいいやん」

「あかん!」

「嫌」

ご最もな妥協案は二人から却下され、もうお手上げという具合に楓は天井を仰ぎ見る。

その様子にさすがに悪いと思ったのか「でも」と鈴音は付け足した。

「十年前に可憐が当主に就いてからは、身の回りの世話をするという名目で式神の監視がついてるやろ。なんぼ隆馬さんが霊力弱い言うても隆凱さんが作った式神や。ちゃんと引き継ぎもしてるやろし、大丈夫やと思う。さっきも家の外に待たせてたタクシーの中に式神いたしね」

今は例外とはいえ、普段可憐は屋敷から一歩も外には出られない。唯一の家族である兄は行方不明だというし、式神を監視役も含め小間使いとして仕えさせていることは予想できたといえばできた。

が。

「あの、その引き継ぎというのは兄も行っているのでしょうか?」

一言も喋らず控えめに流の横に座っていた百花が口を挟む。

鈴音は一瞬、何を言われているのか理解していない様子だった。しかし、数秒の後にその表情は驚愕へと変わる。

「兄って・・・貴女は隆馬さんの娘さんやんな?つまり代替わりしたってこと?隆馬さんは!?」

「父は亡くなりました。今は兄の隆世が当主を務めております」

決定的な言葉を聞いて、鈴音は目眩を起こしたように手で頭を押さえた。

「いつ、亡くならはったんや」

次に出てきた鈴音の声は掠れていた。

「七年前に」

「七年前・・・」

独り言に近い小さな声で鈴音は百花の台詞を繰り返す。目は流を盗み見ていた。今、鈴音が何を考えているか分かる。恐らくは七年前に流が京都に来たこととの関連を考えているはずだ。

しかし鈴音はそれには触れず「そうか」とだけ言い、姿勢を正した。

「今更やけど、お悔やみ申し上げます。葬儀にも行かんと申し訳ないことしてしもて」

「いえ、海外に行かれていたのなら仕方ありませんわ。鈴音さんにもご事情がおありだったのでしょう」

慌てて百花も背筋を伸ばす。

「本真にどんな事情があったんや」という扇の小言には誰も応えなかった。鈴音自身が明かそうとしない限り、誰がどう問いかけても無駄なのは明らかだったからだ。

「たぶんやけど、伏見山の件で引き継ぎなんてしてないと思う。この前も電話で話してたけど、祭の「ま」の字も出てこうへんかったで?確認してみやな分からんけど」

楓が本題に戻したことから、これからの方策が本格的に話し合われることになった。

楓が連絡を取ったところ、やはり隆世は何も知らなかった。急ぎ式神の引き継ぎをするように頼むと、隆世曰く、新しく作った方が早いということだった。

それもそのはず。隆世は式神使いの天才だ。引き継ぎなどというまどろっこしいことをするより、自分で作った式神の方が操りやすいし、より確実だ。

明日にでも五体分送るということで話はまとまり、「監視」の問題は一先ず片付いた。

その後も、共通理解を図るために伏見山家や鎮魂祭の話がなされ、夕飯にありつけたのは午後九時を過ぎた頃だった。


 食事は居間のちゃぶ台で取るのが通例である。いつもは時計回りに流、百花、楓、扇、優衣の順番に並んでいるのだが、今日は流と優衣の間に鈴音が座っている。

 なんとなく気まずいのは流だけではないらしく、会話がない。

 その沈黙を最初に破ったのは鈴音だった。

「母さんは、どないしてるん?」

 誰に目を合わせることもなく、鈴音は聞く。

「えっと、お母さんは」

「普通、母さんから聞いてるはずやねんけどなー祭りのこと」

 隣にいた優衣が話し出すのを遮り、鈴音はゆったりとした口調で言葉を続けた。

「式神の引き継ぎのことも、普通は新しい隅田家当主にも話するよねー名ばかりとはいえ陰陽京総会の総代なんやから」

 箸を動かす手は一切休めず、まるで世間話をしているかのように話す様子はあくまで穏やかだ。

 が、

「なあ、母さんは何してるん?」

 カチッと箸を置く音が鳴る。

 今度は確実に扇の目を捉えていた。

柔和な顔に優しい声音。されど、その裏にある怒りは隠しきれていない。

鈴音もまた、楓と同じく母親を嫌悪しているのか。それとも単に伏見山のことをないがしろにされたのが許せないのか。

今の流には判別のつけようはない。

「知っての通り、オカンは全国飛び回って陰陽師の仕事してる。家にもほとんど帰らへん。前帰ってきたのは伊吹を産んだ時や。伊吹もまだ手のかかる年やし、オカンも大変なんやろ。そんなに責めたんな」

 扇の返答に鈴音は何も応えなかった。

 気転を利かせたのか楓が「五年前にな」と付け足す。

「へー、それはさすがに驚いたわ」

 俯いたまま呟く鈴音の表情は隣に座る流には見えなかった。しかし、小さく鼻で笑うのは確かに聞こえた。

「なんかもう、お腹いっぱいやわ。ごちそうさん。今日のところは帰るな」

「はあ!?帰るって、お前の家はここやろ!」

 立ち上がって荷物をまとめる鈴音を扇が呼び止める。

「そうやな。確かにここは私の家や。でも、縛られる義理はないから」

 微笑みだけを残して、鈴音は出ていった。


 その後の扇の荒れ具合は凄まじく、宥めるのに楓と優衣は苦労した。

 結局、扇は皆の反対を押し切り鈴音を探しに出かけてしまい、中学生の百花以外は総出で逆に扇を探す羽目になった。

 闇雲に町の中を歩いていた扇を見つけたのは夜中の二時で、それからも百花を省いた四人で話し合いがされ、流が床に就くことはもはやなかった。


 閉じかける眼を必死に開いて、百花と一緒に登校する。

 家を出た直後、「おはよう」と目の前に鈴音が現れた時は、瞬間殺意めいたものが湧いた。


 玉無鈴音は鎮魂祭の段取りについて話し合うため、翌日も何食わぬ顔で玉無家にやって来たのだった。


三女はいつ出てくるんでしょうね・・・

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