おとぎ話のはじまり
校舎を出てあまりの日の沈みの早さに驚いた。冬の空を見上げると、ぽっかりと小さな赤い色が浮かんでいるのが見える。
外灯がぽつりぽつりと配置された駐輪場の道を歩きながら目を凝らせば、赤い色の正体は誰が飛ばしたかも知れない真っ赤な風船だと分かった。
風船を眺める生徒の姿は、コートの襟を詰めながら歩く僕以外に誰もいない。風にうまく乗ったそれはやがて、僕の視界の届かない場所へと流れていった。
日に日に夜が素早く迫ってくる。赤い色はそろそろ、暗闇にとけて誰の目にも映らなくなるのだろう。
冷えた手でポケットから自転車の鍵を取り出しながら、ふと僕は、幼い頃を思い出していた。デパートで貰ったヘリウムガスの入った風船を、面白半分に空へと飛ばしたことがある。ニュースか、あるいは誰かから聞いたのか忘れたが、手紙がくくりつけられた風船を拾った遠い地の誰かが、飛ばした人へと手紙の返事を書いたという話に、僕ももしかしたら、と淡い期待が幼い胸いっぱいに広がったのだ。
覚えたての下手な文字で書いた手紙には、なにを書いただろう。
しっかりと思い出せるのは、さっきまで空を漂っていたような赤い風船に手紙を結びつけ、紐から手を離したことだけだ。
案の定、手紙の返事はない。住所を書いたかすらも覚えていないのだから、今となってはどうでも良いものだ。ぼんやりとした幼い頃の記憶を消すように、夕方を知らせる五時の鐘が鳴り始める。
あの頃から月日はあっという間に経ち、高校生になってからそんなおとぎ話のような淡い思い出はなくなった。当たり前だろう。
自転車を漕ぎだす前にもう一度空を仰ぐ。幼い頃に空へと飛ばした風船の行き先を、僕は未だに知らない。