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少女は白本を抱いて世界を渡る  作者: 柚森 信
一章:発端
8/44

008

本日、二話目です。


途中で少しだけ傷を負う場面が入りますが、数行で治ります。

(一応、流血警告)


「わぁ……っ」


 部屋に一歩入ったところで、雅は声を上げる。


 出かける前に案内された時にはカーテンもベッドカバーもなく、白いシーツと家具の木目が目立つ部屋が、一転、淡く明るい色彩で満たされていた。

 清涼感のある青のベッドカバー、ベージュのラグマットとアイボリーのソファー一式、明るいが彩度を落とした黄色いカーテンは雅のリクエストだ。色々疲れはしたが、こうやって自分の好みが反映された部屋を目にすると素直に嬉しい。部屋から浮き過ぎない程度に明度を揃えた色味は、落ち着きのある木目にしっくりと馴染んでいた。

 仕立て屋では「出来るだけ地味に!」という希望が却下されまくったので、内装はここぞとばかりに主張してみた。ピンク一色だとかリボンだらけは勘弁して欲しい。完全にキャラクターを間違っているだろう。


「ミアの希望だとか? いい色合いだ、風と光というのも良いと思う」


 反射で頷いて、雅は首を傾げた。

 風と光?


「青は風の象徴色、黄は光の象徴色とされているのだよ」


「そうだったんですか。そういうのは知らなかったんですけど…」


「二人から説明はなかった?」


「はい」


 そういう気配は一切なかった。他方面での激しい攻防が原因と思われる。

 余計な飾りなどノーサンキューだ。

 トールはまぶたを閉じ、溜め息ひとつ分だけこめかみに指先を添えた。


「……まあ、問題のない組み合わせだったから何も言わなかったのだろうね」


「そういうことで問題が起きたりするんですか?」


「完全にないとは言えないね。ただ、あまり過激な事例は店側からそれとなく指摘があるはずだから」


 だから良心的な店で買い物をするに限っては、そういう知識がなくても支障はないらしい。


「知っておいて損のないことは多い。そういう知識も教えてあげるから心配しなくても大丈夫だよ」


「……よろしくお願いします」


 常識の範囲がどれだけの広さなのかはわからないが、さすがの異文化。学ぶことは相当にありそうだ。

 衣装と文具や小物を片付けていた二人がひと段落ついたところで、揃ってソファーへ腰を下ろす。


「無事に承認は取ることが出来たから、あとは契約すれば手続きは終わりだね」


「戸籍手続きじゃなくて、契約ですか」


 トールが懐から取り出し開いた巻紙を隣から覗き込む。

 渋い色味の上質な用紙二枚に、同じ内容の飾り罫と流麗な文字が認められている。言われてみれば、確かに契約書っぽい。


「人間の場合は、ミアがおそらく想像しているような手続きが主流だが、私たち種族の場合は契約の形を採ることが多いのだよ。

 元より種族の絶対数が少なくなっているからね。私たちにとっては血のつながりだけが家族の拠りどころではない」


「少しばかり面倒な制限のある種族だから、変な介入がないように、直接の血族以外はこうして契約の形でつながりを作ってしまうの」


「なるほど」


「当然だが、ミアはまだ読み書きが出来ないから変則的な署名と誓約になる。

 私が読み上げる内容に同意して、私のサインに手を添えてくれれば良いのだけれど……その前にひとつ、確認を構わないだろうか」


「確認ですか?」


 今更、何を確認する必要があるのだろう。


「養子の契約には、何も異存ありませんが」


「契約内容というよりも、だ」


 トールの言い淀む姿に雅は首を捻り、続く言葉に思わず手を打った。


「この世界の便宜上といえば良いのか……

 生活していくに際して、君の真名は伏せた方が良いのではないかという話をしていてね」


「……ああ、それはそうですね」


 療養中に聞いたところによると、この世界では、日本的な姓名は東の辺境で用いられてはいるが漢字と同じ存在はないとのこと。

 既存の文字を当てることが可能だとしても、少数民族の名を使い続けるよりも住む地方に馴染んだ名を名乗る方が目立たなくて良いだろう。


「どうしましょうか。こちらの名前と言われても、咄嗟には思いつきませんし」


 短く唸ると、驚いたように見つめられた。何をそんなに驚くことがあるのか。妥当な提案だと思うが。


「新しい名は私たちが考えてはいるが…、契約に記されてしまえばそれがこの世界での君となる。

 君の根源が私たちに縛られるかもしれない、それでも良いのかい?」


「だって、鞘野雅っていう名前が私の中からなくなってしまうわけじゃないですよね?」


「当然じゃない!

 でも、名前というのは歴史だわ。これじゃ、姿を変えたあなたのルーツまで奪うようで……」


「名前を変えても記憶が消えるわけじゃありませんし、皆さんが私を否定したわけでもない。

 ……そもそも、ですよ」


 雅は見た目にそぐわぬ大人びた表情――苦笑交じりで唇を持ち上げ、自分の髪先を摘んだ。


「この姿になると決めた時に、巻き戻った分の自分が消えるかもしれない、くらいは考えてましたから」


 優先したのは生きることだ。

 幸い今まで積み上げた経験と記憶は残っているが、身体の歴史は消えてしまった。その事実は、雅にひとつの覚悟を改めて突き付けるものとなった。

 なぜ雅が今の身体を6歳と断言できたか、それは幼い頃の傷跡を根拠としているからだ。

 幼い頃の雅は、娘であることを嘆かれるくらい木登りや自転車ではしゃぎ過ぎて毎年のように痕が残るほどの傷を負っていた。成人してほとんど目立たなくなりはしたが、今でもその一つ一つを指してどれがいつどのような状況だったかを全て思い出して語ることができた。当時それを見た両親や周囲の反応すらも。


 しかし『逆行』の発動後、身体に残っていた傷跡は6歳を境にして、それ以降のものは肉体の「巻き戻り」により全てが消えてしまったのだ。

 傷の消失…いや、雅にとってはただの傷跡ではなく、なかったこと《・・・・・・》にされた思い出の数々。

 それを目の当たりにした雅は、消えてしまった「歴史」と後戻りできない事実、そして、自分が確かに異世界で生きなければならない現実を、ある種の喪失感と共に強く自覚したのだった。


「私はここで生きていかなくちゃならない。

 だから、この世界での私の居場所として、皆さんが名前をくださるのはすごく嬉しいです」


「……そうか」


 はにかみつつ見上げた先では、トールが目を細めて笑みを深める。

 その笑みに潜む僅かな苦さを感じて、雅は自分を保護しなければこんなこともなかったろうに、と思う。それはきっと、一人の人生を半強制的に書き替えさせることへの苦味だろうから。

 人が産まれて死ぬまで、名はその人の人生、アイデンティティそのものともなり得る。姿だけでなく、名前までも変えて生きることの重さを彼らは自分以上に感じてくれている。その優しさが、ありがたくも申し訳なかった。


「――俺からも、ひとつ質問」


 首を傾げつつ視線を巡らせると、アイルが存外真面目な顔でこちらを見つめていた。


「ミアにとってこの契約は、重い?」


 意識だけで質問を反芻して、雅はゆるく首を振る。


「……確かに書類の手続きだけと比べれば、重いというより『重さ』は感じます。

 けど、私にはそれが嬉しいかもしれません。なんというか、誰にも余計な口出しをされない……って感じで」


 口出しされない「絆」と言いたかったのにその一言が言えないなんて、典型的な日本人気質だと思う。おそらく、この世界で生きていくなら少しは改善した方が良い。

 それでもそれらの思いはきっと、こちらを見ないまま赤く染まる耳朶だけを撫でている父にも、微笑ましく見つめてくる母と兄にも把握されてしまっている。


(……しばらくは、甘えてもいいかな)


 そのうち、もう少し素直になります。……努力はします。


「では、全ての契約に異存はないということで構わないね?」


 雅は強い意志を込めて、もう一度しっかりと頷く。

 ただの紙の話では終わらない、三人にとっても重みのある話を、当たり前のように提案して自分を受け入れようとしてくれる彼らを『家族』と呼べるなら、雅にとって、これから先の人生でもこれに勝る契約はないに違いなかった。




 隅にあったライティングデスクへ手早くペンとナイフ、小皿が用意されると、契約書に三人が交代で署名を記していく。

 ナイフの用意を見て血判がいるのかと思っていたら、契約者たちの血液を混ぜたインクでサインをしていく形式らしい。

 雅の血も必要だとそれとなく身振りで示されて、ためらいなく差し出した手のひらへ丁寧にナイフが当てられた。少し深く入った刃先は研ぎ澄まされていて、痛みはさほどではない。

 他の三人と違って採取場所が手のひらなのは、子供の指先を深く傷付けられないからか、あるいはあまり量が取れないからか、と少しずつ溜まっていく濃く赤い液体を見つめる。

 予想より少ない量で切り上げられ、傷の上へ用意した水薬が素早く振り掛けられる。沁みたのは一瞬のことで、完全にではないが傷が塞がるのを見て、雅は完全万能薬オールエリクシールの威力に改めて目を丸くした。


 ここまでを、粛々と無言で進める。

 ……不謹慎かもしれないが、こんなに真剣な三人――特にアイル――を見るのは初めてで、この契約が三人にとっても徒疎かに出来ないものなのだと実感する。

 三人分の署名が終わり、雅のものだけを残したところでトールが息をついた。

 見下ろす視線に頷くと、膝の上へ抱え上げられる。

 予想外の行動に無言のまま目を瞠るが……なるほど、こうすればトールと同時にサインしやすい。

 頭の上から、不思議な力の篭った声が凛と書面を読み上げていく。


「――以下の者たちは、神聖にして厳粛な宣言の元に、血に拠らぬヘイアースの血族として結ばれることを誓う。

 父、アリストル・レスト・ヘイアース

 母、メリアーシュ・カレラ・ヘイアース

 長子、アセアルド・レイル・ヘイアース

 ……長女、ファミアーシュ・リスタ・ヘイアース

 ここに結ばれし誓いは何人たりともこれ損なうことを許さず、仇なす者へ竜の誇りと憤りを抱きて立ち向かうであろう…」


 ファミアーシュ、と呼ぶ丁寧な響きに胸が詰まる。尋ねるまでもなく、メリア――メリアーシュの名前と今のミアという愛称にちなんだものだろう。

 自分の何をもってこんなに心を寄せてくれるのかは未だによくわからないが、そこには深い暖かさがある。こうして与えられた名からも確かな想いを感じて、雅――いや、ファミアーシュは差し出されたペンを持った。

 アリストルの手がその上から重なり、ゆっくりとペン先が見慣れぬ名を綴っていく。記憶に焼き付けるように見つめるその先で、やがてペンが二枚目の最後の文字を綴り終えた。

 ペン先が紙面を離れた瞬間、


「――っ?!」


 一枚が鮮やかな炎と共に掻き消え、もう一枚は白く凍りついたと同時に粉々に砕け散る。

 驚きのあまり膝の上で硬直したままのミアを、トールは嬉しげに抱きかかえた。


「さあ、これで無事に契約成立だ」


「……び、びっくりしましたよ?! 今のなんですかっ?!」


「火を纏った一枚は、契約を統括する場所に自動転送されて、もう一枚はわたしたちの中に消えた……とでも言えばいいかしら」


「転送はなんとなくわかりますが……」


 燃えたように見えたのは錯覚で、用紙に火属性の法術がかかったということで良いのだろう。けど、中に消えたとは?


「詳しくは省くけど、契約の証が素因子に分解されてわたしたちがそれを吸収した、という考えで良いわよ。

 法術による契約がもたらす多少の強制力が発動されるため…ってところかしら」


 わたしたちには、そんなもの必要ないと思うけど。

 クスクス笑うメリアの声はとても明るかった。その軽やかさが、ミアのどこか張り詰めていた思考を打ち払っていった。

 髪を撫でるトールの手のひらと乗せられたままの膝から伝わる熱が、緊張に疲れた精神をじわりと緩める。

 数年ぶりの『家族』の優しさに温く浸りながら、ミアはもう少しこのままで居たいと、瞬きを繰り返しながら話題を探した。


「――そういえば、さっきの文章ちょっと格好良かったですね」


「さっきの?」


「ええと……竜の誇りと憤りっていうくだりですけど」


 自分で口にするのは何やら気恥ずかしい一文だ。自分のようにこんな貧弱な人間に何が竜だと言いたくなるが、そこは買い物以降の疲れと眠気で鈍くなった思考がゆらゆら流してくれた。

 ……これが爆弾の引き金になるなど思いもしないで。


「種族の誓いに、よく出てくる定型文なんだよねえ」


 アイルがのほほんと口にした言葉を、ミアは何気なく疲れた脳内で反芻する。

 種族の誓いの――定型文?


(……種族?)


「あのぉ、……今更ですけど、質問いいですか?」


「……この流れで質問、ねえ」


 眠気がどこかへ引いていく。

 器用に片眉を上げた義兄が「どうぞ」と促しつつチラと夫婦へ視線を投げる。……その意味ありげな台詞と態度はやめてください、余計に不安でしょうが!


「長命な種族というのは聞いてましたけど、具体的には聞いてませんでしたよね?」


「あら、わたしたちが竜人だと話してなかったかしら」


「……はい?」


 なんだか今、何か通常外の単語をさらっと口にしなかっただろうか。


竜人りゅうじんよ。別にそんなに大したことではないわ?」


「………そ、そうなんですか?」


 この世界の常識はまだわからないから、大したことじゃないというのは長命なだけで珍しくないということだろうか。しかし、契約の話の時に「種族の絶対数が少なく」とか言っていたような?

 回答を求めて視線を彷徨わせると、アイルがすべてを悟ったような瞳で――不吉に唇の端を持ち上げてみせる。同時に、自分を抱えたままのトールの腕がぴくと反応した。

 あっ、すごく嫌な予感がする!!


「そうだねえ。ちょっと人間より丈夫で魔力が多い便利な体質で、なかなかすごく死なないっていうだけで、大した能力はないよなあ」


「……完全に竜化する必要もなくなったからね」


「あれはあれで美しいとも言われてるけど、可愛い服が着られないから私はいまひとつ好きじゃないわ」


 好みの問題で済むのだろうか。というより「なかなかすごく死なない」ってどういうことだ。まず言葉としておかしい。

 聞いているうちに、眉間に皺が寄っている自覚はある。


「強いて言えば、最近は種族として表に姿を見せることも珍しくなってきたから、細かく部外者がうるさいかしら」


「最近?」


「そうね、ここ三百年ほど?」


「…………」


 十分に希少種だと思われますが。

 あれ?

 これはもしかして、希少種の養女ってかなり目立つ話にならないか。いえ、そんなことで契約を嫌がるはずもないですけどね、ええ。


(……でも、ひとつだけ言ってもいいかな…?)


 どうしてこの人たちは、鍵ではないけど大事なことってのを言い忘れるんだろうねえぇぇ?!


 新しい家族――特に母が、長く生き過ぎて普段忘れていることが多い傾向にある……平たく言うと『日常的には大雑把』だとファミアーシュが知ったのは、それから間もなくのことだった。


 

ここまでで、一章終了となります。

次章は、教育と法術覚醒。

覚醒後にやっと進路が確定します。


少し更新ペースは落ちますがよろしくお願いします。

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