006
本日、二話目です。
少し長めですが、キリ良いところまで。
法術というのは、素因子と魔力を消費しながら、法則に従い計算し構築した式を発動させ目的に適った結果を顕現させる術。いわゆる魔法だ。
サイアニアスでは魔力や術構築の理解力、その他の素養により法術を行使できる存在がおり、それらの存在を指して法術師と呼ぶ。
この法術には、素因子に存在する火、水、風、地、木、光、闇の7属性に加えて、他の系統法術も存在している――
「――本当に、子供ですねぇ」
渡された手鏡を覗き込んだ雅はため息をつき、左腕にはまった腕輪をまじまじと見つめた。
繊細な彫りが施されたそれは渋く輝きを抑えたありきたりな銀の腕輪のようだが、その実、自分にはまるでわからない高度な法術が施された「魔道具」らしい。
実際、腕輪をはめた時からずっとピタリと腕に馴染んで緩みもない。締まり過ぎもしない。
(これ着けたの、このサイズ《・・・・・》になる前なのよねー。本当に魔法の道具なんだ)
初めて体験する本物の魔法に感心しながら再び覗き込んだ鏡に映っているのは、雅の感覚で学齢期になろうかという頃の幼い少女の姿で――昔の自分はこんな顔だったかと、古の記憶と比較しながら首を傾げるしかない。
「本当に『逆行』したんですね」
――あの時、雅に示された選択は二つ。
ひとつは、不確定な時間というリスクを抱えながら投薬で治療を続けること。
もうひとつは、失敗の可能性、あるいは成功後の制約というリスクを承知のうえで、ある術を受け入れること。それが、肉体年齢を巻き戻す『逆行』という法術だ。
詳しい理屈は今の雅には把握しきれないだろうということで簡単なものに留められたが、要は元々物質に対して時間干渉する法術があり、その術式とサイアニアスに居るある《・・》種族が用いる肉体操作の理論を組み合わせたもの、ということだ。
本当に詳しいことはわからない。
ただ、相当に高度な理論で、それを完全に理解して発動させられるのはこの世界でもメリア一人くらいではないかとのこと。
そして、この法術を安定して運用するには式を魔道具に組み込むことが必要なのだが、高度理論のそれを作成できるのはトール含めわずかにしかいないとのこと。
それを聞いた雅は戦慄のあまり「リアルチートがいる…」と己が危機を放り出して呟いたものだ。
本人たちは研究者と簡単に言うが、この二人がかなりトンデモ夫婦だということを雅はこの件で強く認識する。
ともかく、リスクは承知の上で雅が選択したのは『逆行』の術式だったが「じゃあそれで」と頷いた速度に、逆に提案した二人が動揺していた。
「発動の自信はあるけど、術式そのものを作ったばかりだから成功率は保障できないのよ?」
「肉体時間に作用した術式が精神面にどう影響するか、というリスクもあるのだよ?」
とは、些か慌てた二人が口走ったことだが、帰る手段もわからないままいつ終わるとも知れない投薬治療を続けるよりは、ずっと可能性が開けていると思ったから特にためらいはなかった。
死ぬかもしれないという怯えが続くよりも、いちかばちかの一発勝負に出たともいう。精神衛生上の問題であった。時折これ《・・》でしくじりもあるが、今回は二人の信頼に賭けた。断じて責任転嫁ではない。
まあ、安定発動のための眠りから覚めた後、
「これって若返りの術ってこと? 別の危険がなくない?」
などと思い当たって動揺もしたが、術式を受け入れた後では全てが手遅れである。後悔しているわけではないのだし…とりあえず、権力者にはなるべく近づかないでおこう。
「……うん。術も安定しているようだ。
あとは、定期的に調整をして体への『抑制』を緩めれば、経過時間に応じた成長を追える《・・・》と思うよ」
「本当に何から何まで、お世話になります」
「気にしないでくれと言っただろう? 可愛い娘の面倒を見るのは、親として当然のことだ」
笑みを深めたトールが嬉しげに雅の頬を撫でた。
成人から一気に幼児化した雅には当然ながら生活手段の自力確保など不可能だったが、それだけではなく術式の継続調整も必要とのことで提案されたのが、夫婦の養女となるという話だった。
ここまでしてもらっても良いのかという雅の戸惑いを木っ端微塵に砕いたのは、「わたし、ずっと娘が欲しかったの!」というメリアの満面の笑みと窒息するかと思うほどの抱擁だった。嫁に甘いトールがそれを拒否するはずもなく、むしろ夫も同じくらいの笑顔だったのは言うまでもない。
どうやら『逆行』の術式と養女計画はセットで練られていたらしい、と悟って、雅はメリアの腕をタップしつつ無駄な抵抗を全面的に放棄したものだ。本音を言えば、この世界で生きていくうえでここまでありがたい話もなかったのだから。
ということで、雅は現在――6歳の幼女であった。
「…なんというか、中身とのギャップが、酷いですよね」
「20や30程度の歳の差は、そう酷いとは思わないけれど」
手鏡を膝に置き思わず笑みが引きつる隣で、調査の道具を片付けているトールが首を傾げた。
「種族が違いますから。寿命と成人までの成長速度というものがですね」
「つまり、一番可愛い時期を一緒に過ごさせてもらえると」
「……結果としてはそうなるのかな…」
これ以上何を言っても無駄だろう。こう見えて、あの冷静で頼もしかったトール氏ですら大層浮かれていると息子の証言がある。
そう、息子だ。
何に驚いたって、そりゃあもう。
(トールさんとメリアさんに息子って!
しかも、あんなに大きいなんて思わなかったわよ!!)
本当に。
本当にてっきり、この二人を若夫婦だと思っていたのだ。あの熱々っぷりも新婚だからだと。
どうみても、せいぜい20代半ばにしか見えないこの二人から「息子です」と紹介された人物を見て、そんな馬鹿な!と雅は絶叫した。
夫婦とほぼ同年代にしか見えない青年が、息子だと?!
自身の異世界トリップを知った時ですら堪えたというのに、こんなことで渾身の叫びを放つとは思わなかった。
その後、その「息子」氏が自分を最初に保護してくれた恩人だと知って、雅は布団の上で人生初の土下座を敢行することになったのだが。
ちなみに、彼らに異世界文化の謝罪行為は当然伝わることなく、自分の行動意図について詳細な説明をするという羞恥プレイまでが一連の流れに含まれている。なるほど、そこまでして初めて失礼の代償にあたるのだな、と雅は羞恥に意識をかっ飛ばしながら脳裏に刻んだものである。
「可愛い時期はあっという間ということだよ、父さん。俺もそうだったろう?」
「………」
「そこまで本気で考え込まれると、いくら俺でも多少は物申したい気分かなあ」
大きな盆を片手で支えた青年――アイルが入ってくる。ノックが省略されて、彼に続いたメリアの眉が跳ね上がっていた。
「女の子の部屋へ入るのに、なんてこと」
「ほら、母さん。今はこの大荷物」
「かさばってるだけでそんなの片手で軽々でしょう、あなた」
「見逃してよ。俺だって可愛い義妹ができてはしゃいでるんだから」
ね、と微笑みながら空いた机へ盆を置く。
(その至近距離笑顔、やめてほしいなぁ…)
このアイル――アセアルド・レイルという青年が、トール、メリア夫妻の息子だ。
どちらかといえばトールに似た穏やかな微笑の好青年という印象だが、纏う雰囲気はふわふわと捉えどころがないのに、油断するとあっという間に隙を詰められている。帯剣した姿で冒険者だと紹介されたので戦闘も慣れているのだろうが、こんなところでそのスキルを発揮しなくても良いだろうに。
気付くと気配もなく近くでこちらを観察しているその挙動がはしゃいでいるからだというのなら、早く落ち着いてくれと願いたい。実に心臓に悪い。
更に言うと、美形カップルの息子はもれなく美形だった。心臓への負担も加速しようというものだ。
平均を自認する雅からすると、この三人が目の前に揃うだけでどうにも居たたまれない。
「お三方とも、その可愛いというのやめてください。中身は三十路近いんですから」
「わたしたちの年齢からすれば、30なんてまだまだ子供よ?」
「平均余命が違います」
「でも今は子供の身体だろう?」
「中身の問題なんですってば」
「幼い子供と同程度の筋力ではねえ」
「うっ…」
ぷるぷる震える手から持ち上げようとしたタンブラーをアイルに抜き取られ、さりげなく遠ざけられた。
倒れて割れたら危ないからというのはわかるが、つい先頃まで支障ない行動が出来なくなっているというのはなかなかに口惜しい。悪気はないのだろうけれど、ホント可愛い、と楽しそうなその笑顔が余計に腹立たしかった。
腹立ち紛れに、さりげなく座りなおしながら椅子ごと距離を置くとアイルの眉が下がる。床に足が届いていないので物理面での反映は乏しかったが、精神面でのアピールは成功したらしい。
そ、そんな顔をされても絆されないぞ…!
内心拳を振り上げながら顔を逸らし、皿に盛られた果物に視線を固定する。爽やかな甘い香りに思わず頬が緩んだ。
シャリカというこの果物は梨にも似た味わいで栄養価も高いらしい。目を覚まして以降お世話になりっぱなしの果物は雅の好物になっている。
トールたちにカップが行き渡ったところで、雅も果実へ刺したピックへ手を伸ばした。一切れとりあげてシャクとかじれば、甘い果汁が口の中へと溢れる。これだけで空腹も渇きも癒されるのが嬉しい。
食べやすい大きさに切られた果実を減らすことに専念していると、三方から視線が集中していた。
だから、居たたまれないと言っているだろう…。
口の中のものを飲み込むと、雅は恨めしそうに視線を巡らせた。
「トールさん、メリアさん。話し合いをするんじゃなかったんですか」
「ミア、父様母様って呼んでくれるって約束したでしょ?」
「……父様、母様。話し合いというのはなんでしょう」
今の間だけは味がわからなくなりそうだなあ、とピックを皿に置けば、右隣のトールが小さく笑い声を上げる。
「そんなに畏まらなくてもいい。話し合いと言っても、必要事項のとりまとめくらいだから」
「必要事項ですか?」
「過剰な支度品は、ミアも困るだろう?」
いわくありげな微笑みに首を傾げ、ふと正面を向くとメリアがむくれていた。
ポンと手を打つ。
「あー、それは確かに困ります」
「やはりそうか」
「だって! せっかく可愛い娘がきてくれたのに!」
「妹を飾れるのは兄の楽しみっていう話なのになあ」
おそらく釘を刺されたのだろう、かたや悔しげなメリアとつまらなさそうなアイルに対してトールは澄ました顔だ。
トールが過剰というくらいの「支度品」というのは、どのくらいのものだったかと想像してやめた。
確かに今の姿は幼女だが中身は真っ当な成人なのだ。二人の様子からすると、用意しようとしていたのはきっと可愛いものとか可愛いものとか…恐ろしい話である。
「とにかく、目立ちすぎると困るというのは君たちもわかるだろう?
一度に沢山を済ませようとするのではなくて、少しずつ楽しみを味わえば良いと私は思うのだけれど」
「………」
義父を唯一の味方と信じかけていた認識を軌道修正する。
この発言からすると油断はできない。
が、それもそうだ、と二人が納得したので今は黙っておくとしよう。
(寝た子は起こさないっ。地雷は踏みに行かないっ!)
「まずは部屋と普段使うものの支度だね。これは今日三人で買い物に行っておいで。
その間に、私は書類を整えてくるから」
「部屋の片付けは終わってるから、話が済んだらそっちへ案内するわね」
「え、この部屋じゃないんですか?」
軽く驚くと、なに言ってるの、と逆に驚かれる。
「この部屋、窓もないじゃない」
「いえ、特に不満はありませんが」
「駄目よ! ちゃんと風通しの良い明るい部屋じゃないと!
今までは属性の調整が必要だったからこの部屋で我慢してたけど、これからはそんなことしなくて済むんだから」
属性の調整?
メリアの力説に押されながらも首を傾げれば、左隣から苦笑がこぼれた。
「この部屋ではねえ、ミアの体質に合わせて室内の素因子属性比率を計算・調整してたんだよ」
「……そこまでしてくださってたんですか?!」
「アブナイ不確定要素は、なるべく省きたいっていうことだねえ」
目を瞠る雅の前で、アイルが指折り数え始める。
扉もさることながら、窓というのは微弱ながら全属性がランダム数値で関わるとのこと。
太陽と月は、光と闇の濃度。
気温と湿度は、主に火と水。
そして、風の出入り。
これらの影響が間違いなく確実で、地と木も不確定で数値変動もありえると。
そこで、窓のない空間に魔道具で弱灯を設置し、バランス調整のため用途を無視して同等の他属性魔道具も目立たぬよう設置、扉には結界で風を封じながら細かく調整を施していたそうだ。
雅が連想したのは集中治療室《ICU》だ。実際、それに近いくらい厳重な管理がなされていただろう。
しみじみと、この家族に保護された幸運を感じるとともに、そこまで細密に計算された環境で世話を受けていたのか、と雅はますます頭が上がらなくなる自分を自覚した。
「普段はそこまで考えないけど、完全無属性なんて前例がないからさ。そうなると、考えられる限りの危険はやっぱり遠ざけたいものでしょ。
おかげで、俺がなかなかミアに会えなかったんだけど」
「なんですか、それ」
「俺って体質で『反発』する属性ってのがあるんだよ。だからきみが落ち着くまで、部屋の出入り厳禁ってキツク言われちゃってさあ。
あの二人は強弱を別にしても、一応全属性持ちだから本人の調整もまだ楽なんだよね」
初めて自分の体質が恨めしかった、などと拗ねたように眉を寄せて唸っている。
しかし、なるほど。
今の話で、最初の恩人となかなか会えなかった理由をようやく把握した。意識がはっきりしていなかった分だけ記憶も曖昧な箇所はあったが、それでもあの激痛から開放してくれたのはこの青年だ。
更に言えば、正確な位置はわからないが人気のない場所に出現した自分を保護してくれた恩もある。もしアイルに保護されていなければ、あのまま死んでいてもおかしくない。
トールたちに世話を受けながら、あの男性にずっとお礼が言いたいと思っていて…再会した瞬間があの絶叫である。雅にとって、あれは二重三重の意味で失態だった。
ふいに姿勢を正した雅に青年も釣られたように背を伸ばすが、真摯な視線を受けてふと笑み綻んだ。
「あの時は助けてくださって、本当にありがとうございました」
「気にしなくて良い…と言っても、きみは気にするんだろうねえ」
生真面目だなあ、と笑う青年はいたずらっぽく雅を見つめる。
「たまには肩の力を抜かないと、生き辛くなるよ」
「それはまあ…。でも、受けた恩への感謝だけは忘れるな、というのが亡くなった両親の言葉でしたから」
「…それじゃあ、仕方ないか」
苦笑交じりに呟いたアイルの手が伸びる。
雅の頭に手を置いて、間に合ってよかったよ、と目を細めた青年の一言はどこか染み入るように重く雅の心に沈む。
冒険者だと紹介された時は「リアルファンタジー!」という興奮しかなかったが、彼にとって人の生死は日常と関わりが深いのだろうか…と、ほの淡く苦味を帯びる微笑を見上げて雅は今更ながらに唇を噛んだ。
「今はお世話になるばかりで何もお礼らしいことはできませんけど、私に出来ることがあれば――」
眉を下げ、訴えるように感謝を口にしている雅を微笑ましく見つめていたアイルが、ふと瞬く。
唐突な満面の笑みに、真剣な謝罪と感謝の言葉が宙に浮いた。
嫌な予感は気のせいだろうか。
「できることならあるよ」
ぎくり、と雅の背を緊張が走り、
「兄様って呼んでくれる?」
の一言で、胃を痛打される感覚に陥る。
「はっ?!」
「だから、兄様って呼んでよ」
「ちょっ」
「ミアは俺の義妹でしょ、将来外に出るからには呼び慣れる必要もあるよね?」
「それ別に、アイルさんの名前でも良いんじゃないですか?!」
「今、できることはするって言ったよねえ」
「………」
「きみを最初に保護したってことは恩人だよね、俺。
ささやかなワガママだと思うんだけどなあ。再会の出会い頭に『そんな馬鹿な!』って絶叫されたし」
あれはちょっと傷付いたなぁなんて、今そんな顔してないだろう絶対嘘だ。
(なんでそんなに嬉しそうなのぉぉぉ!)
中身年増の詐欺幼女がそんなに嬉しいか!
内心そんな毒を吐いたら、自分にブーメランした。なんというか痛々しいので本当に勘弁して欲しいが、今自分に出来ることなんて本当に限られていて……
「……、…わかりました、にいさま」
せめてもの抵抗で無表情に棒読みで返したのに、極上の笑みが返ってきた。やりとりを『見守っていた』らしく、正面と右隣からは「よかったわね」と微笑ましげな視線が向けられている。
……この世界で「四面楚歌」と同じ意味の言葉ってないだろうか。