004
一部、説明回になります。
「それは、君がこの世界に存在するもの全てが持つべきもの《・・・・・・》を、持っていなかったことだよ」
トールの声音に慎重さが潜んでいる。メリアの視線も同じものだった。二人は雅の反応をみているのだ。それ次第ではこの話をどこまで続けてよいか、考えてくれているのだろう。
雅の中には、予想以上にスケールが大きいという驚きと同時に、当然の話かと冷静に考える部分もあった。ゆっくりと確認するように言葉を繰り返す。
「すべてが、もつべきもの……」
「ええ。ヒトを含めた全ての動物、植物、鉱物。視えるものも視えざるものも。当然、精霊体ですら例外ではないわ。
それはね――『属性化された「素因子」』というものよ」
――素因子とは、この世界――サイアニアスの物質根幹を成す要素である。
それは大小の差こそあれ普遍的に存在し、生命体が生命維持のために消費し自然と回復してゆく要素であった。
回復の方法は、睡眠や休息などの自然回復や食事など生活に基づく一般の外的要因、あるいは技術を習得した者が周囲から収集変換する人為的要因等あるが、いずれにせよ、この世界で存在している以上「何者であろうとも」それを有しているのは間違いない。
だが同時に、存在する素因子は何らかの属性を帯びているのである。
神話によると、属性神が存在するようになって以降、この世界のほぼ全てのものはサイアニアスに存在するだけで何らかの属性の影響を受けることになる。
火、水、風、地の基本四種、木、そして、光と闇。
物質存続のためには欠くことのできない要素であるがゆえに、サイアニアス全域で「物質が内包する全ての素因子」は7種の属性の影響を逃れることはできないのである。
物質内に留まっていない状態の、つまり空気中に散っている素因子ですら|(地域によって比率が異なるとはいえ)全属性が混在している。
「――属性の影響を受け続けると、素因子は影響を受ける属性に染まっていくわ。少なくとも生命体は親から受け継ぐものがあるから、どれだけ微弱であってもヒトの持つ素因子は生まれながらに必ず何れかの属性を有しているの。種類や強弱は別としてもね。
なのに……ミア、あなたにはそれが、ない」
「それを察知した私たちは、君がサイアニアスに由来しない生命体である、という結論にしか到達できなかったのだよ」
メリアは優秀な研究者らしい端的で冷静な、しかし雅の理解が追いつくように単語の言い直しも交えながら、雅にこの世界の基礎的な知識を説明してくれた。トールの発言で一区切りとなり、雅は今聞いたばかりの情報を自分流に消化しようとする。
この世界に由来するなら必ず在るはずのものがない。
(それは、確かに…誰にもどうしようもないよねぇ……)
どうやってその「属性」を判断するのかは知らないが、研究者だという二人にはそれを判断するための手段、ないしは能力があるのだろう。
あるはずのものがない、その事実を隠すことのできない人間。
(このまま世間に出たら、すごく目立つんだろうなぁ)
これが第一の感想。
しかしそれはすぐに、この事実が身の危険へ直結するという自覚に至った。
世にも珍しい生物が辿る運命は、どの世界においても碌なものではないだろう。隔離保護ならまだしも鑑賞物になるか――研究対象となるか。
帰る手段も見つけたいが、それが難しいならどうにかしてこの世界に埋没する方法を見つけなければならない。
あるいは、ある程度身を守る術を手に入れるか、人に知られず生活する方法か場所を……
唇を引き、顔を上げる。
雅の出自を察しながらも、おそらくは偽りなく接してくれて今もこちらを気遣うように見つめている二人。
知識、文物、事象という根拠から冷静に雅の真実を導き出したうえで親身な世話をしてくれている。知性も人間性も信頼に値する。ここは全面的にこの二人を頼らせてもらうしかない。
「……私は多分、今のままでは普通に生活できません、よね?」
知識もない。基盤もない。生活能力もない。伝手もないし、多分ある意味目立つ。
あえて淡々と挙げつつ指を折ると、今の姿を見下ろして「あー」苦笑気味に付け加える。
「体調も戻さないと…」
思うようにならないこの身体を人並みの体調に戻すことから始めなければ、生活も難しい。命の危機は脱したが……脱したんだよね?
あれ?と首を傾げる雅は、押し殺した溜め息を耳にしてゆっくり瞬いた。
……ああ、そうだ。
重要な決断があるって言ってたっけ。
耳慣れない単語が続くせいかどこか現実味の薄い話。しかし、逃れえぬ現実。それが突きつけられるのを雅はどこか第三者のような顔で聞いている。
「…生命の治癒、あるいは生命力回復のために用いられてるのは、投薬と治癒術。
けど、どちらもサイアニアスに存在するものを媒体、材料としているから、完全無属性の素因子に働きかける力はほとんどないのよ。
ただ完全万能薬という薬だけが属性無視の効果を持っていて、それでどうにかミアの痛みを取り除けた状態なの」
「えっ、ちょっ、その薬ってすごく貴重品なんじゃないですか?」
「希少さは否定しないが、私たちなら入手可能だからミアが気にすることはない」
いや、希少じゃなく貴重って言ったんですってばー!
なんでもないように返されて内心の絶叫に体力が付いていかず、雅は背のクッションに埋もれる。
なんだか、凄そうな経歴の貴重そうな名前のシロモノ。
(いや、ありがたいです!
その薬じゃなかったら、あの苦しみ《あれ》が続いてたんでしょ。ホントに本当にありがたいです!でもなにそれ怖い!!)
――でもそれってお高いんでしょ?
――それが今なら、まとめてこのお値段!
どこぞのテレビショッピングのような台詞が頭を飛び交う。
……現実逃避している場合ではない。
目立つとかそういう次元の話ではなかった。無知というのは本当に恐ろしい。
(どうにか痛みを取り除けた…って)
じりじりと恐れが滲む。
同時にガラス越しにそれを観察している自分もいた。その冷静さが今はありがたい。それが異常事態に感覚が麻痺しているだけだとしても、だ。
「暢気なこと言ってる場合じゃなかったですね。
もしかして私はもう、これ以上…良くなりませんか?」
「時間をかければ良くなるとは思うわ。でも、どのくらいの時間がかかるかはわたしにも読めない」
もう一つ懸念もあるという。
「完全万能薬も、今のあなたにとっては本当の意味で万能じゃない。対属性が無効とはいえ、サイアニアスに存在するものが原料であることに違いはないんですもの。
痛みは取り除けても、無属性の成人がこの世界から身体に受ける影響はどうしようもないのよ」
強い倦怠感が抜けないというのは、おそらくその影響の結果だろう、と。
サイアニアスで生きている以上、雅も体内に存在しているらしい素因子を消費しながら生命維持を行うことになる。
しかし、消費はしても回復が追いつかないのだ。
「普通の打ち身や擦り傷なら、身体の自然に治ろうとする力を高めることで回復を見込めるけど、消費する素因子を外部から取り込めない以上、完全万能薬がどれだけその助けになるかわからないわ」
もっと良い薬品を研究していれば良かった、とすまなそうなメリアだが、それ以上にいい薬なんて死者甦生薬とかそういうレベルではないかと薄々感じて思い切り首を振った。
そもそも自分が想定外なのだから。
首を振った勢いでまた眩暈を起こしながらも、雅は静かに笑って見せた。
「でも、何か方法があるんですよね?」
そうでないなら、この二人がこんなに婉曲な会話を続けていない。
接している時間は短いが、研究者を名乗る彼らが無駄に言葉を浪費するはずはないと思える。続きを待つ雅の落ち着きと信頼に、軽く目を瞠ったトールが苦笑を漏らした。
「…私たちは、君が目覚めるまでに様々な角度からの話合いを進めて一つの仮説を考えた。
問題解決の障害は、君が成人しているからではないかと」
「過去の文献に世界転移者の記述があったという話をしたでしょ?
そのひとつに、子供時代に転移してきた人の話があってね」
その人物はサイアニアスで長寿を全うしたらしい。つまり、成長するに従ってこの世界に順応する身体を作っていった、ということではないか。
一通りの成長を終えた成人であるから、属性化した素因子を吸収――環境順応できないのではないか。
だとすると、雅の回復方法にも光明が見える――
(なるほど……、っじゃない)
知識のない自分にも真剣に、わかりやすく説明を続けてくれる二人には感謝するが、雅は既に成人済みなのでこれ以上の成長はもうない。身長もここ三年の間一ミリたりとも変動はない。体重は訊くな。
「あの、私…成長しきってますが」
「少々強引だが解決策がある」
小さく首を傾げた雅に、トールが懐から手のひらほどの包みを取り出した。
「これから不利な面についても話をするから、そのうえで君に判断してもらいたい。
……逃げられない状況で卑怯かもしれないが」
布に包まれたそれをゆっくりと解きながら、トールは雅と向き合う。
いくつかのやりとりの後、
「じゃあそれでお願いします」
ひどくあっさり頷いた雅に、一人は唖然と口を開きもう一人は軽くこめかみを押さえた。
夫婦の様子を楽しげに眺め…世界転移者はいたずらが成功したような瞳で小さく笑っていた。二人からの提案というなら、答えは決まっているのだ――。
キリが良いので今回はここまでで。