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少女は白本を抱いて世界を渡る  作者: 柚森 信
一章:発端
3/44

003

本日、三話目です。

 


 しばし呆然としていた雅だったが、氾濫するサブカルチャーの波を頭からかぶって育った世代だ。強引にいえば馴染みのない話題ではない。

 だが、あくまでもただの娯楽で創作物での場合だ。異世界トリップという出来事が、正真正銘存在して、しかも自分が遭遇するなんて本当にまったく想像するはずもなく……


 本音では、衝動に任せて「そんな馬鹿な!」と叫びたい。しかし叫んでどうなる。完全なる無駄はポリシーに反する。

 かろうじて夢オチという可能性もなくはないけれど、痛みも喉の乾きも現実としか言いようがない。

 幸か不幸か山ほど読み漁った小説が予備知識と考えれば、希望もつなげる。紛れもなく幸いにして好意的な出会いもあるのだから。

 どうあっても現状は変わらないし、動揺しても事態は悪化するばかりなのだから、まずはより多くの情報を得るべきだ。


(悩むのは後。ともかく、状況把握大事……!)


 呪文のように繰り返しながら意識の切り替えを図ろうと、雅は長く息を吐いて顔を上げた。多少無理にでも落ち着いたふりをする。虚勢だってなんだって取り乱すよりずっといい。

 情報を求めて手元の紙を改めて眺めるが残念ながら文字を読み解くことは出来なかった。読み取り系のチートがなくて残念だが、……そういえば普通に意思疎通は出来ている。


「あの、私ちゃんと喋れてますか?」


「どういうこと?」


「例えば、…聞こえる言葉と口の動きが違うとか」


「いいえ? ちゃんと共用語で話が出来てるわよ?」


 ひとまず、会話で問題はないようだ。

 どういう理屈かはわからないがこれは本当に助かる。共用語ということは、この夫婦以外とやりとりする場合も困ったことにはならないだろう。

 まずひとつクリア、と息をついた雅を見つめ、トールはためらいがちに、それでも確信を込めて口を開く。


「やはり君は、ここではない場所の生まれ、ということなのか」


「そのようです」


 第三者からの言葉で改めて現実を突きつけられて、雅は凄まじい疲労を覚えた。誰かに丸投げできるものならそうしてしまいたい。

 それにしてもだ。


「……ええと、こちらも質問、よろしいでしょうか」


「うまく答えられるかはわからないが」


 同意を得て、雅は恐る恐る切り出した。


「あの、トールさんとメリアさん。――妙に落ち着いてませんか?」


「そうかな」


「そうかしら」


 夫婦は顔を見合わせ、示し合わせたように首を傾げる。

 シンクロっぷりは仲睦まじさの現れか。恩人なので爆発しろまでとは言わない。


「これでも、どうするのが一番良いか悩んでるのよ?」


「私たちとしても、今までに類のない経験だからね。思うように考えがまとまらない」


「そうですか? 落ち着いているように見えたので、てっきり、慣れてるのかと、思ってしまいました」


 雅は苦笑と共に、芽生えかけていた感情を自ら摘み取る。

 それはささやかな願望だった。

 この二人が慣れるくらい異世界人がいるのなら、少しは戻るための解決策があるのではないかという、そんな間違った期待だ。

 そう、前提が間違っているのは自覚している。

 だから、否定の答えにも失望したわけじゃない。


「残念ながら、世界転移者はとても珍しい存在だよ。

 ……がっかりさせてしまったかな」


「いいえ。期待しなかったわけじゃないですけど、ほんの少しだけです」


 首を振って笑みを浮かべたが、トールには読まれてしまっていたようなので全否定をするのはやめておこう。

 まったく…洞察力の高い人には敵わない。

 その彼からこちらを観察する視線を注がれて、雅は瞬きを繰り返した。


「君こそ、もっと動揺するかと思っていたけれど」


「……叫んでもわめいても、解決しないじゃないですか。今は体力ないですからその余裕もないですしね。

 それに、可愛げがないので、お姫様キャラやヒロイン役って似合わないんです」


「ミアは可愛いわよ!」


 自虐的冗談に対して、メリアが食い気味に即反応してきた。

 勢い込んで手を握ってきた彼女に真顔で断言され雅は「はあ、どうも」と言うしかないが、本題はきっとそこではない。

 まあまあ、とトールが奥方を宥めにかかる。


「それについてはメリアに同意するけれど、本題はそこじゃない。

 ――どうやら、君は自分に関わる情報について早く知りたいと思っているようだ。それに間違いないか?」


 当然と頷くと、今までで一番強い視線を向けられた。


「それについて、君にとって重要な決断を迫るかもしれないけれど、その覚悟はあるかな?」


「…………」


 硬い口調のトールを思わず凝視した。

 トールの隣からは、気遣わしげな視線が注がれている。おそらく、何らかの代償が必要になるのだ、と雅は直感する。

 が、この二人から示されることは、どんな代償が求められるとしてもそれが自分にとって必要だからなのだろう、と信じられた。

 少なくとも、決断をくだす意思を与えてくれるのだ。

 ならば、答えはひとつしかない。


「必要と思われることを、全部教えてください。お二人からの話を私は信じます」


 握られたままの優しい手と頭を撫でる大きな手のひらはどちらも暖かくて、その温度は数年前に亡くなった両親の記憶と重なるものだった。





  *****





「私たちが落ち着いて見えるということだったけれど、それはいくつか理由があったからだろう」


「そんなにですか」


「どれも、ある程度関連している話だから、そう多くはないのだけれどね」


 三つと指を立て「どれから話をしようか」と呟いたトールは、雅にもわかりやすいところから始めることにしたようだ。


「まず、私たち二人は分野は違えどある研究をそれぞれに長く続けていてね。色々な文献に触れる機会が多い。

 世界転移者についての記述は幾度か目にしていたから、君の話を聞いてもそれが真実だと感じられた、ということがまずひとつ」


 確かにそれは、自分にも根拠がわかりやすい。

 しかし、ちょっと待って欲しい。それは裏を返せば。


「それって、一般人にはあまり知られていない、と…」


 トールの頷きに冷や汗が吹き出す。


「じゃあ、下手したら他でこの話をした場合は狂人扱いですか?」


「いや、多分そこまではないと……思うけれど」


「わからないわよ。狭量で頑固な人間は多いもの。考えの浅い偏見は否定できないわ」


 言葉を濁したトールに対して、メリアはバッサリ言い捨てた。

 その発言にも少々偏見を感じなくもないが、同じ人間として否定できない。

 むしろ、簡単に想像できて辛い。


「狂人扱いでないとしても、縁者がいないものとして攫われて売られたり、犯罪に巻き込まれたりそういう危険もあるじゃない?」


 これだから人間って、と気炎を上げる美女は発言内容も纏う怒りも恐ろしげである。

 そんなに否定的な意見を連ねるとは人間不信なのかとも思うが、同時にこの世界の一般社会はそんなに危険が転がっているのかと不安にもなる。平和ボケした日本で生活していた分、別種の覚悟も必要なようだ。異世界トリップには必然なのだろうけど。

 いきなり切った張ったの現場に落とされなくて良かった。


(あっ、命の危機はあったね!)


 主に全身打撲が原因だが。

 いずれにしても、あり得たいくつかの未来に遭遇せずに済んでよかった……!!


「私、お二人に保護されて良かったです……」


「それについては、私たちも同意見だよ。おっと、これについてはまた後で話をしようか」


「そうですね」


 頷き、次の理由としてトールが示したのはベッド脇の卓上へ置かれたままの包みだった。


「君の私物だから包みは解かなかったけれど、私たちの知る限りでそのような材質の包み紙はこの世界に存在しない」


「あー、それはそうかもしれませんね」


 雅が抱えていたそれの外装は、書店のロゴが印刷された少し厚みのあるビニール袋だ。

 見た限りの文化にビニールやプラスチックなど、合成樹脂の化学製品はないと思われる。ファンタジー世界のようだから、魔法関連のものはあるかもしれないが自然素材がベースだろう。

 袋は手提げ型だから簡単に中身が窺えるが、そこにあるのは紙袋に包まれた大判書籍だ。内容物が危険のないことはある方法で把握できたので、謎の詰まった包みでも手元に置いておいてくれたとのこと。


「隙間から見えた包み紙もこちらのものとはまるで違うようだったし、そもそも荷物を包装する目的ではそのような使い方はしないからね」


「もしかして、紙って貴重ですか?」


「一般に出回っている紙は、そんなに貴重というほどではないわ。

 でも紙で包装するというのは一部の富裕層の習慣だから、そんなに薄い地味な紙で装飾もなく包むだけということはないのよ」


「それは、例えば紙で包んで派手に飾るとか、そもそも高価な紙を使う、とか?」


 なるほど、見える範囲だけでもこちらの常識基準ではアンバランスに感じたわけだ。

 包みをじっと見ていると、返すよ、と笑ってトールが膝の上に置いてくれた。中身が気になっているだろうとその場で包みを開けることにする。

 そういえば、かなり波乱万丈な出来事に付き合ってもらったが買った本は無事だろうか。

 直接紙袋を開いて書籍を全て引っ張り出した。

 表紙と冊数、本の小口を確認する。全部揃っているし荒れた様子もない。一冊だけを手に取り軽くページをめくったが、中身にも異常はないようだ。


(買ったけど読めなかったなんて、手放してたらきっと未練だったろうなぁ)


 あの痛みでもよく抱えていた、偉い、などと自画自賛しながら顔を上げると、夫婦が揃って膝の上を凝視していた。


「あの……」


 食いつかれそうな視線に思わず怯えれば、雅の様子に気付いたトールが我に返る。


「ああ、すまない。それは、本、だね?」


「そうです。写真集とか…えーと、限定された目的のものが多いですけど」


 写真集と画集が数冊、あとは楽譜集と小説が一冊ずつ。


「小説と画集はこちらにもあるからわかるけど、シャシンシュウって何かしら。すごく綺麗ね! 画集みたいなもの?」


「そうですね、似たようなものです。媒体は違うんですけど…」


「包みの材質もだったけれど中身も負けず劣らずだね。文字だけでなくその紙質も装丁も、君の言う媒体の違いも非常に興味惹かれるよ!

 ……コホン。だが、それについての話も後にしよう。多分、とても長くなりそうだ」


「間違いなく異文化よね。ミアの持ち物はどれも興味深いわ!」


 あっ、後回しにはしても話をするのは確定なんですね。

 というより、写真集を見つめる二人の瞳は獲物を狙う目だった。おそらく、続きが優先度の低い内容だったらそっちこそを後回しにされていそうだ。


(二人が納得できる話ができるかは、わかんないですよ?!)


 満足するまで質問攻めだろう未来が予想されて、雅はごくりと息を飲む。どこまで食いつかれるんだろう。


「心配しなくても、それを君から取り上げたりはしないよ」


 苦笑いでトールが保障してくれたのは怯えが見えたからだろうか。怯えられてもおかしくない勢いだったという自覚もあるのかもしれない。

 あるいは前科があるのか。


(そういえば、研究者って言ってたっけ)


 研究者の業とは、世界を違えても変わらないようだ。

 自分も好奇心は強いほうなので、興味引かれるものを手にとってみたい、分析してみたい研究してみたいという気持ちはわかる。

 本当は外のビニールだけでもそわそわしていたらしいが、あんなに大事に抱えていた荷物だからと解体もせずそのままにしておいてくれたようなのでその気遣いは嬉しい。その理性があれば仮に研究対象にされても信頼して大丈夫だろう。

 ……多分。


「沢山お話しましょうね。服も靴も素敵なデザインだったし…ふふ、すごく楽しみよ!」


「……はい」


 メリアの目がキラキラしていた。怖い。

 そういえば今更だが、今着ているのも通勤用の服ではなかった。ゆとりのある簡素なワンピースで療養のための寝巻きだろうか。足元も今は素足だ。

 本の扱いから察するに他の荷物もどこかに保管してくれているに違いない、と雅はそれについての思考を一時棚上げした。

 おそらくは、持ち物全てが否応なく「後でお話」の対象になるのだろうから。


「さて、三つ目の、そして…最大の理由だ」


 雅は瞬き、ごくりと息を飲んだ。無意識に背筋が伸び緊張に肩がこわばる。

 先ほどまでの明るさはどこへ行ったのか。夫婦は揃って居住まいを正していた。おそらく――覚悟が必要とされるのはここからなのだろう。


 

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