第6話 試験開始
翌日。
早朝を知らせる鐘の音が天條の都に響き渡る頃。秋継を乗せた飛空船は発着場に降り立つ。鐘の音と放送が秋継らを迎える。
『市民並びに受験生の皆々様、発着場、飛空船到着の鐘の音と共に朝の7時と特別早朝便の到着をお知らせいたします。
本日は入学試験のため飛空船、路面魔導線、乗合魔車及びに馬車、牛車は特別運航計画にて運航の予定となっておりますので、御利用の際はご注意なさるようお願い申し上げます。
では、到着した受験生の皆様は少々お待ち下さい』
魔導機械を通した女性の声が響く。本物ではなくどこか機械的であるので自動人形のものだろう。
「ふむ、そういえばこの世界、だいぶ発展しているのだな」
と今更ながらなことを秋継は放送を聞いて思う。
秋継は今までほとんど山の中で過ごしていたのだ。世界の文化については一応調べて覚えてはいるのだが、覚えているだけで内容まで理解しているとは言い難い。完璧に覚えているだけの状態である。
今ここで初めて文化に触れてみて、元の世界と比べても遜色ないくらいに発展していることがわかる。むしろ前の世界よりも便利かもしれない。なにせ、きちんとした対価を用意して神頼みすればそれが叶うような世界である。便利どころの話ではないだろう。
ただ高いビルのような何十階もあるようや背の高い建物は見えない。せいぜいが2階か3階程度の建物くらい。技術はあるだろうが、物理的な理由によりそれが限界なのだ。
この世界には妖魔がいる。その中には当然飛行する種も含まれるのだ。高い建物はそれだけ狙われやすい。妖魔の襲撃を防ぐ結界を恒常的に維持できる範囲と高さには限界があるということなのだ。
むろん例外もあるにはあるが、大抵が貴族の城であるので天條の都にはありはしない。あっても天帝の住居か教導院か物見の舞台くらい――。
「――だったか」
そんな知識を思い出しながら秋継は言われた通り受験票たる木札を弄びながら待つ。
しばらくするとまた放送が入った。
『市民並びに受験生の皆々様、発着場、飛空船の到着の鐘の音と共に朝の8時半をお知らせいたします。
本日は入学試験のため飛空船、路面魔導線、乗合魔導車及びに馬車、牛車は特別運航計画にて運航の予定となっておりますので、御利用の際はご注意なさるようお願い申し上げます。
受験生の皆々様におきましてはお待たせいたしました。準備が整いましたのでこれより受験会場への移動を開始いたします。
では、ご健勝をお祈りいたします』
瞬間、莫大な神威の奔流と共に術式が起動し移動させられる。
気がつけば薄暗い洞窟の中にいた。何千人いるかもわからない他の受験生も同じようで口々に混乱を漏らしている。
「はいはーい、ちゅうもーく!」
ただ、長くは続かず設置してあったステージ上に可愛らしい少女が現れるたことにより注目はそちらに向く。
「やあやあ、受験生のみんなーはじめましてー! ボクが学長先生の医綱彩愛ちゃんだよだよー。ブイ! ブイブーイ!」
そんなハイテンションで医綱は笑顔でVサイン。大半の受験生は呆れるかついてこれず呆然としていた。
ただ、わかる者にはわかる。ふざけているかのようで医綱に隙はない。その上、放たれる気は強大で濃密だ。さながら吹き荒れる暴風。それでありながら、台風の目のような静かさが同居していた。
語っている。紛れもなく彼女は強者であると。そして、秋継はどこか懐かしさを感じていた。
そんな彼女は皆を置き去りにしたまま話を続ける。
「さぁってぇ、これから入学試験実技の部を始めるよー。
内容単純明快。ここを進むだけでいいよ」
受験生たちがざわめく。迷宮踏破。簡単なようで難しい試験内容に黙ってなどいられない。
「この学生迷宮を進めば合格。それが実技の部だよー。あ、安心してね、何か不測の事態が起きない限りは死にはしないから。もちろん、1人で行かなくてもいいよ。
じゃっっ、試験開始!」
ろくな説明も、ろくな準備もなく、試験は始まった。むろん、武器を持たない者はいない。教導院では、というよりは神州では武器を扱えるということは必須技能なのだ。妖魔がはびこる神州。たとえ農民だろうが、身を守る術は必要である。
そのため、神州の住人は程度の差はあれど全員が武器を扱える。たが、それでもだ、迷宮というものが発する妖気や瘴気と呼ばれるような気は人に恐れを与える。言ってしまえば躊躇させるのだ。
大広間、巨大なこの広間から出る道は数十、数百はあるだろうが、そのどれもが受験生たちには地獄へ通ずる窯の口にしか見えなかった。
ゆえに、試験が始まっていたが、誰一人として動こうとはしない。
「さて、行くか」
坂上秋継を除いては。
彼は手頃な穴へと入っていく。もとより恐怖などない。前に立てば斬る。それだけ。刀がある。それで十分。ゆえに躊躇うことなどなにもない。
「あー、あまりここにいられても困るから、早くいかないと不合格にするよー」
そして、医綱のその言葉が切欠。受験生たちは意を決して迷宮へと足を踏み入れたのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その存在はその足音を聞いていた。何かが入ってきた。何かに追われていた。その何かがなくなって静かになった。
その存在は静かなのが好きであった。光や音、そういった波が嫌いであったのだ。ゆえに、彼が纏う炎は光を放たない。音も放たない。そうして、波を喰らう。
その彼の者の名を人は〈紫炎の猟犬〉と呼ぶ。あるいは『ライラプス』と。
そんな彼は先日から故郷から離された上に狭いところに押し込まれ隠されていた。そこから出されたかと思えば、強大な何か。強烈な波に襲われ、逃げるように上へ逃げたのだ。
いつしかそれもなくなり、静かになったところでどうにかして故郷に戻ろうとしていたのだが、また波が響いてきたのだ。何かが這いずっている。どうやってもそれはなくならない。
気持ちが悪い。何よりも波に敏感であるからどんな些細なものでも気が付く。そして、喰らう。だが、喰らっても喰らってもそれはなくならない。
やめろと叫んでも、止めるものはいない。ならば、止めるのが良い。
ライラプスはねぐらをあとにして、上を目指す。羽虫をつぶす。怒りに目を輝かせて、紫炎を燃やして上へ上へと昇るのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
迷宮。
それはいつの間にかそこにあった異界への穴、あるいは扉であったと神州において、あるいは大陸においてそう伝わっている。妖魔や魔獣など人に仇成す異形の化け物どもの巣窟であると同時に、人を引き込む財宝や資源がそこには眠っている。
迷宮が発見されてから今までその実態は謎のまま。なぜ出現するのか。どうして多様な地形が存在するのか。どういう理屈で中の地形が変化するのか。
その全てはわかっていない。わかっていることは、迷宮を超えたならば種類に差はあるが絶大な力を得られる現世とは異なる場所であることだけである。
そんなことを思い出しながら、秋継は刀を振るう。
――一閃が走る。
抜かれた刃が獣系妖魔の首を立つ。殺到する群れの全てを翻る一閃はその悉くを斬り捨てる。それを繰り返し静かになったそこで秋継は刀を納める。
血が付くよりも速く、脂が付くよりも速く振りぬいている。その刃に汚れが付くことはない。そのためすぐに仕舞える。
「ふむ、柔いな」
そうして出た感想がこれである。
一梨山の妖魔と比べて斬りやすい。ありていに言えば柔らかい。まあ、それも当然である。一梨山。そこは神州でも最大級の難易度を誇る半迷宮状態の狩場なのだ。学生迷宮程度、それも低層と比べられては困るとはこのこと。
それにしても先を急ぐのが賢明である。学生迷宮と言えどその広さはこの天條と同じくらいはあるのだ。その広さは広大に過ぎる。莫大と言っても良い。
そんなところを食料もなく彷徨っていくのは自殺行為だろう。迷宮の作用なのかここでは妖魔の死体は残らないのだ。妖魔を殺して喰らうという方法は使えない。早々に出口を見つける必要があった。
「まあ、あまり心配はしていないのだがな」
あくまでも試験なのだ。餓死などさせないだろうと当たりをつけつつ秋継は先に進む。
分かれ道などは勘に従って進む。合っているのか、合っていないのか。進んでいるのか進んでいないのか。
変わらない景色は精神を蝕むだろうが、秋継に不屈の精神には意味を成さない。
と、半刻ほど歩いた時だった。
「ふむ、戦闘音、近いな」
戦闘音を感知する。
「こちらか」
秋継は戦闘音の方へと向かう。どうにも面白い気配を感じたのだ。
感知した通り、そこでは戦闘が行われていた。1人の少年が札を手に妖魔と戦っている。
「――神霊解放・発――」
言葉と共にその札を妖魔へと投擲する。投擲された札は半ばにて炎へと転じ、妖魔を焼き尽くす。
「っは、はあ、やった!」
少年はそこで気を抜いたのだろう。背後に迫る妖魔に気が付かない。助ける義理はないが。
「面白い気配だ。ここで死なすには惜しい」
別に死にはしないが、ここから出て行ってしまう。それではつまらない。何せ、戦ってみたいと思う。思えば術を使う人間とは戦ったことがない。面白い気配、例えるならば蓋のしまった樽か。
一般の術者がどんなものか比較対象があの兎人の雪乃美弥くらいしかないが、それでもその内包された魔力量は莫大だ。そんな術者。並みの者ではないはずだ。ならば、戦うのみ。期待通りでなくとも経験にはなる。
ゆえに、瞬時に踏み込み一閃を放つ。
少年に飛びかかろうとしていた妖魔を斬り裂く。ついでとばかりに寄ってきていた妖魔もまとめて斬ってしまう。
そこで初めて自分が助けられたことに気が付いたのだろう。少年は礼を言う。
「あ、ありがとう」
「礼などいらん」
戦うためだったというわけにもいくまい。変なところで常識が働く秋継。
「そ、それでもだよ」
「そうか。さっきのは術だな。陰陽術か?」
「え、う、うん、御門流のね」
陰陽術。陰陽道とも言うが、それは極東系術式の一派である。それを使う者は陰陽師と呼ばれる。
極東系術式。それは神州における魔術であり、対価と言葉さえあれば誰にでも使用できる神威を賽銭などの対価奉納を行うことより借り受ける術式である。様々な一派が存在し単なる神頼みからなる神道術その他、文字の意味を利用する術式などがある。
陰陽道とはその一派であり、神を封じ込めた神威符を使い力を振るう。いくつかの流派が存在するが、例外なく極東でもっとも戦闘に向いた術系統と言える。
ただし、力を振るうには神との対話かあるいは決闘を行い神威符に封じなければならない。そのうまさが陰陽術師としての技量を示す基本的な値ともいえるが流派によって異なっている。
中でも御門流という陰陽術の典型とも言える流派では一度に扱える札の枚数を尊ぶ。一度に使える札が多いということはそれだけ神を一度に封じれるということでもあるためである。
そんな説明を少年から受ける。知っているないようであったが、流派については知らなかったので有意義であったといえる。
「なるほどな」
「うん、それにしても助かったよ。あれ以上はきつかったからね。あ、僕は御門陽水よろしくね」
「坂上秋継だ」
「秋継君だね。えと、いきなりで悪いんだけど、一緒に行ってくれないかな。正直、僕だけじゃきついんだ」
「そうだな…………」
一瞬、秋継は考えるようなそぶりをみせて、
「お前が、生きていられたらな」
その一刀を抜き放った。
だが、それの一閃は陽水を捉えなかった。捉えず、弾かれた。期待以上と言える。まさか、弾かれるとは思わなかった。
笑みは深まる。
「な、なにを――」
困惑する陽水だが、秋継はそんなものなど知らぬ。
「お前は強いのだろう。そんな気配だ。苦戦など本来はするはずがないだろう。さあ、見せろ!」
ただ、言葉とともに斬撃が放つ。
「うわっ」
困惑してはいたが、秋継の予測通り陽水はその斬撃を躱す。それから陽水が何か考え込み、
「なんで、君がそんなことするのかわからないけど、やるというのなら僕だってやるよ。――式神招来・解――」
そんな言葉とともに、札が投擲された。そうしてそれは現れる。土くれ。土の塊。それはただの土の玉。それであって、そこに宿る神気は莫大でいて荒々しい。荒ぶる神。
「ほう」
それに秋継は感嘆の声を上げる。明らかに最上位クラスの式神というやつ。見ただけでわかる。ただの土くれなどおこがましい。あれは、増悪の塊だ。
声ならぬ式神の声が響き、周囲がうごめく。それはここに宿る怨嗟の念か。その瞬間、秋継を土流が飲み込んだ。