第4話 出立
天帝。
それは神州を治める者の1人の名である。男か女か、幼いのか老いているのか。ただわかっているのは武帝と並び神州四十八国の国主たちの頂点であるということのみ。
ただし彼、あるいは彼女の支配領域は驚くほどに小さい。彼、あるいは彼女が治めるのは空の大島である天條ただ1つ。
十二神将と呼ばれる凄腕の武神や魔神たちを従えてただ天條の都にて座して日がな一日を過ごしているという。ただ1度。天帝が外に出たのは30年前の戦乱の時だけ。
天地開闢以来、この神州に君臨し続けると言われる天帝。彼、あるいは彼女はいったい何を思うのか。
少なくとも常人には理解できることはないだろう。そう神州の民は思っている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「では行ってくる」
時が経つのは早いもので4年の月日が流れた。今年で16になる秋継かが都の教導院の入学試験を受けに行く日がやってきたのである。
坂上村にも教導院はあるが、秋継は強者がいるであろう都の教導院を選んだ。そのために坂上の村を出る
「いってらっしゃいませ坊ちゃま。大丈夫です。坊ちゃまなら余裕で合格です。でも、お戯れはほどほどに。天帝様のおひざ元ですから何かあってからでは遅いのです」
この4年、紗代に秋継は変わらず苦労ばかりかけていた。それでいて反省はしていないし、何も思っていない。
紗代は秋継が抜け出す度に見逃してた慌てていたが、最後の方は彼の消した気配を追えるようになった。秋継もそれには感心したものである。
それからの紗代との鬼ごっこはだいぶ楽しかったとは秋継の素直な感想。紗代は気が気でなかった。
「いってらっしゃい。あまり無茶はなさらないでくださいね兄様。ただでさえ非常識なのですから」
夏姫との関係は最初よりは近づいていた。
少なくとも普通に兄様と呼ばれるような距離には近づけたらしい。何度か結果的にとはいえ彼女の命を救ったりしたことが原因だろうか。
あるいは、駄目な男に対する母性的な何かなのかもしれない。今も夏姫の視線のほとんどは呆れを多分に含んでいるからだ。それでいて仕方ないですねとも思っているように感じられる。
また、紗代の為にと秋継を家に押しとどめようとついて回るようにもなり、何度か斬ったせいか、かなり頑丈な娘に育ってしまっている。本気で斬って死なない妹はある意味で天才だったようで、斬撃を無意識で躱していたらしい。これは相手になるか? と興味をもちかけた秋継であったが、それが秋継本人だけにしか発揮されないため興味は再びなくなった。
ちなみに痛みのせいでそのことは忘れているようだ。傷も医術師の山姥に跡形もなく治してもららったのでその事実に気が付いてすらいない。切り口が綺麗すぎて治すのが楽とは山姥の言。
ただ、それでもその断片くらいは覚えがあるのか、精神はかなり強くなり、秋継に突っ込めるくらいまで成長してしまった。秋継としては頭の痛い話である。
「ああ」
紗代と夏姫の見送りを受けながらこの日の為に紗代が用意した魔車に乗り込む。
魔車とは馬車とか牛車の妖魔版である。馬車や牛車よりも速く悪路走行能力も高い上に、それなりの妖魔であれば寄り付かなくなるという優れもの。
ただ少々値段が割高であるのが欠点。だが急ぎたい時には重宝する。特に急ぐわけでもないが、何かあってはと紗代が用意したのだ。
秋継としては歩きで行き妖魔を狩りながら行きたかったのだが、せっかく用意されたのであれば仕方なし。素直に乗っていくことにした。
なぜならば、裏を返せばある一定以上の妖魔は寄ってくるということなのだ。つまりはそういうこと。ある一定上の妖魔と戦える可能性があるから乗るのである。
「では、行きますよ」
乗り込んだのを御者が確認し、魔車はゆっくりと進みだす。
「兄様、翌年には私も行きますので、お願いしますから変な事だけはしないでくださいね! お願いですから誰彼かまわず勝負など挑まぬようにお願いしますよ!」
「坊ちゃまー、がんばってくださいね――!」
そんな声を背後に聞きながら秋継は坂上村を出発した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
都に行くにはまず港に行かねばならない。
港と言っても海の港ではなく空の港。そう空港である。天條の都は天上の都である。つまり、その名の通り天、つまりは空に浮いているのだ。
普通の手段では行くことができず、飛空船を使うことになる。そのための最寄の空港まで行き、飛空船で都に行くのが旅のプラン。
最寄の港までは坂上村から魔車でならば半日の距離ではあるが、幾つかの村や町を経由する。
都の教導院の入学試験ということもあり、乗って来るのは秋継と同じくくらいの年の者たちばかりであった。乗っているのは秋継も含めて6人と1体。
前髪によって目を隠した小柄すぎる少女。
髪は白銀でどこか浮世離れした美しさを持つ黄金の瞳の人形にしきりに話しかけている黒髪に陸に桜の家紋の小柄で童顔の少年。
眼鏡をかけた神経質そうな少年。
のほほんとした髪を括っている少女。
ローブで顔を隠した者。
皆乗り合わせただけの関係であり、話しかけるような者もいない。それにもうすぐ空港である。早々なにか起きるわけがなかった、はずなのだが。
「ふむ、壮観だな」
どういうわけか現在魔車は全速力で逃げている。追って来るは妖魔の群れ。それも百鬼夜行と呼ばれる複数の妖魔の群れである。強いのが多い。
半日でつくからとわざと遅い時間に出たかいがあったというもの。幾度となく村や町を経由したおかげですっかりと暗くなっている。暗闇となれば妖魔の活動時間。可能性は低かったが面白くなって何よりである。
「さて、御者殿止まるなよ。何安心しろ、妖魔は1匹だろうが近づけさせん」
「待つんだ君。いったいどうするというんだ? 君、刀しか持ってないじゃないか」
眼鏡の少年が言う。それももっともなことだ。何せ今は走っている魔車の中である。敵は追ってきている百鬼夜行。それを刀一本でどうにかしようなど術が使えでもしない限り不可能。
「何、こうするだけだ」
「なっ!」
そう笑いながら言って秋継は1人魔車の天井へと飛び移り刀を振るった。
――斬撃が飛ぶ。
言葉にしてしまえばなんのことはないようなありえない表現で、不可能な現象であるのだが、この世界においては不可能なことではない。神の加護を強めれば誰でもできるようなことに過ぎない。
ただ、確かにある一面から見れば不可能といえば不可能だ。独力のみでは斬撃を飛ばすということはこの世界では不可能である。
だが、秋継は独力にてそれを行っていた。そこには神秘も何もない。あふれ出す加護の証たる神気もなく。そこにあるのは彼がその身に刻んだ研鑽の証のみ。そんな信じられないような光景が繰り広げられていた。
それは紛れもない武人の所業。秋継は武人ではないのだが、彼らの常識の中にはそんなことをできるのは武人以外にないのだ。武人特有の神気の奔流がないのがおかしいのだが、緊急事態の今誰も気が付いていなかった。
「これだから武人は嫌いなんだ」
眼鏡の少年が吐き捨てるようにそう言う。
一振り。秋継が刀を振るえば、それで魔車を追う百鬼夜行が斬られてゆく。
背後で何かが斬れる音が響くたびに御者が悲鳴を上げているが秋継は気にしない。嬉々として刀を振るっている。
己にできないことをやっている武人という存在が少年には腹立たしかった。それに助けられて何もできない自分はもっと腹立たしい。
とそういう風に彼が無駄に怒っている横で、
「てつだおっかー?」
のほほんとした少女が窓枠から顔を出して言う。
「いらんよ」
「そっかー」
すぐに引き下がる。手伝う気も何もあったが、他人優先。他人がいらないと言ったのだから本当にいらないのだろう。むしろ邪魔すれば斬られそうと少女の勘は告げている。それは何よりも信じられるものであるから、秋継の言葉に従って彼女は引き下がる。
少々残念なのは己の力を振るえないことくらい。それもガタガタ揺れるうちに眠くなって眠ってしまった。
隣のいろいろと足りない小柄すぎる少女に寄りかかって。その際、豊満な胸が彼女に押し当てられた。
「…………ふざけるなです。おい、起きろです。何、押し付けてるです。離れろです。お前なんぞの駄肉なんぞうらやましくもないのです」
「えへへー」
眠ってしまった少女は聞く耳なし。もとより眠っているので聞いていない。無理矢理に起こして反対側に寄りかからせる。即座に後悔した。
ゆれる魔車のせいでその豊満な胸は嫌味かといわんレベルで揺れた。ぷるぷると震える小柄な少女。
「胸のある奴なんて大嫌いですー!! 削ぐぞこらーです!!」
そして、ガリガリと頭を掻き毟りながら半狂乱になって叫びだす。
自分の薄い胸がこれでもかと強調されるが気にする余裕などない。それほどまでに彼女は胸というものを憎悪していた。
それがよほどうるさかったのか、あるいはがたがたがうざかったのか。黒髪に陸に桜の家紋の小柄で童顔の少年は文句を言う。
「ええい、五月蝿い! ガタガタ揺らすなよ! 弥生と楽しくお喋りできないじゃないか!!」
「――否定。どちらかといえば、静稀様の方がうるさいと思われます――以上」
その叫びをバッサリと切り捨てる銀髪黄金瞳の人形。半眼で呆れたように言う。
「おふう、弥生に罵倒された。なという、快・感」
「――納得。やはり変態でしたか――以上」
「あっはあ~」
昇天したらしい。
家紋を見ればわかるが、これでも陸の名を持つ貴族であり、最上位たる花の名まで持つ貴族であるというのだから世の中どうなっているのだと思わないでもない。
というか、緊急事態だというのにまったく動じていないこいつらはある意味で大物なのかもしれないと必死の御者とローブの者は思った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その後、秋継の奮闘あり、何とか空港町へと入ることができた。事後処理などあるのだが、さして興味のない秋継らはそのまま夜行便にて都へ向かう。一晩もすれば都の発着場に到着である。
夜ではあったが、魔晶灯が各所に設置してあり、昼間ほどではないが明るく、大小様々な船が行き交っていた。
更に空を見上げればこれから向かう都が見える。空に浮かぶ巨大な正方形の島。それは碁盤を想起させる。
どのようにそれが形作られたのかは定かではないが、巨大すぎるそれは例外なく見る者を圧倒し、天帝の圧倒的なまでの力を示す。
「あれが都か」
遠く離れているというのに都から漂う気配は強大で濃密。
「楽しみだ」
これからの日々に思いを馳せつつ秋継は船に乗る。飛空船は出航時間になり静かに空へと浮かび上がった。
高い純度の緑風魔晶石による風の力でゆっくりと飛空船は上昇していく。あてがわれた船室で魔車に乗り合わせた5人と1体が同じ大部屋の船室で思い思いに過ごす中、秋継は外へ出る。
甲板に出れば屈強な男共が働いている。秋継は邪魔をしないように舳先に向かう。
そこには船室にいなかったローブ姿の何者か。魔車で乗り合わせた客だった。
「何の用だ」
そう秋継は言う。乗り合わせてこのかたずっとローブ姿の何者かは秋継に気を当てていた。わかりやすく言えば殺気よりは軽い気を放っていたのだ。
魔車は狭く何もしなかったが、飛空船ならばそんなことはない。ローブ姿の何者かも待っている節があったためここに来たのだ。
「何、話をしようと思っただけじゃ」
その瞬間、銀閃が閃いた。
警告もなしの一刀。振り抜かれた刀はローブを捉え切り裂くが、中身を切り裂くことはない。
ローブの中にいたのは少女。少女はまるで軽業師のように飛び上がると秋継が振り抜く途中で止めた刀の上に着地する。
「せっかちな奴だ」
「…………」
「いや、貴様にはこれが言葉だったわけか」
秋継にとっては斬撃が言葉であり、会話とは戦いを示す。ならば、彼と話すということは戦うということに他ならない。
「何だ、お前は」
だが、秋継が絞り出したのは発声による言葉。聞かずにはいられない。
こともなさげに刀の上に乗っている女。ただの女ではない。神州では見られない黄金の髪だとか黄金瞳だとかはどうでもよい。
そんなことではない。女が放つ気。ローブを脱いでから発せられたそれは異常の一言に尽きる。
さながら人型をした黄金。人の形をした至高。真なる王。夜の闇の中だろうが、その存在は光り輝いているように見えた。黄金が服をきて歩いている。そう言っても良い。まさしく頂点。陳腐な表現だが、そう表現する以外に何もない。
圧倒的な圧。それでいてその全てが秋継へと叩きつけられている。いつの間にか周囲を満たしていた音が消えていた。聞こえるのは己の心音のみ。
それは生まれて初めて感じたもの。だが、しかして嫌な物でもなく。それはむしろ歓喜に近い。己を超える何か。師匠すら超える何か。ああ、もうそれは1つしかないではないか。
それはまさに神。そう神としか形容ができない。あの師匠を超えられるとするならばそれはもう神でしかありえない。神。ある意味で至高。それこそまさに己が目指すもの。
ならばこそ――
「――斬りたい」
「ハッ」
そんな秋継の呟きに女が漏らしたのは嘲笑だろうか。荒唐無稽な呟きに対する嘲笑だったのかもしれない。
「ならばな、見せろ」
しかし、そんなこを秋継は気にするどころか意識からも抜けていた。その意識は女の言葉と共に眼前に現れた男に向いている。
――刹那、火花が散る。