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07.

俺はもう何度も聞いた虎の理想の女の話を右から左へと受け流した。

昨日会社から戻る道すがら、夜飲みに行った店、そして今日に至ってはモーニングコーヒーを飲んでる今の今もだ。


「ええかげんにしてくれへんかな、山本君。自分が会うた理想の女の話は解ったがな」

「いいや彼女の良さをユキは未だ解ってへん。ええか? 格別美人とちゃうんやで? 醸し出す雰囲気美人やねんっ」

「何やねん醸し出す雰囲気美人て」

「そのままの意味やないけ。あーもー会うたら解んで俺の言っとる事が! そんでな綺麗に(わろ)うて”傘、良かったら” て…うわーあかーん東京にもあないな女がおるんやな。ツンケンしとんのばっかりちゃうんねんなぁ」

身悶えする様に虎は、理想の彼女について語り通す。

「あー俺もユキの会社に就職しよかな。そやったら又、会えるんやないっ」

「…阿保か」


俺はコーヒーメーカーから二杯目のコーヒーをマグカップに入れ、キッチンカウンターで充電中の携帯を見つめる。俺の彼女は仕事が忙しいのか、筆不精なのか、遠慮なのか、メールにも着信にもコールバックが無い。

俺達、気持ちを確認し合った筈だよな。

女々しくも、そんな事を思う俺は苦いコーヒーで其れを喉の奥に追い遣った。



余りにも横で女女女五月蠅いし、俺は彼女の声も聞きたいしで半ば強引に彼女に約束を取り付け、行きつけの『渡里(わたり)』に俺と虎は向かった。

「どない女か見せて貰うで」

「要らん心配せんでええて言うてるやろ」

俺達が暖簾を潜ると女将が相好を崩し「お座敷ね」と言った。俺は彼女と何時も座るその場所へと腰を下ろす。虎は座ると同時に「ビール」と言って、少し汚れたメニュー表を手に取った。約束の十八時半迄あと十分だと言うのに、この男はその十分を待てないらしい。

「相変わらずやな」

虎に付き合う形でビールを飲んで、ジョッキが空くか空かないかと言う時に彼女はやって来た。ホームページのリニューアルで忙しい彼女だけれど、律儀に時間通りにやって来た。心なしか頬が赤い。駅から店まで小走りで来たであろう事が見て取れた。そういう所がとても好ましい。彼女が店内を進み、俺達の元へと歩いて来る。その彼女の顔がコマ送りの様に驚きの表情へと変化して、俺の後ろで「あ」と虎の声がした。

「ユキ…この前話した傘くれたっちゅう女や」


会社に虎と一緒に行った事を話すと彼女は合点がいったように何度か頷いた。俺が其処まで話した所で、渦中の虎に視線を向ける。するとさっきから黙っていた虎は、気まずそうな顔で「おおきに」と言った。

「いえ、お役に立てた様で良かったです」

彼女は、恐らく虎言う所の『綺麗に笑って』そう返す。俺はほんの少し落ち着かない調子で、虎の顔を窺った。虎はそんな俺の視線を嫌ってか終始俯き、新たに注文したビールを飲んでいた。


自分の彼女が褒められて嫌な気はしない。だが『褒められる』其処までならだ。虎は、褒める以上に彼女に関心を持っている様だった。そして彼女も、初対面の相手に笑顔を見せる様な社交性に富んだ女性(ひと)ではないのを知っているだけに、何故虎に対してはそう(・・)したのかが気になる。

隣に座った彼女の視線に気付き、其方に少しだけ顔を向けると眉を下げた彼女が

「どうしたの」

と訊いた。

「あ、や、何でもあらへん」

俺が笑みを零しそう答えると彼女は安心したのか、目を細めた。その笑顔が俺だけに向けられれば良いのに。俺はこの独占欲に苦く笑う。麻美(かのじょ)には感じなかった、独占欲。


メニューを見て、彼女が好きそうな一品料理を見繕う。彼女の味の好みを知り得る程には、彼女と食事の時間は重ねてきたつもりだ。揚げ出し豆腐、肉じゃが、此れは彼女の鉄板(こうぶつ)らしい事も知っている。其れでもやはり、出逢ってから四ヶ月。しかもその内の一ヶ月は離れていた。共有の時間が足りない事は事実だった。


彼女と虎は互いに名を名乗って「宜しく」とお決まりの言葉を放つと黙ってしまった。だが虎の視線が何度も彼女に投げられている。俺の彼女でなければ、背中を押す事も出来ただろうに。虎も、俺が居なければ…位には思っているだろうな。何て言ったって目の前には『理想の女』が居るのだから。


虎は何時もの軽い調子で女を懐柔する事も無く、俺も虎と彼女の中立になる事も無く、妙な空気が流れている。流石に其れに気付いた彼女は居心地悪くウーロンハイのグラスの水滴を何度も何度もおしぼりで拭いていた。頼んだ料理がどんどん出て来た事が救いか、彼女は小皿に料理を取り分け俺達に配った。目の前の皿は何だか野菜の割合が多くて、俺の健康を気遣っての事だとくすぐったい気持ちにさせられる。


俺を好きだと言った彼女が、虎に気持ちを向けたとは思えない。そしてこのモヤモヤとした雰囲気を彼女に押し付けるのも我慢ならない。悪い、虎。

「…果歩」

覚悟を決めた俺に虎の声が掛かる。その顔は焦燥に駆られている様に見えた。

「お前はちょっと黙ってろや。…あんなぁ、自分何で虎に傘、譲ったりしてん?」

俺は虎に言い聞かせた後、身体を彼女の方へと向けそう訊ねる。突然の事で彼女は質問の意味が解らないのか俺の目をしっかりと見つめ返して来た。暫く考えている彼女に対し、俺は言葉を補足してあの日の彼女の心情を引き出していく。

「男前やからか?」

虎は所謂イケメンだ。精悍な顔立ちで、短髪。身体を動かす事が好きなこの男は、俺よりもしっかりとした体躯を持っている。その風貌に絆されてきた女を腐るほど見て来た。

だが、一見爽やかそうではあるが関西弁である事や本来この男が持つ気性の激しさで、付き合いが深くなると好き嫌いがはっきりと分かれてしまうのも事実。


彼女が、顔に釣られたとは思い難いが真っ先に思っていた事を聞いた。すると彼女は事も無げに言った。

「誰がですか?」


ナンテ? 俺は自分の耳を疑ったが、其れは彼女も同じであろう。

恐らく彼女は、何故傘を差し出したかについて「虎が困っていたから」とか何とかの答えを用意したに違い無い。それ故、俺が継いだ言葉に繋がりが見出せず「誰が?」となったのだ。


呆ける様に口を開いた俺の直ぐ傍で虎が口から何かを噴き出した。怒りの形相へと表情を変えた虎は

「誰がって何やっ!」

と吠えている。物凄い剣幕の虎を見た彼女が

「あ…山本さんが、ですか? あぁ素敵な人? …ですよね」

と疑問符を付け答えた。其処も疑問符付けるか、と俺は笑いを洩らす。


そして、俺はやっと安堵の息を吐いたのだ。


彼女は「関西弁だったから」と俺の問いに答える。俺の話す関西弁と同じだったから、虎に手を差し伸べたくなったのだと。すなわち、其処に生まれた笑顔は元々俺に向けられるべき笑顔だったと言う事だな。嬉しくなって、しょーもない優越感に浸ってだらしなく顔を緩めた。


まぁ面白くないのは、俺の目の前に座る男だよな。と言うか、元々コイツが大騒ぎしたのが原因だろ。


悪いけど、完膚無きまでに潰されろ。


「…果歩、あんな、コイツな?」

俺がこれまで散々聞かされた一人惚気を暴露されると思った虎は、大声を出し慌てて俺の方へと腕を伸ばして来た。テーブル挟んだ攻撃をかわす事は造作も無くて

「傘やったやろ? 果歩がな自分に気ぃ有るて自慢げに言うてたんやで? 俺の女とも知らんでっ」

と幾らか脚色し、彼女に俺のこれまでの不可解な態度を説明して聞かせる。虎は面白くなさそうな顔をして視線を逸らした。自分の知らぬ所でそんな在らぬ噂を立てられていたと知った彼女は気分を害するでもなく、ただただ笑っている。


あー…何か、こういうの良いな。気を抜いていても許されてる距離感。



「知らんっこない女会うてへんっ、女将、ビール!」



きっと虎にも認められたに違いない彼女。

こうして彼女が俺の傍で笑っていてくれれば良い、願わくば、長い長い時間。






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