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06.

彼女が「シュウヤさん」と男の名を呼びながらも俺に視線を送ってきて『来て欲しい』と、彼女が訴えている。恐らく ―― 真意は量りかねるが ―― その男と俺を引き合わせたいのだろう。此処は応える外ないのだろう。

俺が久住の件で頭を下げると男は「何の事でしょう」と相好を崩す。度量のある男だと、悔しさと敬いが織り混ぜられた気持ちが生じた。



   ―――敵わない


でも


   ――― 彼女を、手放せるのか?



顔を上げた先、彼と彼女が向かい合っている様が目に飛び込んで来た。上司と部下にしては有り得ない空気を醸しだている。彼の手がゆっくりと動いて彼女の頬を撫でた時、俺は何を考えるでもなく駆け出していた。

「…コイツに触らんといて貰えます?」

俺は、彼の手首を掴み押し下げると、非難の目を向けそう口にしていた。驚いた彼の表情に掴んでいた手をパッと放した後、取成す様に彼女らの間に立って白々しく口調を切り換えた。

「…結構ですよ、和田さん。では芳野さん、ソフトの件に関しては若村と打ち合わせの程宜しくお願い致します」

彼と目が合えば、俺の行為に不機嫌になる訳でもなく眦を下げ笑みを覗かせている。其れは俺が持ち合わせない『大人の余裕』にさえ見え、俺は拳を握り怒りを鎮めるべく息を深く吐き出した。


勝てないよ。

あんなの見せられて……けど……嫌なんだ。

俺以外の男が彼女に笑いかけたり、触れたり。

堪らないんだよ。


俺の女に何するんだって…堪らなく嫌なんだよ。



これは彼女を疑った罰なのか。




彼女に名を呼ばれた。小さな声だったけれど、エレベーターの中よりもはっきりとした声で。

自惚れじゃないよな、俺の顔を見た途端ほんの少し口角が上がったんだから。見つめた先の彼女の顔に、俺への好意が窺い知れる。


「…自分が好きなん俺やんな?」


俺の阿保な問いに彼女は「ユキさんが良い」と答えた。向き合う事すら放棄していた俺には、勿体無い位の言葉だった。一番に信じなければならなかった彼女を自分の弱さに負けて何処かへ追いやって、守らねばならなかった彼女をただ見ていただけの情けない男だと言うのに。

「…自分ほんま…あぁ…くっそ俺しょうもなっ…」


俺で良いと言ってくれるのなら、こんな俺でも容赦したと言う事なんだろう?

彼よりも、俺を選んだのだろう?


戸惑いよりも嬉しさが込み上げる。彼女が未だ俺を想っている事に心から、心から感謝した。




その夜、彼女は真関との過去をゆっくりと丁寧に語った。やはり彼と彼女は深い繋がりが在って仕方なく別れてしまったらしい。仲違いをして別れたのならば、彼が今でも彼女をあんな愛おしそうな()で見つめたりしないだろう。遠距離を選ぶ事は出来なかった…いや違うな、真関はその選択肢を最初から省いたのだ。


……遠距離。





彼女は改めて俺に、大切なのは俺だと、言った。


『過去』を聞いて妬く位に、俺は果歩を想っている。


ソファーに座り俺の目を見て、不安げに真関の事を話す彼女に胸が熱くなる。掛け値無しの彼女の言葉は、俺に少しの自信と強い情愛を抱かせた。


彼女の話が終わって、聞かれた訳でもないのに麻美の事を俺は口にした。聞かされて嬉しい話では無いと思う。俺だって、彼女から真関の事を聞かされてそんな風には思わないのだから。


「果歩にも、同じ目に合わされたのかもしれんて思うたんや」


繋いだ手に視線を落としながら、俺は正直にそう言った。保身の為に、彼女を追い詰めてた。すると小さな痛みを感じる程に握られた指に力が籠って、彼女は泣きそうな顔で頭を振る。

違う、違うんだ、果歩。俺は君にそんな顔をさせたかった訳じゃない。


君は、俺を傷付けた事を酷く後悔して、「別れたくない」のだと願ってた。俺の態度を責める事なく、ただただ「一緒に居たい」と言ってくれた。




   ◇





「来年は夏休み、一緒に取ろな?」

営業部は盆休み関係なく、誰かが必ず出社しなければいけないと言う決まりがあり、本社で新参者の俺は必然と出社組だった。彼女が夏休みを明け出社した日から遅い夏休みとなる。

彼女は俺の腕の中で、見事に野菜を切りサラダを作り上げている最中だ。

「来年、そうですね。北海道辺りとか行きます?」

俺が首筋に顔を埋めているせいで彼女はくすぐったそうに左肩を捩らせた。それでも料理中のスキンシップは許容範囲らしく、返される言葉は優しい。

「せや俺のな、大阪のダチが明後日から東京(こっち)来よるん。うち泊まる言うて聞かへんねん、せやから…」

「そうなんですか? 久し振りで嬉しいんじゃないですか?」

どんな顔でそんな事を言うのかと彼女の顔を覗き込めば、ニコニコとしている。俺はちょっとムッとして言い返した。

「あんまり会えへんねんで? 自分其れでええのん?」

「…まぁ? でも来週の月曜日には会えるんですよね?」

「あっさりしとんなぁ自分」

俺がそう言うと彼女はまな板の上に包丁を置きゆっくりと振り返って、俺を見上げてくる。

「メールはして良いよね?」と首を少し傾けた。その仕草が滅茶苦茶可愛くて、彼女には敵わないと思う。

「電話するし」

「してして」




   ◇




「何やねんっこの暑さはっ」


朝早い新幹線に乗って大阪からやって来た悪友、山本虎太は俺に「土産」だと東京銘菓を差し出し、ソファーに踏ん反り返った。俺はその土産を訝しげに眺めてから「何でやねん」と呟いた。

「大阪の人間に、大阪土産渡したったってしょーもないやんけ」

「せやかて何で東京土産やねん」

虎は勝手にリモコンを操作し、エアコンの温度を下げたらしく室外機がベランダて唸りだす。

「自分、何時まで夏休みなん?」

冷蔵庫から麦茶を取り出そうとする俺に「ビール」と催促の声が掛かった。俺は鼻白みながらも缶ビールを一本取って、自分用に予定通り麦茶のペットボトルとコップを持ってリビングへと移動した。

「お茶て」

「昼間の酒程効くもんないて」

奪う様に俺の手からビールを取り去った虎は、開封すると喉を鳴らす程に其れを煽った。一息吐いた後

「東京案内せえよ、ユキ?」

と虎は言う。

「やから何時までなんて?」

「んー一週間位?」

それ位有ったら、名所らしい名所は廻れるなと俺は算段を立て冷たい麦茶を飲み干して、黄色い果物を模した銘菓の包装紙を破った。


「相変わらず部屋綺麗にしとんな自分」

今度はテレビさえない部屋をぐるりと見回して些か馬鹿にした様に言う。この男の俺様気質は大人になっても健在だ。

「物が無いだけやろ」

「それにしちゃ台所に、冷蔵庫に随分立派やん。料理なんかようすんの自分」

「しいへんよ、知っとるやろ」

俺は菓子を口に放り込み、虎が見つめるその先の台所に視線を遣った。昨夜はあそこに彼女が居たんだなと思ったら口元が緩んでいたらしい。虎が生温い視線を此方へと寄こしていた。

「ちょっと前はなーんやしけとったみたいやけど、今は幸せそーな顔しとんのう?」

「…黙っとれ」

俺は少し恥ずかしくなってコップに麦茶を勢い良く注いて直ぐに喉に流し込んだ。

「会わせろや? 見極めたるから」

「そないせんでええて。ええ女やから」

「…麻美ん時もそうやったんちゃうの」

俺はグラスを口の縁に付けたまま横目で虎を見る。麻美に振られた時の俺の惨状を知るこの男は、この上なく俺様だが、俺を親友だと、大事だと思ってくれる唯一だ。


「そない女やないよ、果歩は」


彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ。




それから数日後、彼女と虎は劇的な出会いを果たす事になる。



「悪い待たせたな…て、何やねんきしょいんやけど」

休み明けに提出しなければならない書類が有った事に気付いた俺は、雨の中虎を連れ立って会社に訪れた。エントランスで待たせていた筈の虎は、ニヤついた表情で見慣れぬ黒い傘を繁々と見つめている。虎はきょろきょろと辺りを見回し、俺の肩を抱いて降り続く雨の中に連れ出した。俺は慌ててビニール傘を開いたが、虎に至ってはその立派な傘を開こうともせず俺に身を寄せる。そして叫んだ。


「ユキっ俺、あかんっ」


俺は濡れてはならない大事な書類を胸に抱え、虎を押し出そうと試みる。だが、虎は更に身を寄せた。


「ほんまやっ何なん自分っ傘させて」

「あかんねん、此れは大事なもんやから使われへんてっ」

「阿保かっ傘なんやから今日みたいな日に使わんでどないすんねんっ」

「…ユキ」


急に声の調子を変えた虎が至極真面目な顔をしてこう言った。



「めっちゃタイプな女に会うた」







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