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13.

土日は彼女と会う時間を取る事が出来るのだが、平日はそうもいかなかった。俺も勿論、彼女も多忙だったからだ。同じビルで働いているにも関わらず、あのエレベーターの時の様な偶然は無い。そして残念ながら、彼女のメール不精は致し方ない。端末操作に苦労してる訳でもないのに、彼女からのメールは稀少だ。「メールあんまりくれへんよな自分」と拗ねた俺に彼女は言った。

「メールより、電話の方が早いから」

その電話もあんまりくれた事は無いけどね。俺はそんな事をねちねち思いながら、彼女発信のメールを確認していた。


  お疲れ様です。若さんと飲みに行くけど良いですか?


此れは”お伺い” じゃない。決定事項の報告だ。彼女にとって若村の誘いを断る事は前提に無いのだろう。俺は親指と人差し指で眉間を数回揉んで、気分を和らげた。

幾ら尊敬する先輩だからと言っても男と二人っきりでの飲み会に良い気はしない。けれど、恐らく自分が関わったソフトのその後を聞きたい若村の意向を酌む必要もある。


「主任、此れから一杯どうですか?」


神崎君が書類を揃えながら、俺にそう声を掛けて来た。彼女は飲みに、家に帰っても虎の相手で面倒臭いだけだ。彼と少しだけ飲んで帰って不貞寝でもするとするか。


「うん、このメール一本したら出れるから行きますか」

「了解です」


俺は自分も飲みに行くから君もどうぞ、と言った内容のメールを彼女に返信しパソコンのディスプレイに視線を戻した。



神崎君と営業部のフロアを出て、エレベーターの到着を待つ。

「この前は、有難うございました」

「え?」

「聖奈に、助言してくれたみたいで」

花火を観に行く前日の事かと思い返し、俺は「いやいや」と笑った。

「…俺も主任みたいに余裕有る男になりたいです」

エレベーターの到着を告げるライトが点滅し、扉が両側へと開き俺達は乗り込む。他の乗客はおらず神崎君は話を続けた。

「そしたら聖奈も不安になったりしないんでしょうね。芳野さんは主任に想われて幸せですね」

俺のイメージは、万事如才なくこなす崇高な男、らしい。

喜怒哀楽の表現は最低限。声を荒げた事も無い様なそんな男。本社への栄転を果たした俺は女にも苦労せず、何一つ不自由がない。


   ――― そんな奴、居るのかよ


「神崎君、余裕て何でしょう」


俺はエレベーターを降りる瞬間、部下を振り返りそう笑って言った。



自分の女が男と二人っきりで飲む事を快く思っていない俺に、余裕が有ると言えるか?

彼女の不安材料を排除出来ずに手を拱いている俺は、余裕か?




「刺身が美味いです」と神崎君一押しの居酒屋は満席で、俺達は直ぐに座れそうな店を探して其処へ向かった。わざとそうしたらしい高さの無い出入り口の引き戸を開け、其処を潜る。随分と光を絞った店は賑やかだった。最近の居酒屋は本当に雰囲気重視だな、と俺は店の奥に目を遣った。ブルーの光を放つ大きなアクアリウムが据えられている。店員と一言二言話していた神崎君が申し訳なさそうな顔をして俺を振り返り「満席ですって、待ちますか?」と言ったその時だった。

「あーっ主任ーっ神崎さーんっ」

飲酒量に関係ないハイテンション振りの伊藤君だった。

伊藤君は一課の若手と女性事務員と飲んでいて、座敷を陣取っているらしい。二人位だったら詰めれば座れるからと俺達の意思はお構い無く、その宴へと放り込まれた。やはり、と言うか…面子を見た瞬間俺は知らず知らずの内に溜め息を吐いたらしい。俺より後から入った神崎君が「すみません」と言った。部下に気を遣わせるのは不本意だった俺は、表情を柔和なものにし「お邪魔します」と既にアルコールを摂取しているメンバー達に声を掛けた。

「主任っわぁご一緒出来るなんて嬉しいです」

「主任、お疲れ様です」

出来るだけ、女性社員の傍に座らない様に俺は半ば無理矢理男性社員の間に割って入る。

「夏八木さん、いらしてたんですね」

夏八木さんは煙草を吹かしながら、俺に顔を向ける。

「伊藤が、俺の財布を当てにしやがる」

「慰労会で社に回したら良いんじゃないですか?」

「オイ、其処は僕がって言う所じゃないのか、和田主任っ」

大袈裟に片眼だけ見開いた夏八木さんに俺は笑う。

「主任? 主任はビールでええですよね?」

テーブルの対面、端に座っていた筈の朝見が何時の間にか、夏八木さんと俺の後ろに傅いていた。

「あぁそうですね、ビールで」

俺はなるべく彼女と目を合わせない様に答え、夏八木さんが抱えている灰皿を見つめる。彼等が退社を告げたのが約一時間前。其れにしてはこの吸い殻、相当な数だ。

「夏さんは、日本酒飲まれます?」

すっかり一課に馴染んでいる朝見は、夏八木さんを愛称で呼び俺に対する態度と変わらぬ愛想の良さを見せる。

「あーそうだな、新潟の奴が有れば其れが良い」

「了解です」

「朝見は、気が利くなぁ」

「そんな事あらしませんて」

朝見はそう言い残して、座敷の上から店員に声を掛けていた。そんな朝見を夏八木さんがちらりと見遣る。

「仕事には積極的だし、主任も助かってるだろう」

「…そうですね。助かってます」

其れ以外に何が言えるって言うんだ。


段々と苛々が募っていった。


彼女は男と何処かで飲み、期待をした刺身は食えず、疲弊する程のテンションの部下に会い、今尤も会いたくない女が居て、俺にその女を押し付ける様な年上の部下がヘビースモーカー。


「僕ちょっと煙草買ってきます」

畳みに手を付き立ち上がろうとする俺に朝見がひと際大きな声を上げた。アルコールの巡りが良いのか、その顔は朱を帯びている。

「主任て煙草吸う人やったんですか?」

「あー…そう言えば、東京(こっち)に来た当初は部長と喫煙所行ってたな?」

「社内では吸わへんようにしてるんですか?」


五月蠅い五月蠅い五月蠅い。

俺が煙草を吸おうが吸わまいが、お前には一切関係の無い事だ。俺はもうその口を噤んで欲しくて何も考えずにこう答えていた。


「彼女が、煙草嫌いなんで」


俺は小上がりになっている座敷から足を下ろし、其処に並べられている自分の皮靴へと足を落とす。直ぐ傍に居た店員に煙草を売っている場所を訊ねると隣のビルの一階がコンビニで其処に有ると教えてくれた。頭を冷やすには丁度良い。俺は足早に出入り口に向かった。すると女性物のヒールの音が後ろからして、「主任ーうちも行きますて」と言う声が聞こえてくる。忙しい店内を走る事も出来ず、俺は朝見に捕まった。酔ってるからと言い訳が出来ると思っているのか、俺が振り払わないと高を括っているのか、朝見は俺に馴れ馴れしく腕を組んでくる。もう声を荒げてしまおうかと思った時、俺の視界に彼女と若村が映った。

「…果歩」

円形のカウンターに二人並んで座っていたらしく、二人の膝が触れそうな近い距離に有る。彼女に倣う様に若村が俺を振り返った。若村は人の良さそうな顔で「こんばんわ」と言った。俺は慌てて朝見の腕を引き剥がして、取引先の若村に頭を下げる。彼女は気まずそうな表情を浮かべて俺と若村のやり取りを聞いていた。俺と目を合わせても直ぐに伏せて、其れを何度か彼女は繰り返す。明らかに朝見の存在に戸惑っている。朝見の方は逆に堂々と彼女に相対し、若村と二人で飲んでいる事を暗に責め立てた。


「INCの若村さんて方ですよね? 研修でお会いしてますので存じてますよ。でも、男の人ですよね?」

強気の朝見に何も答えない彼女の横に居る若村が、堪え切れずと言った感じで大笑いを始めた。吃驚したのは俺達三人だ。


「お前が女とか、ないないっ!」


虫も殺さぬ様な大人しい風貌の若村がこんなに大きな声で笑うものなのかと意表を突かれる。そして更に男はこうも言った。「俺仕事出来ない奴に容赦ねーもん」と。若村のそんな乱暴な物言いにも驚いた。

「本当ですよ。俺、コイツが仕事してる最中座ってる椅子蹴り飛ばした事もあるし、袖机の引き出しへこませた事もあるし、馬事雑言浴びせてオフィスから追い出した事もありますから」

彼女の表情から其れが真実である事は間違いない様だ。この男が、彼女をオフィスから追い出す様な真似をしただと? …其れありきの信頼関係だと言う事か。


「あーっと足止めしちゃいましたけど、便所でした?」

「…あ、いえ煙草を買いに」

話の転調に俺がワンテンポ遅れて返答すると、若村はスツールを下り俺の前に立った。俺よりも低い身長、折れそうな程の細さ。

「俺も丁度良いや、煙草切らしたから付き合います。ん? 貴女も煙草?」



若村は朝見に冷笑を浴びせた。



侮る事無かれ。








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