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12.

「主任て会社では標準語、プライベートは関西弁てきっちり分けてますの?」

伊藤君が持参してくれたブルーシートを広げている俺の隣に朝見はやって来て、必要以上にシートの皺を伸ばしていた。彼女よりも古参の筈の事務員達は、彼女のペースにすっかり飲まれているのか俺達のやり取りを遠くから眺めているだけだった。

「東京に来てからはあんまり関西弁は、話してないかな」

「何でですぅ? 主任の関西弁、もっと聞きたいっ。やっぱり同郷の人がおると何や落ち着きますやん」

「僕は元々は東京育ちなんで」

「えーそやったんですかぁ。せやから標準語も綺麗に話すんやぁ。うちは出来ひんわぁ。直そ思うた事はあんのやけど、無理やったんです」

…この子幾つだったっけ?



買い出し組が帰ってくる迄の間、朝見は他の女性二人を巧く巻き込む感じで俺へ質問を浴びせ、更には自分の事を押し出して来る。正直、答えるのも億劫になる程だった。

此れが社外の、仕事に全く関係の無い女だったらばっさりと蔑ろにしてしまえば良い。けれど、彼女等は俺達営業にとって不可欠な存在だ。一定の距離は置いて上手く付き合った方が得策とは考えている。


買い出しから帰って来た彼等の中に、虎と彼女の姿が無い。「アメリカンドッグ買ったら戻るってメールが」と柴田さんが俺に教えてくれた。俺は彼女を迎えに立つ。

ちょっと歩いて、人が行き交う道へと出ると俺は辺りを見回した。こんな人混みでも俺は直ぐに彼女を見つける事が出来る。…虎と彼女の二人とすれ違う何人かの人間が、彼女達を羨ましそうに振り返る、その姿がやけに脳に焼き付いた。長身で美丈夫の虎と、彼に釣りあう様な美しい女が人目を引かない訳が無いのだ。

俺は一度ゆっくり息を吐き出した。

虎に迄嫉妬の念を向けるなんて、どうかしてる。けど…何だかんだと彼女が虎に気を許しているのが見て取れて俺の心は落ち着かなかった。


「柴田さん達ももう座っとるで早よ行こ」

俺は彼女の手を掴み、虎の隣から引き剥がす様に皆が待つ場所へと向かう。繋いだ手は、朝見の一言に簡単に放された。


もっと…堂々としてくれて良いのに。


彼女は又、俺と事務員であるこの子等の関係を勝手に解り過ぎるほど解釈して、我慢を重ねているんだろうか。庇護欲、煽られるよ、全く。

辺りが暗くなり始め、一発目の花火が上がったのを俺は背中で聞いた。朝見が俺の役職名を呼んだけれど、振り返るに値するものではない。俺は、彼女が”座る” と言ったコンクリートの上に置き去りにした缶ビールの横に自分が持っていたもう一本を並べて、その場を離れた。


花火が上がる度に歓声が、拍手が沸き起こる。俺はその花火よりも、何の面白味のない地面に視線を落とす彼女を熱心に見つめた。一人で居る彼女をチラチラと男共が見ているのさえ、気に食わない。自分がこんなに嫉妬心が強いだなんて思わなかった。



果歩、俺のこの胸を開いて君への想いを全て見せられたらどんなに良いだろう。






   ◇




「花火はええわなぁ日本の風物詩やわ」

この部屋の主よりも先にシャワーを済ませた虎はソファーで踏ん反り返り、いつの間にか買い込んでいた焼酎をロックで飲んでいた。俺は濡れた髪をタオルでバサバサと拭きながら、虎の隣に座る。

「…あの女どないすんのん」

人事だとばかりに虎は喉の奥を鳴らし笑う。傾けたグラスの中の氷がカランと音を立てた。

「芳野、めっちゃスルーされとったなぁ」

俺は重い腰を上げ、棚からグラスを取り出して冷凍庫の中のロックアイスを其処へ放る。

「…腹立つのぅ、あーゆー女」

キッチンから覗く虎の後ろ姿。右手に持ったグラスで円を描く度に、涼やかな音が聞こえてくる。俺はゆっくりとした歩調でリビングへと戻り、グラスをローテーブルに置いた。虎が焼酎を並々と注ぎ終わった所で、俺は其れを手に取りグラスに口を近付ける。漂う香りの強さに俺は思わず顔を顰めた。


「果歩と、何話したん?」

「別に? なーんも?」

(なん)もて事ないやろ、あない長い時間二人っきりやったのに」

(なに)? 自分妬いとるん?」

虎は俺を馬鹿にする様に笑ったが、俺は其れに対しては反応しないで焼酎を口にした。慣れない芋焼酎に喉が熱くなる。俺の脳裏には、虎と彼女が並んで歩く姿が浮かんだ。

「否定はせえへんよ」

「…俺に嫉妬する暇有るんやったら、あの女どうにかしいよ。芳野がどない思いで居ると思うてんの自分」


どうにか出来るもんなら、とっくにしてるよ。

朝見は俺が彼女と付き合ってる事を承知している。それでも俺への好意を隠そうとはしない。好意は見せるが、其れを言葉にして俺に伝えその先を求めようとしない。だから、俺は最後の一手を打てない。

そして今迄の下等な女と違い、彼女の悪口を言うでも無い、嫌がらせをするでも無い。俺と彼女の隙を、虎視眈眈と狙っているあの女は策士だ。


虎はグラスの縁に口を付けようと近付けた手を止めて俺を見る。

「…自分…まさか思うけど芳野の事、試しとる訳とちゃうやろな?」

「試す…」

「…麻美に甘えられへんかったて言われた事今でも気にしとんのちゃうの」

俺は両手で抱えたロックグラスが掻いた汗を指でなぞって、彼女の無理に作った笑顔を思い浮かべた。

「アイツ親にも甘えへんやん」


彼女の両親は、『あの子は甘える事を知らない』と嘆いた。頼る事を善しとしない。弱音を吐く事を善しとしない。だから、彼女は自分を失う事になったのだ。


俺は、彼女にきちんと吐き出して貰いたい。


嬉しい事楽しい事だけじゃない。苦しい事、不安に思う事、哀しく思う事、頭に来た事。弱い事は悪い事じゃない。其れを認めて、俺に吐き出して貰いたいのだ。


「アイツが、あの派遣の女の事で気揉んどるとは思うてるよ。せやけど、俺の気持ちはアイツにしかあらへんし、俺は果歩以外要らんよ」


自分に、そして其処に居る虎に言い聞かせる様に俺は呟いた。納得いかない顔で虎は言う。何処か軽蔑してる様にさえ見えた。

「何時ものフェミニスト振りは何処いったん? 何時もやったら芳野の痛み取り除くんが最重要事項やろ」

他人に此処まで肩入れする虎も珍しい。勘繰らない方がどうかしてる。

「こないだは果歩の事、言いたい事言うとった癖に何で今日は肩持つん?」

「俺はあの朝見っちゅう女が好かんだけや。芳野の事かて生意気な女やとは今も思うてんで、自分の女やなかったら二度と会わへんやろな」

虎は俺の顔も見ずにそう答え、焼酎の瓶に手を伸ばした。


俺の顔を見て、その台詞もういっぺん言ってみろ。


心の中でそう吐き捨てる様に言い、グラスを勢いよく空ける。焼ける様な熱さにぎゅっと目を瞑った。



褒められた事ではないけれど、虎の言う通り俺は今、彼女を試してるのかもしれない。

彼女が、俺に心を許せるかどうか。





   ◇




外廻りから戻って来ると、今日も又彼女が営業部 ―― 一課では無く、二課の方 ―― に居た。販管ソフトが導入され、未だ慣れない人間がよくマニュアルも見ないままに彼女や牧野君を呼び出していた。字面で追うよりも、傍で指導して貰った方が解り易いというのも解らないでもないがこう連日では、彼女達情報システム部も通常業務が滞らないものかと他部署の事ながら心配になった。

未だ、正式な通知はないがホームページのリニューアルも控えているらしい彼女が、暇を持て余してる訳は無いのだ。


コピー機の音や、キーボードを叩く音の僅かな合間に彼女の声が漏れ聞こえてくる。俺は其処に小さな幸せを感じながら、未決済の書類を手に取った。

「主任、この現場の床材なんですけど、以前見積もった物と違うみたいなんです? このまま進めてええんでしょうか?」

必死で拾い上げていた彼女の声は、朝見の声で掻き消えた。朝見が立つ右へと顔を向けると、彼女はにっこりと笑う。差し出された発注書の現場名と、床材に視線を走らせ直ぐに顔を伏せた。

「其れで間違いありませんから、発注掛けておいて下さい」

「了解しました」

派遣されてきて未だ半月と言う割に、朝見の活躍は目覚ましいものだった。この会社の前も建築関係の派遣をしていた事が功を奏したのだろう。課長は、派遣と言わずこのまま居て貰いたい等とのたまった。


顔を上げた先、営業部のフロアを出て行く彼女の背中を見つける。一つに纏め結われた髪が彼女が歩く度に背で揺れていた。








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