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13.5センチ――ふたりの距離

作者: たちばなゆう

 どうしてこんな状況になっているのか、あたしにはさっぱりわからない。わからないし、わかりたくもない。

 どっちが度胸があるか――そんなどうでもいい話から始まり、目の前にはポッキーを持って待ち構えている幼馴染みがいる。一度始まった意地の張り合いは今のところ、終わりが見えない。

 幼馴染みなこいつ――香崎重斗こうさきしげととは家が隣同士で、赤ん坊の頃から知っていて、何かと張り合ってきた。

 保育園の頃は三時のおやつの取り合いをしたし、どちらがたくさんおもちゃを持っているかでケンカもした。小学生になってからも、小テストの点数、駆けっこの早さ、どちらが先に給食を食べ終えるか、エトセトラエトセトラ。そんな感じに絶え間なく張り合ってきた。それは、高校生になった今でも変わらないらしい。

「ほら、くわえろって」

 放課後の教室はがらんとしていた。窓の外では運動部の練習に精を出す声が聞こえてくる。教室には残念ながらあたしと重斗しかいない。

 重斗は机に座り、口にポッキーのビスケットの方をくわえ、挑発するようにポッキーを上下に揺らした。

「だ、だから! なんであたしがアンタとそんなことしなきゃならないんだっての!」

 半歩、後ずさる。

「お、なになに。舞ってば、逃げちゃうわけ?」

 重斗はポッキーをくわえたまま、にやにやと意地悪く笑ってきた。

「逃げるとかじゃないし! 逃げるわけないじゃん!」

 言葉だけの勢いだってことくらい、私自身が一番よくわかっている。逃げるとか逃げないとか、そういう問題じゃない。

「じゃあ別に平気だろ?」

「だ、だから……ッ!」

 何を言っても言い訳にしかならないのは、今までの経験から痛いくらいにわかっている。それに、これ以上言ったら隠している気持ちが重斗にバレそうで、あたしは開いた口を閉じるしかなかった。

 今日はバレンタインなのに。幼馴染みの延長の冗談だとしても、正直キツい。

「……なんだよ」

 聞こえてきた重斗の声は一段低かった。

「――え?」

「いや、もういいよ」

 重斗が言葉と共にくわえていたポッキーをその口の中に収めていく。

「え、なんで? ちょ、ちょっと待ってよ!」

 慌てて手を伸ばしたけれど、その手を払われた。

「もう、いいって。……わりーけど、俺、もう帰るわ」

「え、え。なんでっ?」

 突然の重斗の豹変に混乱している間に、重斗は鞄を掴んで教室から出て行った。扉を勢いのまま閉められる音に肩が跳ねた。

「な、なによぉ……」

 急な重斗の変化に、呆然としてぺたりと床に座り込んでしまった。一体何があんなに重斗を怒らせてしまったのか、あたしにはわからなかった。窓の外からは相変わらず運動部の威勢の良い声が聞こえていた。



 どうやってここまで歩いてきたのか、気がつけばあたしは帰路の途中だった。どんなに呆然としていても、体は帰り道を覚えているらしい。でも、あたしの頭の中はずっと、重斗でいっぱいだった。

 いつもみたいにムキになるわけでもなく、重斗はただ静かに目の前から去っていった。こんなことをされたのは初めてだった。不安だけが広がり、深まっていく。

「ちょっと困っただけ、じゃない……」

 言葉はこぼれたまま、空気に消えていった。肩にかけた鞄の持ち手をぎゅっと握り締める。鞄の中には渡しそびれたピンク色の小箱が入っている。もちろん、重斗宛だ。

 重斗へのバレンタイン・チョコは毎年、手作りをあげている。生チョコだったり、チョコチップクッキーだったり、トリュフだったり。

 もはや恒例行事と化してしまっている辺りが悲しい。せっかく今年は気合を入れてガトーショコラのカップケーキを作ってみたのに、予想外のケンカで悲しいけれど自分で処理するしかない。



 あたしが重斗への気持ちを自覚したのは中学生の時だった。

 重斗がクラスメイトの子に呼び出され、ベタにも校舎裏で渡しているのを見てしまった。貰えばいいのに、重斗はその子に謝っていた。泣くその子に向けて何度もごめんって言って、結局重斗はその子から何も受け取らなかった。それなのに、重斗はあたしからのチョコを嬉しそうに受け取って。

 受け取ればいいのに。そう内心で思っても、口には出せなかった。口に出してしまった瞬間、重斗が遠く離れていってしまうような気がして怖かった。自分の気持ちに蓋をして、幼馴染みの仮面を被って、あたしは変わらず重斗に接し続けた。

 知らない間に彼女が出来たらどうしよう。離れていったらどうしよう。

 そんな不安に押しつぶされそうになりながらも、あたしは告白する勇気もない。今の関係が近すぎて、遠すぎて、いつの間にか身動きが取れなくなっていた。



 悶々と考え込んでいる間に、家の前まで帰ってきていた。隣の家の門扉を見ても誰もいない。

(怒ったまま、さっさと入っちゃったのかな……)

 じわりと涙が滲み、慌てて拭った。まだ渡せないと決まったわけじゃない。今日のうちに渡すことができれば。そう前向きに考えてみても、すぐさま心は下を向く。

「今年の……自信、あったのになぁ」

 息がひとつこぼれた。

「何がだよ」

 突然の声はあたしの家の玄関から飛んできた。弾かれたよう顔を上げると、玄関の前に視線を逸らした重斗が座っていた。

「な、なんで……?」

 門扉を開け、重斗の傍に駆け寄った。

「舞が帰ってくるの、待ってた」

 重斗はあたしに視線を合わせようとしない。拒絶されているようで、あたしは隣に座ることも出来ず、心がきりきりと軋んだ。じわりと涙が滲みかけるのを堪え、ただただ平静を保とうとした。

「あ――ああ、今年のバレンタイン? 重斗ってばホント遅いなぁ。もう全部あげちゃったよー」

 嘘をついた。声だけが意思を反して、思ってもいない言葉を滑らせていく。

「だいたい、重斗ってば意外とモテるんだし、あたしのなんかいらないでしょ! いい加減他の子にもらったらいいじゃん? てか、もらってんじゃないのー? 告白とかされちゃってたりして? 彼女とかも実は出来てんじゃないのー? こんの、モテ男っ!」

 止まらなかった。顔さえもへらへらと笑い出して、誰かに止めて欲しかった。涙も出ないなんて。

 あたしは醜い顔で笑い続けた。

「……ざけんなよッ!」

 突然立ち上がった重斗はあたしの手首を掴んだ。

「痛ッ!」

 ぎしりと手首が痛む。

「なん、だよッ、それッ!」

「しげ、と……?」

 痛みに顔をしかめながら見上げると、今まで見たことないくらいに顔を歪めた重斗がそこにいた。眉間は寄り、目は釣りあがり、瞳は鋭くあたしを射抜いている。

「お前、俺のこと、どう思ってるんだよッ!」

 今までされたことのない重斗のきつい言い方に体が強張る。

「そんな、どう……って……」

「人で遊ぶのも大概にしろよ!」

 上から押さえつけるような言い方に再び涙が込みあがって来る。

「あそ、遊んでなんか、ないッ!」

 あたしも負けじと叫び、重斗を睨みつけた。

「じゃあ、昼休みの何だよッ! 何で俺は拒否るんだよッ!」

 重斗は吐き捨てるように言った後、目を逸らした。

「……ひる、やすみ?」

 まったく覚えがない。いったい何のことかすらわからない。

「俺、見たからなッ。野郎にチョコ食べさせてもらってただろッ!」

 重斗の言葉に慌てて今日の記憶を探った。

(昼休み……昼休み……?)

 思い出すのは、演劇部所属の友人とその後輩とあたしとで、一緒に昼食を食べたことくらいだ。

 きょとんとする――とはこういうことを言うのだろうか。もしくは、呆気に取られる、と言うのか。

「な、なんだよ……」

 ぽかんとしているのが伝わったのか、たじろぐ重斗を見つめ、ようやくあたしの中で繋がった。

 昼食を一緒に食べた後輩は、昼休みの舞台練習に向けて男装していた。次回作が学園ミステリーで彼女が探偵の男子生徒役なのだと、その席で教えてもらったから記憶に新しい。

 その際に、友人へと作ってきたチョコをひとつもらい、おふざけで食べさせてもらったのは確かだ。いわゆる、あーんをしてもらった。それを重斗は目撃してしまったのだろう。

 どんなに傍目から男にしか見えなくても、あの子は女の子だ。

「やだ、重斗ってば。あの子、女の子だよ?」

「――へ?」

 キツネにつままれたような重斗の顔に笑いが堪えきれない。自分の失態に気付いたのか、重斗はがっくりと肩を落としてその場に座り込んだ。

「な、なんだよ……俺の早とちりかよ、マジカッコわりぃ……」

 自己嫌悪に陥っているらしい重斗の姿を見ていたら、胸がきゅんと締め付けられた。

(重斗のこういう姿、弱いんだよね)

 心の中でこっそり呟き、鞄のチャックを開けて中からピンク色の箱を取り出した。手のひらより少し小さい、小ぶりの箱の中には、あたしの重斗に対する想いがいっぱい詰まっている。

「もー、いつまでヘコんでんのよ」

「お前……これがヘコまずにいられるかよ……」

 重斗は下を向いたまま、こちらをちらりとも見ない。

「……ほら」

 少し迷ったけれども、箱を乗せた手を重斗に差し出した。

「……んあ? ――こ、これはっ!」

 気だるそうにようやく顔を上げたと思った途端、重斗はあたしの手とその上の箱に飛びついた。あたしから箱を奪うように取り、両手でしっかり持つ姿は可愛い。重斗の手の中で見る箱は、あたしが持っていた時よりも更に小さく見えた。

「これ……」

 両手で持つ箱とあたしとを往復しながら、重斗は信じられないとでも言いたげな目で見つめてきた。

「バレンタインのチョコ」

「舞、さっきないって言った」

「だ、だって! 重斗、モテるし……!」

「舞以外から貰うかよ」

 思わず言葉が止まった。

「そ、それ……どういう?」

「お前、自分で言って忘れたわけ? あたし以外から受け取らないでーって言ったじゃん」

 驚いてろくに返事できないあたしを、重斗は呆れたような目で見下ろしてくる。

「な、何それ」

「おいおい、マジかよ。お前が言ったんだからな! 目に涙いっぱい溜めて! ああもう、クソッ!」

「お、覚えてない……」

 ふるふると首を振れば、重斗があたしの視線に合わせるように屈んだ。すぐ目の前に重斗の真面目な顔がある。

「俺、本命からしか貰う気、ねーから」

「え……?」

「まだわかんねーのかよ」

 間抜け面を晒してるのか、重斗は呆れた顔をしておでこを小突かれた。

「わ、わかんないよ! ちゃんと言ってくれなきゃ!」

 じわりと涙が溢れ出てくる。泣きたくないのに、きゅうっと胸が苦しい。

「ったく、泣くなって」

 重斗の大きな手が頭を撫でた後、濡れる頬を触れていった。

「ないて、ないもん……」

 撫でる重斗の手が気持ち良くて、されるがままになっていると撫でる手が止まった。不思議に思って見上げれば、真剣な顔をした重斗が見下ろしていた。

「……舞、好きだから」

 重斗の突然の告白に、せっかく止まった涙がせり上がってくる。

「あた、あたしも……!」

 次から次へと溢れる涙を堪えながら、伝えると突然抱きしめられ「知ってる」と囁かれた。幼馴染みとか、気にしなくてよかったんだ。あたしの気持ちのまま、重斗にぶつかったらよかったんだ。今まで心を重たく占めていたもやもやがすっきりと消えていくのを感じた。

「部屋、上がる?」

「……うん」

 小さく頷いた重斗はすごく可愛かった。



 この部屋に重斗がいるなんて、何年振りだろう。昔はよく互いの部屋を行き来して遊んでいたのに。いつから互いに意識するようになったのだろう。昔のことを思い出しながら、あたしは勉強机の上に鞄を置いた。

「まーい」

 呼ばれて振り返ると、重斗が口にポッキーをくわえるとこだった。不意にダイニングテーブルに置かれていたママの書置きが頭をよぎる。今日はパパとデートして来るらしく、晩御飯は何とかしなさいと書いてあった。妹も今日は彼氏とデートと聞いている。

「ん」

 重斗が口にくわえたポッキーを強調するように顎を前に差し出した。

(も……もしかして、今日って夜まで誰もいない?)

「な、なによ……」

「んー」

 重斗はにやにや笑いながら、さらにポッキーを強調し、じりじりと近づいてくる。誰もいないのに周囲に助けを求めてしまう。その間も、重斗はうれしそうにじりじりと追い詰めてくる。半歩ずつ後退ったけれども、気がつけば壁まで追い詰められてしまった。逃がさないと言うように顔の両横に手をつかれた。

「うぅ……、なんでそんなにうれしそうなのよぅ……」

 右も左も逃げ場がない。前には重斗が視線を合わせるように覗き込んできた。

「ん!」

 唇のほんの先にポッキーを差し出される。もちろん、片方は重斗がくわえている。ポッキーと重斗を交互に見る。頬の温度はどんどん上がっていく。重斗が折れる様子は全くない。

「わ、わかったってば……」

 おそるおそる、目の前のポッキーをほんの少しくわえた。思った以上に重斗の顔との距離が近い。そろりと重斗を見れば、ばちりと目が合ってしまい、慌てて目を瞑った。耳元で聞こえる心音が脈打ってうるさい。重斗の右腕が動いた気配がしたと思ったら、後頭部に手を回され、動けなくなる。もう逃げられない。

 全身が緊張で硬くなり、耳に神経が集中し始める。ポキ……ポキ……と、振動と共にポッキーが短くなっていく感覚が伝わってくる。すでに互いの息が触れ合う距離まで近づいている。

 あたしは更に力を入れてぎゅっと目を瞑ると、重斗が吐息だけで笑うのが伝わってきた。その時、重斗の左腕が動いた。――と思うとあたしの右手が握られた。その握り方が、まるであたしを安心させるように優しく温かくて、こそばゆくて、あたしは肩の力が自然と抜けていった。その隙をつくように、重斗は握った手に指を絡めると同時に、唇が触れ合った。

 途端に体が硬直する。重斗はわかっていたのか、解すように指先であたしの手の甲を撫でた。触れ合っているところが熱くなる。絡めた指は更に力を込められ、後頭部に回された手もその指に髪を絡めてくる。そして、触れ合う唇からは甘いチョコレートと「好き」の気持ちが溢れた。

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