5話 中学1年生(仮)
僕は中学生になった。
少し大人になった気分だった。
僕の通っていた小学校と隣の小学校が集まった中学校だった。
中学になりすぐにスポーツテストが行われた。
50M走、筋力テスト等
僕は小学校の時はあまり走るのが速くなかったし、運動もサッカー以外したことがなかった。
ところが僕は50M走で学年4番目に速かったのだ。
驚いた。
金本には負けたが西原より余裕で勝ってしまったのだ。
西原は小学校の時は金本とならんで速かったのだ。
サッカーをしているうちに筋力もつき、知らないうちに運動ができる体になっていたのだ。
僕は少し自信がついた。
ある日の朝先生に
「部活には全員入ってください。」
と言ってきました。
僕はサッカーのクラブチームがあったので学校の部活には入らないつもりだった。
仲の良かった金本と西原もそのつもりだった。
僕は考えた。
確かにサッカーは週に1回しかなかったから部活もできるだろうと。
僕はサッカーを始めてからスポーツをするのが好きだった。
でもサッカー以外やりたいスポーツはなかった。
岡が
「お前部活決めた?」
僕は
「まだやで」
「決めたん?」
岡が
「ラグビー部入るわ。」
僕も
「じゃー俺も入るわ」
と適当に決めてしまった。
西原と金本は陸上部に入ることにしたみたいだ。
僕はラグビーの練習に参加した。
あまりよくわからないスポーツだった。
僕達1年生は全員で15人ほどがラグビー部に入った。
サッカーをやめた岡田もラグビー部に入った。
僕達は練習前に先輩にいじめられていた。
これは毎年のことみたいだ。
1週間ほどしたころ先輩のいじめに耐えれないものが5人ほどやめてしまった。
その中に岡もいた。
岡もすぐに辞めてしまった。
僕も辞めたかった。
僕は部活の終わった後の公園でのサッカーをする方が楽しかった。
6月の始めごろ
部活のラグビーを辞めてしまった。
先輩に耐えれなかったのだ。
ラグビー部に残ったのは6人ほどだった。
僕はサッカーのクラブチームも辞めてしまった。
この頃からサッカーのクラブチームの2つ上の同じ中学校だった子達が受験勉強のためサッカーを辞めてしまったのだ。
サッカーのクラブチームは2つ上の子達がほとんどだった。
僕と金本、西原はその子達とサッカーがしたかったのだ。
1つ上のサッカーの子達も僕達と一緒に辞めてしまった。
でも公園のサッカーには参加していた。
公園のサッカーには年上の子達も参加していたから、ここでのサッカーが一番楽しかったのだ。
夏休みに入ろうとする暑くなった頃
公園でのサッカーにもほとんど来なくなった。
夏休みに入ると、とうとう誰も公園に来なくなった。
僕は何もやることがなくなった。
夏休みに入ると
一緒に住んでる兄が家からいなくなった。
僕は母の仕事先に連絡した。
母が家に急いで帰宅してきた。
母が家に着いたと同時に警察から連絡があった。
大阪の枚方の方の警察から連絡があった。
「ふらつきながら歩いているで保護した」
と
家から枚方の方までは25㎞ほど離れていたのだ。
兄はそこまで歩いていったのだ。
どうもうつ病のせいみたいだ。
本人は京都まで歩いていくつもりだったらしい。
僕は兄が何を考えてるのかわからず怖くなった。
次の日僕は遊びにいき、母は仕事に出掛けた。
母は兄に
「今日は家でじっとしとき」
と言い
これが僕と母が兄を見た最後だった。
僕が家に帰ると兄はまたいなくなっていた。
僕は母にまた連絡した。
母はまた急いで帰宅した。
その日は警察から保護の連絡がなく母は警察に届け出た。
兄が戻らず、それから1週間が経った頃
警察から連絡があった。
母はすぐに警察に行った。
僕は母が警察から家に帰ってくるのを待っていた。
母が家に帰ってくると泣いていた。
僕は
「どないしたん?」
母が兄が死んだのを泣きながら僕に説明した。
家から10㎞離れた公園で首を吊り自殺していたのだ。
僕は正直なにも感じなかった。
僕は泣くこともなかった。
僕からすれば兄は怖い存在で家では僕は少し気の使う生活だった。
だから僕は少しホッとした。
普通の生活に戻れると思ったから
今思えば生きていてほしかったと思う。
今なら普通に話もできただろう。
そして夏休みが終わり9月の始め頃
金本に
「走るん速いねんから、陸上部はいったら?」
と言われ
僕はやることもないし
「入るわ」
と答えた。
その日から陸上部の練習に参加した。
陸上の次の大会は駅伝大会だった。
練習は長距離走ばっかりだった。
途中から陸上部に入った僕は周りについていけなかった。
僕が入部した時もう一人陸上部に入ってきた子がいた。
名前は南
南も長距離走についていけなかった。
毎日アップ、ダウンだけで5㎞ほど走り
メインの練習は3㎞を2回走るなどして僕はヘトヘトだった。
寒さの続く1月
駅伝のメンバーが発表された。
金本、西原はもちろんメンバーに選ばれていた。
もちろん僕のタイムでは選ばれなかった。
そして大会当日僕は応援組だった。
この大会は大阪市の大会だった。
参加している学校は私立、公立合わせて80校ほどだった。
2年前の大会で女子が優勝している。
駅伝がスタートした。
僕は応援することしかできなかった。
「来年は出たい」
と思った。
結果、男子は17位だった。
女子は50位ほどだったと思う。
女子はあまり覚えていない…
そして1月が終わり2月になり
僕は春の陸上大会に向け練習していた。
ある日、3者面談があった。
僕は母と学校に行き先生と面談が行われた。
先生が
「正直今の成績では高校が難しい」
と言い僕の成績表を母に見せた。
母は初めて僕のテストの点数をみた。
母は驚いていた。
なぜなら僕は国語、数学、社会、理科、英語の5教科合わせて100点前後しかなかったからだ。
しかも数学が90点ほどを占め後の4教科は合わせて10点ほどしかなかったのだ。
先生が
「数学だけはすごいんです」
「後の教科も数学ほどあれば色々な高校を選べますよ」
と母に言った。
面談が終わり家に帰ると母が
「もうちょっとだけ勉強しーや」
と初めて勉強しろと言ってきた。
でも僕はしなかった…
そして春休みになり
僕は5月に行われる100m×4のリレーの選手に選ばれた。
春休み中、短距離の練習をやり続けた。
そして春休みが終わった。