黒猫との話
実在する人物・企業・その他諸々と一切関係ございません。
さて、このパソコン遅さには参った物だ。起動の遅さについては言う事は何も無いが、起動してから正式に動けるまでが長い。とてつもなく長い時間を感じる。さして、一時間も経つのではないか、と思う程にまでだ。私は遅いパソコンの画面を見たまま、只管待った。これでは私が書きたい事が、全てこの機動性の遅さに対するイラつきで占められてしまうではないか。私は憤った。空腹の所為もあってか、些かこのパソコンの機動性の低さに憤った。
買った当初はあんなにも速く動き、あんなにも速く画面に映し出したと言うのに、今ではこの遅さだ。家に一台置いてあったパソコンの事を思い出した。今やもう既に、三台以上はこの家にあるのではないだろうか。私は移り行く時代の速さに溜息を一つ吐いた。昔は家に一台、パソコンがあるだけで十分だったと言うのに、今ではもう三台も四台も何台以上も必要となってくる時代のあり様だ。私は学校に置かれた、何台も何十台もあるパソコンの様子を思い出した。子どもの席のように、パソコンが横一列に、ちゃんと人一人分が通れる位の広さを開けて、並んでいたのだ。私は学校でパソコンを動かした事を思い出す。一つのサーバーに何十人も一斉に使う所為でか、家のパソコンより遅く感じた事に余計苛立ちを感じたものだ。私はぐう、と自分の腹の音が鳴るのを聞いた。
さて、このようにして画面に文字を打っている訳なのだが、それにしても遅い、遅い。私がキーを打っている間もあるのに、パソコンにはちっとも表示されない。ただ、カタカタと打つ音に対して、パソコンは何か別の事を行っているだけなのだ。あぁ、果たしてどうなるのか。止めてくれ、と苛立たし気に思った。次へ次の文へと打つと、前の文だけしか表示されない時が結構あるのだ。ついでに、打ち間違えた誤字脱字や言い間違えも、その場で消してしまわなければならない。訂正を行わなければならない。もう一つ、追加で怒りに任せて言えばとすれば、家の事だ。あぁ、どうしてこうも人が考えている時に他人が現われるのか。私はその表現の現われ方に苛立たしく思った。猫が気紛れで暇に任せて来たものならば良いものの、ついでに猫は勝手に用が無くなれば帰るし、相手にしなければ帰る。これは、確か前に、お前は猫に好かれてはいないのではないか、と言う言葉を思い出した。ワンフレーズだ。カタカタとキーを打つ音を止め、とりあえずはその相手の相手をする。あぁ、あ。邪魔臭いものだ。私は心の中で溜息を吐いた。ついでに、外は凍って、つるつると滑るらしい。あぁ、そうか。中でシューズを履くものの、外に出ている間は長靴を履いている私にとっては関係のない事だった。ただ、タイヤを使うものにとっては、恐ろしい事この上ない事を引き起こすただ一つの契機にもなり得るかもしれない事に、怖れと恐怖を抱くのかもしれないが。と思いながら、私はその相手の手にあるパンを見た。食糧である。しかし、私は空腹に任せて物を書きたいと言う事に集中をしたかった。
パンは暖かい風に当たると駄目なのだと言う。生ものが入っているから、と。私はパンに挟まれた野菜以外に、タンパク質のものを持つ食糧を見た。透明な袋に包まれたパンには、幾つかの食糧が挟まれていた。あぁ、材料か。と私は口の中で涎を含みながら、相手が帰った後、そのパンを眺めた。だが、直ぐに元の場所に戻した。暖かい風の当たらない所に、である。
あぁ、またしてもパソコンの方からではなく、携帯の方から着信が聞こえる。どうせ、きっと予約説明会とかキャンセルとか言うお知らせだろう。私は携帯を開く気にもなれなかった。お仕事のお知らせだろうが、その会社は今一信用がならなかった。その上、仕事熱心なのは良い事だが、何故二度も送るのか。そして、何故この、就職活動に必勝する本には書かれてあった事なのだが、九時以降には絶対、相手が寝たり相手にしたりしている事であろうから、邪魔しちゃいけいない、と言われるその時間帯以降にメールを出すのか。私には甚だ不思議でならなかった。その上、その会社説明会の時では、如何に電力を落とすのか、と言った根本的な説明を受け取れなかった。気になって帰ってから調べたら、もしかしたら訴訟を起こすのかもしれない、と言う事だった。弁護士協会め、と思いながら、早すぎる面接のお知らせに、私は終止符を打った。とりあえず、学生の都合も考えて欲しかった。そうだ、それは学生時代の思い出だった。それで終止符を打つだって?ふざけんな。私はそう愚痴を零した。とりあえず、紅茶を飲みたいものだ。
私は先程、読んだ本に第二の栞を挟むべく、適当に机の上に放り投げておいた紅茶のパックを取り出した。厚みがあったので、紅茶の中身を取り出した。パックに寄せられた紅茶の葉を避けて、紐だけを取った。掴みが無ければ意味がないのだ。その上、私の手元には、その紅茶のパックに付いた紐と取っ手を作る為の材料が無かった。その上、私には、そのパックに付いた紐と取っ手がセットになった物を使いたい、と言う欲求があった。
私は紅茶のパックの中身を安心できる場所に置き、紅茶のパックを包んでいた用紙を合わせて、紐を寄せた。寄せられた紐を用紙を二つに折って包み、テープで貼って作った。簡易に作った。
紅茶を作る時の色に合わせて作られた色のある用紙は簡易な栞へと変われた。私はそれを、本自体に付属していた紐の栞の他に、第二の栞としてそのページへ挟んだ。
第一の栞は本自体の内容を読む為、第二の栞は、私個人が考える上で、とても重要に参考と思えた為に、挟んだ為の物だった。所謂、栞機能と言うものだろうか。私は本の表紙を撫でながらそう思う。今一、機械の栞機能は当てにならない。と言うか使えない。私にとっては。このように本の表紙を撫でて、ページを撫でて、その本の様子とページの紙面の素材や表面、そして文字をなぞって読まないと、今一本全体の事が入らない気がしたからだ。電子のページは電子でしかあり得ない。その上、一つのサーバーが全部駄目になると、全てがおじゃん、と真っ白い紙へと燃えるだけだった。しかし、紙面のサーバーはそうとはいかない。紙面のサーバーは、とは言っても私は印刷関係に詳しくないから、何とも言えない。ただ、紙面に映し出された文字は紙に吸い込まれる。紙に沁み込んでいるからこそ、紅茶を零しても水を零しても、ただ水が滲むだけだ。そして、生憎不幸な事に、ちょっとぐにゃぐにゃと紙の変質を起こし、姿形が変わるだけだ。しかし、その紙面に映し出された内容は変わらない。例え本を切り裂いても紙面をぐしゃぐしゃに塗りつぶしても、その汚れを取れば変わらない。しかし、その本自体に記された中身を傷付けないように、と気を付けなければ、結局本自体の中身も傷付けられてしまう事に他ならない。だって、その中身の一部が欠損してしまうからだ。私は眺めた本を手にとって、表紙を眺めて撫でながらそう思う。その上、このように眺めて愛でる事も出来ないからだ。私はそっと、本の表紙に口を寄せる。これを異常者だとか変わっているのかも言うのかもしれないが、そんな事は無いさ。私は口の中で籠る。表紙に舌を付けたり、涎でべとべとに、なんて事は絶対にしたくもないし、そんな人がいたら、握り拳で一発ぶん殴って飛ばしている所だ。
その本自体の存在意義が、その為だ、と言うのならばそれで仕方ないのだろう。その上、その本自体の存在意義が、それ自体に存在せず、その中身も知識も全て、いや、そう言った本には知識も何も無い。ただ、その中身が欲を満たす為の見立てにしか他ならない時、舌でべとべとに汚したり、涎や体液で零したり、と言った事もあるのかもしれない。
その本自体の存在意義がそれ以外にない時は仕方ないのかもしれない。しかし、そもそも、それ以外に意味があった時、果たして人はそれをその存在意義自体の以外に当てはまらない、とでも考えるのだろうか。私は少し頭を捻らせる。あぁ、面倒くさいものだ。今ここに相手がいて、この思考を打ち止めてくれる事があれば、私は一旦その思考を中断し、そしてまた後に、ふっと思い出してはっと思い付く事もあるのに。お門違いで畑違いかもしれないが、性質的にはほんの少し似ている分類の学問の事を思い出して、そう思う。だって、最初は取っ掛かりがあったが、何とか読み進めて行く内に、ようやく辿り付けるのだから。今、私がこのようにパラパラと本を読んで、丁度第二の栞を挟みたい、と言うページに辿り付けたように。私は猫のことを思い出す。あぁ、この時こそ丁度いいのだ。猫が邪魔することが。昨日、猫が家の天井に上がり込み、鳴き声が聞いた事を思い出して、シンシンと深く降り積もる雪の中を歩いた事を思い出した。長靴に雪が入って冷たい思いをした事を思い出した。その上、溝に入って尻もちを衝いたのだ。家の下を覗き込んでみたが、何処にも猫の気配は無く、表に戻ろうとした時、丁度奴がいたのだ。黒猫が。
黒猫が、蛇口があったと思わしきコンクリートの上にちょこんと座って、戻ろうとした私をジ、と見ていたのだ。その時尻尾が動いていたかどうかは分からないが、ただいないものだろうと思っていた猫が、しかも黒猫だ!がちょこんと上に座って私を見ていたものだから、思わず驚いて声を上げた。「うわ!」私は大声を上げた。後で知った事なのだが、猫に初めて会った時、そして仲良くなろうとする時には、決して大声を上げてはならないのだと言う。猫が驚くから、と。
その黒猫は「にゃあ」とか細い声で鳴き、トタトタと雪の中を歩いて行った。四足歩行だ。何故か、私は天井にいる猫の存在が気になった上、このようにこうも驚かせた猫が一体どのような意図で計画で、と言う事が気になり、その去る黒猫の行方を追って行った。
隣の家には、前から、とは言っても私が小さい時からだが、その上、家に上がり込んだ猫に手懐けようとした挙句に手を引っ掻かれた覚えがある。それ以来、我が家では猫を毛嫌いするような雰囲気が生まれた。いや、もっと前からかもしれない。
もしや黒猫は隣の家からではないだろうか、と私は思い、黒猫の後を追った。しかし、黒猫は、隣の工場の屋根の下で雪宿りをしており(雨宿りの文字弄りだ)、「にゃあ」とまた一声を挙げたのだ。私は近付く。猫はスッと鈴を鳴らして工場のちょっと下にある穴に入り込んだ。煉瓦が一つ、入りそうな位の穴である。確か、あそこには前、鉄の柵があった筈である。私は黒い穴が猫を受け入れた事を見た。膝を屈め、一応視線を合わす。猫は何も出てこない。一旦隣の家に行こうか、と思った時、黒猫は穴から出て行き、何時の間にか遠い方へ行っていた。黒猫はまるで、と言っても何も分からないが。まるで、と形容出来る程に、首を動かして周りを見ていた。しかし、それを形容するには何かおかしい。「にゃあ」「にゃあ」と鳴きながら遥か前を歩く黒猫の後を追う。シャンシャン、と音が鳴った。発情期だろうか、それにしても可笑しい。私は黒猫の後を追い、一軒家に入った。昔、工場が潰れて、その家に住み込んでいる家族の家だ。この世間は世知辛い。とは言っても、世知辛いと言う意味すら碌に知らないが。私は黒猫の後を追った。シャン、と鈴が鳴る。鈴が鳴る事に気付いたのは、私が大声を挙げて黒猫が去った後に気付いた。にゃあ、にゃあ、と黒猫は鳴く。私は黒猫の後を追ったが、黒猫は黒い車の下に逃げ込んだ。私は仁王立ちのまま、ジ、と車の下を見つめた。これも後で知った事だが、仁王立ちでいる事もいけないのらしい。私は黒猫が出てくるのを待った。一旦離れる。「にゃあ」とまた声がした。
私は車の下に戻って、膝を屈める。傍から見たら変質者と思われるだろうな、と思いながら、人目を気にした。人気もない事を知ってから、家の下から猫を探す際に使った懐中電灯をポケットの中から取り出した。目元に垂れるフードを少し、上へあげた。懐中電灯の光を付ける。一歩間違えれば、ブザー音が鳴るので気を付けなければいけない。
懐中電灯の光で車の下を照らしたが、猫が出てくる様子は一切ない。私は懐中電灯の光を消して、再度あの家へ行こうとした。途中、黒猫が穴の中から抜け出したので、私は止めて黒猫の後を追う事にしたのだ。
黒猫を諦めて、一旦隣の家へ行く。雪が山のように降り積もっていて、隣にある工場から見えなかった為、私はわき道の方へ歩いた。十字架のように小さい道があって、その左手の方を曲がる。我ながら、センスのない言葉選びだ。
私は左手に曲って、家を見ようとした。しかし、シャンシャン、と言う音が聞こえて、振りかえった。黒猫がいた。黒猫は「にゃあ」「にゃあ」と鳴いて、向こうを言った。隣の家からは反対方向である。迷い猫であろうか、と私は少し不信に思いながら、その猫の後を追った。猫はあの工場が潰れた家の方へ入った。私は猫の様子を見たが、きっとあそこの家で飼われているのだろう、と思い、背を向けた。しかし、またシャンシャン、と言う音が聞こえた。「にゃあ」とまた黒猫が現われたのだ。私はその後を追う。次は向かいの家へ入った。昔、いとこのお姉ちゃんと一緒にその垣根にある花の匂いを嗅ごうとしたら、その家のおばさんに叱られた思い出のある所だ。その時、お姉ちゃんは止めた方が良い、と制止の言葉を掛けていた。私はその家の敷居に跨ぐ事に躊躇いを感じて、垣根の向こうから猫の行方を見た。道路の方から垣根を通して、猫がまたも雪宿りしている様子を見た。次は、ぶんぶんとファンヒーターか何かを鳴らすような扇風機のようなものがある箱の前で、だ。またも黒猫は「にゃあ」と鳴いて向こうへ行った。私は慌てて、その家の隣にあるマンションに入ったが、猫の行方は何処へ行ったか分からない。私はマンションの敷居に跨るのを止めて、道路から少し先へ行った。しかし、猫の姿は何処にも見当たらない。
私は諦めて、隣の家の玄関に猫の玄関がちゃんと開いているのかどうか、と言う事を見てから、一周、グルッと昔通った通学路を通った。この通学路は、夢でよく出てくるような場所だ。私は一瞬、これが走馬灯の代わりになるのか、と言う事を思って、ブルッと少し不信に思った。シンシンと雪は降り続く。赤いマフラーやコートに雪が付着する。軽く払って雪を落とす。そう言えば、学校の帰りで、そのまま長靴を履いて猫を探しに行ったのだ。マローンおばさんの話を思い出した。マローンおばさんとは、その絵本の題名だ。マローンおばさんが弱った猫を貧しいながらも家へ招き入れた場面を思い出した。その憐憫の情で動いているのか、その筋に沿って生きているのか、と言う事も分からない。ただ、その絵本を読んだ時に感じた涙を思い出して、私は生きているのだ。私は黒猫の後を追った。
マローンおばさん、と言う本は実在するよ。良い本だから読んでみてね。
小さい子どもでも平易に読めて鼻水ダラダラと流しちゃうものだから、きっとどの大人でも読める筈。え、子どもは何て言及しないのかって?子どもは純粋に、気が向くままに本を手に取った方が、知識をぐんぐんと吸い込むからだろうと思うからだよ。これ後書き?違えよ!ただだらだらと文を書いただけでした。お粗末。けれども、マローンおばさんは、お粗末以上の良い本なので、読んでみてね。あれ、これ下位層?上位層での話してんの?上下関係ピラミッドで作って・・・?いや、わかんなーい!
どうせ物語は上下関係関係無くて、ただ単純に、読んでくれる人がいるだけで成り立っているような感じだと思う。同時に、読んでくれる人がいるだろうと書き手は思うから書き手は自分の意志を書き込もうとしている訳だ。主に私が。ところで、二万字もあるんだね。一体そこの所をどう書けって言うんだ。一層の事、そこの所を文中に表したいくらいだよ。小説中の文字数にプラスアルファの意味として。
ところで、どうしてもそうもダラダラと言う癖にこうもダラダラと書くのかって?無くしてるからだよ!宣伝の意を!
とりあえず、マローンおばさんは良い本なので読んでください。きっとこの文に込められるであろう、宣伝の意味を失くす為に私はきっとこの文をツラツラと書いたんだ。そうに違いない。ところでお腹空いた。
ガーナ99%か79%のチョコレート食べたい。ところで、チオビタを飲むと空腹が一気に急増される。そしてこの後書きを書いているだけで五分が経過したと言う。やったあー!何処が。こうもツラツラと書いている訳だと言うのに。どうしてこうもツラツラと書くのかって。その、オチがないからだよ!落ちが見付からない。同時に指が止まらない。止まらない、止められない。カッパ、海老宣ッ!」