図書室の先生ならダウナーお姉さんがよかった
1話みたいな短編
男なら誰もが憧れるであろう人種。
ダウナーお姉さん。
決まって二人きりの時に現れて、「やあ少年。また会ったね」って声を掛けてくれたり、
お姉さんがたった今口を付けていたペットボトルを「少年も飲むかい?」って僕に差し出して揶揄ってきたり、
そして時々、少し達観した言葉をくれたりする。
どこかミステリアスで、そんな魅力的なお姉さんに憧れた男子は多いだろう。
しかし、現実はそう上手くはいかない。
夜中にこっそり家を抜け出して迷子になってみても、放課後に遠回りして人気の無い公園に向かってみても。
どうやら僕の手の届く範囲にダウナーお姉さんは存在しないようだった。
そこで、この春中学に上る僕が目を付けたのが、図書室。
思い出してみてくれ、図書室の先生を。
本が好きということは、基本的性格が静かで穏やかであろうことは間違いない。そして多くの本を読んでいるということは、間違いなく、何かしら達観したことを言ってくれそうである。
幾ら僕が読書屋だからと言っても、先生と生徒の間には年齢という、覆ることのないギャップが存在する。その差による経験の違いが、「達観」を造っているだろうことは間違いない。
あとは先生が女性であり、図書室が二人きりになれる環境であれば、完全にダウナーお姉さんの条件と一致するのだが、二人きりになれる環境の方は心配しなくてもよいことが分かっている。
現大学生で僕と同じ中学校を卒業した姉から、図書室は校舎から離れたところにあって、利用する生徒はほとんどいないという情報を得た。
残すは美人でスタイルの良くて、なんかその…ダウナー系の雰囲気を纏っている先生であれば、僕の充実した高校生活は約束されたも同然。
そして今、僕は図書室のドアの前にいた。
この把手を少し捻って押せば、待ちに待った、図書室の先生とのご対面である。
これは謂わばガチャだ。当てたらエンディングまで使える最強キャラが手に入る。しかし、ソシャゲのように、当たらなかったからと言ってリセットすることは出来ない。
開けたドアを閉めてもう一度開いてみても、別の人になっているとかはない。
把手を掴み、深く息を吸ってから、短く吐いた。
「よし。」
決心してゆっくりとドアを押し開ける。
まず視界に飛び込んできたのは、明るい室内に整然と並ぶ本棚。
やはりどうしても中学校レベルの蔵書では、目に入るこの教室いっぱい分しかない。しかし溢れるようにある本のその光景は、いつも変わらず僕に高揚感を与えるのだった。
次に流れ込んできた本特有の乾いた香りが僕の鼻腔を擽った。換気の為か、開け放たれている窓から微風が入ってきていた。そしてまるで引き寄せられるかのように流れるそれらの行方を追って見たところにその人は、いた。
艶のある黒髪は肩まで伸びたストレートで、風に触れて僅かに靡く。整った顔立ちを飾る瞳は長い睫毛と被っていて、気怠げな印象を与えた。
しかしそれよりも。
黒いストッキングが覆う綺麗な足を静かに組みながら、本の貸し出しカウンターに座り、片手で持つ小説に視線を落とすその姿が何より美しくて、僕は暫く呼吸も忘れて見蕩れていた。
入口から動くことの出来ない僕に気づいたのか、その人は不意に本から顔を上げ、ゆっくりと首を動かす。
目が合った瞬間、僕の中の期待と緊張がドクッと音を立てるのを聞いた。
それはまさに僕の求めていた、「ダウナー」そのもの。
…これから、始まるんだ。僕とダウナーお姉さんとの楽しい日常が!
「あっ、あの、こんにち―」
「わー!久々のお客さんだ!今日は入学式しかなかったはずだから新入生?新入生ってことは一年生、一年生ってことは新入生?!わー!いらっしゃい!こんなとこまで遠路はるばる。あーあごめんね本ばっかり散らかっていて」
開いた口が塞がらないとはこういうことか。あまりの見た目とさっきまでの期待とのギャップに僕は呆気にとられていた。
え、さっきまでの雰囲気はどこいった?!僕の、ダウナーお姉さんはどこに消えた?!
「ささささ、座って座って!私の横の椅子空いているか―あ、さっきどかしたんだった、ごめんね今持ってくるから…ってどわ?!」
ビッターンという擬音が目に見える程派手な転倒を見せ付けられて僕は、絶望していた。
この先生、こんな性格でさえなければ完璧なダウナーお姉さんだったのに…
積み上がっていた「ダウナー」の文字がバラガラと崩れ落ちるのが分かった。ダウナーの「ダ」の濁点を取り落とした弾みで一気に崩れたのだ。
「あの…僕、帰ります。」
「え!なんでよ今来たばっかりなのに!ねえ行かないで!マジでマジで!今夜はお前がプリンセスーじゃなくて!あっ、お茶!飲み物!drink!遠かったから疲れたでしょう?今出してあげるからちょちょちょちょっとそこに座って待っててね!ね!」
ああ…僕の理想のお姉さんはもう原型がない…
あまりにもダウナーとは程遠い言動を繰り返すので一刻も早くその場を離れて現実逃避したかったのだが、日頃から運動不足である僕の喉が渇いていたのは事実。
…一杯だけ貰ったら帰ろう。
僕は溜息を吐いて、その先生が用意してくれたパイプ椅子に座った。
その時、カウンターに置いてある、さっきまで先生が読んでたであろう小説が目に留まる。
この本は―
「はいー、お待たせお待たせ!どうぞー。あっ、別に睡眠薬とかは入ってないから安心して。」
いや別に疑ってねえし。と思いながら口を付ける。
「どう?そのお茶、虫の糞で作られているんだけど」
吹き出しかけてギリギリのところで理性が飲み込ませた。口の中にあった分の、喉の直径を超えたお茶の塊が一気に流れて痛かった。
「げほっ、ごほっ、は?糞?」
「そう。これ実は高級品で、気になって買ってみたんだけど、やっぱり私じゃ勇気が出なくって、君に飲んでもらおうと思って。どう?美味しかった?」
衝撃で味なんて忘れちまったよ。
ゲホゴホと痛む喉から咳をしながら、僕は確信する。
この人、ダウナーとはまた違うベクトルでまともじゃない。だってほら、僕を見て「なるほど、咳が止まらなくなる成分が入っているのか…」って隣で呟いてるんだもん。
「ところで君、名前は?」
この人にそう易々と本名を教えてしまっていいものなのか?
疑いの目を向ける僕を、
「あ、もしかして名前を尋ねる時は自分からってルールを守れって?真面目だねえ君は。」
などと見当違いの解釈をして、聞いていないのに自己紹介を始められた。
「私は現都木しおり。あ、しおりは栞じゃなくて、紫に織物の織で紫織!ふふーん、いいでしょ?気に入っているんだよねこの名前。両親に感謝しながら日々を過ごしています。」
何で名前だけダウナーお姉さんしてるんだよ。てか名前知っちゃったよ。ダウナーお姉さんだったら、たいていはなんか一悶着あってからしか分からなかったり、幾ら聞いても最後の最後まで教えてくれなかったりするのが定番なのに。
「さあ、君の名前は?」
「…水流、帆です。」
「わー!かっこいい名前!全国名前コンクールに出場したら三回戦くらいで負けるんじゃない?君もパパママに感謝しなよー」
なんで負けるって言い方にすんだよ。
呆れている横で「いいね、いい響きだよ」と呟く。
どんどん離れていくダウナーお姉さん像に、僕はもう諦めてしまっていたのかもしれない。ダウナーお姉さんを求めた挙句、こんな人に捕まって、虫の糞まで飲まされて。
僕には、いや、現実世界でダウナーお姉さんになんて出会える筈がないのだ。
そう思っていたからか、
「君は、なんでわざわざ図書室に来たの?」
に、
「ダウナーお姉さんを、探さないといけないからです。」
と答えてしまった。
「ダウナーお姉さんが必要で、図書室の先生ならきっと、出会えると思っていたのに。それなのにいざ訪れてみたら、こんな人に付き合わされて…」
「ふーん。えもしかして『こんな人』ってもしかして私のこと?あは、ごめんねー。そこでなんだけどさ、君、図書委員やらない?」
「僕の話聞いていました?やりませんよ?!」
なんなんだこの人。読書している筈なのに文脈が滅茶苦茶だ。
よし。もう帰ろう。そして二度とここには寄らないようにしよう。
そう決めて腰を上げると、現都木は慌てて僕に泣きついてきた。
「待ってよおー。図書委員、だれもなりたがらなくてずっと0人なんだよおー。いくら遠いからと言ってもあんまりだよおー寂しいよおー」
「いや、立地以外の所に問題点があると思うんですよ。」
膝を地に付けてまで縋り付く現都木を振り払って僕はさっき入ってきた出口へと向かう。
ああ、とんだ無駄足だった。さっさと家に帰って今読んでる本の続きを読もう。結局、現実に期待しようとした僕が馬鹿だったのだ。そう、現実に…
「待って!」
ドアノブに手を掛ける。
「なんでそんなに、ダウナーお姉さんが必要なの?」
思わず手が止まった。
なんで?
「…おもしろくないから。」
そう。
「現実は、おもしろくないし楽しくもない。誰も、僕のことを理解ってくれない。誰も、僕のことを理解ろうとしない。」
だから、
「だから、ダウナーお姉さんみたいな、どんな話も聞いてくれて、理解ろうとしてくれて、そして僕の悩みを鮮やかに解決してくれる。刺激的でおもしろい毎日をくれる、ダウナーお姉さんが、」
僕には、必要だった。だから、探した。
けれど、それももう今日で終わりだ。おもしろくない現実はどこまでいっても現実で、ダウナーお姉さんみたいな、物語上の救世主はいないってことに気づいたから。いや、認めたから。僕の、負けだ。
「どうも、失礼しまし―」
「人間は負けるようにはつくられていない。人間は打ちのめされることはあっても、敗北することはないんだ。」
ドクッと、音が鳴った。
それは―
振り返る
「やっぱり、君も読んだことあるね。さっき君がこの本を見ていた時に気づいた。この本、私のお気に入りで、何回も読んだ。…読書感想なんて苦手なんだけどさ、」
『老人と海』を片手に持って現都木は言った。
「君に、言いたいと思った。」
その目が、彼女のその真っ直ぐな瞳が、
今、僕に必要だと感じた。
「それに?私と一緒に図書委員やったらきっと楽しいしおもしろいかもよ?負けないどころか、勝っちゃうかもよ?…だからお願いします!どうか図書委員に入ってくださいませんか?」
刺激的な毎日、おもしろい現実。
ここでも、それが手に入るかもしれない。
いや、もうここじゃなかったら手に入らないのかもしれない。
「…わかりました。」
「じゃあ?!」
「ただし、一つ条件があります。」
これから僕はこの人に振り回されるだろう。だから、僕の欲求を少しだけ満たす、ささやかな抵抗をしてやるのだ。
「僕のことは『少年』って呼んで下さい。」
ファイティングポーズで身構えていた現都木は、なーんだそんなことかとでも言いたげな顔をしてから。
「了解。これからよろしく、少年。」
望んでいたものとは程遠い生活になりそうだったが、
その笑顔を見て僕は、案外悪くないかもと思ったのだった。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
1話にするかしないかは考えます。




