地図が頭脳として、車に搭載。センサーネットワークのつながり。
第8章:地図の上を、世界が走る― データが自動運転の命になる時代 ―
2050年。車は「見て」「考えて」「走る」存在になった。だが、その“目”も“脳”も、あるものがなければ機能しない。それが、「地図」だ。正確には、高精度三次元地図(HDマップ)。道路幅、車線の傾き、信号や標識の位置、歩道の高さ、路面の質感、さらには電柱の位置までも記録された情報の地層。 この地図なくして、自動運転車は自分の位置すら特定できない。
地図は「命綱」 従来のGPSだけでは、誤差が数メートル出る。それは、交差点で“左折レーン”と“直進レーン”の間違いを意味する。だからこそ、自動運転車には誤差数センチの地図が必要だった。高精度地図は、単なるナビゲーションではない。AIにとっては「基準点」であり、「視覚補助」であり、「仮想環境のフレーム」でもある。そしてその地図は、常に更新されていなければならない。
工事で消えた標識 新しく作られた横断歩道 凍結や崩落の可能性がある地形の変化人間なら、その場の判断で回避できる。だがAIには、「知らない場所=走れない場所」だ。
■ “リアルタイム共有”という新しい交通の脈
2020年代、自動運転は各車が独自にセンサーで判断していた。だが今は違う。
走行中の車両、街路のインフラ、ドローン、固定カメラ―あらゆるデバイスが“今この瞬間”の情報を共有している。先を走る車が「横風あり」と報告すれば、後続が減速する 一つの信号機が故障したら、数キロ先の車も経路を変更する
雨で滑りやすい路面情報が、瞬時に広域で共有されるこれがリアルタイム・シチュエーション・シェアリング(RSS)。交通は、単体ではなく“ネットワークとして”判断する時代に入った。水野春香は言う。「車がネットに接続された瞬間、道路は“孤立した空間”から、“巨大な共有知能”になったんです」
■ インフラのセンサーネットワーク
街そのものが“センサーの塊”になりつつある。信号機、横断歩道、街灯、ガードレール―至るところに、LiDAR・カメラ・振動センサー・マイクロ気象装置が埋め込まれ、クラウドと連携している。これを「インテリジェント・インフラ・ネット(IIN)」と呼ぶ。IINがあることで、AIは単に“車の目”だけに頼らず、街の目で補完される運転判断ができるようになった。道路はもはや、走るための「場所」ではない。それ自体が「情報を持ち、判断する装置」なのだ。
国 vs 民間:誰が“地図の主”か?だが、このシステムには重大な構造的対立が存在する。高精度地図も、リアルタイム情報も、 今その多くを握っているのは、民間の巨大IT企業だ。Google Mapを前身とする「GeoSense」 中国系企業の「Baidu
エピローグ:移動という問い 2050年、自動運転は社会に溶け込んだ。車は喋り、考え、迷い、時に人間よりも人間らしく判断する。私たちはもはや「運転する」ことを必要としない。けれど、誰もがどこでも働け、どこにも行かなくて済む世界で、「なぜ、移動するのか」という問いが、あらためて浮かび上がってきた。
移動とは、手段か?それとも、人が「変わる」ためのきっかけだったのか?仮想空間で会議も旅行も完結する時代に、 それでも私たちは、誰かに会いたくて、景色を見たくて、わざわざ出かけるという不合理を選ぶ。―人がどこにいても価値を持てる時代に、「どこへ行くか」がまた人間を問うている。
水野春香は、車の中で静かに目を閉じた。自分がどこへ向かうのか、それを決めるのは、もうAIではなかった。