政略結婚を拒否した結果
メリバ。わりと殺伐。
「公爵令嬢フィーネ・ハルトヴィヒ、貴様との婚約を破棄する!」
王立学院の卒業パーティーで、私の婚約者テオバルド王太子はそう言いました。
ピンク髪の愛らしい男爵令嬢ローザ・ノイマンを腕にぶら下げて。
「何故ですか?」
私はテオバルド王太子に問い掛けました。
投げかけられた言葉の意味と、このような事態になってしまったことについての疑問との、二つの意味で。
政略結婚の相手ではありましたが。
婚約が決まった当初は、私はテオバルド王太子に期待をしていました。
テオバルド王太子は金髪碧眼の美しい少年で、私にとても優しく接してくださいましたので、恋人のように甘い関係になれるのではないかと期待したのです。
この王立学院に私が入学したのも、テオバルド王太子の勧めでした。
王立学院に入学すれば一緒に過ごせるからと。
それなのに……。
ローザ嬢と出会って、テオバルド王太子は変わってしまわれました。
今では私のことを、敵を見るような目で睨みつけています。
何故このようなことになったのでしょう。
「私とテオバルド殿下との結婚は、王家とハルトヴィヒ公爵家との政略によるものです。それを破棄なさるとおっしゃいますの?」
たとえテオバルド王太子に私への気持ちが無くとも。
私たちの婚約は政略によるものなので履行されます。
仕事として、あるいは義務として、私たちは結婚するのです。
それを破棄するということは、王家と公爵家との間の契約を破棄するということです。
「貴様はそのようにすぐ公爵家の権力を振りかざす」
テオバルド王太子は憎々し気に言いました。
「そうやってローザのことも脅しただろう。愛妾になるつもりか、などとローザに言い、侮辱したことは許せるものではない」
ローザ嬢に思うところは数多くあります。
私の婚約者であるテオバルド王太子と、恋人同士のように仲が良い女性ですもの。
嫉妬の感情はあります。
ですが同じ女性として、ローザ嬢を不憫に思っての確認でした。
だってテオバルド王太子は私と結婚するので、ローザ嬢と結婚はできませんもの。
ローザ嬢に愛妾になる覚悟がないなら、ご自身のために、テオバルド王太子の誘いは拒否して離れるべきでしょう。
本来であればテオバルド王太子が、ローザ嬢を愛妾として取り立てる手続きをするか、もしくは分別のある態度を示すべきです。
ですがテオバルド王太子が何もしていないようだったので、私はローザ嬢の進退を気に掛けました。
それが間違いだったと言うのでしょうか。
「脅したつもりはありません。ローザ嬢のために忠告をしただけです」
「フィーネ、貴様は、愛妾になるつもりがないなら私から離れろと、ローザを脅しただろう」
「当然の忠告です」
「脅したも同然だ。公爵家の娘に言われたらローザは逆らえない。貴様は公爵家の権力でローザを脅したのだ!」
もはや、卒業パーティーの会場は水を打ったように静まり返っていました。
ダンスの音楽も止まっています。
美々しく装ってパーティーを楽しんでいた卒業生たちは、固唾を飲んで、私とテオバルド王太子とのやり取りに注目していました。
ええ、ただ注目して、私たちの会話を聞いているだけ。
テオバルド王太子を諫める者は誰もいません。
「ローザ嬢を愛妾になさらないなら、テオバルド殿下は彼女をどうなさるおつもりですか? それこそ不誠実ではありませんか」
私がそう言うと、テオバルド王太子は声を張り上げて宣言しました。
「私はローザと結婚するつもりだ!」
「は……?」
「ローザはいつも私に寄り添って支えてくれた。ローザこそが私の真実の愛だ。私は真に愛する人と結婚する」
「ですがローザ嬢では王太子妃となるには身分が足りないでしょう」
「高位貴族の養女にすればいい。いくらでも方法はある」
「フィーネ様、ごめんなさい!」
ローザ嬢がうるうると目を潤ませて私に言いました。
「私はテオバルド様を愛してしまったの! 本当に愛しているの! 真実の愛に出会ってしまったの!」
ローザ嬢はまるで悲劇のヒロインのように、愛らしい顔に悲しみの表情を浮かべました。
「フィーネ様はテオバルド様を愛していないでしょう? 愛のない政略結婚だなんてテオバルド様が可哀想です。お願いです、私たちのことを許してください!」
私が、テオバルド王太子を愛していない……と?
政略で決められた婚約でしたが。
私は、テオバルド王太子を好いていました。
恋に夢を見ていただけかもしれませんが……。
寄り添う努力をして、テオバルド王太子の好みに合わせもしました。
テオバルド王太子の隣に立つために、王太子妃として恥ずかしくない淑女になるために、作法や勉学にも励みました。
それらは愛ではなかったのかしら?
真実の愛って何かしら……?
「……真実の愛、なのですか……?」
私は二人に問い掛けました。
「そうだ」
テオバルド王太子は堂々と答えました。
「フィーネ、貴様は私の王太子という身分しか見ていなかった。私が王太子でなかったら貴様と婚約することはなかった。貴様と私との婚約に愛はなかった」
それは、その通りです。
政略結婚の相手として出会ったのですもの。
「だがローザは違う。身分など関係ない。私はローザを愛している」
そうでしょうか?
貴族の身分がなければ王立学院には入学できませんから、身分がなければ出会うこともなかったのに?
「わ、私もです!」
ローザ嬢も毅然とした態度で言い放ちました。
「テオバルド様が王太子かどうかなんて関係ないです。私はテオバルド様を愛しているんです!」
感極まった表情でそう叫んだローザ嬢を、テオバルド王太子は抱き寄せました。
「ローザ!」
「テオバルド様!」
「……」
これが真実の愛?
目の前で抱き合っている二人の姿に、私の心は冷たく凍り付きました。
まるで氷の刃で刺されたように。
衝撃は受けたのですが、何も感じません。
なんでしょう、これは。
怪我をしているのに痛みが無いような、妙なふわふわした感覚です。
今までは、テオバルド王太子とローザ嬢が親しくしている様子を見ると、心が痛みました。
ですが、もう何も感じません。
「身分は関係ないとおっしゃるのですか?」
そして私は、真実の愛とやらに興味を持ちました。
ただの好奇心ではありません。
何かドロドロした欲望のような、それが見たくて仕方がないような興味です。
「ああ、そうだ」
テオバルド王太子は答えました。
ローザ嬢を抱きしめたまま。
「身分もしがらみも関係ない。私はただ純粋にローザを愛している」
「政略結婚を台無しにして、我がハルトヴィヒ公爵家をないがしろにしたら、政治的に困ったことになると思いますが? それでも?」
「また家の力を振りかざして脅すのか。性根が腐った女だな」
事実確認をしただけなのですが『性根が腐った女』と言われてしまいました。
「だが貴様の脅しが私に通じると思うな。私はローザと結婚する。政略よりも、真実の愛を選ぶ!」
「そうですか……」
私はテオバルド王太子から、ローザ嬢に視線を移しました。
「ローザ嬢はどう思っていて?」
「私もテオバルド様と同じ気持ちです! 愛を選びます!」
「そう……。解ったわ」
私の顔に、無意識の笑みがにじみました。
「婚約を破棄しましょう」
◆
――暗い地下牢。
「ごきげんよう、テオバルド様」
鉄格子の向こうにいるテオバルド元王太子に、私は声を掛けました。
そう、彼はもう王太子ではありません。
元王太子です。
私とテオバルド様の政略結婚のための婚約が破棄された後。
ハルトヴィヒ公爵は王家に見切りをつけ、隣国に仕える決断をしました。
地方の大領主であるハルトヴィヒ公爵は、国境を接している隣国から以前から勧誘を受けていました。
テオバルド様が私を軽んじたことが、王家がハルトヴィヒ公爵家を軽んじていることの証左となり、軽んじられたハルトヴィヒ公爵は隣国に仕えることを宣言しました。
それはハルトヴィヒ公爵領が隣国の領土となることを意味します。
公爵領にある鉱山も。
派閥の弱小貴族たちやその領地も。
王家はこれを叛逆であるとして、兵を出しましたので戦争になりました。
そして隣国とハルトヴィヒ公爵が勝利しました。
講和の条件に、ハルトヴィヒ公爵はテオバルド王太子の首を要求しました。
私が父にお願いをしたことでもありますが。
テオバルド王太子に宣戦布告の責任を取らせるのは当たり前のことです。
そしてテオバルド王太子の身柄はハルトヴィヒ公爵に引き渡され、彼は現在、この地下牢に繋がれているのです。
「フィーネ?!」
護衛の兵士の後ろにいた私の存在に気付くと、テオバルド王太子は鉄格子をつかみ、私に向けて言いました。
「フィーネ、頼む! 助けてくれ!」
すでに死刑宣告をされている元王太子テオバルド様は、すがるような目で私に言いました。
「ハルトヴィヒ公爵に頼んでくれ! 愛娘の君の望みなら公爵は叶えてくれるだろう! 私を助けてくれ! 頼む!」
「テオバルド様ったら、私の身分をアテになさるの?」
私は思わず笑ってしまいました。
「身分は関係ないとおっしゃって、ハルトヴィヒ公爵の娘である私を捨てたのはテオバルド様でいらっしゃいますのに。今更、私の身分を頼るのですか?」
「……すまなかった。反省している……!」
「テオバルド様の反省に、何の価値があるのです?」
「も、もう、二度と過ちは犯さない!」
「それはそうでしょう。もう貴方は王太子ではありませんから、私と婚約をすることも、宣戦布告をすることも、二度と出来ないのですもの。テオバルド様が反省しても、しなくても、同じことが繰り返されることはありません」
「こんなことになるとは思っていなかったんだ!」
「あれだけ大っぴらに宣戦布告なさったのに?」
「学院でのことじゃないか! 戦争になるなんて思っていなかったんだ!」
「兵を出したのはそちらが先でしてよ?」
「父上がやったことだ!」
「それで? だから何だと言うのです? もう戦争は終わりました。国王陛下はテオバルド様の身柄をハルトヴィヒ公爵に差し出しました。貴方はこれから処刑されるのです」
「助けてくれ!」
必死の形相でテオバルド様は私に懇願しました。
私に婚約破棄したときの勢いは何処へ行ったのでしょうね。
「私は家の力を振りかざす『性根が腐った女』ですよ? テオバルド様がそうおっしゃったではありませんか。性根が腐った女がテオバルド様のお願いを聞くわけないでしょう?」
「フィーネ! 君は私を愛していただろう! 見捨てないでくれ!」
「あら? いつから私は『貴様』ではなく『君』になりましたの? 無理なさらなくてよろしいのよ?」
「目が覚めたんだ! 私は君を愛している! 君を失って気付いた! 私が本当に愛しているのは君だ!」
これは、色仕掛けでしょうか。
テオバルド様に婚約破棄を告げられる以前の私だったら、甘い言葉に大喜びしたことでしょう。
今だからこそ解ることですが。
テオバルド様は私の気持ちを知っていて、私を粗末に扱っていた気がします。
私は決してテオバルド様に逆らわないと高を括って。
ハルトヴィヒ公爵家が決して逆らわないと高を括っていた王家と同じように。
テオバルド様は、今でも私の気持ちがテオバルド様に多少なりともあると高を括っていて、私を懐柔しようとしているのですね。
「本当に私のことを愛していらっしゃるの?」
「愛している!」
「それだけですか?」
「今度こそ君を大切にする!」
「大切にするだけ? 真実の愛ではないのですか?」
「……っ! 真実の愛だ!」
「あら? ローザ嬢は真実の愛ではなかったのですか?」
「ローザのことは一時の気の迷いだった! 君こそが私の真実の愛だ!」
「テオバルド様の真実の愛は、一体いくつあるのですか?」
「君だけだ! ローザのことは間違いだった!」
「そう……」
私は通路の後方を振り返り、そこで待機させていたローザ嬢に向けて言いました。
「ローザ嬢、こちらにいらしてくださいな」
「……っ?!」
私が促すと、それまでテオバルド様には見えない位置にいたローザ嬢が、兵士に促されて出て来ました。
蒼ざめた顔で。
私は笑顔でテオバルド様に問い掛けました。
「テオバルド様の真実の愛は、どなたでしたかしら?」
「……フィーネだ……」
「ローザ嬢ではないの?」
「……ローザとのことは、間違いだった……」
「歯切れが悪くなりましたね。まあ、良いでしょう」
私はテオバルド様とローザ嬢を交互に見ました。
二人とも顔色が悪いです。
テオバルド様は命がかかっているので当然ですが必死な様子で、ローザ嬢は兵士に拘束されてここまで来ていますから怯えている様子です。
二人ともあの婚約破棄劇場の時の元気は、どこへ行ってしまったのやら。
「ローザ嬢、貴女の真実の愛は、テオバルド様だったかしら?」
私がそう質問すると、ローザ嬢は一瞬迷うように固まりましたが、やがて頷きました。
「……はい……」
「私が折角、婚約破棄してあげたのに、貴女はテオバルド様と結婚できなかったそうね?」
「はい……」
「それでも真実の愛だと言えるの?」
「……」
ローザ嬢はしばし沈黙しましたが、テオバルド様の顔色をちらりと窺い、ボソッと肯定の返事をしました。
「……はい……」
ローザ嬢はこんな状況になっても、テオバルド様の機嫌を損ねないように気を使っているのでしょうか。
国王に結婚を却下され、テオバルド様も駆け落ちするほどの気概もなく、ローザ嬢は結局は愛妾となる以外の道はなくなり現実を思い知ったでしょうに。
「ローザ嬢の真実の愛に免じて、テオバルド様を助けるチャンスをあげましょう。ローザ嬢がテオバルド様の身代わりに死刑を受け入れるなら、テオバルド様の命は助けてあげる」
「……っ!」
「……!!」
二人が同時に、驚愕の表情で顔を上げました。
「ローザ嬢、どうしますか? テオバルド様のために、真実の愛のために、貴女の命を捧げますか?」
「そ、そんな……」
ローザ嬢は愛らしい顔を歪め、言葉を濁しました。
「ローザ! 愛している!」
テオバルド様が吠えました。
なので私はもう一度テオバルド様に質問しました。
「テオバルド様? 貴方の真実の愛はどなたでしたか?」
「そ、それは……」
テオバルド様は、私とローザ嬢との顔色を素早く見比べて言葉を切りました。
私の機嫌を取りつつ、ローザ嬢をその気にさせるためのセリフを、足りない頭で必死に考えていらっしゃるのかしら?
「テオバルド様、お答えになって? 貴方の真実の愛はどなたでしたか?」
「……フィーネだ……」
テオバルド様の答えを聞くと、私は再びローザ嬢に質問しました。
「ローザ嬢、貴女は真実の愛のために、テオバルド様の身代わりになって処刑を受け入れますか?」
「……いいえ……」
「ローザ!」
テオバルド様が蒼白な顔でローザ嬢の名を呼びました。
ローザ嬢はテオバルド様を振り向くことはなく、俯いたままで言いました。
「……真実の愛は、間違いでした……」
「ローザ嬢、そうなの? テオバルド様は真実の愛ではなかったの?」
「はい。間違いでした」
「ローザ! 愛している!」
「いい加減にして!」
テオバルド様とローザ嬢は争い始めました。
「ローザ、助けてくれ!」
「嘘吐き! 結婚してくれなかったくせに!」
ああ、面白い。
可笑しい。
真実の愛って楽しいわね。
◆
ローザ嬢は修道院へ帰してあげました。
彼女は王太子を誘惑して戦争を引き起こした悪女として有名になってしまったため、現在は偽名を使い田舎の修道院に身を隠しているのです。
テオバルド様は戦争の責任をとりました。
王族らしいお仕事をなさいましたので、王都のお墓にはきっとご親族やお友達がお花を供えてくれることでしょう。
そして私は、かつての隣国、現在の自国の第三王子ウェルナー殿下との婚約が決まりました。
政略結婚です。
「愛って、何だか信用できないんですの……」
私がそう言うとウェルナー様は苦笑しました。
「フィーネ嬢はあのテオバルド王太子殿下とご婚約なさっていたのですから、男性が信じられなくなるのも無理はありません。お気持ちお察しいたします。ですがそういった輩は一部の不心得者ですよ。不運でしたね」
「そうなのですか?」
「結婚前に愛人を作るのも驚きですが、婚約者の前で堂々と愛人に寄り添うのも驚きです。しかもその愛人が未婚の令嬢だったというのですから更に驚きです。そこまでの恥知らずにはなかなかお目にかかれるものではありません」
ウェルナー様は話が通じるお方でした。
王立学院に入学してから卒業するまでの二年間、私は話の通じないテオバルド様と付き合っていましたので、婚約者と話が通じるだけで幸運のように思えてしまいます。
「結婚するからには誠実であろうと思います」
ウェルナー様が笑顔でそうおっしゃいましたので、私は嬉しくなりました。
「素敵なお考えです。愛よりも誠実さのほうが大切だと思いますもの」
【追記】2025/9/6
ローザの処遇や政治的なことで、感想のお返事を書いていたら結構な文章量になってしまったので。
作品で書いておくことにしました。
↓
政略結婚を拒否した結果の裏側
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