【3話】私と彼の違い
武へ謝罪した日の翌日。
午後七時三十分。
仕事を終えた麗華は、一人暮らしをしているマンションへ帰ってきた。
「ただいま」
買ってきた夕食用のコンビニ弁当を、テーブルの上へ置く。
そして麗華もまた、テーブルについた。
「今日はまったく仕事に集中できなかったわ……。こんなこと初めて」
深いため息を吐く。
麗華の普段の仕事振りは完璧だ。
今の会社に新卒で入ってから一年と少し経つが、これまでにミスをしたことは一度だってなかった。
それなのに、今日一日だけでミスを連発。
しかも、どれもくだらないものだった。
そうなってしまった理由は、昨夜のこと。
武の不可解な態度だ。
彼は騙されていたと知っても、まったく怒らなかった。
それどころか、逆にお礼を言ってきた。
それがずっと引っかかり続けているせいで、仕事が手につかなかった。
「どうしてそこでお礼が言えるのよ……。私、あんなにひどいことをしていたのに……」
そもそもどうして麗華が武を騙そうと思ったかというと、それは同い年の元カレ――春斗に裏切られたからだ。
全てはそこから始まった。
二か月前の、その日。
麗華は事前連絡なしに、春斗の家にやってきた。
手には、ケーキが入った箱を持っている。
(喜んでくれるかな)
今日は春斗と付き合い始めてから、一年の記念日。
サプライズでお祝いをしようと思っていた。
合鍵を使って、ドアの鍵を開ける。
口元に笑みを浮かべながら、取っ手を手前に引いた。
(――え)
瞬間、時が止まる。
ドアの先には衝撃の光景――春斗は玄関で他の女性と抱き合い、キスをしていた。
頭が真っ白になる。
なんにも言葉が出てこない。
しかも、だ。
春斗とキスをしている女性のことを、麗華は知っていた。
彼女は吉田彩。
高校の同級生で、親友だ。
『困ったらなんでも相談してね! 私はずっと麗華の味方だから!』
『うん。ありがとうね、彩』
彩は面倒見がいい性格をしていて、いつも麗華の相談に乗ってくれた。
春斗とのことも、真剣に応援してくれていた。
そんな彼女のことが、大切で大好きだった。
この先もずっと、親友でいられると思っていた。
でも永遠に続くかと思われたその友情は、たった今終わった。
(…………なんだ、これ)
彼氏と親友。
大切な二人に、麗華は同時に裏切られてしまった。
「は、ははは」
麗華の口から乾いた笑いが出る。
もう笑うしかなかった。
「……二人とも、信じてたのに!!」
ドアを勢いよく閉めた麗華は、走り出す。
大粒の涙を流しながら、無我夢中で足を動かした。
家に帰ってきた麗華は、唇を強く噛んだ。
心の中には、どす黒い感情が渦巻いている。
「私も騙してやる……!」
大切な人に裏切られた麗華は、自分も誰かを騙してやろうと考える。
自暴自棄的な思考に陥っていた。
麗華は持って帰ってきたケーキをヤケ食いしながら、マッチングアプリに登録。
そうしたら、すぐに多くの『いいね』がついた。
「えっ、なにこの名前……ダサっ。よし、この人に決めたわ」
その中の一人、『漆黒の凶星★ルシファーアポカリプス』。
彼からの『いいね』に応える。
騙す相手は誰でもよかった。
だから『いいね』をくれた人の中で、一番名前が目立っていた男性を選んだ。
そうして麗華は、ダサいニックネームの彼とやり取りを始めた。
しかし時間が経つにつれ、自暴自棄で暴走していた頭が冷静になっていく。
そうなってくると、たちまち罪悪感が湧いてきた。
しかも『漆黒の凶星★ルシファーアポカリプス』こと、黒崎武は、とてもいい人だった。
すぐにメッセージを返してくれるし、いつも優しくて気遣いが上手。
ニックネームを絶望的にダサい名前にするあたり変な人だと勝手に想像していたが、全然そんなことはなかった。
礼儀正しい紳士のような人だった。
(私はそんな人を騙している……)
そう思うと、罪悪感がさらに膨れ上がってしまう。胸が痛くて張り裂けそうだった。
だから麗華は、直接会って謝罪しようと決めた。
「ごめんなさい! 私、あなたのことをずっと騙していたんです!」
麗華がしたことは許されることではない。
きっと怒鳴られると思っていた。
むしろ麗華は、それを望んていた。
そうすれば、この罪悪感も少しは消えるかもしれないからだ。
でも武は、少しだって怒りもしない。
それどころか、「ありがとう」と言ってきた。
「……嘘。どうしてよ」
麗華も武も、騙されていた同士だ。
それなのに武は、まったく怒らなかった。
自暴自棄になって他人を騙そうとした麗華とは、まるで違っていた。
同じ境遇のはずなのに、どうしてこんなにも違うのか。
麗華はそれを知りたくて、
「……待ってください!」
去っていく武を呼び止めた。
でも武はその声に気付かなったのか、歩いていってしまった。
だから未だに、答えが分かっていない。
引っかかり続けている。
「……知りたい。黒崎さんに会って、もう一度話をしてみたい」
麗華はトインを起動。
午後八時ピッタリに、『もう一度会ってくれませんか?』というメッセージを武に送った。
それから五分ほど、じーっと待ってみる。
けれど、スマホは一向に震えない。
武からの返事はなかった。
「……当然、よね」
一か月以上もの間、武は麗華に騙されていた。
そんな相手とは、もう連絡を取りたくないと思うのが普通だろう。
少し考えれば分かるような、当然のことだった。
「なにやってんだろ私……。お風呂入ろ」
ため息を吐いてから立ち上がった麗華は、浴室へ向かった。
入浴を終えた麗華はリビングへ戻ってくる。
そうして何気なくスマホを開いてみたら、
「嘘!?」
なんと武から返信がきていた。
戸惑いながらも、麗華はおそるおそるトインを開いてみる。
そこには、『いいですよ』というメッセージが来ていた。