【1話】『いいね』0の男
黒崎武、36歳。彼女いない歴=年齢に、ついに春がやってきた。
武はこれからマッチングアプリで出会った女性と、人生初のデートをする。
待ち合わせ場所の公園へと向かう足は、軽やかに弾んでいた。
「『いいね』0だった俺が、まさかデートまでこぎつけられるなんて今でも信じられないよ! 奇跡みたいだ!」
二か月前。
『今なら一か月間利用料金無料!』
そんなネット広告をたまたま目にした武は、マッチングアプリを始める。
せっかくだしやってみるか、くらいの軽い気持ちだった。
しかしどうせやるなら、ある程度の結果を残したい。
そこで武はまず、マッチングアプリにおけるセオリーのようなものをネットで調べた。
そこには、こう書いてあった。
まずこちらから女性に、『いいね』を送る。
相手がそれに応えてくれたら、マッチング成立。
あとはメッセージをやり取りして、親交を深めていく。
「思ったよりも分かりやすいな。さっそくやってみよう」
セオリーに従って、武は毎日たくさんの女性に『いいね』を送ってみた。
しかし、応えてくれる人は誰もいない。
一向にマッチングできなかった。
ちなみに『いいね』というのは、女性から男性へも送ることができる。
だが、これも一件もない。
応えてくれるのも送られてくるのも、どちらも0。
マッチングアプリを始めてから三週間ほど経つのに、ずっと『いいね』0の日々が続いていた。
「一生マッチングできないのかな……」
『いいね』0の日々に諦めかけていた、そんなとき。
なんと、武がした『いいね』に応えたくれた女性が現れた。
初マッチング成立の瞬間だ。
「うおおおおお! やったー!!」
そこからメッセージを通して、SNS――『トイン』を交換。
マッチングアプリの無料期間が終わった後も、トインでやり取りを続けてきた。
そして今日、ついにその相手とデートをすることになったのだ。
「どんな人なんだろうな~」
これから会う相手について分かっているのは、水島麗華という名前。
それから、23歳ということのみ。
外見は分からない。
マッチングアプリにもトインにも、麗華の顔写真は載っていなかった。
(でもきっと、優しそうな人に違いないよね。だってこんな冴えないおっさんと、デートしてくれるんだから)
不細工と言われたことはないが、はたまたイケメンと言われたこともない。
どこにでもいるような、冴えないおっさん。
それが黒崎武、36歳だ。
そんな相手からの『いいね』に応えてくれただけでなく、デートまでしてくれた。
優しい人に決まっている。
「……早く着きすぎちゃったな」
待ち合わせ場所の公園へ到着してみると、午後六時。
待ち合わせ時刻の午後七時までは、まだ一時間もある。
前のめりな気持ちを抑えらず、家を早く出すぎてしまった。
(着いたって連絡した方がいいよね)
そう思ってポケットからスマホを取り出したが、やっぱり戻す。
それだとなんだか、早く来い、と急かしているみたいだ。
連絡するのは、もう少し時間が経ってからの方がいいだろう。
(焦る必要はない。気長に待とう)
そう決めたとき。
「あの、黒崎武さんですか?」
横から、女性に声をかけられた。
「はい、そう――」
返事をしながら、女性へ顔を向けた。
瞬間、武は言葉が出なくなる。
その人があまりにも、美しすぎた。
目鼻がクッキリとした、恐ろしいまでに整っている顔立ち。
それでいて小顔。なおかつ高身長。
モデル顔負けの、見事な八頭身スタイルになっている。
要するに、超美人。おまけにスタイル抜群。
これまで見てきたどんな女性よりも、彼女は美しかった。
「はじめまして。水島麗華です」
大きな茶色の瞳で見つめてきた麗華が、武へお辞儀をした。
背中まで伸びた黒髪が跳ねるとともに、フローラルの匂いが香ってきた。
「どどど、どうも! 黒崎です!」
挨拶を返す武はてんやわんや。
半分パニック状態だった。
そりゃそうだ。
こんな清楚系美人がいきなり現れたら、訳が分からない。誰だってそうなるだろう。
「今日はこれからお食事に行くんですよね?」
「は、はい! そうです」
麗華の美しさに圧倒されていた武だったが、ここで我に返った。
今日はこれから、レストランで食事することになっている。
「その前にひとつだけ、よろしいでしょうか?」
麗華はそう言うと、一度バツが悪そうに視線を逸らした。
少し間を開けてから、視線を武へ戻す。
「ごめんなさい! 私、あなたのことをずっと騙していたんです!」
「…………へ?」
大声で謝罪された武は、気の抜けた声を上げる。
いきなりそんなこと言われて、意味不明。
困惑することしかできなかった。
「私元カレに、二股をかけられていたんです。それで自暴自棄になって、『今度は私が騙してやる!』ってそれでマッチングアプリに登録して、黒崎さんとやり取りを始めました。でも、やり取りをしていて分かったんです。この人はものすごくいい人だ、って。そうしたら罪悪感でいっぱいになって、どうしてもあなたに直接謝罪したくてここへ来ました。本当にごめんなさい!」
二度目の謝罪をした麗華は、深々と頭を下げてきた。
誠心誠意を感じる、本気の謝罪だった。
それに対して武は、怒鳴り散らす訳でも恨み言を言う訳でもない。
「今までありがとうございました」
ただそっと、優しい声色で感謝を伝えた。
「……嘘。どうしてよ」
頭を上げた麗華は、瞳を大きく見開いた。
顔いっぱいに驚愕を浮かべている。
「私はずっとあなたを騙していたんですよ……。それなのにどうして怒らないんですか!?」
「たぶんここは、怒るべき場面なんでしょうね。でも俺は、あなたに対してそういう感情が湧かないんですよ」
武は黒く染まり始めた五月初旬の夜空を見上げる。
口元には照れ笑いが浮かんでいた。
「あなたとのやり取りが楽しかったんです。あなたに嘘を吐かれて騙されていたとしても、その気持ちは本物ですから」
麗華からメッセージが来るたび、武は心が舞い上がっていた。
なかなか返信がないときは、変なことを言ったんじゃないかとソワソワしていた。
そう、楽しかった。
麗華とやり取りをしていたこの一か月近くという時間を、間違いなく武は楽しんでいたのだ。
それだけは、決して嘘ではない。
麗華は言葉を失っていた。
顔に浮かぶ驚愕の色が、先ほどよりも濃くなっている。
「短い間ですけど、ありがとうございました。それでは失礼します」
麗華に背中を向けて、武は去っていく。
「……待ってください!」
背中越しに麗華から声がかかる。
でも武は、足を止めない。
今の自分の顔を見せたくなかった。
麗華との時間が楽しかったのは事実。
でもやっぱり、辛い。悲しい。
それらのマイナスな感情もある。
それもまた、揺るぎない事実だった。
きっと今の武は、情けない表情をしているに違いない。
そんな顔を女性に見せたくはない。
男としての意地だ。
読んでいただきありがとうございます!
面白い、この先どうなるんだろう……、少しでもそう思った方は、【↓にある☆☆☆☆☆から評価】を入れてくれると作者の励みになります!
【ブックマーク登録】もしているだけると嬉しいです!