3、家庭科室
親友が一緒に昼食をとらない。
毎日ではない。火曜日と木曜日の二日だけである。
高校に入って同じクラスになってからずっと一緒だったのに、「悪い、今日は先客がいる」とか言うのだ。だから、仕方なくアキラは他の男子グループに入って飯を食う。そのグループ内で、アキラは親友にフられたらしい、とからかわれ、当の親友――遠野火一はその理由をはぐらかす。
「てか気にならんの? あの堅物がどこで飯食ってんのか」
前髪をきっちりと真ん中で分けた大野が言う。
「もしかしてまじで彼女じゃね?」
はしゃぐ桜井。
「アキラ明後日偵察してこいよ。いつもその日なんだろ?」
わりと真面目な部類の木ノ下までもアキラに無茶ぶりをする。
アキラは苦笑いと曖昧な返事をしながらも、ひそかに提案にノッていた。
絶対に、俺を裏切った理由を突き止める!
決戦は明後日、木曜日の昼休み。
火一はマメなことに必ずアキラに声を掛けてから教室を出ていく。成長盛りの運動部を満足させるような弁当を抱えて。アキラはその真っ黒い短髪と広い背中を目で追い、臨時昼食グループの応援を受けて、どろうぼうのように前屈みで教室のドアを開く。同じタイミングで向こうから来た女子に「うわ、キモッ」と汚物みたいに避けられたが気にしない。左右を確認すると、渡り廊下へ繋がる角を曲がって行く火一が見えた。その先は別棟だ。
昼食時、わざわざ別棟まで行って飯を食うやつなんていない。隠れるにはもってこいの場所で何を……いや、誰と会って何をするというのだ。
アキラの心臓が激しく胸骨を叩く。
こそこそと小走りに追いかけていると、擦れ違う生徒たちが半笑いで振り返る。しかしそんなことは気にならなかった。さすがに渡り廊下で二人きりになるのはバレる危険性があるので、火一が校舎に入ってから駆け足で渡り切った。灰色の曇天がどこか空しさを増幅させている。
母親が丹精込めて作ってくれた弁当も食わずに、自分は何をやっているんだ……と思わなくも無い。火一を追いかけたところで、彼の行動を責めたり制御できるわけでも無いし。
左右に伸びる廊下で一つ、溜息をつく。
右側から足音が聞こえた。
階段を下りる迷いのない足音が響いてくる。
アキラは己の行動の空虚さに打ちのめされながら、深い森で人の気配を辿る童話の中の子どもたちのように、足音を消しながら火一の歩みを追いかけた。
階段を下り、一階のとある教室のドアが開閉する音が聞こえた。
札には『家庭科室』と表示されている。
アキラはバレずに目的の場所に着いた喜びと安堵、そして尾行をしてきてしまった気まずさに、ドアの前でへなへなとしゃがみ込んだ。薄いドア一枚を挟んでいるだけなのに、教室の中は静寂に包まれていた。無言という冷たい空気が漏れ出ている気さえする。
そして単純な頭が解を弾き出した。
もしやこのなかにいるのは火一一人?
教室の煩ささに耐えかね、静かな場所を求めてここまで来ている?
閃いた途端、アキラの頭の中に花畑が広がった。
そして彼は俊敏に立ち上がり、ガラッとドアを跳ね飛ばした。
「寂しい少年よ! 一緒に飯を食わないかッ!!!?」
恐ろしいほど深閑とした空気に、アキラの高らかな声が響いた。
中央の席に、火一はいた。
その向かいに見たことのある女子――――佐藤黄金も。
どちらも驚いてはいたが、ほとんど表情を崩さずアキラを凝視していた。
「よく、ここがわかったな」
火一はゆっくりと瞬きをして悪の幹部のようなことを言った。
黄金は不機嫌さを隠そうともせず、購買で買った食べかけのコッペパンを袋にしまって立ち上がり、立ち呆けたままのアキラを睨んで横を通り過ぎた。
刹那、そのジャケットの腕をアキラが素早く掴んだ。
「いいのかよ。まだ食い終わってないじゃん」
気遣わしそうに顔を歪めるアキラの手を、黄金は煩わしそうに振り落として「別にいい。アンタは大好きな火一とごはん食べな」とドアへ向かった。
しかしアキラもしつこくその腕を捕らえる。
「お前のほうが先客だろ? 俺は火一といつも食ってるし? たまにはお前に貸してやるっていうか?」
「ああ煩いな。別に要らないから。返すって言ってんの。お子ちゃまは優しいママに甘えてな」
「な!? そういう言い方無いだろ! だから皆から嫌わ――――……」
「アキラ」
アキラの口を塞いだのはずっと席で傍観していた火一だった。
アキラの背後に貼り付いた彼が、硬い手で喋りかけの口に衝立を立てる。
「黄金も、言い過ぎだぞ」
静謐な声に、今度こそ黄金はアキラの手から逃れようとした、――がアキラは離さなかった。
「もういいでしょ。離してよ」
口の動きを封じられているアキラは首を左右に振る。
「アキラはお前と一緒に食べたいんじゃないか?」
「は?」
火一の言葉が鶴の一声になり、三人は同じテーブルを囲むことになった。
アキラは火一からおにぎりとおかずを分けてもらい、黄金はポケットに入っていた粘ついたキャラメルを面倒そうな態度で手渡した。
黄金は食べかけのジャム入りコッペパンを小さな口で齧っていく。時折、火一が己の弁当から玉子焼きなどをすすめたが、必ず首を振った。
会話はほとんど無かった。
それが気まずくてアキラが積極的に話題を振る。
黄金はただ聞いているだけで、火一はたいてい同意の旨を表す頷きを返すだけだった。
「あの……コミュニケーションって知ってる…………?」
アキラは思わず尋ねた。
向かい合ったその他二人が顔を見合わせ、「必要か?」「必要ある?」と声を合わせた。
「飯を食うだけなんだから黙っていても問題ないだろう」
ああ、そうだ。
火一はこういう男だった。
アキラは両目を抑えて天を仰いだ。
黄金はというとまだパンを齧っていた。
アキラも火一も食べ終えて手持ち無沙汰になっているというのに、まるでネズミのように、……いやネズミのほうが早いかもしない――マイペースに食べ進めている。
昼休みもあと数分で終わる。
アキラが呆れながら「早くしろよ」と急かすと、黄金がアキラをきっと睨み「先行けばいいじゃん」と苛ついた声で返した。
「だってよ、火一。先行こうぜ」
アキラが立つと、火一はそれにつられること無く頬杖をついて、
「少しくらい遅れたっていいだろ」
と暢気に呟いた。
「いつもは間に合うんだ。今日は色々時間を取られたから遅くなっているだけで」
…………ああ。
そこでアキラは理解した。
そういえば、昼休みに教室にいる黄金はたいてい机に突っ伏して眠っている。しかし週に二日だけは、こうして火一と共に食事をとっているわけだ。
そしてここからは憶測だが、火一は食べるのが遅い黄金を根気よく待ってやっている。……もしかしたらその食べ方が原因で教室で飯を食わないのかもしれない。だから、こうして見守りながら、――見張りながら、黄金に飯を食わせている、なんて――――……考え過ぎだろうか。
「あーーー、うん。俺も待ってる」
アキラは突然生えた犬の耳をしゃぼんと下げて、再び腰を下ろした。「いいって」と黄金が目を三角にする。相変わらず態度はムカつくが、何となく嫌では無くなった。
乾いたパンを口いっぱいに詰め込んで噎せているのは、多分俺のせいだし。
ジャムが唇に貼り付いて、まるでリップグロスを塗ったように艶めいている。甘い匂いのするそれは見るからに美味しそうで、本能的に引き寄せられそうになる。
「……黄金」
呼んだ火一が腕を伸ばし、ティッシュでゴシゴシと黄金の口を拭いた。彼女は嫌がり仰け反ったが、リーチは火一に軍配が上がる。
火一は狙っているんだろうか。
いつもタイミングよく――いや、悪く?――黄金に向けられる色欲から彼女を守ること。
そのうち黄金が、
「もう食べられない」
とまだジャムの見えるパンを表情無く見下ろした。
アキラは『こんなに時間掛けたのに残すのかよ、勿体ねー』とひそかに顔を顰めたが、隣の火一は何も言わずにそれをくすねて大きな口で齧りついた。
「なっ!?」
突然の、しかもまるで抵抗感の無い行動に驚いたアキラはガクガクと火一の肩が揺さぶって、
「お、お、お前…………!」
と動転した。
だって、だって、それって――――間接キスじゃん!!!
はっとして黄金を見る。
黄金は平然と火一の様子を見ながらパンの包装を弄んでいた。
火一は三口でそれを食べ終え、最後に赤い舌で口角を舐めた。
「ごっそさん」
言ってようやく立ち上がった二人は何事も無かったかのように教室を出て、前後に位置を取って歩き出した。アキラも小走りでそれに続く。その間に授業開始のベルが鳴った。
遅刻だ。
しかし、それより間接キスの衝撃が大きくて遅刻を嘆く余裕が無い。
二人の関係が分からない。
普段は全く喋らないくせにこうして自然と一緒にいることがある。
二人は他人みたいな顔をして教室に戻る。
真冬に汗をかいているのはアキラだけだ。
それから、火曜日と木曜日の逢瀬にはアキラも参加することになった。
「来るか?」
と聞かれたから頷いただけだ。
黄金は嫌な顔はしたが悪態はつかなくなった。
見ているだけでドキドキする二人の言動が、少しだけクセになっているのは内緒だ。