1、変態
「その唐揚げ頂戴」
「ジャージ貸して」
「紅茶花伝買ってきて」
クラス替えで初めて同じクラスになった女子、佐藤黄金はまるで暴君だった。驚愕するほど我儘で凶悪で理不尽で、しかしそれが発揮されるのが目の前にいる、彼女とたいして親しそうでもない男子に対してだけなのだから理解が出来ない。そんな様子を男子の友人である藤波アキラはいつも、右往左往しながら見守っている。
対して黄金のしもべ同然である遠野火一は、文句も言わず命令を受け入れけろっとしているからまた不思議である。
騒がしい昼休み、アキラは火一の弁当箱から卵焼きを盗みながら、彼に同情とも哀れみともつかない視線を向け「あのさあ」と声を掛けた。
「黄金のことさ、放っておいたらいいんじゃないの」
弁当箱の中身を眺めながら、昆布の佃煮と白米を咀嚼していた火一がアキラの唐突な質問に顔を上げる。
「何で?」
「いや、だってあいつ無理ばっかり言ってくるじゃん。別に弱み握られてるとか恩があるとかじゃないんだろ? 俺は無関係ですって無視しとけばいいじゃん」
「ああ、まあ、そういうこともできるな」
歯切れが悪い。
昼休みいっぱいを使って、アキラは黄金の命令に耳を貸すなと必死に説得したのだが、火一はそれを右から左に受け流していた。火一がどういう気持ちでいるのかさっぱりわからない。もしかして痛めつけられることに興奮を覚えるタイプだろうか。
いやでもあれは痛めつけるという意図がある命令なのか? いや困らせたいだけ? もしくは陰湿ないじめかも……。
アキラは友人の身を案じて黄金の言動とその意図を考察したが、ぐるぐると信憑性の無い案が浮かぶだけで解答は出なかった。
しかしアキラは友人思いの男である。
とにかく二人の様子を観察しなければ、と意気込んで学校生活を送る決意をした。
長袖長ズボンのジャージを着ても屋外の体育が辛くなってきた頃から、黄金は長袖長ズボンを忘れてくるようになった。今日も彼女は男子ばかりの教室にやって来て、着替えを終えてくつろいでいた火一に手を伸ばす。
「長袖貸して。男子は体育館だから寒くないでしょ」
不機嫌そうな表情で、火一の長袖ジャージの胸元をぐいぐいと引っ張る黄金の行動に耐えかねたアキラは、「この人暴力を振るってます!」と叫びたい気持ちを抑えて彼女の白い半袖から伸びる細い手首を掴んだ。
「今日で何回目だと思ってるんだ!絶対わざとだろ!」
思ったより険を含んだ声になり、アキラは自分で驚いた。しかし黄金は臆した様子もなく、眉根の皺を深くする。
「あんたには頼んでない。火一に言ってるの」
「火一だっていつも嫌がってんだよ。なあっ?」
アキラが火一を見ると、椅子に腰かけていた彼は無表情で黄金の顔を見上げると、ジャージのジッパーを下ろした。
「俺は別に何とも思ってない」
起伏のない声色で言って、躾けられたように目の前にいる彼女に脱いだものを差し出す。黄金は相変わらず目尻を釣り上げたままそれを受け取った。
黄金にとって都合のいいように事が進んだことに腹を立てながらも、アキラが掴んでいた手首を離すと、黄金はそのまま礼も言わずに背を向けた。
駄弁っている男子を避け、どこか無気力な様子で机の角にぶつかりながら歩き、半端に開いたままのドアから出ていく。
「いいのかよ。あれじゃ舐められたままだぞ」
アキラが責めるように言うと、火一は注視していないと見過ごすくらい短い間、ひそかに、しかし明らかに口角を上げた――――のが見えてしまった。
体育館から校舎に戻る途中、渡り廊下をだらだらと歩く男子の流れに乗って緩慢な足取りで進んでいるときだった。
校庭でボールの片付けをしている女子が見えた。仲良しの何人かずつで身を寄せ合い、楽しそうにお喋りをしている。
多分、「寒いねー」とか「疲れたねー」とか「あのユーチューバーがねー」とか、ありきたりな無駄口を叩いている。……とアキラは予想し、隣にいる火一に話題を振るが、不愛想な彼は興味なさそうに「そうかもな」と返しただけで会話は終了した。
あまりに素っ気ない。いつもだけど。
その群れの中に、オーバーサイズ過ぎる長袖ジャージを身に着けた黄金が佇んでいた。サイズの合っていないジャージを纏っているせいか華奢な体がますます小さく見える。
彼女は校庭の隅でただぼーっと立っていた。
おい、ちゃんとボール拾えよ、とアキラは心の中でツッコミながら、何故か目が離せなくなった。何故だかわからない。コミュニケーションを重視する群れの中であまりに孤独で、異質に見えたからかもしれない。
彼女は自分を抱くように腕を組み、めいっぱいジッパーを閉め、立ち上がった襟で口元を隠していた。
秋のそよ風が吹く度、長袖ジャージから伸びる白い膝が寄せられる。あれはまるで彼ジャージの出で立ち。上半身をバフっと覆うそれだけが彼女の暖を取る唯一のもの。それを頼りにしてサイズのあっていないジャージをぎゅうぎゅうと抱き締めるさまは、まるで違う誰かを抱き締めている…………ようにも、見えなくも無い。
誰か、と言えばでアキラは思い出す。
あれは火一の私物である。
ぎゅうっと抱きしめ、赤くなった鼻と口を襟の中に隠して、寒風を避けようと細めた目は微笑んでいるようにも見える。
伸ばさなくても長い袖――いわゆる萌え袖――が無垢な幼さを演出し、普段の彼女には全く抱かない筈の庇護欲をくすぐる。
もともと黄金の造形は可愛らしい。
暴君で無ければ誰しもが放っておかないような容姿をなのだ。
それが今まさに存分に活かされている!
健全な男として、正直な気持ち、今すぐ駆け出して抱きしめたい!と、アキラは黄金から目を離さずに熱望する。
しかしどう見てもあれは、もう、抱かれているのだ。
立ち止まった、自分の隣――――……しもべとして働く朴訥な男に。
「……なんか」
アキラの呟きに、同じ方向を見ていた火一が視線を戻した。
「変態だな、お前」
瞼を半分落として彼の半袖を引っ張ると、火一は一瞬小さく鼻を鳴らし、また校庭に顔を向けた。
暴君もしもべもどっちもどっちなのだと、アキラはこの時初めて理解した。
「はい」
セーラー服に着替えた黄金が、席についていた火一にぐちゃぐちゃのジャージを渡す。それを受け取りながら、火一が「セーターも貸すか?」と尋ねるので、アキラは軽蔑のかたちに顔を歪めて火一を見た。
「うん」と黄金はニギニギと唇を噛みしめながら脱ぎ終えるのを待ち、男の温もりの残るそれを受け取った。
アキラは黄金が席に戻ったのを見送ると、火一の肩を思いきり殴って「アオハルかよー」と羨ましさを苛立ちを含ませながら笑った。アハハハハ。