辛辣令嬢と悪女子爵【前編】
ヴィオラ視点です。重い話が苦手な方は飛ばしてください。
リーン、ゴーンと、遠くで教会の鐘の音が聞こえる。
王族に慶事があった際、祝いとして鳴る鐘の音を聞きながら、ヴィオラは無気力なまま格子付きの小窓を眺めた。
ヴィオラが牢屋に入れられてから早数ヶ月。
捕縛された当初、夫や父親がすぐに助けに来てくれるだろうと思っていたが、そんな希望はとっくに消えた。
父も夫も一度も顔を見せていない。
ヴィオラはきっと見捨てられたのだろう。
諦めてからはすべてがどうでもよくなった。
自分は無力。
それを強く感じた。
最初の数日は子爵である自分が平民用の牢に入れられたことに納得出来ず大声で叫んでみたのだが、誰にも相手にされず、その内五月蠅いと蹴られる始末。
痛みからうずくまっていても誰も心配などしてくれない。
ここを出たら仕返ししてやる!
看守を睨みつけイライラしながらも、ヴィオラは大人しくしていることを選んだ。
数日も風呂に入らなければ自分自身の臭いが気になり、風呂に入りたいと言えば 「犯罪人が何を贅沢なことを言っているんだ」 笑われ馬鹿にされた。
自慢だった美貌が霞んでいくのを感じる度、子爵としてのプライドが粉々になっていた。
「……私は、何も間違ってなどいないのに……」
一体何がいけなかったのか、ヴィオラには未だに分からない。
自分の願いはいつだって叶ってきたのだ、今回だってヴィオラの願いは叶うはずだった。
あんな子供、ちょっと脅せば大人しくヴィオラに従うと思った。
顔に小さな傷でも作れば、王家も見放し婚約がなくなると思った。
けれど現実はまるで違った。
あの子はヴィオラを誘導し、あの場に誘い込んだのだ。
そしてヴィオラの本音を炙り出し、あの場でぶちまけさせ自分を襲うように誘導した。
「シーラ・ランツ、本当に嫌な女……あんな子供なのに……私をこんな目に合わせるだなんて……」
きっとこの鐘の音はあの子の結婚の祝いなのだろう。
あの日見た第二王子の行動は、親が決めた政略結婚の相手に向けるものでは無かった。
心から心配し、あの子に愛情を向けているのがヴィオラにも分かった。
それにあの子のあの笑顔。
ただの脅しだったとは言え、刃物を向けた相手に対し、あの子はそれはそれは嬉しそうな笑顔を向けてきた。
シーラ・ランツの笑顔は、まるで猫が獲物を見つけて喜んでいるようで……
一瞬だけ恐怖を感じたことは確かだった。
「あの子が言う通り……私が、いけなかったというの……?」
壁にもたれかかり、美しくなくなった自分の手のひらをヴィオラは見つめる。
ほんの少し前まで、ヴィオラは誰もが望む全てを持っていた。
美貌も、金も、そして女伯爵になる栄光も。
すべてヴィオラは持っていたのに、今はこのざまだ、笑えてくる。
自分の手元からは何も無くなってしまった。
「……」
目を瞑り幼い頃の記憶を思い浮かべる。
ヴィオラは次女に生まれたが、ずっと女伯爵になりたかった。
父が跡取りとしてヴィオラを指名したあの日。
あの日こそが人生で一番輝いていたその日だったのだろうと、ヴィオラは幼いころの自分の記憶をたどった。
「ヴィオラ、次のスクワロル伯爵には君を指名する」
「えっ……?」
「次のスクワロル伯爵は君だ。今現在ズーラウンド王国に女伯爵は居ない。しっかりと学び立派な女伯爵になるんだぞ」
「はい、お父様、私立派な女伯爵になりますわ!」
「うん、期待している」
「はい!」
父の期待にヴィオラは笑顔で答えた。
この時ヴィオラは十歳。
てっきり姉のメロディがスクワロル伯爵家を継ぐと思っていたが、父は姉でなくヴィオラを選び、ヴィオラこそが女伯爵に相応しいと認めたのだ。
自分は選ばれし者。
ヴィオラの中に女伯爵になる者としてのプライドが育った瞬間だった。
「第二王子、ウィリアム・ライオネスだ。スクワロル家の皆、メロディ嬢の婚約者としてこれから宜しく頼む」
ある日、姉の婚約者となった第二王子が屋敷へと挨拶にやって来た。
父が自分を跡取りに選んだ理由は、姉が王家に嫁ぐからだったと知ったヴィオラは密かにショックを受けた。
(私がお姉さまより優秀だからではなかったの……?)
姉のおこぼれとしてヴィオラは跡取りに任命されたのだろうか?
姉がもしウィリアムと婚約しなければ、父はやはり姉を後継者にしていたのだろうか?
仕方なくヴィオラを跡取りにした?
そんな不安が胸の中に広がる。
だからこそ色んな事で姉に負けたくはなくなった。
勉強が苦手だった姉と一緒に家庭教師から習い、年下の自分の方が優秀だと見せつけてやった。
ダンスも運動が得意なヴィオラの方が上手に踊れたし、友人作りだってヴィオラのほうが得意だった。
「お姉様と結婚するウィリアム様が可愛そうね」
そう言って姉を揶揄えば、姉は青い顔で俯いた。
自信が無くなったからか、家でも口数が少なくなり、清楚だと言われていた姉の雰囲気がただの陰気者に変わっていった。
そんなある日、姉が父にウィリアム様との婚約を解消したいと言っているのを聞いた。
姉から 【王子の婚約者】 の座が消えたら何が残るだろうか。
勉強も出来ない、ダンスも苦手、美貌も消え失せている今、姉はもうヴィオラの敵ではなかった。
けれどせっかく王家との繋がりが出来るこの結婚を父が棒に振る筈もなく、姉の願いは受け入れてもらえなかった。
(お父様もお姉様なんか切ってしまえばいいのに……)
そう思ったがそれが簡単でないことはヴィオラにも分かった。
相手は王族。
勉強ができないからと約束を反故にすることが出来るはずがなかった。
そのせいで姉は益々追い込まれ、遂に大事な夜会の場で子供のように泣き出してしまったそうだ。
それを聞いたヴィオラは笑うしかなかった。
「メロディは他国に嫁に出す。王家との婚姻を反故にしたのだ、もうこの国には置いてはおけない……」
未来の王子妃だと姉を自慢していた父にとって、今回の事件はことさら響いた様で、姉を家に置くことを選ばなかった。
それも結婚相手は隣国の小さな男爵家。
未来の王子妃だった女が、しがない男爵の妻に変わったのだ。
心の中で (勝ったわ……) と満足感を感じた。
いつも長女だからと、王子妃になるのだからと、父に優遇されていた姉が、売られるように屋敷から出ていく姿を見てざまあみろとほくそ笑んだ。
これでもう安心だ。
スクワロル家は私の物。
目の上のたん瘤だった姉はもういない。
自分こそが女伯爵になるべき選ばれし人間なのだ。
ヴィオラの中にあったプライドは益々高いものへと変わっていった。
「ヴィオラ様、おはようございます」
「おはよう、皆様、お元気そうね」
「はい!」
未来の女伯爵として、学園では男女ともから慕われた。
ヴィオラはスクワロル家当主になるのだ。
当然その縁にあやかりたいと多くのものがヴィオラのご機嫌を取る行動をした。
その見た目や気位の高さから、やっぱりヴィオラ様は女伯爵に相応しいと持ち上げられた。
その影響もあって、ヴィオラの思い上がりは高くなる一方だった。
父親からの期待や、姉の婚約解消の件もあって、自分の願いは全て叶う。
そう勘違いして行ったのだ。
「私、貴方さえ良ければ婚約してあげても宜しいのよ」
ヴィオラは学園で気になる男の子に勇気を出し声をかけた。
自分が断られることはないと分かっていても、ヴィオラだって年頃の女の子だ、勇気がいった。
男の子は驚き、目を丸くする。
「えっ……僕、いえ、私が、ヴィオラ様のお相手に?」
「ええ、貴方は跡取りではないのでしょう? でしたらこの私の婚約者になりなさい。貴方なら私のパートナーとして認めてあげてもよろしいのよ? どうかしら?」
「は、はい! ヴィオラ様、是非お願い致します! 僕を貴女の婚約者にしてください!」
ずっと好きだった男の子にヴィオラは愛の告白をした。
胸は五月蠅いぐらいドキドキしていたけれど、扇子を広げ赤い顔を隠し誤魔化した。
相手の家は子爵位と家格は低かったけれど、とにかく顔が好みだったし、ヴィオラの言うことを何でも聞いてくれる優しいところが気に入っていた。
だから父にも気に入ってもらえると思ったのだが、父は渋い顔をした。
「……婿にするならもっと優秀なものが良いんじゃないか?」
あまり勉強が得意ではなく、特筆すべきものがある訳ではない彼との婚姻を望むと、父はそう言ってきた。
けれどヴィオラが絶対に彼が良いと言い切れば、父は渋々だが折れてくれた。
姉の件があったからこそ、爵位が低い彼との結婚を認めたのだろう。
自分の爵位より高い相手と婚約すれば何かあったとき大ダメージとなる。
父がそれを学んでいてくれてよかったと思った。
(あんな出来損ないな姉でも役に立つことがあったのね……お姉様、ありがとう)
もう二度と会わないであろう姉を思い出し、一人幸せの余韻に浸る。
ヴィオラの人生は順風満帆。
自分の人生に陰りなどあり得ない。
この先の未来も自分の望み通りになるだろう。
だが女伯爵になる道をまっすぐ進むヴィオラに、ある日不測の出来事が起きる。
妹のルーナが学園内で事件を起こした。
そんなあり得ない事だった。
「ヴィオラ、悪いけれど君とは結婚できない」
ヴィオラの妹であるルーナが学園内で事件を起こしてから数日、久しぶりに会った婚約者にヴィオラはそんな言葉を掛けられた。
「はぁっ? 貴方何言ってんの? 結婚できないって……この私と結婚できなくてもいいっていうの? 平々凡々な貴方が?」
悪い冗談か何かかと思ったが、自分の婚約者は目を合わせずああと頷く。
どうやら妹の事件が噂で流れているようで、婚約者はヴィオラとの結婚を不安になり始めたらしい。
もう間もなく結婚式という状況だ。
ヴィオラの中でそんな事が許されるわけがなかった。
悪いのは妹であって自分ではない。
そんな強い想いがあるからこそ、婚約者の言葉に納得出来なかった。
「……ああ、妹のことを気にしているのなら、あの子は修道院に行くことになったから大丈夫よ。それに事件を起こしたと言っても大したことは無かったの、相手の子が大げさに言っているだけなのよ。妹は軽い気持ちで脅してしまったみたいだけど、十分に反省しているし、もうウチに戻ってくることもないから心配いらないわ」
そう言ったのだが婚約者は俯いたまま、ヴィオラと目も合わさず首を横に振った。
「違う、違うんだ、僕がもう君と一緒にいるのが無理なんだ……」
「はい?」
婚約者の言葉の意味が分からず、気の抜けた声が出る。
「最初は君の自信気な所が素敵だと思ったけれど、ずっと傍にいてみて、君はただ我儘で自分勝手な女性だと気づいた」
「何ですって?」
婚約者の言葉にヴィオラはイラつく。
自分勝手な女?
冗談じゃやない!
結婚してあげるとこの私が言っているのに、それを断る婚約者の方がよっぽど自分勝手で愚かで我儘だ。
だけどヴィオラの前、俯く婚約者の言葉は止まることなく続く。
「君はいつだって他人を見下していて、自分が一番じゃなきゃ気が済まなかった。同級生の女の子達にも意地悪をして、気に入らない子がいれば仲間外れにして笑っていた。僕は君のそう言うところに嫌気がさした、一緒にいると心が削れるようで辛かったんだ……」
「意地悪だなんて……私はそんな事……」
確かに貧乏な家の子や、見た目がダサい子を見ればヴィオラはいつだって馬鹿にして笑っていたし、正直な感想を相手に伝えていた。
けれどそれは意地悪なんかじゃない。
見た目を整えたり、おしゃれをしない彼女たちが悪いのだ。
反論しようとするヴィオラの前、婚約者の言葉はまだ続いた。
「僕はそんな君の尻拭いをずっとして来た。泣かせた子がいれば代わりに謝ったし、君が相手の子の私物を壊せば僕ができる限り弁償し謝った。両親にはだいぶ前に君とは結婚したくないと言ったけれど、スクワロル伯爵家との縁が出来ることを喜んでいた両親はそれを認めてくれなかった……でも今回は違う。王家に見限られたスクワロル家と縁を切ることを両親も望んでいる」
「王家に? 見限られた?」
「ああ、そうだよ、スクワロル家は王家に切られたんだ。子爵家に降爵だし、この先王都への入場は叶わなくなる。だからもう君と結婚する旨味が無いんだ。きっぱり別れられる。それにホッとしているよ」
「……そんなこと……」
父から聞いていない事実を聞かされヴィオラは動揺する。
女伯爵になる予定だった自分が子爵に落ちるだけでも許せないのに、王都への入場を禁止だなんて、そんなの貴族として終わるという意味に近いではないか。
社交場に出ない貴族に何の意味があるだろうか。
貴族という名の平民と変わらない。
華々しいヴィオラの未来が、ガラガラと崩れ始めた。
「私は……スクワロル家の、跡取りよ……」
自分が爵位を継ぐときは華々しく夜会を開き、美しく着飾ったヴィオラの姿に誰もが羨望の目を向けるはずだった。
それが叶わないと知った今、ヴィオラの中で王家への憎しみの芽が小さく芽生えた。
「あ、貴方、私と結婚できなければ平民になるしかないのよ? それでもいいの?!」
爵位が落ちることはともかく、婚約者まで失えばヴィオラは良い笑いものだ。
周りに何を言われるか分からないし、みじめな姉のようになるのは嫌だった。
「悪いけれど、君と結婚して一生を共にするより平民になった方がマシなんだ……」
婚約者はごめんと言い残し部屋を出て行った。
残されたヴィオラの中で怒りが湧く。
「この私と結婚するより平民になった方がマシですって?!」
目の前に有るカップを扉に向け投げつける。
カシャンッ! といい音がしてカップは割れるが、ヴィオラの怒りはおさまらない。
「何なのよ! 何なのよっ! 私を馬鹿にしてっ!」
目に付くものを全て扉に向け投げつける。
ヴィオラと結婚できることをあれ程喜んでいたのに、妹が事件を起こしただけで手のひらを返して。
「あんな奴! あんな奴! こっちから願い下げよっ!!」
伯爵位を持たないヴィオラには価値がない。
婚約者にそう言われたようで、プライドの高いヴィオラは許せなかった。
ヴィオラはとびきりの美人だし、姉妹の中で一番優秀だ。
それなのに何故こんな目に合わなければならないのか。
「全部全部王家が悪いのよ……子供の喧嘩ぐらいで大騒ぎして……」
泣いて叫んでボロボロの姿になったヴィオラから、恨みの言葉が漏れる。
「絶対に許さない、許さないわ! いつか必ず仕返しをして間違いを認めさせてやるんだから!」
輝かしい自分の未来を粉々に打ち砕いた原因を探し出し、必ず仕返ししてやる。
ヴィオラの中で復讐という逆恨みが決意された瞬間だった。
おはようございます、夢子です。
ブクマ、評価、いいねなど、応援いつもありがとうございます。
今日明日はヴィオラのお話です。
少し長いですが楽しんでいただけたら嬉しいです。