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人形に婚約破棄した、王の右腕

作者: 佐久ユウ

箸休め小説です。痛快さと、ざまぁは無いです。

 我が国の貴族社会では、婚約破棄が相次ぎました。はじめ、それは婚約が白紙に戻された相手に恋人が現れ、真実の愛を告げて不幸から救うという展開でした。

 それがいつしか「婚約破棄なしに幸せにはなれない」と信じられるようになっていったのでございます。

 公爵家次男としてお産まれになったクロードさまも同じお考えでした。

 ご本命の伯爵令嬢エミリアさまへ秘密の手紙を送り、変装してご領地の収穫祭に誘っては親交を深め、つつましく愛を育まれました。そのころ、クロードさまには婚約なさっておらず、エミリアさまも同じでございました。


 ()()()()()()()()のです。


 どんなに愛しておりましても、婚約は仮初の婚約とされ、脈なしのサインと周囲は見てしまい、2人目が本命という常識がやんごとなき方々のお考えにあったからです。

 ですからわたくしの坊っちゃまは、エミリアさまが他の誰かに婚約され、婚約破棄される時運を心待ちになさっておられたのです。

 ところがある日、坊ちゃまは慌てた様子でメイド控え室まで来られました。


「たいへんだ! ハンナ」

「どうなさいましたか? お坊ちゃ……いえクロードさま」


 産湯から取り上げた赤子も、今や皆が仰ぎ見る立派な青年でございます。真っ直ぐに見下ろす濃紺の瞳は息をのむほど力強く、王宮の図書室と呼ばれるほどの聡明さに満ちております。クロード・セバスチャンは賢王の右腕との異名がつく策略家のはずですが、黒々としたお髪をかき乱し、泣き出しそうなのを堪えて、深呼吸をなさいました。


「聞いてくれ、ハンナ。エミーが、婚約を申し込んできた!」

「エミリアさまが? じきに夏の舞踏会ですものね。それはおめでとうございます」

「どこがめでたい。僕もエミーもまだ一度も婚約破棄されていないんだぞ?」

「……それはお気の毒でございます?」


 一瞬、意味がわからず私は疑問文で応えてしまいました。はたから見てもエミリアさまは、クロードさまにゾッコンだと思っていたのです。

 クロードさまも同じお考えのようで、お髪をかき乱されました。


「なぁハンナ、どうしてエミーは僕に婚約を申し込んで来た? わが兄と婚約するならまだわかる。1番めの仮の婚約者は兄弟に、いなければ独身の親族と結び、婚約破棄の儀を経て本命と結ばれる。それが慣習というものだ」


 やんごとなきご身分のお方はまどろっこしい儀式がお好きでございます。我が国では婚約破棄が儀式化しておりましたから、互いに本命のために仮の婚約者を挟み、婚約破棄を盛大に執り行うのでございます。


「クロードさまは仮の婚約者をお定めですか?」

「もちろんだ。抜かりはない。この春、伯爵家と取り急ぎ婚約の書面を交わした。エミーの末の妹、リリアンとな」


 リリアンさまは春に産まれたばかり……赤子ちゃんですのに、クロードさまは家の地位を乱用してエミリアさまのご実家、伯爵家と婚約の書類を交わしたのでした。生後半年で婚約破棄される赤ちゃんが気の毒です。

 

「とにかく、エミーに会いに……もちろんお忍びでいく。ハンナ、お前も付いてきてくれ」

「わかりました。変装用の汚れた服をご用意いたしますね」


 いつものようにクロードさまは使用人に扮し、乳母のわたくしを伴って、伯爵家に会いに行くのでございます。辻馬車でいかにも使用人風の男女をみかけたら、それはたいてい伯爵令嬢とお忍びで会う、お坊ちゃんとわたくしなのでございました。



 伯爵邸の使用人戸口から裏の通路を通り、裏の控え室で、別送した服に着替え、裏の応接室に向かいます。

 表の通路に対して裏の通路を、また裏の応接間を設けてあるのは貴族の館では一般的な作りでございます。

 この公爵邸の半分にも届かないお屋敷でさえ、使用人通路を挟み表と対をなす裏の応接間がございます。 つまり貴族のお屋敷は世間体のため、ご苦労が偲ばれる設計をするものだったのです。


 その裏の応接間で待っておりますと、黄金色の髪をみごとに結い上げたエリミアさまが優雅な動作で尋ねてこられました。クロードさまを翡翠色の瞳で物憂げにチラリと見られ、短く息を吐かれてソファーに座られました。


「婚約の手紙を出しましたのに、裏の応接間にお尋ねとは……手紙は読まれていないの?」


 裏の応接間は本命相手の婚約者用、表の応接間は仮の婚約者用として使うので、エミリアさまが本心でそう仰るなら、クロードさまには絶望的です。それでもクロードさまは食い下がりました。


「手紙は読んだよ、エミー。良いかい? 私は末の妹さんの婚約者なのだ。だが君自身はまだ誰とも婚約していない。それなのに、私を初めての婚約者にしたいと申し出たのか?」

「その通りよ」

「その通り、だって!」


 クロードさまの後ろ姿からでも絶望感がひしひしと伝わってきましたが、エミリアさまは長いまつげを伏せ黙っておしまいになられました。

 絨毯に膝をつき、項垂れたクロードさまは、沈黙を破りました。


「……エミリアさま。私の何がいけなかったのか仰って頂けませんか?」


 非公式の場とはいえ今までの親しい間から一線を引かれたエミリアさまへの配慮を怠らないのが立派な貴族の紳士というものでございます。

 エリミアさまは翡翠のまなざしを向けられました。


「今夏の舞踏会……わたくしは他の殿方からダンスを願うカードがたくさん届いていると申しましたわ」

「はい。知っています。本命は……そちらにいらっしゃると……」


 エミリアさまは麗しいご令嬢、本命の座をねらう殿方からダンスの予約が、つまりは恋文がたくさん届くの、と親しい伯爵家のメイドが教えてくれたのを思い出しました。

 それに、ダンスの予約を願うカードを自らエミリアさまにお渡しになられた先週にも、エミリアさまのお口からダンスのお誘いなら既に沢山届いている、仰ったのをクロードさまの横でも聞いたのでした。


「あなたは2番目に踊りたいと、そう仰ったわ」

「はい。私の本心ですよ」

「それなら初めてはどなたと踊るの? リリィを抱いてダンスなさるの? あの子は赤ちゃんよ?」


 勉学と仕事一筋のクロードさまが、舞踏会で赤ん坊抱きくるくると踊るさまを想像しました。なかなかほほえましい想像図にわたくしは口元が緩みそうになるのを、咳払いでごまかしました。


「君の大切な妹さんを夜会に連れ出したりはしない。公爵家の名に誓って」

「そう言われると思ったわ。あなたは昔から優しい性格ですもの!」


 そこでワッとエミリアさまは泣き出されてしまいました。エミリアさまのお気持ちが痛いほどわかります。クロードさまは気にしませんが、公爵家にもダンスを予約するカードは山のように届いていたのです。エミリアさまがご不安に思うのも無理は無いでしょう。

 しかし哀れなクロードさまは、ハンカチを差し出そうとしてジャケットの胸ポケットに手を当て固まっておりました。


 王宮の図書室と呼ばれる我が主も、愛しのエミリアさまの心の内を推しはかるには勉強がまだ足りなかったのでございます。


「あなたの涙をみるのはつらいが、その涙を拭く資格が無いと言われるのなら、よりつらい」


 クロードさまはエミリアさまの目と鼻の先でそうおっしゃいます。赤い目で顔を上げたエミリアさまは、クロードさまの上等なジャケットからハンカーフを取り、涙を拭われ、かわいらしくちーん、と鼻をかみました。


「資格はありますわよ。わたくしがわがままなのも分かっています。もしも公爵家のご令嬢があなたと踊ろうと思って誰かを差し向けたら、伯爵家の私は引き下がらなくてはならないわ。だから正式な婚約者として1番目に踊ってもらいたくて、手紙を出しましたの。もちろん本命とは見なされないことは分かっています。それでも、次の舞踏会は欠席もできませんし!」


 今までクロードさまは本命の座を狙うご令嬢たちを避けるため、舞踏会を様々な仮病を列挙してズル休みされていました。しかし今度の舞踏会は隣国から来賓を招くこともあり、クロードさま、エミリアさま共に国中の貴族は参加を厳命されていたのでした。


「わかってるよ。だから妹さんと婚約したんだ」

「わかってないわ! 赤ちゃんが婚約者だなんて信じませんわよ。信じてもあなたは舞踏会で赤ちゃんに婚約破棄されるの? 他所の赤ちゃんを連れてくるの?赤ちゃんも産んだ母親も気の毒よ?」


 そうなのです。本命を社交界に知らせ、認めさせるには、仮初の婚約者の前で本命がいるとの宣言が必須。やんごとなき方々の世にも不思議な慣習を変えることはもはや王家にもできないのです。

 クロードさまはエミリアさまの両手を取りました。


「エミリア、君が年下想いの優しい人なのは昔からよく知っている。私はその優しさに惚れたんだ。だから君の末の子が、女児と聞いてすぐさま婚約した。私が婚約破棄したあとは誰を好きになろうと、自由になるしね」

「でも妹は舞踏会へ連れて行かないと……」

「エミリアがむかし拾ってくれた私の人形に妹さんの産着を着せて連れていくさ」


 エミリアさまが昔拾われたお人形は、クロードさまが森のピクニックで置き忘れたもので、亡き奥様の形見でもございました。

 あとから来られたエミリアさまが大木の根本に見つけ、人形の刻印から我が家の物とだと、メイドと届けに来られた日のことを今日のことのように思い出します。


『いい? 小ちゃい子を森につれちゃだめよ』


 当時は舌足らずなエミリアさまも、神妙な顔で頷くクロードさまも『小ちゃい子』だった時代のことでございます。


 あれからお美しくなられたエミリアさま。その頬に流れた涙を、クロードさまが親指で拭われました。


「クロード、人形相手に婚約破棄なさるの? あなたが笑い者にされるわ」

「構わんさ。赤子に無理はさせられない。だから誰が笑おうと君との思い出の人形と一緒に最初はダンスをさせてくれないか?」


 今度はエミリアさまが頬をゆるめて、頷くとクロードさまの黒髪に触れました。


「婚約破棄したら、人形はどうなさるの?」

「仮初めの婚約者らしく「軟禁」しようか」

「軟禁? 大切なお人形なのでは?」

「だからだよ。万が一、横奪されたら困るしね。()()はいずれ必要とされるだろうし」


 そう仰ったクロードさまは夏の舞踏会にて人形相手に婚約破棄なさいました。

 前例のない婚約破棄ではございましたが、陛下によってお人形はリリアンさまの代理として認められ、また本当に赤ちゃんを舞踏会に連れてこいと表立って騒ぐような者もいなかったのです。


 そうして無事に婚約破棄されたお人形は木箱に「軟禁」されました。もちろんある程度の自由は保証されておりましたから、私の監視下でメイド控え室にて外気に触れてはましたけれど。

 

 ん、クロードさまが何と言って婚約破棄なさったか? 伝えて聞いたところではこう仰ったのですよ。


『リリアン、そなたの未来を私は決めかねる! 何を聞いても「おぎゃー」としか言わないのだからな!』


 なんともまぁ、自分勝手な理由で婚約破棄をされたものだと、当時の貴族たちも微笑ましく、語ったものです。


 これが、このお人形の由来なのですよ、お嬢さま。そういう訳で、今日まで「軟禁」され、ようやく「解放」されたのです。

 お嬢さま、お誕生日おめでとうございます。

 さぁお人形を持って食堂へ参りましょう。お二人とも、祝いの席でお待ちですよ。

 


異世界恋愛で婚約破棄を読み続けた結果、他の味が欲しくなった箸休め小説ゆえに、ここで終わります。

お読み頂きありがとうございました。

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