貴方の歪んだその心に、いままでの仕打ちに、愛は枯れ果てました。
オーフェリアは、今日もハンカチに刺繍を施す。チクチクチク。
悲しみを込めて、怒りを込めて、今日も刺繍を施す。
寂しさを込めて、苦しみを込めて……
この王国では赤は悲しみの花と言われていて……そんな赤い花を一針一針、縫っていく。
涙がポトリポトリと綺麗な赤の花の刺繍の上に落ちて、オーフェリアは泣き崩れた。
オーフェリア・ブランド公爵令嬢。
金の髪のこの美しき令嬢には婚約者がいる。
レッドル第二王子殿下だ。
王家が無理やり結んだ婚約。
それでも、オーフェリアは嬉しかった。
彼とは王宮に遊びに行って幼い頃からの仲良しだった。
母と王妃殿下が友という事もある。
母に手を引かれて、王宮に出かける日はとても嬉しくて嬉しくて。
レッドル第二王子殿下に会える。
彼は黒髪の優しい感じの王子様で。
10歳の時に婚約が決まった時はとても嬉しかった。
レッドル第二王子は、オーフェリアに向かって、
「オーフェリアと婚約が結べて嬉しい。これからも一緒だね」
「わたくしも、とても嬉しいです。レッドル様」
そう、とても幸せだった。
だが、その幸せも王立学園に通うようになってから壊れてしまった。
16歳になると貴族は皆、王立学園に通う。入学したレッドル第二王子は色々な女生徒と付き合いだしたのだ。
オーフェリアがレッドル第二王子に向かって、
「わたくしという婚約者がいるのに、どうして放課後に他の令嬢に勉強を教えると約束したのです?」
レッドル第二王子はにこにこしながら、
「だって、勉強で解らないっていうから、教えてあげる約束をしたんだよ」
「明日はわたくしと、お茶会の日でしたわね」
「あ、明日はごめん。先約があるんだ。別の令嬢に買い物に付き合って欲しいと言われてね」
どういうこと?
別の令嬢って???
わたくしとのお茶会は前々から決まっていたはず。それに、わたくしは婚約者よ。何故、他の令嬢との約束を優先するの?
レッドル第二王子は、呼びに来た令嬢の元へ嬉しそうに走っていって。
「やぁ、早かったね。図書室へ行こう」
あれは伯爵令嬢。嬉しそうにレッドル第二王子と共に廊下を歩いていった。
特定の女生徒と付き合っている訳ではない。色々な女生徒と仲良くしているのだ。
距離感がおかしいのではなくて?
あんなにくっついて、廊下を歩いていくだなんて。
オーフェリアの趣味は刺繍だ。
学園から、家に帰って時間がある時は刺繍をする。
チクチクチク。
刺繍をしている時間は心が落ち着くから。
何もしていないと、泣きわめいて、頭が狂ってしまいそう。
チクチクチクチクチクチク。
そんなとある日の事である。
ずらしたお茶会の日、王宮の庭でレッドル第二王子とお茶を飲んでいた。
「この間、騎士団の副団長が剣を教えに来たんだけれども、女性だったんだよ」
「ああ、有名な方ですもの。綺麗な方として副騎士団長様」
「そうだね。あんな綺麗な人が、凄い太刀筋を見せてくれたんだ。凄いよね」
「そうなの」
「それからね。家庭教師のメイラ。妹さんが凄い美人なんだよ」
「そうなのですか」
「ああ、王宮で事務官として働いているって、廊下で見かけたんだけど、美人で有名なんだって」
オーフェリアはイライラした。
王立学園に入るまでは、女性の話なんてする男ではなかった。
色々な女性達と王立学園では付き合い、最近の話と言えば、女性の話ばかり。
イラついて、悲しくて……
特定の女なら、公爵家の力を使って、殺してしまうかもしれない。
でも、上位貴族から下位貴族まで幅広いのだ。
盗った女を憎むことすらできない。
わたくしは貴方の婚約者なのよ。特別に扱ってよ。
何で他の女の話をするの?
そう叫びたかった。
だが、公爵令嬢として、高位貴族の令嬢として、感情を表に出すのは許されない。
にこやかに微笑んで、
「女性との付き合いもほどほどになさって下さいませ」
「まぁ、色々な女性を見てみたい年頃だから、大目にね。」
いっその事、下位貴族の令嬢達なら、亡き者にしてしまおうかしら。
レッドル様と仲良く勉強をしていたあの伯爵令嬢。
甘えるように腕を組んで廊下を歩いていたあの子爵令嬢。
庭のベンチで昼休みに楽しそうに話をしていたあの男爵令嬢。
みんなみんな殺してやりたい。
さすがに副騎士団長や、家庭教師の妹まで、手を出せなかった。
特に副騎士団長は高位貴族の令嬢である。
それに人殺しは良くないわ。
いつもの通り、部屋で刺繍をしていて、いらついて、刺繍のハンカチを床に叩きつけた。
そんなオーフェリアに、派閥の伯爵令嬢。彼女はレッドル第二王子とは親しくしていない。
マリアーネ・カウド伯爵令嬢が、王立学園の教室で声をかけてきた。
「オーフェリア様にお話ししたいことがあります」
「なんでしょう」
「ここではちょっと。お時間を頂けますか」
「では昼休みに、昼食後どうかしら」
「解りました」
昼食後、誰もいない中庭のベンチで話を聞く事にした。
マリアーネはオーフェリアに向かって、
「わたくしの姉が王宮でメイドをしているのはご存じでしょうか」
この王国では伯爵家や子爵家の令嬢達が花嫁修業として、王宮で一定期間働くことがあるのだ。
マリアーネは言葉を続ける。
「レッドル第二王子殿下は、キルド王太子殿下におっしゃっていたそうです」
― オーフェリアは自分の事を愛している。嫉妬で苦しんでいるその様が楽しい。 嫉妬のあまり誰か殺してくれないかなぁ。そうしたら私はもっと愛を感じることが出来るのに -
驚いた。普段は温和に見えるレッドル第二王子殿下。それなのに心の中ではそのような事を考えていた?
マリアーネは言葉を続ける。
「わたくしの言う事を信じなくてもかまいません。ただ、姉がそう言っていたと報告をしておきます。わたくしはオーフェリア様がもし、誤った選択をして、人殺しで捕まるのは耐えられないからです。殺された令嬢も気の毒です」
殺すとしても、足がつかない方法で殺すでしょうけれども……
殺さなくてよかった。
レッドル様。貴方はそんなに歪んでいたの?
わたくしを嫉妬させることを楽しんでいる?
きっとあの人はわたくしと結婚しても、愛人を持って、わたくしが嫉妬する様を楽しんでいるんだわ。もし、わたくしが愛人を殺したとしたら、喜びで身悶えする。そんなお方。わたくしは何年あの方を見てきたのでしょう。あの方の温和な仮面に騙されていたんだわ
マリアーネに礼を言う。
「有難う。マリアーネ。わたくしは人殺しなんてしないわ。安心して」
「それなら良かったです」
貴方がそこまでするならば、こちらとて貴族らしく貴方を罠にかけましょう。
レッドル様……
貴方の歪んだその心に…いままでの仕打ちに、愛は枯れ果てましたわ。
公爵家で手配した闇の者を、メイドとして王宮に忍び込ませ、マリアーネの姉の協力もあり、
罠にかけた。
「きゃぁっーーーレッドル様がっーーー」
半裸で廊下を走るメイドの女。
マリアーネの姉だ。
公爵家が潜り込ませたメイドに抱き着いて、
「レッドル様に襲われかけて、わたくし、わたくしっ」
マリアーネの姉の言葉にメイドは叫んだ。
「誰か来てっーーーーー」
レッドル第二王子が部屋から飛び出して来る。
「違うんだっーー。私はそんな事はしていない」
「私っ。私っ……」
行儀見習いに来ている伯爵家の娘に手を出した。
それには母である王妃が渋い顔をして、
「このような不祥事。王宮の外へ漏らすわけには参りません。皆の者。漏らさないように」
マリアーネの姉に口止め料を渡した。
レッドル第二王子は違う違うと喚いていたが、王立学園や他の所で色々な女性と仲良くしているという話を王妃は聞いていた為、信じて貰えなかった。
どこからか、その話が漏れたのか。
オーフェリアの父、ブランド公爵から国王陛下に、婚約を解消して欲しいと願い出た。
国王陛下は渋い顔をし
「あれをお前の家に婿入りさせる予定だったのだがな」
「伯爵家の令嬢に手を出そうとしたそうですね。殿下はそれでなくても色々な女性と仲良くしているとか。我が家に婿入りする予定の婿がそれでは困るのです。我が公爵家の血をひかない子に公爵家を継がせるわけにもいきませんし。私も娘も、愛人を認めるつもりはありません」
「解った。婚約破棄でなくていいのか?」
「解消で。娘が自由になるなら、婚約解消でよろしいです」
国王陛下は声を潜めて、ブランド公爵に
「影の者から報告があってな。伯爵令嬢の狂言だそうな」
「それを信じる者はいないでしょう。第二王子殿下の今までの行いを見れば」
「確かにな。婚約解消しよう」
国王陛下はブランド公爵が退出してから、呟いた。
「公爵家がやらせた癖にな。さて、アレをどうしようかのう」
オーフェリアは刺繍をする。
チクチクチク。チクチクチク。
もう、嫉妬をする事もない。自分は婚約解消。レッドル第二王子とは関係なくなったのだ。
オーフィリアに手紙が届いた。
中身は見なくても解る。
だが気になって中身を見てみた。
― 愛している。君に嫉妬をしてほしかった。だから、色々な女性と仲良くした。今回の事は冤罪だ。君がやらせたのか?それ程、私の事を許せなかったのか?どうか許して欲しい。愛している。オーフェリア -
手紙を暖炉に放り込む。
貴方の歪んだその心に…いままでの仕打ちに、愛は枯れ果てましたわ。
でも、もう関係ない人……
刺繍は悲しみの赤い花ではない。
喜びの金の花だ。
もう、二度と、赤い花の刺繍をすることは無い。
わたくしは前を向いて歩くわ。
レッドル第二王子は、新たに婚約者を探したが、メイドを襲った事実が知れ渡り、どこの家も婚約を結びたがらなかった。
失意の中、彼は追い出されるように隣国へ行き、誰とも結婚せずに外交官として過ごした。
オーフェリアは後にマリアーネの弟と婚約し、彼はとても誠実な人柄だったため、幸せな家庭を築いた。
オーフェリアは二度と赤い花の刺繍をしなかった。
可愛い子供たちの為、愛しい夫の為に、王国では縁起が良いと言われている金の花の刺繍を幸せそうな顔で、ハンカチに施していたという。