恐ろしい天使
――そして現在に至る
あれから何か月経っただろうか。
俺は毎日のように星宮の愚痴を聞かされていた。
正直思っていたよりもずっと大変で、人の悪口を聞き続けているとなぜだか俺の心まで疲弊してくるのだ。
「はあ。みんなが望む天使を演じるのも大変だわ」
「なんで疲れるのに天使なんかやってんの?」
「だってこの学校の天使になるのが憧れだったんだもの!」
「へえ……」
それなら俺にもいい顔をしたままでいておいて欲しかったものだ。
俺はあの日忘れ物を取りに学校へ戻ってしまったことを心の底から後悔した。
「あ、そうだ。ちょっとやって欲しいことがあるんだけど」
(はいはい、ジュースでも飯でもなんでも買ってきますよ)
どうせ俺はもう星宮の言うことを聞かざるを得ない状況にいる。
パシリでも何でもやってやろうじゃないか。
「わたしのストーカー追い払って欲しいのよ」
「はいはい、ストーカーね。…………って、は? ストーカー?」
(す、ストーカー? ストーカーってあのストーカーのこと? 俺の思ってるストーカーであってる?)
俺が想像していたやって欲しいことからかけ離れていたため、頭が混乱してしまった。
「え、何、ストーカーいんの?」
「うん」
(いやうんって! そんなあっさり! 普通「ストーカーいるんだよね、ぐすん」とか泣きながら助けを求めるもんじゃないの!?)
さらに頭が混乱した俺は星宮に詳しく話を聞くことにした。
「はいこれ」
俺は星宮に一通の手紙を渡される。
「何これ?」
「そのストーカーが毎日入れてくる手紙」
どうやら星宮の下駄箱に毎日異常な量の手紙を入れてくるやつがいるらしい。
俺は手紙を受け取り、中身を確認する。
「うわ、なんだこれ……」
「たぶん下の方に名前とか書いてあると思うんだけど全く読めないのよ」
「これは確かに……」
何か文字が書かれているが汚すぎて読めない。
というか汚いとかいうレベルではない。文字の線はガタガタ、字体はぐちゃぐちゃ。
かろうじて読めるのは「好き」という文字くらいだった。おそらくラブレターのつもりなのだろう。
さすがの俺でももうちょっと綺麗だ。
「そういうわけでストーカーを見つけるわよ」
「え、これってストーカーっていうの?」
「わたしがストーカーだと思った時点でストーカーなのよ。こんなよくわからない大量の手紙を毎日毎日、迷惑なのよ。わたしも協力するから一緒に犯人突き止めるわよ」
(協力するのは俺の方なんだけど……)
正直、可哀そうだとは思うが、そんなめんどくさそうなことやりたくない。
ストーカーと言っても、星宮の熱狂的なファンぐらいのやつなんだろう。
「それなら先生とか家族に相談したらいいじゃん。なんで俺なんだよ」
「こんな大事になりそうなこと周りに言えるわけないじゃない」
「ええ……」
(はあ…… 友達にも大人にも言えない中、ちょうどいいところにちょうどいいやつがいたのが俺というわけか)
「んなこと言われたって、どうやって見つけたらいいんだよ」
「それをあんたが考えるのよ」
(え、この人全然協力してくれないじゃん…… でも嫌だって言ったらどうなるかわからんし…… やるしかないよな……)
俺はなけなしの知恵を絞って一つの作戦を考えた。
それはそのストーカーをあえておびき寄せる、という作戦だ。
星宮の下駄箱にこちらから指定した場所に来るように書いた手紙をいれておく。
星宮からのお願いなら相手も姿を現すだろう。
そこをとっつかまえるのだ。
「どうですかね?」
「ふーん、まあ安直だけどいいんじゃない?」
「安直で悪かったな。じゃあそれで、明日決行ってことでいいか?」
「ええ。じゃあそろそろ教室戻りますか」
「おう」
なんだか大変なことに巻き込まれてしまったが、俺はさっさと終わらせて解放されたい。
(はあ……)
いつも通り、俺は星宮と時間をずらして教室に戻った。
俺が教室に着いた頃には星宮の周りにはまた人が集まっていた。
相変わらず俺は席に座れそうにない。
「みんな、神代くん座れなくて困ってるからさ。避けてあげて?」
俺が困っていると星宮が口角を上げ、優しい声でそう言った。
するとさっきまで見えもしなかった俺の机が出現し、俺は席に座れるようになった。
天使パワーすげえ。
俺が席に座ると「やっぱ星宮さんは優しいな~!」という声とともにどこからか舌打ちのようなものが聞こえてきた。
ふん、こんなのは無視だ無視。
星宮の隣の席という誰もが羨む位置を俺なんかがくじ引きで引き当ててしまったために、俺は男子どころか女子にまで白い目を向けられることが多い。
俺の席は窓側の一番後ろ。本来なら最高な席のはずだった。
ここで暖かい日の光を浴びながら昼寝をしたりして静かに過ごすという希望は星宮が隣の席にいることによって打ち砕かれたのだった。
こっちだって変われるならこんな席譲ってやりたいが、担任の野崎に席を代わりたいと相談したところ普通に却下された。
その時は『能筋のくせに……!』と激しく野崎を恨んだものだ。
「星宮さん爪きれいだね~!」
「えー、そうかな?」
星宮とクラスメイトたちの会話が聞こえてくる。
「うん! なんか手入れとかしてるの?」
「全然! してないよ!」
「やっぱ星宮さんみたいに心がきれいだとと爪もきれいになるんだね~!」
(いやそれ絶対関係ないやつじゃん。その理論だと星宮の爪はボロボロだぞ、ボロボロ。爪剥がれ落ちちゃうよ)
俺はツッコみたくて仕方なかったが、なんとかぐっと言葉を飲み込んだ。
こいつらは毎日毎日こんな星宮を持ち上げるような中身のないような話ばかりしていて何か楽しいのだろうか。
「おい、お前らー。席つけー」
朝のHRの時間がやってきて、野崎が大きな胸板を揺らしながら教室に入ってきた。
みんながわらわらと自分の席に戻って行く。
俺はやっとほっと一息つくことができた。
毎朝こんなのを経験すると思うと学校に行くのが本当に憂鬱になる。
「今日の日直は…… 神代と星宮だな。日誌頼んだぞ」
HRが終わって俺は野崎から日誌を手渡された。
みんなの、特に男子のキッという視線が俺に向けられる。
(いや、日直が一緒になるのは仕方ないじゃん…… お前らも星宮と一緒になったことあるだろ……)
俺だって出来ることなら星宮と必要以上に関わりたくないのだが、なぜかこういうことが多いのだ。
「神代くん、よろしくね!」
「あ、ああ……」
星宮は満面の笑みで俺に話しかけた。
……本当にこいつは恐ろしい天使だ。