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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

春に弓、その手に刀を ―戦国時代に紛れ込んでしまった青年は自らの武と智を頼りにスローライフを目指して乱世を自由気ままに生き抜くようです―

作者: 尾羽内 鴉

行き詰っています。

よろしければ感想などでご意見いただければ幸いです。


なんだか、主人公のキャラ付けが薄いような気がして気になっています。

五十貫での召し抱えもやり過ぎだろうか。


稲葉山城の乗っ取り、時系列変えたのは悪手だろうか。

主人公はスローライフして戦国時代を乗り切って一藩主、一旗本して過ごすのが目標です。


もう少し執筆してご意見いただき、取り入れることが出来たら連載したいなぁ。


皆様のアドバイス、助言、軽い意見など何でもください。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

令和 〇年 (西暦二〇××年) 都内 某所


「……その歳にして、もう儂に勝つか」


 俺は首元に刃引きをした刀を片膝立ちの祖父に突きつけていた。なにも本当に争っているわけではない。我が家に代々伝わる千住渡直心流の稽古をしていただけである。


 祖父は口惜しそうでいて、その実、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。イヤだねぇ。負けたというのに喜ぶなんて。


 三歳の頃から稽古を始めて十三年。ようやく祖父に勝つことが出来た。しかし、祖父とは違い俺は喜ぶ気にはなれなかった。


 祖父は既に齢七十を超えている。勝てた要因に老いもあるだろう。嬉しさよりも虚しさが胸中を占めていた。俺が強くなったんじゃない。祖父が弱くなったのだと。


「武術は剛では勝てぬ。心に余を持ち、静に努めよ。これが千住渡直心流の極意ぞ。それを忘れなければ百戦して百勝するであろう。もし、其方が戦国か幕末の世に産まれていたとしたらあっけなく殺されるぞ」


 そう言って納刀する祖父。俺を置いてそのまま道場を出て行ってしまった。俺はその背中を見送り、道場の真ん中で一人、胡坐をかいていた。一人愚痴る。


「別に、これで天下が獲れるとか思ってねーし。ただ、やらされてたからやってただけで。食べたいときに食べたいだけ食べ、寝たいときに寝たいだけ寝る。何も起きず平穏ならそれが一番なんだ」


 必要なことは全て教わり、自分のものにした。目標としていた祖父にも勝ってしまった。勝ってしまったのだ。これから先、俺は何を目標に刀を振るえば良いのだろうか。


 そのまま精神を統一させ、瞑想する。心に余を持ち、静に努める。我が流派の極意である。しかし、上手く集中できない。ただただ虚しさが残る。


 現実に目を向ける。面白くもない高校に通いながら日々、研鑽に努める。努力したとて使われる場面もないというのに。強くなって、何になるという訳でもないのに。ただ、義務の如く千住渡直心流の稽古に努める。


 確かに戦国時代だったらこれだけの技量をもってすれば武士の端くれくらいにはなれるかもしれない。大学に進学して、四十五年間働き続ける。四十五年。途方もない年月だ。耐えられるだろうか。


「考えていても仕方ないか」


 そう思い、荷物を纏めて道場を後にする。着替えるのも面倒だ。鞄に着替え、それから道場に来る前にスーパーで購入したお使いの品を持ち稽古着のまま立ち上がり前を向いた。その時だった。


「え?」


 道場の入口には一匹の狐が座ってこちらを見ていた。じっと俺を見つめている。思わず俺は腰に下げている刃引きしてある刀に手をかけた。たかが狐一匹に対してだ。それだけ、この狐からの圧が強かったのである。


 狐はそんな俺の動きに反応したのか、何もせずに器用に道場の扉を開けて出て行ってしまった。なんだったんだろう。疑問に思いながらも荷物を担ぎ、運動靴を履き、玄関の引き戸を開け、一歩進み出た。


「え?」


 再び情けない声が出た。何故ならばそこは森の中だったからだ。月明かりだけが頼りの森の中。おかしい。俺はただ自宅の横の道場から出てきただけなのに。後ろを振り返ると、道場は既に跡形もなくなっていた。


 心臓が高鳴る。どうしてこうなった。落ち着け、落ち着けと自分に何度も言い聞かせる。刃引きしてある刀を腰に佩ぎ、運動靴の紐を締め直す。動きやすい運動靴を履いていて良かった。


 問題はここからだ。そもそも此処はどこなのか皆目見当もつかない。無暗矢鱈に動き回って体力を消耗することだけは避けたい。しかし、この場所に留まっていても活路は見出せない。困った。


「如何した。此処は其方が望んだ場所なるぞ」


 右手側から声がする。思わず俺は反対側に飛び退き、柄に手を添えた。そこに居たのは着物を着込んだ一人の童であった。この童、全く気配がしない。


 じっとりと俺を見る童。値踏みしているような、推し量ろうとしているような視線だ。俺はその童に尋ねる。


「俺が何を望んだって?」

「何じゃ何じゃ。もう忘れたのか。戦の世に身を投じたいと願っておったではないか」


 確かに、願った。しかしだから何だというのだ。そもそも、どうしてそれをこの童が知っているというのだろうか。怪しい。俺の本能が全力で警鐘を鳴らす。


「此処は其方が願った戦の世じゃ。殺し殺され裏切られ。絶望と欺瞞が蔓延る下剋上の世じゃぞ。この世であれば立身出世が出来るのだろう。やってみせよ」

「別に立身出世を望んではいねーよ。食べたいときに食べたいだけ食べ、寝たいときに寝たいだけ寝る。何も起きず平穏ならそれが一番なんだ」


 そう言う。まるで自分に言い聞かせるように。しかし、いつの間にかそれだけを言い残して童は居なくなってしまった。


 眉唾な話である。どうやら俺は先程の狐に化かされているのかもしれない。此処は何処なのだろう。まずは人里まで向かわなければ。


 そんな時だった。人の声が響いてきたのは。男の怒号と少女の悲鳴である。その悲鳴を聞いた瞬間、悲鳴の聞こえた方角へと俺は駆け出していた。そして現実を直視する。


 着物を着た十歳前後の少女を腹当を身に着けたおっさん二人が手籠めにしようとしていたのだ。流石にこれは見過ごせない。刃引きしてある刀を抜き、後ろから襲い掛かろうとする。


 そして動きを止めた。ここは現代日本。法治国家だ。彼女を救いたいと思う気持ちは十全にあるが、犯罪者にはなりたくない。ぴたりと俺の動きが止まってしまったのだ。


 いや、あの童の言うことを信じるのならば、此処は既に戦国の世のはず。俺が人を襲っても捕まる心配はない。もし、本当に童の言う通りなのであればだが。そんなわきゃー、ない。


 そうこうしているうちに少女の身包みが剝がされていく。目の前の少女を助けるために犯罪者になる覚悟はあるか。自分に問う。俺は覚悟を決めて、静かに抜刀した。ぶつぶつと呟く。自分に言い聞かせるように。


「正当防衛。正当防衛だこれは」


 俺はこれを卑怯だとは思わない。悪事を目の当たりにして正義を説く時間があれば少女を救えと思う。二人のおっさんの脛を刃引きした刀で思い切り叩き付けた。


 刃は無いが、重さは真剣と一緒だ。おっさん達は悲鳴を上げて倒れ込む。そして俺を睨み付けた。少女は助けを求めるように俺を見ている。


「貴様ぁっ! 何をするかっ! どこの者だぁ!」


 おっさん二人が激昂しながら俺に向き直る。そして抜刀した。なんだこれは。戦国時代モチーフの映画の撮影か何かか。しかし、カメラも何もない。そもそも部外者が入ってきたら止めに入るべきだろう。


 そんな俺の困惑を知ってか知らずかおっさん二人が襲い掛かってくる。しかし、脛を痛めているせいか、踏み込みが甘い。おっさん二人の刀を弾き飛ばし、乱暴に蹴り付ける。殺しはしていない。


「二人とも動くな。動いた方から斬る。いいか、素直に答えろ。これは何をしている?」


 首元に刀を突き付け、問い掛けた。事情はわからないが、俺に襲い掛かってきたという事実は看過できない。


「何って……織田様が稲葉山城を攻めるってんで」


 織田様? 城攻め? この令和の時代に何を言っているのか。そういう映画の撮影だろうか。ますます困惑する。俺は着物を脱がされている少女にこう命令した。


「悪いがそこの刀を取ってくれ」


 そう言うと、少女は恐る恐る動き出し、俺に刀を一振り渡す。俺は突き付けている刀を納刀し、少女から刀を受け取る。そして驚く。


 刃が、生きている。


 俺は刃引きされていない刀で襲い掛かられたのだ。この事実が俺の身を震えさせる。恐怖からの震えなのか、興奮からの武者震いなのかはわからない。それでも、俺は震えたのだ。


 では、本当に童の言う通り戦国時代にタイムスリップしたというのだろうか。しかし、そうとしか考えられない。


「お前の名は?」

「え、栄です」

「お前はこの二人をどうしたい?」


 そう尋ねると、栄はハッと驚いた顔をしてから鬼の形相となった。そして、息を荒くしながら俺にこう告げる。


「殺して欲しい」

「……」


 俺は何も答えない。ただ無言で栄に刀を拾うよう、指示をする。そして手短に告げる。殺したいならお前が殺せと。向こうは丸腰、俺は刀を突き付けている。栄は刀を振りかざす。


「や、やめ――」


 二人の男の喉を搔っ切る。男二人は人形のように力なく倒れ込んだ。栄は、人を殺した。俺は人を殺させた。人を殺めるというのは、こうもあっさりしたものなのか。


 動かなくなった二人を前に、俺は俺に弁護する。殺したのは俺じゃないと。今更、そんなことは言い訳にしかならないというのに。自嘲の笑みを浮かべた。


「なあ、これは映画の撮影か?」


 少女に尋ねる。しかし、少女は頭に疑問符を浮かべながら俺を見る。何を言ってるのかわからないと言った目で。それでも俺は言葉を紡ぎ出す。駄々を捏ねる子どものように。


「映画……とは何でしょう?」

「いや、映画くらい知ってるだろ。ほら、駅前のアイオンモールとかに入ってる――」

「駅前? あいおんもぉる?」


 そんな問答を繰り広げていると、遠くから音が聞こえてきた。金属の擦れる音、複数人の足音である。俺は周囲を見渡す。人が二人死んでいる。この光景を見られるのは不味い。


 俺は急いで少女を担ぎ上げる。そして少女と一緒に手近の木陰に身を潜めた。俺たちと入れ違いに馬に乗った武者と三、四人の小者が死体をまざまざと眺めていた。


「はて、童の声が聞こえたような気がしたのだが」


 死体を検分している。綺麗に喉だけが搔っ切られているのだ。近くに武器はない。誰がどう見てもこの状況をおかしいと感じるだろう。俺ならばそう思う。


「あの男は知り合いか?」


 栄に尋ねる。栄は木陰から顔をひょっこりと覗かせ、武者の顔をまじまじと確認していた。少女は叫ぶ。どうやらその顔を判別できたようだ。


「叔父上!」

「む? 其方は……栄ではないか!?」


 栄が飛び出す。俺も姿を現すことにした。最大限の警戒を添えて。既に抜刀状態だ。向こうは槍。こちらは刀。圧倒的に不利である。


「栄、このようなところで何をしているのだ?」

「岩田の村が焼かれました。父上も兄様も……」

「そうか」


 頬に何かが当たった。空を見上げる。するとぽつぽつと雨が降ってきた。それは栄たちの気持ちを表現するかのように。


「それで逃げ出したは良かったのですが、敵方に運悪く見つかり、襲われていたところを、あのお方に救っていただきました」


 栄が俺を見ながらそう告げる。彼女の叔父の目も俺を捉えた。値踏みするよう、俺をじっくりと見つめる。そして俺にこう尋ねた。「何者だ」と。


「俺の名は翔太郎。春弓翔太郎だ」

「翔太郎殿か。姪を救っていただいたこと感謝致す」


 下馬し、俺に頭を下げる。俺は刀を納めた。それから栄の叔父は栄を救ってくれたお礼がしたいと述べた。それを快諾し、彼の後を付いて行く。


 俺は実感する。自分が本当に戦国時代に紛れ込んでしまったのだということに。そして雨に打たれながら、誰にも悟られぬよう、静かにほくそ笑んだのであった。


―――


 戦国時代 美濃国 某所 春


 俺は今、栄の叔父である竹腰重時の屋敷に招待されている。どうやら、この竹腰だが、この美濃ではそれなりの家格のようだ。そして現状を理解した。


 竹腰家の当主は竹腰摂津守尚光。重時の兄だ。そして栄の父親は尚光と重時の弟にあたる。今回の戦で運悪く命を落としてしまったようだ。


 今の美濃を治めているのは一色龍興。つまり斎藤道三の孫だ。この時点で一五六一年から一五六七年の間ということがわかる。織田信長が美濃に本格的に侵攻するのは一五六三、四年だ。つまりはその辺りだろう。


「いやはや、翔太郎殿は武勇に優れておるのですな」

「いや、まあ……ははは」


 愛想笑いをするしかない。俺はどうやら戦国時代にタイムスリップしてしまったようだ。もうセットというレベルの話ではない。街全体が中世に戻ってしまっているのだ。乾いた笑いしか出ない。


 山と川、そして広がる田園風景。どうしてこうなった。俺が戦国時代は良いなぁ。そんなことを願ってしまったからだろうか。思い当たる節はある。あの狐だ。俺をこの時代に招き入れたのはあの狐に違いない。


 更に具合の悪いことに、俺が居る竹腰重時は一色方に組する将である。この美濃竹腰家はゴリゴリの一色派で重時の弟達も一色派だと言う。うん、長居は無用だな。


 歓待いただいたことだし、そろそろ竹腰重時の家を後にすることにしよう。そのためには理由が必要だ。織田方に与するため、暇を貰います。確実に殺される。口が裂けても言えない。そこで、俺は妙案を思い付いた。


 出来るだけ丁寧な言葉遣いで竹腰重時に話しかける。


「時に竹腰様。竹中半兵衛なる男をご存じでしょうか?」

「半兵衛殿か。無論、存じておるぞ。先の新加納の戦いで活躍をした、あの竹中殿であろう?」


 新加納の戦いとはなんだろうか。わからないが、とりあえず話を合わせておく。


「左様にございます。その竹中様に是非ともお目通り願いたく、紹介の文をいただけませんか?」


 せっかく戦国時代に来たのだ。天下の名軍師と言われた竹中半兵衛重治をこの目で見てみたい。しかも同じ国に居るのだ。このような好機を逃してなるものか。


「ううむ」


 しかし、反応は芳しくなかった。どうして芳しくないのか。後で理解したのだが、それは彼我の家格が違うからである。


 竹中家は一色家の直臣、竹腰家は一色家の陪臣なのだ。というのも竹腰重時は竹腰家の本家ではなく分家だったのだ。本家は兄の方なのだろう。


 竹腰重時は五百石ほどの食い扶持である。対して竹中重治は一万石を超える郡代でもあるのだ。規模が違い過ぎるのである。それでも俺は無理を押し通し続けた。


「それでも構いません。どうか」

「そこまで言うのであれば承知いたした。しかし、期待はしないでいただきたい」


 何の成果を得られなくとも良いのでと無理に頼み込んだ結果、なんとか文を頂戴することが出来た。これで取っ掛かりが出来た。そこからどうするかは俺次第である。


 翌日。俺は認めてもらった文を手にして竹腰重時の屋敷を後にする。問題は無事に菩提山城まで到着することが出来るかどうかである。地図も方位磁石もない。ここから西に向かえば到着するはず。


 大体の日本地図は把握している。今は美濃だから岐阜県だろう。南には愛知県、今では尾張か。西は滋賀県だから近江になるのか。


「で、君は何でいるの?」


 俺の横には栄の姿が。風呂敷をたすき掛けして、旅立つ準備は万全のようだ。鼻息荒く、目を輝かせている。俺は溜息を吐いてから、そのまま竹腰重時のもとに向かった。


「おお、翔太郎殿。もう旅立たれるのですかな」

「はい。竹腰様にはお世話になりっぱなしで何とお礼を申し上げて良いのやら。このまま竹中様のもとへ向かいたく思います」

「そうか。また会うこともあるだろう。達者でな」

「では」


 頭を下げ、栄の背中をずずいと押した。竹腰重時は栄をがっしりと受け取り頷いた。栄は謀られたとばかりに暴れる始末である。


「何も栄を連れて行くとは言ってないだろう」

「まだ御恩を返せておりませぬ!」

「それならば叔父である竹腰様が良くしてくださった。文だけでなく銭までくださった」


 そう言って貰った一貫を栄に見せる。それだけではない。道中の共にと握り飯を二つ用意してくれた。栄が殺した雑兵が使っていた武具まで譲り受け、まさに至れり尽くせりである。


「それは叔父が用意したのであって私が恩を返した訳ではありません!」


 力説する十二歳児。しかし、そう言われても連れて行けないものは連れて行けない。それは俺と竹腰重時の両名の意見である。これは揺らがない。


「そうは言うがな。栄に何ができるというのだ」

「そ、それは……閨でも睦事など」


 そう言いながら頬を赤らめる栄。いや、十二歳児に何をしろと言うのか。俺は頭を抱えながら栄の説得にかかる。まずは重時が吠えた。


「まだ裳着もしていないのに何を言うか。そう言うのは裳着してから言え」

「ならば今すぐ裳着します!」


 駄々を捏ねる栄。竹腰重時も自分の娘ではないため、強くは言えず仕舞いだ。まずはこの場を収めるため、俺は栄に嘘を言うことにした。


「わかった。では栄が裳着し、俺がそれなりの俸禄を得ていたら栄を迎えに来よう。それでどうだ?」

「本当ですか?」

「本当だ。武士に二言は無い」


 俺はまだ武士ではない。だから二言も三言もある。だが、この言葉を聞いてやっと場が収まった。泣く子と地頭には勝てないとはまさにこのことである。


 今度こそ本当に竹中半兵衛に会いに菩提山城を目指し、歩く。その道中に考えを巡らせていた。どうして戦国時代にタイムスリップしてしまったのか。この際、それはもう良い。考えても結論には辿り着かないだろう。


 それよりも今後、どう振舞うかが重要なのだ。せっかく戦国時代にタイムスリップしたというのであれば、経験を積ませてもらおう。現代に帰れるかどうかわからないが、この機会を活かさない手はない。


 祖父は俺に言った。お前など戦国時代ではあっけ無く殺されて仕舞いだと。それが本当かどうか試してやる。その心意気を胸に、竹中半兵衛が居るという菩提山城へと向かうのであった。


―――


「やっと着いた」


 あれから丸一日掛けて菩提山城へと到着する。本来ならば数時間で到着する距離なのだが、如何せん地図が無い。太陽を利用して方角を見分ける以外に道標が無いのだ。


 竹腰重時から握り飯を貰っていなかったら困っていたことだろう。それから道場からスポーツ飲料の入った水筒も持ってきている。これは持ってきて正解だった。


 俺が現代から持ってこれたものは水筒と腕時計、タオルに替えの下着である。それ以外にも助かったのはスーパーのお使い帰りだったという点だ。


 ジャガイモにトマト、南瓜にマヨネーズ。どれも捨てられない大切なものである。これだけあるだけでも儲けものと思うようにしよう。


 このまま菩提山城に殴り込む。訳ではなく、まずは菩提山城の麓にある城下町に入り情報を集める。情報を集めると言えば酒場と相場が決まっている。手頃な酒場に入った。


「いらっしゃい! 好きなとこに座ってくんな!」


 威勢の良い声だ。この酒場の主人だろう。中にはその主人と懇意にしている屈強で精悍な武士と仲間同士でしゃべって盛り上がっている町人が居た。俺は武士の隣の隣の席に腰掛ける。流石に並んで飲む勇気はない。


「適当に酒と肴を」

「へいっ!」


 格好をつけてお酒を注文してみた。アルコール度数が高かったらどうしよう。ああは言ったものの、内心はバクバクである。


 そういうと店主が持ってきたのは濁酒ときゅうりと味噌であった。店主の肴を選ぶ感覚は俺と近しいらしい。濁酒もアルコール度数は高くなく、するすると入っていく。ほぼ水みたいなものだ。


 俺は十五だが、年齢確認などされずに濁酒が提供された。この時代では法律で禁止されていない。ところ変われば法も変わる。酒が飲みたいのなら飲める場所へいけば良いのだ。アンティグア・バーブーダとか。


「この辺では見ない顔だな」


 そんなことを考えていると、隣の武士が声を掛けてきた。ただ静かに酒を嗜んでいる。二十代後半の武士だ。目元は笑っているが、心が笑っていないように思う。


 そして何よりも、強い。相当な剣の使い手だということがわかる。俺は最大限の警戒をしながら隣の武士の質問に答える。


「竹中様にお目通りを願いたく参上した次第に」

「ほう、浪人がどうやって?」

「紹介の文がございますれば」

「それならば目通り出来るかもな」


 店主は俺と武士とのやり取りをおろおろしながら見守っていた。武士が店主に合図をしている。俺としてもこの場で暴れるつもりはない。


「其方はどこから参ったのだ?」

「南蛮より参った」


 この横柄な武士に辟易した俺は――酒を入れて気が大きくなったのか――嘘を吐くことにした。だが、問い詰められても応えられる自信はある。南蛮の出だという証拠もでっち上げることも可能だ。


「これは大きく出たな」

「信じるも信じないも気にはせん。ただ、俺の足元を見れば俺が南蛮の出であることが証明出来るというものだ」


 その武士は俺の足元を見た。俺が履いているのは運動靴である。戦国時代にはない、草履とも下駄とも雪駄とも違う、運動靴なのだ。


「ほう、なるほどなるほど。して、竹中様にお会いしたらどうするつもりだったのだ?」

「そうだな。話をしてみたい。それから手合わせを所望したいとおもっていたところだ」


 よく、マンガやアニメで竹中半兵衛は薄幸の美少年に描かれがちだが、新当流か何かの免許を持っていたと記憶している。つまり、強いのだ。


「それだけか?」

「それだけだ」


 そう言ってきゅうりを味噌に付けて口の中に放り込む。歩き疲れているせいか、味噌の塩味が身体に染み渡っていく。隣の武士はただじっと俺を見つめていた。そして口を開く。


「ふむ。それならば某と立ち会ってみぬか?」

「は?」

「某の名は阿波鳴戸之助彦六と申す。竹中半兵衛様の家臣だ。某に勝てる程の剛の者であれば殿に会わせる価値がある」


 にやりと笑う彦六。それは俺としても願ってもないことである。小難しい話をするよりも強い方の言うことを聞く。わかりやすくて良いじゃないか。


「その話、受けよう。時と場所は?」

「そうだな。明日の朝、迎えを寄越す。親父、悪いがこいつをこの店に一晩泊めてやってはくれねぇか?」

「へ、へぇ。それは構わねえが、アンタ良いのかい? 鳴戸之助様は家臣の中でも知られる剛の者だぞ?」

「構わん。もし、俺が切られることがあればそれまでの人間だったということだ」

「良い覚悟だ」


 思わぬところで良縁を得た。文だ何だとやり取りをするよりも、勝ったら合わせるくらいの方がわかりやすくて良い。俺は酒場の店主に研ぎ師を紹介してもらう。


 追い剥ぎから拾った二振りの刀だが、俺は刀を選べる立場にない。もっと銭があれば刀を買うのだが、残念ながら銭も多くない。どちらかを、いや両方を上手く扱うしかないのだ。


 酒代と研ぎ代で銭が減る。働き口を見つけなければどんどんと銭が無くなっていくだけである。ふむ、彦六との戦いに勝った暁には仕事も斡旋してもらおうか。


 そんなことを考えながら着々と準備を進める。刀は研いだ。体調も悪くない。飯は酒場の店主が情けをくれた。あとはその時を待つばかりである。


 俺は二振りの刀のうち、仕立ての良い方を手に取り酒場の裏手で抜刀する。扱いなれている刀ではないため、少しでも手に馴染ませられるよう、素振りを行った。二尺二寸五分。普段使っている刀よりやや短い。


 袈裟、水平、逆袈裟、切り上げ、切り下げ。様々な斬り方を試して感触を確かめる。うん、悪くない。本番はこの刀を使うことにしよう。


 水筒に井戸から汲んだ水を入れる。タオルで身体を軽く拭き、汗を流した。これで準備は整った。俺は明日に備え、酒場の隅で丸くなって眠るのであった。


―――


 明朝。俺は今か今かとその時を待つ。怪我をしないよう、酒場の裏手でストレッチを入念にしながら。昨日は歩き回ったが疲れは残っていない。


「よう、待たせたな」


 彦六がやってきた。俺は腰に刀を佩いで荷物をもって彼の後ろに続く。体格は俺と同じくらいだ。一七五センチくらいあるだろうか。この時代では大きい方に入るだろう。


 山を登り、菩提山城の城内へと進んだ。そして本丸まで進む。開けたところで立ち止まり、この辺で良いかなどと彦六は呟いていた。


「じゃあ、始めようか」


 距離を取って抜刀する彦六。俺も距離を開け、抜刀した。


「わかってると思うが、死んでも文句言うんじゃないぞ」

「それはお互い様だろう?」

「良い威勢だ。虚勢でないことを祈ろう。阿波鳴戸之助彦六、お相手仕る」


 彦六が正眼に構える。対して俺は脇に構えた。これは構えの特性上、隙が多くなってしまうが構わない。後の先を狙うのが俺の常套手段である。


「千住渡直心流、春弓翔太郎。推して参る」


 押して参るなどと言ってるが、俺から向かうことは無い。彦六に攻めてもらうのを待つばかりである。いつの間にか俺たちの周りには人が集まっていた。何なら賭け事の対象になっているくらいである。


「来ないのか?」


 誘うように彦六が挑発してくる。俺はその挑発には乗らず、逆に挑発し返す荒業を見せた。


「失敗したな。賭けの対象になるなら自分に全額賭けておけば良かった。そうしたら労せずに懐が暖まったのに」


 あからさまに落胆して見せる。彦六は表情こそ変えなかったが、刀を握る手に力が入っている。腕に筋が入っているのだ。こういう洞察力を養うのも優れた剣士となる秘訣だ。


 力が入るとしなやかな動きが出来なくなる。柔軟に対応できなくなるのだ。心に余を持ち、静に努める。大丈夫、俺は極意を守れている。


「ふっ」


 彦六が踏み込んできた。正眼から喉を目掛けて突きを繰り出してくる。俺はそれを最小限の動きで避けて逆袈裟にて斬り付ける。それを彦六が身体を捻って躱す。


「ぐふっ」


 体勢が崩れたところを鳩尾を狙って思い切り蹴り飛ばした。こちとら、三歳からずっと刀を握っているんだ。悪いが負けることはできない。彦六が再び距離を取った。


「どうした、もう終わりか。俺はまだ一歩しか動いていないぞ?」


 挑発を続ける。だが、この一連のやり取りで俺は理解した。彦六よりも俺は強い。油断しなければ勝てる相手だと。慢心せず、俺は正眼に構え直す。


「強い、強いなお前。年は?」

「十五だ」


 そう言うと彦六は身を震わせていた。そしてほうと溜息を吐いてからゆっくりと納刀する。まだ決着はついていないというのに、どういうつもりだろうか。


「参った、某の負けだ」


 彦六がそう宣言した。それを聞いた瞬間、周囲の人々がどよめく。どうやら俺が彦六に勝ったのが意外だったらしい。しかし、彦六も相当の使い手だ。勝てないと見極められる実力があるのだから。


「潔いのだな」

「稽古で命は捨てたくないのでな。これが戦場なら死に物狂いで殺しに掛かっていたぞ」


 そう言って彦六は俺のそばまで歩み寄り、俺の胸を軽く叩いた。これでこの時代に来て最初の関門は突破したと言っても過言ではないだろう。


「付いて来い。殿に会わせてやる」


 そう言う彦六。俺は彦六の後を追った。城の中をするすると通り抜けていく。誰も咎めることが無いということは、本当に彦六は竹中半兵衛の家臣なのだと実感する。


 彦六が部屋に入る。そこには年若い男が一人居るだけであった。彦六がその男に声を掛ける。


「あれ、殿は?」

「表が騒がしいと仰って席を外されましたが」


 どうやら竹中半兵衛は居ないようだ。部屋には近習と思わしき男が居るだけであった。そう思った瞬間、俺の背後から人の気配がした。殺気は感じないが、思わず身構えてしまう。


 すると、一六〇センチを超えるくらいの小柄な男が俺に抱き着いてきた。彦六よりも若い。二十歳前後の男だ。その男を見て彦六が言う。「どこへ行っていたのですか、殿」と。


 そう。この男こそが俺の探し求めていた竹中半兵衛重治だったのである。


 どこが薄幸の美少年だろうか。無精髭、ぼさぼさの髪。どれをとっても美少年とは程遠い存在ではあった。ただ、容姿に関しては磨けば光るだろうなとは思う。その容貌、婦人の如しとは言いえて妙だ。


 ばれてしまったと言わんばかりに部屋の真ん中奥に胡坐を掻く。そして、俺に朗々とした声でこう告げた。


「ようこそ、春弓翔太郎殿。俺が竹中半兵衛重治である」


 これが、俺と竹中半兵衛の出会いなのであった。


―――


 目の前に伝説の軍師、竹中半兵衛が居る。俺はその場で胡坐座りをし、拳を付けて頭を下げた。しかし、半兵衛はそれを見るなり、俺にこう告げる。


「ああ、良い良い。楽に致せ」


 そう言われたので言葉通りに楽にする。半兵衛はじっと俺を見つめていた。まるで値踏みされているかのような感覚に陥る。


「どうした? 儂と話をしに来たのだろう?」

「はっ」


 いけない。そういえばそうだった。というか、どうしてその話を知っているのだろう。もしかして彦六が既に半兵衛に話を通しておいてくれたのだろうか。


「俺と、手合わせ願えますか?」

「悪いがそれは出来ない。儂はな、彦六よりも弱いのだ。彦六で勝てぬのなら儂は勝てぬ。時の無駄よ」


 あっけらかんとそう言い放った。残念ながら最初の願いは叶わなかったようだ。つまり、免許の半兵衛が敵わないというのであれば、彦六は免許皆伝の腕前なのだろう。


「だがな、彦六の得手は槍だぞ」


 半兵衛がにやりと笑いながらそう述べる。どうやら彦六を過小評価していたようだ。それもそうか。彼我の戦力差が判別できるのだ。弱い訳が無い。


「他には何かあるか?」


 ぎろりと鋭い視線が俺を捉える。その覇気に飲み込まれそうになった。ふぅと息を吐く。そして思い切り両頬を叩いた。彦六と近習が驚いていた。


「ど、どうした?」

「何でもない。竹中様に気圧されて吞まれていた。自分自身に気合を入れ直しただけだ。さて、竹中様。今の美濃をどう思われます?」


 そう尋ねると半兵衛は俺の質問の意図を考え始めた。悪いが、この質問に意図はない。俺が単に雑談話をしたかっただけに過ぎないのだから。


「混迷を極めるだろうな。我が殿が立ち直れるとは思わぬ。近いうちに美濃は織田のものになるであろう。森部も落ち、軽海でも負けた。調略の手が伸びてきている。我が殿では抑え込むことはできぬだろう」


 半兵衛は残念そうな顔をしていた。どうやら美濃一色家が無くなることを寂しく思っているようだ。


「一色……斎藤山城守様はどのようなお方だったのですか?」

「儂も幼き頃にお会いしただけだがな、思慮深くも果断で快活なお方だった。そのお子の左京大夫様も人望厚く、武勇に秀でた方であった。親子かはいざ知らず、山城守様から薫陶を受けておったのだろう」


 半兵衛は懐かしそうな目をする。そして思う。俺はどうしてこの時代に飛ばされてきたのかと。桶狭間でもなく、本能寺の変でもなく、関ケ原でもない。この美濃侵攻という時代に。


「儂からも尋ねさせてもらおう。其方は何者だ?」


 半兵衛からそう尋ねられ、言葉に窮する。馬鹿正直に「未来からやって来た者です」と伝えて信じてもらえるだろうか。いや、それはない。少なくとも彦六と近習が信じぬだろう。妄言を吐く馬鹿として処理されて仕舞いだ。


「南蛮から渡来した者であると申したらば、如何なさいますか?」


 試すように俺はそう述べた。半兵衛が俺をじっと見る。俺もまた半兵衛をじっと見つめた。何かを測っているように思う。何を測っているのかはわからないが。


「笑い飛ばすだろうな。だが、お前が申すと本気に聞こえるから面白い」


 にやりと笑う半兵衛。俺も釣られて笑ってしまった。とても不思議な方だった。偉い方だというのに偉ぶる素振りも見せない。浪人まがいの俺と対等に話をしてくれているのだから。


「本当なのだから仕方がないでしょう。スペインからポルトガルを経由して、この日ノ本に戻って参りましたので。もうすぐ日ノ本では伴天連がやって来てバーデレ教が流行り出しますよ」


 そう言うと半兵衛の目が細まった。しまった、油断して迂闊なことをぺらぺらと話し過ぎた。悔しさの余り、唇の端を噛む。


「ふっ。まあ、これに関しては聞き流すとしよう。して、翔太郎は浪人だと伺っているが、相違ないか?」


 首を縦に振る。自分では浪人と思っていないが、召し抱えられていない以上、俺は浪人と同じである。折角なので竹腰重時から貰った文を半兵衛に渡しておく。せっかく用意してもらったのだ。渡さねば損だろう。


「ほう。其方は新加納の戦場におったのか」

「偶然にも。意図してはいなかったのですが」


 どうやら俺が栄を助けたのこそ新加納の戦だったようだ。ということは、あの兵士たちはで散り散りになった尾張の敗残兵らしい。戦が終わって落ち武者狩りを避けながら村を焼き、略奪を繰り返していたようなのである。


 文に目を通し、再び俺に向き直る半兵衛。それから少し思案した後、彼はにやりと笑いながら俺にこう提案してきた。それは、非常に魅力的な提案だった。


「これも何かの縁だ。どうだ、少し頼まれてくれんか?」

「何をでございましょう?」

「岳父がな、辱めにあったのよ。それで少しお灸を据えたいと思っておったところなのだ。少し助力願えんか?」

「もちろん助力いたしましょう。腕がなります」

「そうか。其方のような使い手が加わってくれること、嬉しく思うぞ」


 詳細を聞かずに二つ返事で答えてしまった。今から尋ねるのは恥ずかしいが、何をするか確認しておかないと力になれないかもしれない。


「して、なにをするおつもりで?」

「ちょっと殿にお灸を据えようと思ってな」

「は?」


 なんでも竹中半兵衛の岳父である安藤守就。その安藤守就が一色龍興の腹心である斎藤飛騨守に櫓の上からおしっこをかけられたというのだ。


 にこりと笑う半兵衛。しかし、その目の奥は笑っていなかったのであった。つまり、これから自分の主君に対して反旗を翻そうというのである。到着して早々謀反のお手伝いとか、どんな罰ゲームだ。


「丁度良い時に来てくれた」

「ははは」


 半兵衛は俺を案内しながらそう声高く言った。そして自身の考えを俺に披露してくれる。半兵衛の考えはこうだ。まず、稲葉山城に人質として入っている弟の竹中重矩に合図を送り、仮病に臥せてもらう。


 そして半兵衛が見舞いと称して稲葉山城に入り込み、そこから稲葉山城を混乱させ、機能を麻痺させるというのだ。では、どうしてそのようなことをするのか。


「斎藤飛騨守という佞臣がおってな。それを誅するのが目的よ。本来の治部大輔様はそこまで暗愚なお方ではない。全ては斎藤飛騨守のせいよ」


 どうやらこの斎藤飛騨守という男を斬るための策略だという。一通りの説明を受けた俺は広間に通された。そこには九人の武者が待機している。半兵衛を見るや、両手を付いて頭を下げた。


 そこには阿波彦六も居た。見知った顔は彼だけである。半兵衛が「楽にせよ」と彼らに声をかけた。そのまま上座に向かって歩き出す。俺はどうしようか悩んでいたところ、彦六に目で合図を受けた。そのまま下座の末席に陣取る。


「さて、儂はそろそろ動こうかと思う。皆、合力してくれるか?」

「「「ははっ」」」


 揃って頭を下げる。俺も合わせて頭を下げていた。それを満足そうに見ると半兵衛は言葉をさらに続けてこう述べた。


「岳父殿も合流なされる。総勢で十六名、いや久作もおったな。十七名で稲葉山城を急襲する。狙うは斎藤飛騨守の首一つ。彦六、半十郎、頼りにしておるぞ」

「ははっ」

「お任せくだされ」

「それでは出陣いたす。各々方、手筈通りに抜かりなく」

「「「応っ!」」」


 その言葉を聞いて三々五々に散らばっていく諸将。俺は呆然としていると彦六が俺の近くに歩み寄ってきた。そして肩を軽く叩きながらこう述べる。


「やはりお主も誘われたか。気張って働いてもらうぞ」

「それは構わないんだけど、なにがなんだか。とりあえず詳しい説明を願いたいんだが」


 彦六が詳しい説明をしてくれた。まず、今回の稲葉山城の襲撃に参加するのは安東半十郎、伊藤治右衛門、喜多村直吉、沢右京、蒲生将監、外村九兵衛、牧野六兵衛、松山主水の八名に彦六と半兵衛、そして俺が加わり十一名である。


 そこに岳父が兵を四名率いて参戦されるとのことなので、合計で十五名だ。弟の久作も加えて十七名ということのようである。しかも直ぐに出陣するという。怒涛の展開とはまさにこのこと。


「なに、手筈は簡単よ。久作様が仮病で臥せっているのでお見舞いに向かう。だが実は、見舞いと見せかけて城内に入り込む。武具は長持ちに隠せ。上には反物を敷き詰めて隠す予定よ。そこから斎藤飛騨守の首を獲る」


 つまり俺は家臣のふりをして荷物を運びこめば良いのだ。そこから先は流れで行動しよう。史実にも名高い稲葉山の戦だ。何もなければこちらが勝つはず。


 彦六が俺に服を差し出す。どうやらこれに着替えろということらしい。俺は自分の着ていた服と靴などの一切合切の荷物を菩提山城に置かせてもらい、提示された服を着込む。所謂、粗末な下人の服だ。


「しかし、そんな詳らかに作戦を俺に話しちゃって良いのか?」


 俺は着替えながら彦六に尋ねる。稽古着も和服だ。ある程度は着こなせると思っていたが、やはり勝手が違う。少し手間取っているが、それを悟られないよう、話を振ったというところもあった。


「ん? 何がだ?」

「もし、俺がこのことを公言したらと考えなかったのか?」

「もちろん考えておる」


 後ろから半兵衛の声がした。どうやら俺と彦六の会話が聞こえ漏れていたようである。半兵衛は俺の懸念を払拭するように、こう伝えた。


「斎藤飛騨守に繋がる人物は洗い出し済みよ。そして翔太郎の名はそこには無かった。これが一つ目の理由。もう一つは斎藤飛騨守は他者の忠告を受け入れる人物ではないということだ。翔太郎が何を叫んでも喚いても奴は耳を貸さん。そういう男よ」


 なるほど。だから半兵衛はあっさりと俺を重用したのか。俺が信頼されているのではなく、斎藤飛騨守の性格を、調べ上げた情報を信頼している。それはそれで癪だった。しかし、信頼ならばこれから勝ち獲れば良い。


「半兵衛様、一つお願いがございます」

「なんだ?」

「この大戦が終わりましたらば、俺を半兵衛様の家臣にしてください」


 半兵衛を真っ直ぐ見据えてそう伝える。俺は寄る辺のない根無し草だ。どうやって現代に戻るかもわかったものではない。それならば、まずは働き口を得るのが大事だと思ったのである。


「そうだな。お前が相応の働きを見せたら召し抱えてやろう。それでどうだ?」

「では、半兵衛様にお尋ねいたします。相応の働きとは?」


 適当な言葉で煙に巻こうと思ったってそうはさせない。確と言質は取る。なんだか祖父とやり取りをしている気持ちになってきた。誰も彼も一筋縄では行かない。


「そうだな。では斎藤飛騨守の首を持ってきたら侍大将として召し抱えてやろう。他の大将首を獲れば足軽大将として、首を一つか二つ挙げたらば足軽組頭として、生き残っていたら足軽として召し抱えてやる」


 そう言って半兵衛はにやりと笑った。俺はその言葉に納得し、低頭する。このやり取りの証人は彦六である。流石に斎藤飛騨守の首を獲ることは叶わないだろう。なので、目指すは他の大将首だ。


 集められた全員で菩提山城を後にする。門前に五人の武士が立っていた。半兵衛が頭を下げている。つまり、あの人物が安藤守就なのだ。彼らも含め全員に半兵衛から全員に最後の言葉がかけられた。


「符丁の確認だ。翔太郎も覚えておけ。『岩手』と尋ねられたら『不破』と応えよ。良いな?」

「ははっ」

「では、我らは今より世直しへと向かう。遅れるでないぞ」


 大きな長持ちを持って稲葉山城へと向かう。これが俺の初めての実践となる。その事実に心臓が跳ね上がりながらも、平静を装い、彦六達と共に荷を運ぶのであった。


―――


「あいや暫く! 美濃国主が鎮座なされる稲葉山城にござる。何用にてございましょうや?」

「一色治部大輔様が家臣、竹中半兵衛にござる。弟の久作が病に臥していると聞き、見舞いに参った次第にござる」


 稲葉山城。城門前で門番であろう足軽と問答をする。仮にも国主の住む稲葉山城だ。門番も位の高い足軽なのだろうなと推測していた。そんなことを考えていると、半兵衛が次々と門番を論破し始めた。


「では、我らは通って良いな?」

「……荷だけ改めさせていただく。宜しいですな?」


 門番がそう言うと半兵衛が長持ちの蓋を開けた。そこには着物と反物がぎっしりと詰まっている。体調が悪いとのことなので、着替えを多く詰めたという設定なのだろう。


 それを見て門番は通るよう告げる。実際は着物の中に武具甲冑が隠されているとも知らずに。半兵衛の身分が上だったので深く詮索できなかったのか。それとも面倒臭がっただけなのか。はたまた、実は半兵衛の息が掛かっていたのか。それは俺にはわからない。


 わかっているのは、武具をもって稲葉山城に潜入できたということだけである。半兵衛は間取りを把握しているのか、一度も迷うことなく久作のもとへ向かった。


「久作、大事ないか?」

「兄上」


 半兵衛の弟である久作は彼の登場に目を丸くしていた。しかし、半兵衛の真面目な瞳を見て、気が付く。本当にあの件を行動に起こしたのだと。後ろには安藤守就もいる。今更後には引けない。


「皆の者、手早く具足を付けよ。そして斎藤飛騨守を見つけるのだ。見つけたら笛で合図致せ!」


 武具を身に着け、容易の済んだ者から部屋を飛び出し天守の方へと向かっていく。俺はというと、鎧を着るのに手間取り、彦六の手を借りている始末だ。


「なんだぁ、お前、鎧を身に着けるのは初めてなのか」

「ごめん」

「なに、良いってことよ。拙者の出番は斎藤飛騨守が見つかってからだ」


 彦六に胴丸を付けてもらう。それから太刀と脇差を佩いで完成だ。今回は城内での戦が主になる。狭い通路で柄の長い槍は取り扱いが難しい。得物は太刀か脇差が良い塩梅だろう。


「さて、拙者たちも移動するか」


 この場に残っているのは半兵衛に久作、それから彦六と俺の四人である。先鋒は安藤守就に率いられて遠くまで行ってしまった。オレたちの狼藉がバレたのか、城内は騒然としている。


 平服の武者が鎧も身に着けずに槍を振り回して襲い掛かってくる。それらを前を進んでいた半兵衛と彦六が軽くいなし、逆に相手の胴を斬る始末。血飛沫が舞い、此処が戦場であることを嫌が応にも認識させられる。


「どうした、翔太郎。儂の家臣になりたいというのは嘘であったか」


 半兵衛が揶揄うようにそう言いながら俺を見る。そうだ。俺は遊びに来たわけじゃないんだ。俺の武はこの世でも通じる。


 今までの時間は無駄じゃなかったと証明するために、そのために俺は戦場に身を投じたのだ。日本最強、立身出世、左団扇の生活、戦場に全ての答えがある。


 覚悟を決めて、俺は抜刀する。狭い廊下だ。槍よりも太刀の方が扱いやすい。


「うぬりゃぁっ!」


 背後から武者が襲ってきた。久作は反応できていない。俺は太刀で相手の袈裟斬りを受け流し、そのまま首筋に刃を滑らす。初めては、あっけなかった。


「見届けたぞ。約束通りに足軽組頭として召し抱えよう。其方が生きていればな」


 それだけを言い残して半兵衛は進んでいく。久作は俺に「忝い」と言い残し、後を付いて行った。俺はというと、肩で息をしていた。たった一合やりあっただけなのに。


 こんなところで一人で立ち竦むわけにはいかず、半兵衛たちの後を付いて行く。その間に冷静になるのだ。心に余を持ち、静に努めよ。極意を思い出す。


 人を殺めて褒められるのは唯一人、軍人だけである。そして俺は今、軍人なのだ。場所は戦場。人を殺めることが仕事なのである。これは俺が望んだことだ。それがあの狐に見透かされていたのだ。覚悟を決めろ!


「ふーっ」


 大きく息を吐く。俺は太刀にべったりと付着した血を払うと後ろを警戒しながら進む。しかし、武者の数が少ない。おそらく、こちらに武者が寄らないのは先鋒を相手にしているからに過ぎないのだろう。半兵衛の歩みが早くなる。


「覚悟ぉっ!」

「不届き者めがぁっ!」


 二人目、三人目と首級を増やしていく。もちろん全て打ち捨ててある。首を獲る暇は無い。拾うのは武者が腰に下げている刀のみだ。


 使っている太刀と脇差を殺めた武者の持ち物と交換しながら進んでいく。俺がまだ未熟なので、太刀筋が曲がり、刃が駄目になってしまうからだ。これは、現代では出来ない稽古である。


 そんなことを考えているとけたたましい笛の音が鳴り響いた。合図の笛だ。半兵衛と彦六が顔を見合わせ、頷いてから駆け出していく。俺と久作もそれに続いた。


 斬り掛かってくる武者たちを押しのけ斬り殺し、奥へと進んでいく。そこでは安藤守就が斎藤飛騨守と対面していた。守就の家臣のうち一人は事切れており、もう一人は重傷を負っていた。


 今、安東半十郎と伊藤治右衛門と牧野六兵衛が取り囲むように斎藤飛騨守と対峙している。そこに彦六も加わった。四対一、多勢に無勢である。


「翔太郎、そこの廊下を塞げっ!」


 俺は半兵衛に言われた通り、今進んできた廊下の前に立ちはだかる。久作は別の廊下に、半兵衛は全体を差配していた。どうやら俺は斎藤飛騨守の首を獲る役目に選ばれなかったらしい。


「でりゃぁぁっ!」

「そこを通せぇっ!」


 次々と武者が襲い掛かってくる。誰も鎧を身に着けておらず、何を血迷ったか槍を持ち出していた。こんな狭い廊下で槍など振り回せるわけがないだろう。


 この廊下で一間半、およそ三〇〇センチの素槍を振るうとなれば薙ぐことも振りかぶることもできない。突くのが関の山だ。おそらく、このリーチの長さが有利だと思っているのだろう。しかし、それは違う。


 突きという点の動きしかできないのだ。致命傷を避けるのは容易である。薙ぎや振り下ろしができない、面の動きの出来ない槍なぞ怖くもなんともないのである。懐に入ればこちらの勝ちだ。槍は広いところで振り回すに限る。


「どけ。某が相手致そう」


 そういうと一人の男が前に進み出た。周囲に目配せをする。どうやら斎藤飛騨守の配下の者のようだ。こいつは斎藤飛騨守の助太刀に向かいたいようである。


 つまり、俺はこいつを斎藤飛騨守に向かわせないのが仕事か。大将首だったら嬉しいところだが、そう旨い話が落ちているわけもないだろう。刀を振り、血を飛ばしてから構え直す。


 男が脇差を抜く。細い廊下で俺と男が互いに正眼に構えて微動だにしない。俺は相手が仕掛けてくるのを待つ。時間が無いのは俺ではなく相手なのだから。


「はぇやぁっ!」


 刀を振り下ろす男。綺麗な姿勢だ。何千、何万と繰り返してきたのだろう。そして殺めてきたに違いない。俺は返す刀で横に薙ぐ。男は後ろに飛び、距離を取った。至って冷静である。


 とはいえ、相応の人数を相手いしているとジリ貧になるのも事実。特に後ろに控えている複数の人間から突きを繰り出されるのが厄介だ。一進一退の攻防が続く。


「獲った! 斎藤飛騨守の首、獲ったぞぉっ!」


 その時だった。彦六の声が聞こえたのは。その手には槍が握られている。どうやら太刀では斃せない相手だったようだ。それを見た半兵衛は大きな声を張り上げる。


「不忠者は討った! 我らは一色治部大輔様を害する意、毛頭ござらぬ! 命惜しくば道を開けられよ!」


 その声を聞いた城内の武者たちはすごすごと引き下がっていった。それもそのはず、真っ先に斬り掛かってきたのは斎藤飛騨守の手下であり、一色龍興の忠臣は龍興を連れて逃げて行ってしまった。


 残っているのは意識の低い武者だけである。そんな者たちが忠義の為に命を賭すとは思えない。俺と対峙していた男は脇差を収め、目を切らさずに後ずさっていった。


 どうやら斎藤飛騨守が討たれた以上、仕掛けるつもりはないらしい。


 こうして、あっけなく稲葉山城は半兵衛の手に落ちたのである。そしてこの話は、瞬く間に美濃全土を、そして尾張を席巻するのであった。


―――


 稲葉山城を占拠してからというもの、俺たちはその後始末に追われていた。俺も半兵衛や彦六の手足となって、東西奔走する始末。稲葉山城が落ち着いたのは俺たちが占拠してから三日後のことだった。


「翔太郎、殿がお呼びだ」


 俺は言われた通り半兵衛のもとへ向かう。半兵衛は稲葉山城の執務室に籠り忙しそうに仕事をしていた。どうやら、これまでの失政を取り戻すつもりのようだ。声をかけて良いものか躊躇われる。


「む、おお、翔太郎か」

「はっ」


 どうしようか悩んでいると、半兵衛の方から声をかけてくれた。俺はその場で胡坐をかき拳を床に付けて低頭する。さて、俺の運命はどうなることやら。意外にも緊張しているのか、心音が激しく鳴り打つ。


「此度の大戦、誠に天晴であった」

「ありがたきお言葉です」


 言葉遣いはこれで合ってるだろうか。不安に駆られる。


「約束通り其方を召し抱えよう。禄は……そうだな。三十、いや四十貫を出そう。足軽組頭だ。どうだ?」


 悪くはない条件だと思う。あの藤堂高虎も磯野員昌に仕えた時は八十石だったと言う。俺は四十貫ということは、一貫は二石なので、それと同等額に相当するはずだ。


 だが、悩んでいるところがあった。それは俸禄を石でもらうか貫でもらうかであった。一般的には石高制の方が良いとされている。石高で禄を貰うということは知行を預かるということになるのだろうか。


 しかし、これから織田信長が銭を広く普及し始めるのだ。また、飢饉が起きた場合、石高制だと大きく影響してしまうと習った。これをどう見るかだ。それに、俺が領地を治めることが出来るかどうか疑問である。


 そういえば俺はじゃがいもや南瓜を持っていた。それらを上手く使えるのなら、知行を貰った方が良いのではないだろうか。


「わかった。四十五貫、いや五十貫を出そう。それで良いな? な?」

「へ?」


 どうやら俺が仕えるかどうかで悩んでいると勘違いされていたようだ。なんというか、俺が思っていた竹中半兵衛像とややズレている。ズレているが、悪い人ではないのも確かだ。


「もちろんでございます。是非ともよろしくお願い申し上げまる。殿」


 俺は座り直して姿勢を正し、深く頭を下げる。どこまでが演技でどこまでが仕組まれた結果なのかはわからない。だが、あの半兵衛であることに間違いは無いのだ。


「良し、決まった! 半十郎、銭を」


 そう言うと近習が席を外す。そして箱を持ってきた。その中にびっしりと銭が詰まっている。この箱の中に百貫がびっしりと詰まっているのだ。どうして百貫なのだろうか。五十貫で召し抱えられるはずでは。


 怪訝な顔をしていると、半兵……殿からこうお声を掛けられた。


「五十貫は此度の褒美だ。打ち捨てにさせてしまったからな。乱捕り分だと思ってくれ」


 俺は百貫をありがたく頂戴する。石高に直せば百石ほどで竹中半兵衛に召し抱えてもらうことになった。しかし、竹中半兵衛は俺にどのような価値を見出したというのだろうか。気になる。


 ちなみに百貫だが、到底運びきれるものではない。一貫が四キロほどだ。つまり、四百キロもあるのである。とりあえず、俺は十貫を貰うことにした。


 それくらいならば持つことが出来る。残りは屋敷に運んでおいてくれるそうだ。ということは、屋敷も与えてくれるらしい。至れり尽くせりである。


「まあ、なんとかなるもんだなぁ」


 竹中半兵衛あらため殿に聞こえぬよう、小さな声で呟く。


 せっかく、戦国時代にタイムスリップすることが出来たんだ。今を楽しまなければ損である。そう割り切ることにして、俺は戦国時代を自由気ままに生き抜くことを心に誓ったのであった。


―――


 それから半兵衛と二、三ほど言葉を交わしてお開きになった。お開きになる間際に半兵衛……殿がこう述べる。俺の面倒は彦六が見よと。俺は彦六と殿の前を辞す。折角なので彦六にも十貫持ってもらった。


 どうやら俺は彦六の下に付けられるようだ。つまり、彦六は足軽大将ということである。その彦六が俺に菩提山城の城下町である垂井の町に向かいながらこう述べた。


「今からお前が住む屋敷を案内してやるよ」


 やはり先程の殿の口ぶり通り、屋敷を拝領できるようである。といっても足軽組頭の屋敷だ。期待はしていなかったのだが、玄関があって流しがある。


 そして茶の間と座敷、納戸と小間のある屋敷だ。土縁の先に厠もある。今風に言えば2LDKといえばわかり良いかもしれない。


 そして五十貫で召し抱えられた。これを日本円に換算すると、一貫が約十万円相当なので五百万円ほどの年収になる。破格過ぎやしないだろうか。


「こんなに厚遇してもらって良いのだろうか」


 思わずボソッと口から零れた。それを耳敏く拾った彦六は笑いながら俺の背中を力強く叩いてあっけらかんとこう言い放った。


「もらえるもんは貰っておけば良いんだよ。恩を感じるんならお前の持ってる力で返せば良いのさ。間違っても、この屋敷の前の住人みたくなるんじゃないぞ」


 それだけを言い残して彦六は立ち去ろうとしていた。それに待ったをかける。待て待て待て、ここから先、どうすれば良いのか助言くらいくれても良いのではないだろうか。


「人を紹介していただきたい」

「どんな?」

「読み書きのできる者に」


 同じ日本語だがミミズのような文字にしか見えない。所々は読むことが出来るが、全文を読むことはできない。また、手紙のルールがわからない。それを学ばなければ。


「あー。ならば、あそこへ行くか。今日は開催されているはずだ。銭を持って来い」


 俺に銭を持って来いと命じる彦六。彼は町の中を闊歩し、ある場所へと向かった。そのある場所とは、人市であった。どこかであったであろう合戦にて負け、人捕りされた人々だろうか。縛に付いていた。


「まずは下人や飯炊き女でも買ったらどうだ?」


 あっけらかんとそう言い放つ彦六。そうだ。この時代では人々が売り買いされるのは日常茶飯事なのだ。それも二束三文で売り飛ばされているのである。弱いと、こうなるのだ。


「まあ、眺めてな。某は主人と話をしてくる」


 そう言って彦六は店の奥へと入っていった。俺は一本の縄で繋がれている人々を眺める。老若男女問わず。一様に浮かない顔をしていた。それもそうか。


 もし、戦が起きた場合、俺も参戦することになるだろう。そのためには鎧兜も用意しなければならない。他にも雑兵や中間、小者も雇わなければならないのだ。


 百石はどれほどの用意をすればよいのだろうか。前に戦国時代の漫画を読んだ記憶を思い返す。あの時、主人公は千石の領主で武士を四人、雑兵を二十人従えていた。つまり、俺はその一割で良いはず。


 武士に小者に飯炊き女。誰でも良いが人を雇うにはお金が掛かる。しかし、人がいなければ奉公が出来ない。年収五百万円だと浮かれていたが、実際のところは良くても半分くらいだろう。


 さて、まずは飯炊きの女と小者でも雇うとしよう。せっかく雇うなら美人で器量の良い女が良い。と言ってもこの時代に日焼け止めは無く、女はみな肌が色黒であった。そもそも美人が二束三文で売られているはずがない。


 まあ、現代にだって色黒の美人はいる。意図的に黒くしているギャルも居るほどだ。美人じゃなくて良い。俺好みの女を見つければ良いのだ。


 一人一人をじっくりと見ていく。するといつの間にか隣に細目の男が並んで立っていた。いかにも助平そうな男である。


「女子はやはり尻が重要だ。そうは思いませぬか?」

「は?」

「いやいや、皆まで申さなくても拙者はわかっておりますぞ。顔だ胸だと嘯く輩の多いこと多いこと。女子は尻に限る。そうは思いませぬか?」

「はぁ」


 いきなりのこと過ぎて気の抜けた生返事が出てしまった。俺はこの男から売られている人を見るふりをして、さりげなく距離を取る。


 しかし、この男が俺の後ろをついてくるのだ。偶然かもしれない。殺気も感じられないので放置することにする。ただ、警戒だけはしておこう。


 擦り寄ってくる男に警戒しながらも、俺は一人の女性に目を付けた。年のころは俺と同じくらいで肌は焼けているが健康的な女だった。その女が周囲と異なる点を挙げるとするならば髪が短いのである。


 現代で言うところのショートカットほどの長さだ。しかし、他の者と比べて痩せておらず、体型も悪くない。身長は一四〇センチほどである。


 何よりも目が生きていた。他の者は目が死に絶望の淵に立っているのに対し、彼女は復讐に燃えるような、ぎらついた眼をしていたのである。


 後は値段次第だと思っていたところで件の男が話しかけてきた。


「良い女子に目を付けられましたな。あの女子は確か名を葛と申したような。年のころは十三。良い尻をした女子ですぞ。ただそこいらの娘だ。四十文で如何か?」


 そう言って男は手を出してきた。どうやら、この男は商人だったようだ。それもこの人市の商人である。いや、問題はそこではない。四十文と言えば千二百円くらいだ。人一人をその値段で買えてしまうことに驚きを隠せなかった。


「買わぬので?」

「いや、買おう」

「へへっ、毎度」


 思わず買うと言ってしまった。いや、後悔はしていない。すると男はするすると列に並走し、俺が指定した葛だけど縄から解くと、こちらに連れてやってきた。葛が俺を睨む。


「では、四十文を」

「その前に色々と訊ねたいのだが良いか?」

「何でしょ?」

「買った傍から逃げられることもあるのか?」


 俺が気にしているのは、葛に逃げられるんじゃないかということだ。俺だったらそうする。別に警固も厳しくないし、屋敷からするりと逃げ出せるだろう。そして元の村なり何なりに戻れば良いのだ。


「ございますな。ただ、その大半は野垂れ死にますが」


 笑顔を崩さずにそう述べる。つまり、逃げるリスクもあるが、買わなければ回らない。逃げられ、お金を失うリスクを取ってでも購入するべきならば買えということだろう。


「で、如何なさいます?」

「……買おう。ちなみに、この娘に親兄弟は?」

「親はおりませんな。恐らくは死に別れでしょう。弟が一人、そこの童で。名は太助に」


 商人が指差す方向を目で追った。そこに居たのは齢七、八歳の少年だった。確かに、葛に良く似ている。折角なのでこの少年も買うことにする。少年を文字通り小者として使い走りでもさせるとしようか。


「じゃあ、二人分で八十文。いや、少し負けましょう。七十文で」


 俺は商人に七十文を手渡す。商人は口笛で下人に指示を出すと太助を縛り付けたまま俺のもとに運び込んできた。そして乱暴に放り投げる。


「毎度。これからも御贔屓に」

「お前のところでは武具も扱っているのか?」

「そりゃもう。何だってお任せくだされ」

「ならば胴丸と鉢金、それから佩楯と業物の刀を用意して欲しい」

「大鎧ではなく胴丸で?」

「ああ、胴丸で良い。それも中古の。でなければ銭がいくらあっても足りん。あ、それから安価な槍も二本頼む」

「かしこまりました。用意できましたらば人を遣わせましょう。今後とも、この塩屋の権兵衛をどうぞ御贔屓に」


 俺は葛を縛っている紐を握り、太助と銭の入った箱を担いでこの場を後にする。何か忘れているような気もするが、思い出せない。まあ、良いか。


 俺は人市から少し離れた場所で太助を降ろした。流石に太助と銭の二つを運ぶのはしんどい。俺は手近な石に腰掛けた。葛も太助も俺を睨みつけている。


 もっと従順な者を買っておけば良かったと思いつつも、自害されても困る。さて、どうしたものかと考えながら二人を縛っている縄を切った。二人は黙って俺を睨みつけていた。


「さて、俺がお前たちの買い主になったわけだが、逃げたければ逃げてくれて構わん。好きにしてくれ」


 別に二人を害するつもりもない。ここらで乱暴を働いて痛めつけて従順にさせるという選択肢もあったのだろうが、好みではない。安い買い物だ。逃げられたらそれまでだったと割り切ろう。


「……解放されたとて、行く当てなどあるものか」


 葛が吐き捨てるように述べた。そうだ。彼女たちの故郷は織田の軍勢に侵され、今となっては見る影もなくなっているだろう。


「それもそうか」


 同意を示す。考えが足りてなかった。二人は逃げ出したところで生きていくことは難しい。だから、俺に縋るしかないのか。それはそれである種の優越感を覚えようとしていた。


「姉ちゃんを虐めるなぁっ!」


 そんな俺に太助が突っ込んできた。俺が太助を軽くいなすと太助は足をもつれさせて転んでしまう。まあ、これくらいは元気があってよろしいとしておくか。


「別にお前たち二人を虐めるつもりはない。だが、無礼を働くなら手討ちにするぞ」


 そう言って刀の柄に手をかけると、葛が太助を庇うように前に進み出てきた。少しの間、俺と睨み合う葛。しかし、今の状況を理解できたのか、急にしおらしくなり、こう述べた。


「申し訳、ございません。きちんと言いつけますので、どうかお慈悲を」

「わかっている」


 別に本気で斬ろうと思っているわけではない。とりあえず、二人にきちんと言い含めなければ。俺はお前たちの敵ではない。ただ、うまくやっていきたいだけなのだ。


「いいか、葛も太助もしっかりと働け。働いた分、見返りはくれてやる。不当な扱いも乱暴な扱いもしないと誓おう。どうだ、俺に買われるか?」


 嫌なら返品してくると付け加える。返品できるかどうかは知らないが、はっきりさせなければならない。自分の意思で俺に買われるのかどうかである。それによって今後の扱いやすさが変わってくるのだ。


 彼女は俺を睨む。だが、俺は屈しない。俺は選択肢を与えているのだ。逃げたければ逃げても良い。戻りたければ戻っても良いと。俺に買われるかどうかは、自由意志だ。


「はい、お武家様のもとでお世話になります。弟の分も励みますので、どうか、二人一緒に買ってください」


 葛が観念したようにその場に膝をついて深く頭を下げた。それを見て俺も頭を下げる。「わかった。こちらこそよろしく頼む」と手短に伝えて。二人で同時に買ってもらえることに利を見出したのだろう。


 本来ならば頭を下げることは無いのだろうが、誠意を見せておいて損はないはず。これで葛と太助は俺の物だ。つまり、俺は二人を守る責任が生じるのである。それも彼女にしっかりと伝えることにした。


「安心しろ。お前たちのことはきちんと守ってやる。心配するな」

「え?」

「おお、こんなとこにおったのか。探したぞ」


 彦六が俺のもとにやってきた。思い出した。俺は彦六に読み書きの出来る人物を紹介してもらおうと人市にやってきたのだった。そんな彦六の後ろに六十歳前後の老人が一人。


「ほれ、ご所望の人物だ。源爺と言ってな、祐筆を勤めていたとのことだ。読み書きができるのは確認済みだぞ」


 そう言って俺に源爺を引き渡した。これで一気に三人を召し抱える羽目になってしまったのである。さらに槍働きのできる武士も召し抱えなければならない。前途は多難だ。


「いくらですか?」

「そんなの、気にするな。端銭だ。それよりも、荒れる前に準備を整えておけよ」


 荒れるとは何のことか。それは美濃のことであろう。織田信長が虎視眈々と美濃を狙っている。殿が理由はどうあれ稲葉山城を乗っ取った。美濃が荒れない訳がない。


「わかりました。ありがとうございます」

「良い心掛けだ。上下はしっかりせねばな。お前のように強き賢き男は嫌いでないぞ。そうそう死んでくれるなよ」


 そう言って彦六は立ち去って行った。残されたのは俺と葛と太助の姉弟。それから源爺である。俺は未だに恨みがましそうに睨んでいる太助にこう命令した。


「一っ走りして米と味噌、それから塩と大根、葱ときゅうりを、ああ茄子も用意してもらってくれ。四人分だ。今から取りに行くと」


 そう言って太助の尻を叩いた。市場を目指してかけていく。俺は源爺の縄を切り、彦六が持っていた銭を持たせる。残された葛と源爺と三人でゆっくりと市場を目指して歩を進めた。


「二人ともどういった経緯で捕らえられたんだ?」

「織田に攻められ逃げ落ちるときに怪しい奴らに捕らえられた。そして売り飛ばされたのさ」


 そう言ったのは葛である。どうやら山賊や阿漕な商人にでも捕らえられたのだろう。もし、織田方に捕まっていれば美濃ではなく尾張で売られているはずだ。


「儂はただの売れ残りじゃ。儂は木越城主の遠藤様に仕える武士の祐筆をやっておったのじゃが、遠藤様が長井何某に攻め落とされたのでな。この有様じゃ。生き恥を曝しておる」

「そう悲観するな。そのお陰で俺は源爺を買えたのだからな」


 歩きながら葛の尻を、源爺の肩を叩く。ああ、そうだ。読み書きを行うのであれば墨と筆、硯に紙が必要だ。これは出費になりそうである。


「あの、それよりも」


 葛が頬を赤らめながら俺に上目遣いに尋ねてくる。十三だというのに色っぽく感じるのは何故だろうか。彼女の質問は今後の我らの関係性を築く中で最も重要な質問であった。


「お名前を教えて欲しい、です」


 すっかり失念していた。俺は咳払いをして、二人に名を告げる。


「竹中様に召し抱えられることになった春弓翔太郎だ。よろしく頼むぞ」

「かしこまりました、翔太郎様」

「よろしくお願い申し上げまする」


 二人が頭を下げる。俺は当たり前だが姓名しか持っていない。春弓が苗字、翔太郎が字になるのだろうか。氏と姓と忌み名を用意するべきか。歩きながらも悩むのであった。


―――


 市場に到着した。昼過ぎだというのに活気に溢れている。それもこれも殿の手腕によるものなのかもしれない。どんな物語でも、どんなゲームでも竹中半兵衛の政治力は高く設定されているのには理由がある。それがこれだ。


「さて、太助はどこにいることやら」


 太助を探しつつ道中にて必要な物を買い足していく。桶に盥、手拭いに食器に釜を買う。裏手に共用の井戸があった。水には困らないだろう。


 それから手習い用の紙と筆と硯と墨も購入する。それから俺と太助と葛と源爺の替えの着物も購入する。もちろん古着だ。必要なものはそれくらいだろうか。


 太助を見つける。米屋の前で何やら丁稚と問答を繰り広げていた。丁稚は太助よりも年長だが葛よりは年下の男の子である。


「だから、お前の主人の名前を聞いているんだ!」

「そんなの何だって良いだろ! 買うって言ってるんだから品物を用意しろよ!」


 睨み合って一触即発の様相を呈していた。俺は溜息を吐いて葛の尻を押した。太助のことは葛に任せる。店内に入り、「店主はいるか?」と声を出す。


「はいはい、如何なさいましたか?」


 手代と思わしき男が俺に近寄ってきた。俺はその男に米が欲しいと告げる。今は九月。収穫が終わったばかりだ。米の値は落ち着いているはずである。


「如何ほどの米をお求めで?」

「五石だ。それと粟と稗と黍、それに麦もそれぞれ二石ずつ貰いたい」

「それですと米代が九貫に粟と稗と黍と麦にはそれぞれ一貫いただきたく存じますが」


 源爺から銭を受け取り、そっくりそのままその銭を手代に渡した。手代は銭をいきなり渡されて驚いている。それもそうだ。十貫をいきなりポンと渡されたのだから。


「十貫ある。俺が指定するものも併せて屋敷に持ってきて欲しいのだが、頼めるだろうか。足りない分は後で支払おう」

「ええ、喜んで」


 俺は米や粟、稗の他に塩と味噌を持って来るよう伝えた。これらを運ぶのは骨が折れる。それならば運んでもらった方が良いと考えたのだ。表では葛が太助を叱っている声がする。


「塩と味噌を一貫ずつでございますね」

「ああ、出来るだけ安く売ってくれたら贔屓にさせてもらうぞ。ああ、余っている藁があったらそれも貰いたい」

「ありがとうごぜぇやす。承知しました」


 これで主食は確保した。塩も確保したので死ぬことは無いはず。だが栄養のバランスがよろしくない。冬に入る前に買い込まなければ。屋敷の場所を指示して店を出ると太助が頭を擦っていた。俺は見なかったことにしよう。


 そのまま青物屋へ向かい、今日明日の野菜を買う。茄子に葱に大根に里芋。これだけあれば十分だ。散財をした結果、残っているのは七十貫のみ。これで一年を過ごさねばならんのだ。大切に使おう。


「さて、屋敷に戻るか。着いて来い」


 三人を引き連れて屋敷に戻る。既にの残りの銭が運ばれていた。それを受け取る。重たい。色々な意味で、重たい。これは、俺が人を殺して手に入れた銭だ。


 俺の屋敷は足軽の組頭屋敷の一番端である。太助は中に入るなり探検を始めた。奇声が鳴り響く。それを葛は恥ずかしそうにしながらも優しい目でみていた。


「源爺、お前には二つの仕事を申し付ける」

「へえ」

「俺の読み書きの指導と当分の間の祐筆。それから太助の教育だ。祐筆とはいえ、槍は振れるのであろう?」


 太助には働いてもらうが、勉強もしてもらう。出来れば将来的には戦力として換算したい。もし、戦うことができなくても、裏方に従事できるのも立派な戦力だ。せめてどちらかにはなって欲しい。


「かしこまりました」


 今度は葛に向き直り、彼女を流しに連れて行く。そこに釜や桶を並べながら竈門の前で彼女に問い掛けた。


「葛、料理はできるのか?」

「人並みですが。ですが、翔太郎様のお口に合うかどうか」

「料理なら俺もできる。味の好みは折を見て擦り合わせれば良い」


 屋敷を改めて見る。三畳ほどの小間と流しと玄関。茶の間と納戸は四畳ほど。座敷が五畳の造りであった。上から俯瞰すれば長方形の屋敷となっている。


「太助!」


 俺は太助を呼び出し、彼に仕事を与える。その仕事の内容は外で枝を拾えるだけ拾って来いというものだ。これから冬になる。枝はいくらあっても良いのだ。念のため、源爺と行かせる。


「わかった!」


 外へと駆け出していく太助。その後を追う源爺。俺は源爺に使っていない方の太刀を投げ渡した。丸腰では心許ないだろう。


 さて、この大量の銭はどこに仕舞い込むべきか。土縁に腰掛け、小さな庭を眺めながら俺は新たな生活に胸を躍らせるのであった。


―――


 太助と源爺が出て行ったのと入れ替わりに来客がやってくる。先ほど頼んだ米屋だ。玄関に頼んでいた穀物の俵をどんどん積み上げていく。俺はそれを納戸に運ぶ。米だけで五石。つまり七〇〇キロ以上になる。


 そこに粟や稗、麦に黍も積み上がるものだから納戸はあっという間に半分以上を埋め尽くす事態になってしまった。そこに味噌と塩も置いてあるのだ。ありがたいことに寝床に使える量の藁もある。


 買い付け過ぎたかとも思うが、後から買い足す煩わしさを思えば間違いではなかったのかもしれない。しかし、そのお陰で納戸が埋まってしまった。


「腹が減った。まずは飯にするか」


 そう言って俺は米を俵に手を突っ込んだ。今のような真っ白で綺麗な米ではなく、赤色や黒色の米が多い。その米を持って流しに降りる。葛は水を汲みに井戸へと向かった。


「葛、飯を炊いておいてくれ。米と麦と粟と稗と黍を満遍なく使うように」

「わかりました。姫飯でよろしいですか?」


 この屋敷にずっと置いてあったであろう小枝を使い、竈門に火を起こす。手慣れている。実家でも同じように火を起こしていたのだろう。姫飯が何を指すかわからなかったが、とりあえずそれで良いと頷いておいた。


 正直なところ、米と麦は好きなのだが粟と稗は苦手だ。しかし、そんな贅沢は言ってられない。満遍なく消費していくのが大事なのだ。粟と稗と麦と黍の価格は非常に安いのだから。こういうところから節制しなければ。


 葛が飯を炊いている間、俺は味噌汁を拵えていく。本当は出汁が取れたら良いのだが、昆布も鰹節も椎茸も煮干しも何もない。まあ、味噌と野菜から出る出汁で何とかなるだろう。


 鍋に水を入れ、竈門に置いて火にかける。その間に葱と茄子を一口サイズに切って鍋に放り込む。大根と里芋の皮を剝き、大根を銀杏切りにして、里芋は一口サイズにして放り込んだ。


 先程からチラチラと葛が俺の方を見ている。竈門に息を吹きかけ、火力を強くしながら。


「なんだ?」

「いえ、翔太郎様にそのようなことをしていただかなくても、私がやりますので」

「気にするな。どうせ暇しているだけだ。手伝った方が早く終わるというものだろう?」


 手持ち無沙汰にしているようであった。それとも、俺に料理をされることで彼女の仕事がなくなることを危惧しているのだろうか。


「ですが――」

「いいから。気にするな」


 詰め寄る葛。俺はそれをいなす。すると、着物の裾を握って俯いてしまった。しかし、その後すぐに葛は顔を上げ、俺にこう詰め寄ってきた。


「あの! なんでもしますので、どうか、どうか弟と共にこちらに置いてください!」


 別に追い出すなどと一言も言ってないのだが、どこでそうなったのだろうか。何のために姉弟で買い取ったと思っているのか。わざわざ引き離すような無粋な真似はしない。


「最初に出会ったころの威勢はどうした?」

「あれは……変な男に買われるくらいなら舌を噛んで死ぬつもりだったので。ですが翔太郎様はわざわざ弟と一緒に買ってくれました。そのお情けを痛感しております。ありがとうございます」


 彼女の顔が近い。長い睫毛に切れ長の目。髪は農民らしくボサボサで肌も浅黒いのだが、俺の手は自然とそのハリのあるであろう肌に伸びていた。


「変な男というのは、俺のことではないのか?」


 彼女の着物の裾から手を入れる。もちろん下着は付けていない。上下ともにだ。彼女の顔を見る。頬を赤らめながらも、少し震えていた。直ぐに手を戻す。


「冗談だ。悪かった。米が炊けたら茶碗によそってくれ」


 謝罪をして鍋に向き直る。米が炊けて味噌汁が出来たら食事にしてしまおう。葛はその場で立ち尽くしている。やってしまった。健全な十六歳なのだ。そりゃ目の前に美味しそうな餌があれば手が伸びてしまう。


「……は、はい」


 しゅんとした葛はそう言うと釜に向き直る。えーと、なんだっけ。米の炊き方は『始めちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火をひいて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもふた取るな』だったか。


 気まずい沈黙が俺と葛の間に流れる。さて、どうしたものか。飯の用意を葛に任せ、俺は裏で刀でも振るっているか。そう思い、ため息交じりに立ち上がったところで彼女に声を掛けられた。


「あの!」

「なんだ?」

「先程は驚きはしましたが、別に嫌ではないので、お情けを」


 潤んだ瞳でこちらを見上げながら着物の裾をはだけさせる葛。少し冷静になった俺は頭を抱える。確かにしたい気持ちは山々だが、それはこの主従関係があるからではないのだろうか。


 悩んだが、深くは考えないことにした。向こうが良いと言ってきているのだ。それならば据え膳食わぬは男の恥である。ただ、彼女は不安に思っているので、そこだけは解消しておきたい。


「良いのか。これからもお前を求めることになるぞ?」

「それは構いません」

「ならばずっとここに居ろ。弟と共に。良いな?」

「はい」


 流しで葛を優しく押し倒す。竈門の火が暖かい。彼女の着物の帯を解き、前をはだけさせる。それはもう全裸と言っても過言ではない。


 太助と源爺はまだ帰って来ない。米が炊けるまであと三十分はかかりそうだ。俺はそれまでの間、葛と睦ぶ。葛の柔肌をなぞりながら反応を楽しむ。


「翔太郎様」

「葛」


 互いの名前を呼び合いながら、俺はこの世界の数少ない娯楽の一つに手を染めたのであった。


―――


 源爺と太助が戻ってきた。米は炊けているので俺は鍋に味噌を溶かす。うん、野菜からの出汁も出ていて味は悪くない。最初の食事だ。全員で食べようと思い待っていたのだ。


「疲れたー」


 太助は両手に山ほどの小枝を持っていた。源爺も両手に一杯の小枝を持っている。俺は源爺に近づき、この周囲の治安について尋ねてみた。


「どうだ。太助が一人で出歩いても問題なさそうか?」

「へえ。竹中様のお陰でしょう。明日からは太助一人に小枝拾いを任せてもよろしいかと」

「わかった」


 葛が飯を配膳する。歩きにくそうにしているが俺は気づかないふりをした。四人で車座になって少し早い夕食にすることにした。


「いただきます」


 両手を合わせてから味噌汁を啜る。うん、野菜から良い出汁が出ている。味も濃いめにしたため、飯が進みそうだ。葛の気遣いだろうか。俺の飯だけ米が多いように思う。


 基本は一汁一菜で生活していこう。現代の著名な料理研究家も言っていた。ただタンパク質が足りていない。そういえば牛も鶏も食べちゃ駄目なんだったか。そうなると、頼れるのは豆だ。


「うんめーっ!」


 太助が飯を掻き込む。粟や稗が多くても腹いっぱい飯が食えることが幸せなのだろう。葛には味噌汁の味を覚えてもらう。この味噌汁の濃さが俺の好みだ。


 食事を終える。時間はまだ夕暮れ時だ。この時代の光源は貴重なのである。現代みたいに電気や蝋燭が気軽に百円ショップで買えるわけじゃないのだから。


 日が完全に落ち切ってしまう前に寝床の準備を整えなければ。太助と源爺の二人は三畳の小間で寝てもらう。俺は葛と納戸で寝ることにした。


 どうして荷物が多く、狭い納戸で寝るのか。それは積んだ米俵がすき間風を防いでくれるからだ。それ以外にも防音の役割を果たしてくれないかなどと淡い期待も沿えて。


 美濃の九月。まだそこまで寒くはないが今から準備はしておかなければならない。葛を抱き寄せる。そして耳元で囁くように尋ねた。


「寒くは無いか?」


 そう言うと、葛は甘えるような上目遣いをしながら問いに答える。「少し寒うございます」と。その答えを合図に葛の唇を奪う。ああ、妊娠させないようにだけ気を付けなければ。


―――


 翌日。俺は屋敷の裏にある庭に出ていた。七畳ほどの広さの庭だ。ここを翔太郎農園の開墾予定地とする。せっかくジャガイモやら南瓜やらトマトやらを持っているのだ。育てぬ道理はない。


 気温から察するに今は四月か五月頃だろう。それであればジャガイモも南瓜も植えるのに最適な季節だ。トマトはわからないが、とりあえず植えてみることにする。


「何はともあれ朝飯だな」


 俺と葛で朝飯の用意をする。昨日の晩に炊いた米を温め直した味噌汁の中に入れて終わり。汁かけ飯だ。朝から腹いっぱい食えるだけマシだと思って欲しい。


 太助に鍬を買いに行かせる。その間にジャガイモを半分に切る。五つあったので、十か所に植えられる計算だ。南瓜は四等分の一片を購入していた。種が既に見えている。


 問題はトマトである。種の位置はわかっている。あのぶにゅっとした中に種はあるのだ。トマトを半分に切り、葛にも手伝ってもらいながら種を取り出す。


「貰ってきたよ!」


 太助が塩屋の権兵衛の店で鍬を購入してくる。今度は太助に枝を拾いに行かせた。出来るだけ長い枝を持って来るように告げる。


 俺は上半身裸になり、一心不乱に鍬を振るう。七畳の庭を三区画に分けて耕す。間に細い通路を設けて完成だ。二畳ずつの畑の完成である。


「ただいまー!」


 タイミングよく太助が帰ってきた。彼が持ってきた枝を使って即席のトンボを作成する。野球部が良くグラウンドの整備に使っているアレだ。


 トンボを使う前に畑の土を細かくしたい。篩があれば理想なのだが、生憎とそんなものはない。なので、鍬で丁寧に何度も何度も土が細かく柔らかくなるまで耕す。


 それからトンボを使って整地をする。ここまでで既に昼が過ぎている。腕時計を確認してみると時刻は午後の二時を回っていた。


 それからやっと十分な間隔をあけてジャガイモと南瓜、それからトマトを植える。主に世話をするのは葛か源爺の仕事になるだろう。といっても朝の水やりと雑草抜きくらいしか仕事はないが。


 しかし、庭を畑にしたせいで刀を振るえなくなってしまった。いや、それよりも畑の方が大事だ。本来ならば大根や豆なんかも植えたかったが、如何せん庭が小さい。これが精一杯である。


「旦那様、それでは手習いを始めましょうか」


 畑の作業が一段落したところで源爺が声をかけてきた。文字の読み書きの訓練ということである。なんとなくは読めるんだが、所々、ミミズのような文字があってまだ慣れない。


 読むのはまだマシなのだが、書くのが難しい。鉛筆じゃない。筆なのだ。書道の経験は小学校の授業でやったことくらいしかない。その時でさえ難しかったのに、更に難易度が上がってるんだから大変だ。


 太助は外で走り回っているし、葛は夕飯の準備に取り掛かっている。といっても夕飯もメニューが変わるわけじゃない。雑穀の混ざった米に汁物だ。


 暇ならば太助と源爺を釣りに行かせてみよう。魚は大事なタンパク質だ。一週間くらいであれば同じメニューでも耐えられるが、それ以上はどうなるかわからない。早めに手を打っておこう。


 特に殿からも寄親になった彦六殿からも連絡はない。こういうとき、足軽の組頭としてはどうするべきなのだろうか。下知があるまで待機していて問題ないのだろうか。


「まあ、なるようになるか」


 まずは生活基盤を整えるのが先決である。そんなことを考えていたら表の戸がドンドンと鳴り響いた。誰かが戸を叩いているらしい。


「誰だ?」


 俺は反射的に叫んでしまった。しまったと思ってももう遅い。慌てて刀を手繰り寄せ、柄に手をかける。すると表の主がこう返した。


「牧野六兵衛様の寄子、梅谷甚右衛門だ!」


 俺は扉を開けた。そこには俺よりも少し年上だろうか。綺麗な髷を結っている当世風の男がそこにはいた。なんというか、江戸っ子という言葉が似合う男だ。江戸産まれじゃないだろうけども。


「あんた、何者だぁ!?」

「は?」


 思わず声を出してしまった。だっていきなり「何者だ!?」と尋ねられたら聞き返すにきまっているじゃないか。いや、敵ではない。牧野六兵衛の家臣だということは理解できている。


 牧野六兵衛といえば、一緒に稲葉山城に討ち入った半兵衛様の家臣の一人だったはず。しかし、全体像が全く見えない。


「俺は阿波鳴戸之助彦六……様の寄子、春弓翔太郎だ。殿より足軽組頭を任されている」

「そうか! 彦六様の家臣か! 俺はな、隣に住んでるからよ、困ったことがあったら言ってくんな! 位も同じだし、よろしく頼むぜ!」


 どうやらお隣さんのようである。最初、甚右衛門が怒っているように見えたが、なんてことはない。そういう口調、そういう人間なのだ。


「……あ、ああ。よろしく頼む」


 戸惑いはしたものの、悪い人間ではなさそうだ。裏表も感じられない。付き合っていくのにちょうど良い人物に思う。


「足軽組頭は下知があるまで待機で良いのか?」

「そうだな。何かあったら彦六様がお声をかけてくれるだろ。そうしとけ」


 誰も彼も適当だなと思う。でも、それくらいがちょうど良いのかもしれない。現代が忙しないだけなのかもなと思い返すのであった。


―――


永禄六年(一五六三年) 美濃国 菩提山城 垂井 初夏


 あれから一か月ほどが経過した。お陰で生活の基盤が整ってきた。葛も太助も源爺もよくやっている。葛は食事の用意と洗濯を賄ってくれている。


 太助は竹で作った水筒をぶら下げ小枝拾いなどの雑用から掃除を行う。源爺は畑の世話と、俺の時間が合えば読み書きの手解きだ。


 しかし、暇である。何もお呼びがかからない。お金がただ減っていくばかりである。どうしよう。稼ごうにも働き場所がなければ手柄を立てられない。さて、何をしようか。


「そうだ、源爺。済まないが文を認めてくれないか?」

「文でございますか?」

「そうだ。竹腰様に文を届けたいのだ」


 竹腰重時に文を書きたいと思っていたのだ。確か僭称はだったはず。源爺に代筆を頼む。無事に竹中半兵衛に会えたこと。縁あって五十貫で召し抱えられたこと。今は垂井の町の組頭屋敷に住んでいることを。


 問題はそれを誰に届けてもらうかである。自分で向かったのであれば、わざわざ文にした意味がない。太助は幼過ぎる。それであれば源爺だろうか。いや、機会があれば商人に届けてもらおう。


 そんなことを考えている時だった。我が家を訊ねる商人がいる。塩屋の権兵衛だった。どうやら俺が所望している武具が揃ったらしい。屋内に通す。


「いやぁ、ここ数日、ご無沙汰しておりました。色々と用意させていただきましたよ」


 そう言って座敷にお店を広げる。要望していた胴丸に太刀に脇差、鉢金に佩楯も揃っている。まずは胴丸から見ていく。少し使用感は残っているが概ね許容範囲内だ。大袖はない。


「いやぁ、苦労しましたよ。春弓様のお身体に見合う大きさの胴丸を探すのは」


 現代では普通であろう一七五センチという伸長が、戦国時代だと巨躯になる。もちろん甲冑師の手直しは必須だが、それでも最小限の手直しで済みそうである。甲冑師の手直し料だって馬鹿にならない。


「いくらだ?」

「胴丸と鉢金と佩楯を合わせて四十貫というところでしょうか」

「そうか、わかった」


 次に太刀と脇差を見ていく。様々な太刀を持ってきてくれた。それを一つ一つ丁寧に確認していく。その中でこれだと思う太刀と脇差を権兵衛に手渡した。


「お目が高い。そちらはどちらも兼友の作にございます」


 湾れ調かつ腰開きの互の目を入れた刃文が美しい。手入れも行き届いている。よほど良い持ち主が所持していたのだろう。気に入った。


 兼友は兼友でも直江志津の兼友ではない。近くにある関の兼友だ。直江志津の兼友であれば、今の俺如きが手に入れられる代物ではない。


「胴丸と鉢金と佩楯、それに兼友の太刀と脇差、それに数打物を数本付けて五十貫でどうだ?」


 俺は権兵衛にそう提案する。そうすると、権兵衛は云々と唸り始めた。どうやら悪くない線を付いているようだ。俺は権兵衛からの返答を待つ。


「うーん、そうですねぇ。本来ならば六十貫なのですが、五十五貫でなんとか」

「いや、五十貫だ」


 真正面から価格交渉を迫る。ここで折れるか突っ撥ねられるか。少しでも妥協を見せたら俺の価値である。さあ、どう出る?


「五十四貫で……」


 日和った。これで俺の勝ちだ。権兵衛が俺の反応を伺ってくる。そこで俺は切れる札の一つを開示することにした。懐から源爺が認めた文を取り出す。


「これはな、大垣の近くで代官をやっておる竹腰様への文だ。我らよりも銭持ちだぞ。それを其方に託したいと思う。これがどういう意味か理解できるか?」


 遠回しに竹腰重時と誼を通じる機会を与えてやろうと上から目線で伝えているのだ。駆け引きははったりが大事だ。ここで折れてはならない。貫くならば貫き通さなければならないのである。


「……で、では五十三貫で如何でしょう?」

「胴丸の手直しも行ってくれるのであれば、その値でいただこう」


 俺はすまし顔でさも当然のように言い放った。俺は傍にいた葛に銭の入った箱を持って来るよう指示を出した。権兵衛の目の前に箱を置き、銭を見せつける。


「春弓様には敵わないですね」


 権兵衛が五十三貫で手を打った。俺は即金で銭を支払う。権兵衛がそれを受け取ると、兼友の太刀と脇差を俺に渡した。そして後ろで控えていた者が俺の前に進み出る。


「失礼いたします」


 どうやら甲冑師を連れて来ていたようだ。俺の体格に合わせて胴丸を調整していく。重さは十キロ無いくらいだろうか。大袖もない、簡素な胴丸なので平均よりも軽くなっているのだろう。


 俺としては動きやすさを重要視したい。鎧はどうせ消耗品だ。命を粗末にするつもりはないが、それならば安価で軽い方が良い。


 しかし、これで銭がほとんど無くなってしまった。残ったのは十数貫である。大きな出費をせず、慎ましやかに暮らしていけば問題は無いはずである。


「こちらが数打物でございます」


 太刀と脇差の数打物を俺に二振りずつ手渡す。無名の刀だ。実戦で使うのはこちらにしよう。戦場で兼友が惜しくなって命を落としては元も子もない。


 分に過ぎたる価をもって馬を買うべからず。これは誰の言葉だったかな。思い出せないが、まあ良いか。良い言葉なので、後で殿や彦六にも教えてあげよう。


 鎧を手直ししながら何か面白いものは無いかと権兵衛の持ってきた荷を漁る。そこに惹かれる道具がいくつかあった。まず一つ目は鎧通しである。


 反りのない真っ直ぐな刃で、文字通り鎧のすき間を狙って攻撃するための武器だ。それともう一つ。これは面頬である。表情を読まれたくない。この二つは買って損のない道具だ。


「いくらだ?」

「二つ合わせて一貫でございます」


 俺は素直に一貫を支払う。あまり叩き過ぎても良い関係は築けない。最後に槍を二本受け取って権兵衛と別れる。これで合戦に必要な道具は一通り揃った。


 いつ何時でも殿に呼び出されても支障はない。問題があるとすれば武士が居ないという点だけだが、それは源爺を仕立て上げれば何とでもなる。俺は殿に呼ばれるのを今や遅しと待つのであった。


―――


永禄六年(一五六三年) 美濃国 菩提山城 垂井 秋


 それから数日が立ち、この時代に転移して三ヶ月ほどが経った。日課の槍術と剣術の稽古と読み書きの訓練は欠かさない。しかし、何とも平和な毎日である。


 偶に殿や彦六に呼ばれることはあったが大した仕事ではない。護衛として殿に随伴するだけの簡単なお仕事であった。駄賃を貰えたのは嬉しかったが。


 畑は良い感じに育っている。晩夏を越えたら収穫しよう。南瓜もトマトも目に見えて実っているのがわかる。トマトはまだ青い。もう少し熟すまで時間が必要だが、楽しみだ。


 そんな俺は今、葛と共に市場に向かっている。そろそろ越冬の準備をするためだ。日持ちする野菜を買い溜めておかなければ。大根に牛蒡、大豆に蜜柑を買い込みたい。晩夏が終われば秋、そして冬だ。


「何やら市場が騒がしいですね」


 葛が言う。確かに彼女の言う通り皆が浮足立っているように見えた。気になりながらも青物屋を尋ね、店主と商談を始める。


 俺が望む条件は来月末までに大根と牛蒡、大豆と蜜柑をそれぞれ一樽ずつ買い付けたいということである。冬までに揃っていれば問題ない。準備は早めにだ。


 大根は漬物にしても良い。牛蒡は味噌汁の具にすれば深みが増す。蜜柑は冬場であれば常温で保存でき、ビタミン類を摂取できる。豆は万能だ。それらを今の価格で来月末に屋敷に納めて欲しいのである。


 交渉は難航したが、今の価格よりもやや高い金額で合意することにした。向こうも商売だ。こちらの意見だけを押し通すことはできない。


「ところで市場が騒がしいようだが、何かあったのか?」


 前金として半金を支払いながら手代に尋ねる。すると手代は溜息を吐きながら町が浮足立っている原因を俺にぽつぽつと話し始めた。


「なんでも不破の方で山賊が出ているとのことでございますよ」

「山賊だと?」


 山賊が出るなんてゲームの世界じゃあるまいしと思ったが、そもそも俺が居るこの世界は中世の日本だったわ。山賊の一人や二人、出てもおかしくはない。


「何でも不破の手の者が山賊のふりしてるんじゃないかって噂で持ちきりでね」


 不破と言えば殿が治める南に位置する不破光治のことだろうか。殿と不破光治が争っているなどと聞いたことがない。それとも俺の耳に入っていないだけだろうか。


「二、三十の手勢で行商や小さな村々を襲っているそうで」

「いつごろからだ?」

「二、三日前からにございます」


 となれば、そろそろ殿の耳に入っていてもおかしくはないだろう。何かしらの対応をするはずだ。そんなことを考えながら屋敷に戻る。すると、一人の兵士が屋敷の前で待っていた。


「お前が春弓翔太郎だな」

「如何にも」

「殿がお呼びだ。今すぐ登城せよ」


 偉そうに述べる男。身なりは整っており、俺よりも身分が高いことが伺える。いや、この男の顔には見覚えがあった。殿の後ろで控えていた近習で、半十郎と呼ばれていた男だ。


 俺は屋敷で葛と別れ、半十郎の後ろに続いて着の身着のまま登城する。いつも着ている稽古着のままだ。そろそろ一張羅を仕立てても良いのかもしれない。いや、それは銭の無駄か。


 門を潜り、殿と初めて会った小部屋に入る。腰の物は半十郎に預けた。俺は襖の前で拳を付いて低頭する。この辺りの作法も源爺から習った。それを確認してから半十郎が声を上げた。


「春翔太郎殿、まかり越してございます」

「そうか、通せ」


 襖を開ける半十郎。俺は何も喋らず、ただ低頭する。殿から「面を上げよ」と声が掛かったので、そこで初めて顔を上げた。その場には阿波彦六も同席していた。


「もっと近くに寄ってくれ。話がしづらい」

「はっ」


 室内に入る。それを見て半十郎が襖を締めた。この場にいるのは俺と殿、それから彦六の三名である。ちらりと彦六を見る。笑いを噛み堪えている表情をしていた。俺が真面目にしているのがおかしいのだろう。


「様になってきたな。もっと崩しても良いんだぞ」

「それが癖になっても困りますので。そのような者、恥ずかしくておちおち遣いにも出せないでしょう」

「至言だな。彦六は少しは見習えよ」


 とばっちりを食らう彦六。今度は俺を睨みつけていた。殿とどういう関係かは知らないが、自分が公私を弁えないからだろ。俺に八つ当たりしないでくれ。俺は強引に話題を変えることにする。


「して、本題は?」

「おお、そうだったな。近頃、賊が出ている話は知っているか?」

「耳にしております。不破の手の者ではないかと市井で話題になっておりました」

「他には?」

「二、三十の手勢を率いて行商人や村を襲っていると」

「ふむ、それなんだがな。翔太郎、お前が討伐して参れ」

「かしこまりましてございます」

「は?」


 彦六が素っ頓狂な声を上げた。どうやら俺が二つ返事で引き受けたのが意外だったらしい。殿も少し心配になったようで、俺にこう声をかけた。


「任せておいて何だが、能うのか?」

「能う方法があるのでお任せになったのでしょう。俺はそれを見つけるだけです。どちらにせよ、今は彼我の何事も知らない状態ですので、まずは調べるとこから始めようかと」

「悠長に調べている時間は無いぞ。待っているうちに商人や村が襲われているのだからな」

「承知いたしました。急ぎましょう。では、これにて失礼いたします」

「おう、励め」


 殿の前を辞する。半十郎に刀を返してもらい、さてどうしたものかと思案する。隣にはいつの間にか彦六が並んでいた。どうやら俺を心配してきたようだ。


「本当に能うのか?」

「さあ、どうでしょう。ただ、殿としては俺が失敗しても痛手ではない。むしろ、相手の力量を図る試金石になったと思うのではないでしょうか?」

「そんなことはないぞ。お前を失ったら殿は心を痛める」


 即座に訂正される。そして彦六に助け舟を出されてしまった。


「寄騎を付けるか?」

「ありがたいお申し出ではありますが、考えさせてください。それよりも地図を拝見させていただけましたらと存じます」

「構わんぞ。好きに見ろ」


 どうにも首が回らなくなったら彦六から兵を借りることにしよう。それよりもまずは独力で対処する方法を考える。殿に地図を見せてもらい、地形を把握してから彦六と別れ市場に向かって聞き込みをしてから屋敷に戻り、太助を呼び出した。


「何か用か?」


 太助がそう述べる。すると葛の拳骨が太助の後頭部を襲った。それから太助は言い直す。「何か御用ですか?」と。これは姉弟の教育の話だ。俺は口を挟まずに用件を切り出した。


「明日から南の関ケ原にある桃配山より南で小枝を拾ってきてくれ。そして怪しい人物がいないか調べて欲しい」

「かしこまりました」

「くれぐれも近づくなよ。見つけ次第、戻って報告するように。これが戦で最も重要な偵察だ。頼めるか?」

「任せてくれよ!」


 戦の大事と言われて浮かれ気分になった太助は思わずタメ口で俺に話しかけてしまう。そして葛に再び後頭部を殴られてしまうのであった。


 俺としては桃配山から南宮山が怪しいと思っている。聞き込みをした結果、不破関の東側で襲われることが多いようだ。不破の関の北は菩提山だ。竹中のお膝元である。


 つまり、隠れながら襲撃するには南側に陣取るしかないのだ。桃配山にも南宮山にも城は無い。人の出入りが多くないのだ。隠れるには持って来いである。


 まずは情報を集めよう。俺も南宮山に向かうことにする。被害が拡大してしまうその前に。


―――


 水筒と握り飯を風呂敷に包んで山に登る。南宮山までは歩いて三十分を超えるくらいである。現代の丈夫な運動靴を履いていて良かったと思う。でなければ山登りも一苦労だっただろう。


 今は足袋を履いてから運動靴を履いている。少しでも足への負担を軽減したい。もし、この運動靴を履き潰してしまったら草鞋に履き替えるしかないのだ。ゴム底を再現することは不可能である。大事に酷使していきたい。


 なので、いざという時しか今は履いていない。そして今がその時である。迷子にならないよう、山を登る。太助も迷子になっていないと良いが。


 九月も半ばだというのに、じんわりと汗が浮かんでくる。胴丸も鉢金も付けていないのにだ。良いトレーニングになる。木々の間に陣取り、地面に座った。風が気持ち良い。


「ん?」


 握り飯でも食べようかと思っていた矢先、金属が擦れる音が聞こえたような気がした。姿勢を低くして木々の間に隠れる。そして耳を澄ませた。


 確かに聞こえる。金属の擦れる甲高い音が。俺は慎重に音の鳴る方向へと近づいて行った。さらに女性の叫び声や泣き声も聞こえてきた。それで当たりを引いたと確信する。


 木陰から様子を伺う。そこには二十二名の男たちが焚火を囲んでどんちゃん騒ぎに興じていたのである。酒を浴びるほど呑む者、飯をたらふく食う者、女を縛り上げて襲っている者など多種多様であった。


 いくら強いと言っても二十対一では分が悪い。そして攻め込んだとしても取り逃がしてしまう恐れもある。今回の命令を思い返す。殿は討伐しろと言ってきた。つまり、反抗させずに片を付ければ良いのだ。


 闇夜に乗じて襲うことも考えたが、取り逃がしてしまうと追跡もできなくなる。もし、夜襲をかけるのならば手練れがあと二人は欲しい。


 昼間からこの調子で騒いでいるのだ。夜になれば泥酔して酩酊するだろう。よしよし、段々と考えがまとまってきた。静かにこの場を離れ、町に戻ることにする。そのときだった。


 俺は殺気を感じ、思い切り後ろに飛び避けた。そのまま山道を転がるように降る。どうやら山賊の一味のようであった。抜かった。あそこ以外にも山賊の手の者が居たとは。


「あれを躱すか。不意を突いたつもりだったんだがな」


 二十五、六ほどの年頃の男性がゆっくりと近づいてくる。人相が非常に悪い男であった。目は吊り上がっており覆船口、眉も短く無精髭が生えていた。


 俺は十分な距離を取ってから立ち止まり、深呼吸を挟んでから抜刀した。雰囲気でわかる。この男は強いと。どうしてこの男が山賊なんかに身を窶しているのだろうか。


「俺とやるつもりか。こう見えても俺は強いぜぇ?」

「わかっている。お前も俺がどれほどの力量かわかるだろう?」


 平正眼に構える。イレギュラーがあるとするならば坂での対戦だということだ。向こうが高所だ。兵法の基礎は高所を位置取ることだが、この場合も当てはまるのだろうか。


 呼吸が乱れる。大きく深呼吸をしてリズムを整え直した。久しぶりの実践。命のやり取りだ。栄を助けた時には感じなかった圧を感じる。足が重い。強いのが如実にわかる。


「お前、名は?」

「竹中半兵衛様が家臣、春弓翔太郎だ」


 そう言うと男は舌打ちを一つしてから納刀した。そして叫ぶ。


「止めだ止めだぁ!」


 そして不用心に俺に近寄ってきた。間合いに入った瞬間、俺はこの男に向かって突きをお見舞いする。男はバックステップで距離を取った。


「止めだって言ってんだろ。話を聞けよ」

「お前が止めたからって俺まで止める道理はないだろ?」

「もっともだ。だが待て。俺はもう抜ける。だから見逃せ」


 抜ける。抜けるとは何を指しているのだろうか。まさか山賊を抜けると言ってるのだろうか。こちらとしてはそれは願ってもないことなのだが、目の前の男の意図がわからない。


「名は?」

「各務勘次郎元正だ」


 名前から察するに武士のようだ。どうして武士が山賊の真似をしているのか。つまり、彼らは農民が山賊と化したのではなく、武士が山賊となったと考えた方が良さそうだ。


「どうして山賊なんかに?」

「ちょっとな。親族の家に押し入ってな。そのー、なんだ。誤って殺しちまったんだ。そのせいで蟄居処分よ」

「誤って殺したって……誰を殺したんだ?」

「その家の主人も家人も。そりゃ全員よ」


 極悪人じゃないか。むしろ、それだけの殺人を犯しているのに蟄居処分で済んでいることを感謝した方が良いと思うのは俺だけだろうか。


 おおよその話は理解した。つまり、殿によって山賊が一網打尽にされる前に抜けて自分は関わってなかったと言い張るつもりなのだろう。何が狙いだろうか。しばし考える。


 パッと思いつくのはお家再興だ。いや、各務家が没落したという訳ではないから蟄居の取り消しが主な動機だろう。今はやさぐれているが、山賊に所属していたことを秘匿し、蟄居の取り消しを鼻先にちらつかせたら味方になるかもしれない。


「それなら俺に協力しないか?」

「協力ぅー?」

「そうだ、協力だ。俺に協力すれば山賊に関わっていた言い訳が出来るようになるぞ」


 そこで俺は山賊を一網打尽にする策を閃く。各務勘次郎はそれを興味深く聞いていた。そして俺の話を最後まで聞いた時にはすっかりその気になっていた。


「そいつは面白そうだな。その話に乗ってやるよ」

「そいつはどうも」


 実際問題、口ではこう言ってるが、どこまで信頼できるかわかったものではない。寝首を掻かれないよう、細心の注意を払わねば。何かあったら全力ダッシュで逃げ去ろう。


 こういうとき、数打の刀で良かったと思う。捨てて逃げても惜しくもなんともない。逃げるなら少しでも身軽にして逃げなければ。


「ちなみに、山賊の親玉って誰なんだ?」

「岩手弾正信冬って男だ。何でも竹中に親族を殺され、居場所を追われたらしい」


 その腹いせに山賊行為に身を窶しているということか。それであれば心置きなく叩きのめせるというものである。俺はわざと服を汚し、顔も土塗れにしてから各務勘次郎の後ろに続いたのであった。


―――


「用足しにしちゃ、遅かったなぁ。勘次郎」

「ちょっと拾いモンをしたのさ」


 そう言って俺を指差す。俺は飄々とした表情を浮かべながら山賊の塒を内側からまじまじと見つめていた。こいつらを勘次郎と二人で切り殺す。さて、俺に出来るだろうか。条件が揃えば俺はできると踏んでいる。


「なんだ、その男は?」

「その辺をうろついていた浪人さ。腕が立つんで引き入れたって訳さ」

「まあ、お前が言うんなら腕は立つんだろうなぁ。ま、同じ食い詰め者同士仲良くやろうや」


 大将と思しき身形の良い男がそう声をかけてきた。中肉中背でだらしなく着物をはだけさせながら、怯える女に酌をさせて酒を飲んでいる。この男は酒と女、どちらで身を崩したのだろう。殿に攻められたということは、素行が悪かったに違いない。


「さて、次はどの村を襲ってやろうかなぁ。おい、新入り。その時は活躍してもらうぞ」

「任せろ。だが、その分は報酬を弾んでもらうぞ」

「もちろんだ」


 それから俺は山賊たちと交流を深める。引き抜けそうな男がいれば自分の家臣にしてしまいたい。あわよくばではあるが、そんなことを考えていた。


 そして一人の男に白羽の矢を立てる。自信なさげに隅に座っている男だ。年のころは俺よりも三つ四つほど年上だろう。一人ずっと浮かない顔をしていた。彼の横にさり気なく座り込む。


「俺は春弓翔太郎だ。よろしく頼む」

「某は蕨生新右衛門公秀と申す。よしなに」


 俺と目が合わない。なんというか、コミュニケーション能力が著しく劣っているように思う。俺はただ、彼の横に静かに座ることにした。


 すると、新右衛門がソワソワし始めた。きっと今頃、俺に声を掛けるべきかどうかを悩んでいることだろう。彼は頭で色々と考えすぎてしまう結果、何もできなくなってしまう人種と見た。


「新右衛門はどうして此処に?」

「某の家系は岩手弾正様の鷹匠をしておったのだ。口下手であまり会話はできず、今は鷹も手放してしまったが、心は常に岩手弾正様とともにござる」


 鷹匠と言えば、身分は低いが主君と会話のできる役職だ。自分の有能さを示すことが出来れば取り立ててもらうことも夢ではない。しかし、彼は口下手だ。口下手では機会があっても出世は望めないだろう。


「その手を悪事に染めてもか」

「そめてもだ」

「しかし、果たしてそれは本当の忠義を呼べるのか?」


 そう言うと、新右衛門がむっとした表情で俺を睨み付けてきた。それでも俺は彼の視線を意に介さず、持論を淡々と述べる。


「本当の忠義心を持っているのであれば、主君が道を踏み外そうとしている時、その命を持ってしてでも押し留めるのではないか?」


 黙る新右衛門。本当は言いたかったのだろう。しかし、口下手なので、それが出来なかった。口惜しいことである。それならば、そこに付け入る隙があるはず。


「今ならまだ間に合うぞ。馬鹿な真似は辞めるよう、大事な主君を諫めた方が良いのでは。もうすぐそこまで竹中の兵が迫っているぞ?」


 そう告げると青い顔をする新右衛門。竹中がこの山賊を無視しておく訳がない。少し考えればわかることだ。新右衛門が席を立ち、当主から頭目へと身を落とした主人のもとへ向かった。


「と、殿。そろそろ此処が引き際ではございませぬか?」

「ん? 新右衛門、何を申すか。まだまだこれからであろう?」

「し……しかし、竹中が兵を出せば……」

「そんなもの、返り討ちにしてやれば良い! 向こうは我らの居場所を把握しておらんのだ! 逃げ回って竹中の治める村々を襲って回れば良い! 余計なことを申すなっ!」


 新右衛門は蹴り飛ばされてしまった。とぼとぼとこちらに戻ってくる。周囲の目は彼を馬鹿にしているようであった。どうやら他の者はただ岩手弾正にくっついて甘い汁を吸っているだけのようだ。


「散々だったな」

「……」

「愛想を尽かしたか?」


 静かに首を振る新右衛門。これでもまだ忠義を尽くすようである。こうなってしまっては、彼に岩手弾正の説得は無理だろう。それでも俺は焚き付ける。彼が主君から疎まれるように。


「主君に他国へ逃れることは忠言しなかったのか?」

「……してない」

「何故しない。今、尾張の織田は美濃を虎視眈々と狙っている。それならば、織田に与すれば美濃で領地を取り戻す可能性が増すだろうに」


 それを聞いた新右衛門は再び岩手弾正のもとへ行き、けんもほろろに追い返されてくる。短慮で単純な男ではあるが、忠儀心に篤く、また行動も早い。


「もう良い! 其方は去ね! 何処へでも立ち去るが良い! もう儂の家臣でも何でもないわっ!」


 口下手な人が咎めるとどうなるか。上手く諭すことが出来ず、相手が激怒して終わりである。それもわからず新右衛門は愚直なまでに自分の主を諫めるのである。


 そしてとうとうクビになってしまった。目の前から消えろと。周囲の者は面白がってただニヤニヤと見ているだけである。俺は新右衛門の耳元でこう呟いた。


「垂井の町の酒場で待っていろ」


 新右衛門は不服そうな顔をしていたのだが、最早どうすることも出来ず。荷物をまとめ、山を下って行った。日は段々と落ちていく。さあ、もうすぐ夜だ。


―――


 新右衛門の忠告など耳にすることなく、浮かれ気分でどんちゃん騒ぎをする岩手弾正。どうやら次は大高村を襲うようだ。確かに、隠れて襲ってを繰り返されたら捕捉するのは難しいだろう。


 だが、中に入ってしまえばこちらのものである。今宵は有明の月。出来れば明日に事を運びたいが、明日に襲うのであれば今日やるしかない。


「おい、新入りぃ! 今日はお前が見張りをやれ! おい、誰が新入りに見張りの手解きをしてやってくれ!」

「某に任せられよ」


 立候補したのは勘次郎であった。ここまでが手筈通りである。俺と勘次郎が見張りにつき、他の者たちが酒に酔い、寝静まるのを待つ。


 そして皆が寝静まった後、一人ひとりを殺して回るのだ。岩手弾正は俺に不信感を抱いているだろうが、勘次郎を信用しきっている。そこが大きな落とし穴だ。


 丑三つ時。俺は勘次郎に目配せをしてから行動に移す。まずは岩手弾正の首からだ。最低限、この首さえあれば何とでもなる。しかし、そう簡単に首を獲らせてくれないのが何とも憎らしい。


 岩手弾正が休む場所の前に二人の男。女に酌をさせている。流石に全員が眠っている状況というのは難しいか。眠っている男から片付けて行こうか。それとも岩手弾正から仕留めるか。悩みどころだ。


「どうするんだ?」

「……岩手弾正から仕留める。奴の首さえ獲れれば後は烏合の衆だ」


 抜刀して岩手弾正の護衛であろう男に斬りかかる。俺とタイミングを合わせて勘次郎ももう一人の男に斬りかかっていた。酌をしていた女が悲鳴を上げる。


「勘次郎、何をするっ!」

「まあ、ここらが引き際だわな」


 男と勘次郎が鍔迫り合いをする。俺はというと、奇襲で相手の腕を斬り落としていた。返す刀で首を刎ねる。血が噴き出し、返り血が着物にかかった。この時点で俺は勘次郎を信じることに決めた。


 俺は人を殺めた。初めてではない。栄を助けるときにも殺めた。稲葉山城でも殺めている。だが、面と向かって、自分の意志をもって殺すのは、まだまだ慣れない。


 理由を付ければいくらでも付けることが出来る。栄を助けるために殺した。殿に命令されて殺した。違う、そうじゃない。俺が殺したんだ。この手で。そして、これからも殺すだろう。生き残るために。成り上がるために。


 手を血で染める覚悟はできている。俺は刀を握り締めると、岩手弾正のもとへと向かった。流石にこの騒ぎだ。起きていたが、まだ酒が残っているようだ。やるなら今しかない。


「アンタはやり過ぎた。悪いが死んでもらう」

「何をぬかすか、下郎め! 儂を誰だと思っ――」


 袈裟で一太刀。肉と骨の感触がてのひらに伝わってくる。刀が血油に塗れていく。深呼吸を一つ。振り返ると勘次郎も男を手討ちにしていた。


「勘次郎、ここからは何人の首を取れるか勝負だ」

「お、それなら負けねぇぞ」


 こうなったら自分自身の心を麻痺させるしかない。もう今更だ。一人殺めても二人殺めても変わらない。ならば、斬って斬って斬りまくって心を麻痺させるべきなのだ。


 十人ほどが事態に気が付いて向かってくる者、逃げ去る者など十人十色である。なので、せいぜい此方に向かって来る者は四、五人ほどであった。俺も勘次郎も闇夜に紛れる。


 俺に向かってくる相手を一刀のもとに斬り伏していく。酩酊している相手だ。この程度であれば他愛もない。他愛もないが、命のやり取りをしているという事実が俺自身を高揚させる。


 取り乱した相手が同士討ちを始めた。細い有明の月明かりしかないのだ。間違えるのも無理はない。俺は出会った相手全てを斬り伏せる心構えである。それが例え勘次郎だとしても。


「そっちも終わったか」

「ま、所詮は落ち武者の集まりだからな」


 刀を振るって血を飛ばす。そして転がっている死体の着物で刀を拭く。俺は岩手弾正の首を獲ると、彼の二振りの佩刀に手を付ける。業物だ。それを腰に差し直し、髷を雑に掴んで下山する。


「お前たちも下山して好きなとこに行くが良い」


 連れて来られたであろう女たちにそう述べる。本当はこの場の死体から金目の物を剥ぎ取りたいところではあるが、それを行っても良いものか。


 とりあえず、目に付く金目の物――刀や槍など武具の類――を持てるだけ持って山を下りる。後ろから一人の女の叫び声が聞こえてきた。


「こんなとこでほっぽり出して! あたいらにどうやって生きれというのさ!」

「……垂井の町にある阿波彦六の屋敷を尋ねろ。そして事情を話せ」


 それだけを言い残して今度こそ下山する。俺の前には勘次郎が居る。どうやら夜目が利くらしい。俺はそのまま勘次郎に話を振る。


「このまま殿に目通り願おうと思っている。その時に勘次郎に手伝ってもらったことを述べて殿から蟄居を解くよう動いてもらう。それで良いか?」

「ああ、この山賊行為がばれなきゃ何でも良いさ」

「なら迂闊な発言はするなよ。お前は酒場で意気投合して、俺の協力者として岩手弾正の中枢に潜り込んでいた。この設定を忘れるなよ」

「あいよ」


 瓢箪を傾けて酒を一献。喧嘩っ早い男だが腕は立つ。懇意にしておいて損はないだろう。そんなことを考えながら俺は勘次郎を警戒しつつ町へと戻るのであった。


―――


 町に戻る。そのころには既に空は白み出していた。よくもまあ夜通し戦えたものだ。町の入り口でそわそわしている人影を見つけた。葛である。


 俺の姿を見つけると、彼女はこちらに駆け寄ってきた。どうやら俺が帰ってこないものだから、心配していたようである。


「すまんな、葛。今帰ったぞ」

「いえ、ご無事で何よりでございまます」

「悪いがこれを家に持って帰ってくれ」


 俺は剥ぎ取った刀と槍を葛に手渡す。よろめきながらも何とか受け取る葛。彼女に任せて大丈夫だろうか。と思ったのだが、後ろに太助が隠れていた。どうやら彼は姉が心配で付いてきたようなのだ。


 俺を心配する葛を心配する太助か。中々面白いことになっていると思い、思わず笑みが零れた。


「これから殿に目通りを願ってくる」

「これからに……ございますか?」

「そうだが、何か不都合でもあるのか?」

「せめてお召し物を着替えられた方が良いかと」


 改めて自分の格好を見る。いつもの稽古着姿なのだが、返り血塗れで鉄臭くなっている。それは隣にいる勘次郎も一緒だ。互いに姿を見合う。


 勘次郎は顔も着物も血だらけだ。それだけで彼が何人を殺めたのか想像することが出来る。そして、自分もそれだけの人数を斬り伏せた。つまり、自分も血塗れなのだ。


「構わん、このまま行くぞ」


 勘次郎がそう述べる。失礼は避けたいところではあるが、生首を持っている以上、既に血生臭いことには変わりない。それならばさっさと済ませてしまおう。そう思って俺もこのままいくことにする。


「気を付けて帰るんだぞ。後ろにいる太助にも手伝ってもらえ」


 葛が振り返る。太助と目が合う。慌てて目を逸らす太助。あとは姉弟に任せるとしよう。俺はここから更に菩提山に登らなくてはならないのだ。


「貴様らぁ! なにをやっておるかぁっ!」


 そう思い、町中を闊歩していた時である。四十前後の初老に差し掛かった侍がこちらに向かってそう叫んでいた。無理もない。血塗れの男二人が――しかも片方は生首を添えて――歩いているのだから。


「竹中半兵衛が家臣、春弓翔太郎と申す。殿の命にて賊を討ち取ってきたまで」

「其方が春弓翔太郎か。どうやら剣の腕だけは立つようだな。しかし、町中でそのような恰好をするとは何事か。恥を知れ、恥をっ!」


 口振りから察するに殿の家臣なのだと思う。しかし、全く知らないおじさんにそう言われてもなぁ。うーん、このまま叱られているのも癪だし、少しだけ揶揄ってみるか。


「そうは仰いますが、替え着物など持っておりませぬので。わかりました。そこまで仰るのなら裸で殿にお目見えするとしましょう」


 そう言って俺は着物に手をかける。勘次郎も何か察したのか、彼もまた着物に手をかけて何のためらいもなく褌一枚の姿になった。


「そういうことを言ってるのではない!」

「しかし今、この服でお目見えするなと」


 俺は半裸の状態で目の前の初老の侍に困惑した表情を浮かべながら反論する。


「そうではない。着替えてから目通りせよと言ってるのだ!」

「その着替えが無いと申し上げておるのです」

「わかったわかった。儂が替えの着物を買ってやる。だからその服で歩くな。裸になるな。褌になるな」


 直垂売の店に連れ込まれ、体躯に合わせて直垂を選ぶ。俺と勘次郎はその間に井戸水で身体の汚れを落としていた。番頭と初老の男の会話が聞こえる。


「これはこれは杉山内様、新たなご家来でございますか?」

「いや、こ奴らは儂ではなく殿の家臣だ。名を春弓翔太郎と言う。もう一人は……知らん顔だな」

「ほおほお竹中の殿様のご家来でしたか。あの様子から察するに腕が立つのでしょうねぇ」

「このような時勢だ。腕がたつに越したことは無いな。良い駒ではある」


 俺は身体を洗い、生首も綺麗に洗う。そして杉山内と呼ばれた武士に生首を手渡した。杉山内はその首の顔をまじまじと見る。そして気が付いたようだ。


「そちらが今回の山賊騒動の首魁にございます」

「岩手弾正か。どこまでも殿の邪魔をする奴よ」

「これから登城して殿にお目通り願い、仔細を説明する所存にございます」

「そうか。儂も同行しよう。早く着替えを済ませられよ」


 俺と勘次郎は手早く着替えを済ませて杉山内に続いて登城する。周囲の者は誰も俺のことなど知らないが、杉山内のことは知っているらしい。脇に避け、道を開けて頭を下げている。あれ、もしかして偉いのでは?


「殿、杉山内蔵之助にございます」

「入れ」


 杉山内蔵之助が襖を開け、中に入る。俺と勘次郎もそれに続いた。殿は俺と勘次郎の存在に気が付いたようだ。俺の目を見て問う。


「翔太郎ではないか。如何した?」


 ちらりと杉山内蔵之助の顔色を確認する。直答しろ、そう言っている気がした。俺は胡坐を掻き、胸を張って今回の山賊騒動の顛末を報告することにした。


「はっ、山賊を討ち取って参りましてございます。首もこちらに」

「ほう、裏で糸を引いていたのは岩手弾正であったか。禍根を残した儂の落ち度よ。その者は?」

「各務勘次郎元正にございます。義憤に駆られ、俺の手伝いをしてくれました」

「ほう、各務……噂は耳にしておる。確か蟄居しているはずでは?」

「蟄居の身ではございますが仕出かした罪を償うため、少しでも恩返しのため助力致してございます」

「そうか、感謝いたす」


 俺は殿に目配せをする。これで俺の意図を理解してくれれば良いのだが。殿も俺の目配せに気が付き、何か察してくれたようである。


「儂の方でも蟄居の件、口添え致そう」

「ありがとうございまする」


 勘次郎が応え、殿が勘次郎に感謝の意を伝える。その褒美が蟄居の口添えだ。そして今度は殿がその後、杉山内蔵之助に「どうして其方が居るのだ?」と尋ねていた。杉山内蔵之助は「新入りの為人を知りたい」と答えていた。つまりは試されているのである。


「して、翔太郎よ。どうであった?」

「痛感させられることばかりにございます」

「何を感じた?」

「智は武器であること。数は武器であること。油断が大敵であるということ」


 地図を見ていなかったらここまでスムーズに歩き回れなかった。勘次郎の助力が無かったら、数が足りず、また奇襲もできなかっただろう。そして、寝込みを襲われた敵の脆さよ。


 この回答を頷きながら聞く殿。杉山内蔵之助は俺をじっと見つめていた。表情を読ませない辺り、杉山内蔵之助は老練だと思う。


「翔太郎はやはり賢しいな。山賊の討伐をさせたのも、我が領地とその周辺を身をもって把握してもらいたかったからだ。地形を把握すれば有利になること、身をもって理解したであろう」

「ははっ」

「さて、では其の方に褒美を取らせねばならぬな。何が良いか」


 殿は考えたのち、俺に感状と銭を褒美として授けてくださった。銭は二十貫である。まあ、良い太刀を褒美で貰ったと同義だと思おう。俺は頭を下げて感状と銭を受け取る。


「お前にはまだまだやってもらいたいことがある。これからも励めよ」

「ははっ」


 深く頭を下げてから殿の前を辞する。勘次郎と杉山内蔵之助を置いて。あー、緊張した。肩をほぐしながら廊下を歩く。そして思い出す。そういえば一人、ほっぽり出している相手がいたな。


 蕨生新右衛門である。俺は新右衛門に会いに行くため、城を後にして町へと繰り出すのであった。


―――


 町にある酒場を巡る。三軒目にうだつの上がらない、悲壮感の漂う男がいた。蕨生新右衛門その人であった。俺は新右衛門の真正面に陣取る。


「親父、俺に酒と肴を」

「あいよぉ」


 濁酒ときゅうりと茄子の漬物が俺の前に運ばれてくる。まずは濁酒を一献。現代の酒と比べて非常に薄い。まあ、薄いというか、薄めてあるというのが正しいのだが。


「さて、まずは改めて自己紹介をしようか。俺は竹中半兵衛様が家臣、春弓翔太郎だ」


 そう告げると新右衛門は持っていた盃を床に落としてしまった。幸い、割れてはいないようだ。続けざまに愛する主君がどうなったのかも告げる。情報を小出しにするより、一気に話した方が新右衛門の負担が少ない。


「岩手弾正がどうなったかは……まあ、言うまでもないだろう。それよりもお前の話だ。お前はどうする。主君に殉じるか?」


 江戸時代だったらそうしただろう。しかし、今は戦国の世。七度主君を変えねば武士とは言えぬ時代である。誰も信じられない時代なのだ。だからこそ、忠義に篤い武士を配下に加えたいのである。


「もし、お前がまだ生きたいの言うのなら俺はお前を召し抱える。俸禄は十貫だ。すぐに返事をしろとは言わん。腹が決まったら訊ねてきてくれ」


 それだけを言い残し、俺は摘まんでいた漬物を全て平らげ、濁酒を飲み干し店を後にする。直垂売に寄り、預けていた稽古着を受け取り家に帰る。


「帰ったぞ」

「おかえりなさいませ」


 流しに居た葛が頭を下げる。俺は太助を連れて再び南宮山に登った。賊の後処理をするためだ。せめて埋葬くらいしてやっても罰は当たらないだろう。俺が殺めたのだ。せめてもの償いである。


「太助は昨日、どこを歩いていた?」

「もっとあっち側の山の方」


 そう言って北の方角を指す。どうやら桃配山で小枝を拾っていたようである。南宮山までは届かなかったようだ。いや、それで良い。どこにいるかわからなかった以上、向こうも調べる必要はあったのだから。


 岩手弾正の塒に到着した。死体が転がっている。野犬や熊が来る前に埋葬してしまおう。俺はまず、太助に死体から武具と衣服、銭などの金目の物を全て剥ぎ取るよう指示を出す。俺はその間に穴掘りだ。


 持ってきていた堀棒で穴を掘っていく。山は斜面だ。足元に縦に穴を掘るよりも横に穴を掘った方が効率が良いはず。黙々と穴を広げる。


「剥ぎ取り終わった」


 太助が俺の傍に寄ってきてそう言う。俺は休憩がてらに剥ぎ取った品々をまじまじと見ていた。数打物の刀に血塗れの着物。銭が数十文に腹巻と腹当が二つずつである。


「太助、これを持っておけ」


 俺は数打物の脇差を太助に投げ渡した。彼の今の体躯なら脇差がピッタリである。彼が成人して大きくなったら太刀の一振りでもくれてやろう。


「良いの!?」

「良い。良いが刀は斬れる。無暗に抜くなよ。自分の命を守るためだけに抜け。詳しくは源爺にでも聞くんだな」


 褌一丁になった死体を横穴に放り投げて天井を崩す。するとあっという間に埋葬の出来上がりだ。掘り返されないよう、上から踏んで土を固める。卒塔婆の一本でも建ててやりたかったが、生憎と何もない。両手を合わせる。


「さ、戻るぞ」

「はぁーい」


 二人で剥ぎ取り品を両手いっぱいに抱えて山を下りる。そのまま真っ直ぐに屋敷に戻る。すると、屋敷の前に一人の男がいた。他の誰でもない、蕨生新右衛門公秀その人であった。

 

「新右衛門か」

「はっ、翔太郎様のご厚意に預かりたく存じ上げまする」


 そう呼びかけると新右衛門はその場に座り込み拳を付けて頭を下げた。どうやら俺に仕える決心をしてくれたらしい。彼は要領は良くないが、裏切る心配のない忠臣になってくれるだろう。


「ここで話すのも何だ。まずは中に入れ」


 屋敷の中に招き入れる。葛に白湯を用意してもらい、新右衛門と茶の間で対面する。太助は荷物を納戸に置いて駆けて行ってしまった。どうやら源爺に脇差を自慢しに行くのだろう。


「新右衛門、本当に俺に仕えて良いのか。俸禄は多くは出せんぞ?」


 俸禄の五十貫のうち、十貫を新右衛門に与える。俺の取り分が減るのだ。おいそれと家臣は増やせない。だが、新右衛門は絶対に優秀な人間だ。ただ少しばかり口下手なだけなのである。


「構いませぬ。どちらにしろ、某では召し抱えてくれる家はそう多くはございませぬゆえ」


 自己評価が低いのか、それとも自分の口下手を理解しているのか。どちらにせよ彼を雇っても召し抱える家は多くないのは事実である。


 俺はまず、手付として殿から褒美として賜った二十貫の中から十貫を新右衛門に差し出した。そして述べる。これで生活を立て直せと。山賊まで身を落としていたのだ。そこから武士に戻れただけでも儲けものか。


 必要ならば武具も持って行けと告げた。丁度、岩手弾正の根城から武具の類を追い剥いできたところなのだ。それくらいの懐の広さを見せても罰は当たらないだろう。


「これからよろしく頼むぞ」

「こちらこそにございます。この御恩は二度と忘れませぬ。そして、同じ過ちは繰り返しませぬ」


 同じ過ちと言うのは岩手弾正のことを指しているのだろう。彼の暴走を止めることが出来なかった。そのことを悔やんでいるのだ。その悔しさを胸に刻み込んでもらいたい。


 新右衛門と同時に屋敷を出る。俺はこのまま彦六のもとへ向かうつもりだ。事後承諾にはなってしまうが、家来を一人召し抱えることを伝えておこうと思ったのだ。彦六の屋敷を尋ねる。


「竹中半兵衛様が家臣、春弓翔太郎です。阿波彦六様にお目通りを――」

「おお、翔太郎か。良いところに来た。すまんが供をしてくれ」


 俺が彦六の屋敷で働いている下人を捕まえて彦六に会おうとしていたところ、俺の声で気が付いたのか彦六が飛び出してきた。どうやら急いでいるようだ。


「供とは?」

「これから殿が城へ登るとのことだ」


 菩提山城へ向かうのにどうして供が必要なのだろうか。菩提山城へは常日頃から登城しているじゃないか。思わず、その疑問から口から飛び出る。


「菩提山城な訳が無いだろう。稲葉山城だ。早く用意致せ!」


 どうやら殿が稲葉山城に登城するようである。稲葉山城といえば国主である一色龍興の居城である。そして殿は龍興からの印象が非常に悪い。


 俺は急ぎ家に帰り、胴丸を着込み、葛に握り飯と梅干しを用意させる。水筒に水を注いでそれらを風呂敷に包んだ。刀が開かなくなっている。手入れを怠ったため、血糊が固まっているようだ。


 それを源爺に渡し、手入れを頼んでおく。駄目なら売り払って構わない。代わりとなる刀を数打物から用意して運動靴ではなく草鞋を履く。これで準備は完了だ。


 菩提山城から稲葉山城までは歩いて丸一日は掛かる。その旨を心配させないよう葛に伝え、俺は急ぎ彦六の屋敷へと向かったのであった。


―――


永禄六年(一五六三年) 美濃国 稲葉山城 晩秋


 殿が護衛を引き連れて稲葉山城へ向かう。その数は総勢二十名。そんなに連れて行って大丈夫だろうか。また乗っ取りをするのではと疑われても困りものだ。


 殿はいつの間に稲葉山城を一色龍興に返したのだろうか。そんなことを考えながらじっと殿を見る。殿は馬上でそれ以外は徒歩だ。俺は彦六の横に陣取る。そして軽い報告を行った。


「人を一人召し抱えることにしまして。その報告にと」

「そうか。まあ、それはお前の自由だ。好きにしてくれ。ちなみにどんな奴だ?」

「岩手弾正の鷹匠をしていたとかなんとか。まあ、最後は岩手弾正に疎まれておりましたが」

「だろうさ。正論を正論として聞き入れられる人間なら殿も攻め込んではおらぬ。それよりもお主、厄介なことをしてくれたな」

「は?」

「女子が大量に屋敷を訪ねてきたぞ。岩手弾正に手籠めにされたという女子が。なんでも若武者に阿波彦六の屋敷を訪ねろと告げられたとか」

「だ、誰でしょうなぁ。その若武者とやらはー」


 しまった。報告を忘れていた。しかし、あのまま捨て置くわけにもいかない。もし、俺に罪悪感というものが無ければ、面倒臭いと言って全員その場で切り捨てていただろう。


「まあ良い。次からは気を付けてくれ」

「はい」


 稲葉山城まではまだ遠い。少しの気まずさを覚えながら歩を進める。しかし、稲葉山城か。あの出来事がもう懐かしく思う。たった十六人で討ち入りをしたあの出来事を。


 確かに殿が攻め込んだということは余程だったのだろう。殿が私利私欲で攻め込むとは考えにくい。それとも殿の父が存命のうち、その先代様が攻め込んだ可能性もある。


 ただ、変わらないのは竹中家が岩手家を滅ぼしたという事実のみである。まだまだ知らないことが多い。剣の腕前だけで登り詰めることができるのはせいぜい千石、足軽大将くらいだろう。それでも十分すごいのだが。


 この世は何がどうなるかわからない。実力も大事だが運も大事である。運があったお陰で俺は殿に百貫の俸禄をもって拾って貰えたのだ。ただ、運を引き寄せるのは実力だ。


 俺が剣術に精通していなければ殿に拾ってもらうことは出来なかっただろう。これからも剣の道、兵の道を極めていきたい。


「気を引き締めて行けよ」


 彦六がそう述べる。ここから味方と呼べるのは西美濃だと殿の岳父に当たる安藤守就くらいだという忠告だろう。この頃はまだ西美濃三人衆という言葉は生まれていなかったはずだ。


「殿は何用で稲葉山城へ?」

「わからんがおそらくは織田への備えだろう。織田の攻勢が続いている。 新加納の戦は我が殿のお力にてお味方が勝利したが、 ここから先、どう転ぶかはわからないぞ」


 史実通り進むとなると、美濃の一色は劣勢を強いられることになる。翌年か翌々年には美濃を落とされるはずだ。そうであるのならば、殿にはいち早く織田に降ってもらいたい。


「殿はどうお考えなのだろうか?」

「さあな。某が知る訳なかろう。気になるのであれば訊ねて見れば良いではないか」


 そう言う彦六。しかし、おいそれと聞ける雰囲気ではない。殿は行軍中、ずっと神妙な顔をしている。だというのに彦六は空気を読まず、こんなことを言い始めた。


「殿、なんでも翔太郎が尋ねたいことが有るとか無いとか」

「ん、なんだ。聞こう」


 そう述べる殿。彦六を見るとニヤニヤと笑っている。謀られた。いや、場を和ませようとして……そんなことはしないか。考えをまとめて殿に質問する。


「えーと、稲葉山城に向かうの理由は織田への対応を話し合うためでしょうか?」

「恐らくそうだろうな。翔太郎、お前はどう見る?」

「どうとは?」

「我らの現状よ」


 殿がそう問いかけてきた。そう言われても俺が理解していることなど限られている。そもそも天下の今孔明と呼ばれている殿に敵うとは思っていない。


 敵うとは思っていないが、何も言わないのも失礼だろう。そこで俺は自分が知っている未来と現在の状況、そして俺が置かれている環境を鑑みて回答を出すことにする。


「織田の攻勢は増すでしょう。東の松平とは盟を結び、後顧の憂いなく織田は北上することが出来ます」

「そうだ」

「一枚岩となって織田に当たることができれば良いのでしょうが、連携が難しい。これが成れば一番ではありますが……左京大夫様では可能でしたでしょう」

 

 一色義龍を引き合いに出すことによって遠回しに一色龍興では無理だということを伝える。どこに耳目があるかわからない。言葉を選ばなければ一瞬で首と胴がおさらばになってしまう。


「儂もそう思う」

「織田は斎藤山城守様の娘婿。殿はその織田をどう見られておいででしょうか?」


 出来るだけ丁寧な言い回しで殿に質問を投げかける。これだけでも冷や冷やものである。彦六、覚えておけよ。手痛いしっぺ返しを食らわせてやる。


「そうだな。織田殿は粘り強い印象がある。負けても勝つまで諦めぬだろう。東の松平と盟を結び、北と西に注力している。どちらかが死ぬまで戦が止むことは無い。つまり、このまま進むと織田が勝つことになるだろう」

「では、殿は織田に鞍替えすると?」

「そう結論を急くな。儂はな、織田殿を返り討ちにしているのだ。そう簡単に帰参が認められるとは思えぬ」


 新加納での戦いで織田信長を返り討ちにしているらしい。信長であれば自分を負かした相手を喜んで迎えそうなものだが……現代の印象だけで答えるのは早計だろう。


「織田はまだ美濃に侵入したばかり。こちらの損失はそう多くは無い。まだまだ諦めるのは早いぞ」

「しかし……殿は治部大輔様に疎まれていると彦六様から伺っております。それが心配でなりません」


 そう伝え、俺は殿を真っ直ぐに見る。殿も俺を真っ直ぐ見つめていた。視界の端で彦六が慌てているのが見える。俺としては殿に早く織田に降ってもらいたい。その一心だ。


「翔太郎の心配は尤もだな。しかし、儂としても引けぬ部分はある。こればかりは御屋形様と岳父殿の意向を汲んで判断するのみである」


 話をぼやかされてしまった。つまり、言うことが出来ないということだろう。ただ、殿も悩んでいるということが伺える。武士として、家臣としてどう振舞うのが正しいのか。難しいと思う。


 腰軽く主君を鞍替えすれば、主君から信頼はされないだろう。しかし、かといって主家に殉じれば一族郎党が路頭に迷うことになる。殿の手腕が問われるところである。


 だが、殿であれば一色龍興を見放すだけの十分な理由はある。それでも見捨てないからこそ、殿の名声が上がるのか。難しい。


 俺は稲葉山城へ到着するまでの間、どう振舞うのが正解なのかをじっくりと腰を据えて考えるのであった。


―――


 どうしてこうなった。俺は今、稲葉山城の城内に居る。評定の間に居るのだ。それもこれも殿のせいである。どうして護衛を彦六ではなく俺にしたのか。お陰で彦六は城下へ遊びに行ってしまったではないか!


「さて、織田が虎視眈々と美濃を狙っておる。正当な後継者はこの儂だというのに。どうやって織田をこの美濃から追い出すか。意見を申せ」


 殿が小声で俺に伝える。中央奥に座った人物から国主の治部大輔龍興。続いて左奥から大沢次郎左衛門正秀、武井肥後守助直、加藤遠江守光泰、日根野備前守弘就、日根野常陸介盛就、長井隼人正道利、長谷川甚兵衛重成、不破河内守光治、稲葉伊予守良通、氏家常陸介直元、安藤日向守守就、仙石右兵衛尉久勝、竹腰摂津守尚光の十三名だ。


 竹腰摂津守尚光は世話になった重時の兄である。重苦しい雰囲気の中、軍議が始まる。この美濃国の命運を決める、軍議が。口火を切ったのは長井道利であった。


「もう許せぬ! 織田の軍勢の乱暴狼藉、目に余りまするぞ! かくなる上は尾張に兵を進め、雌雄を決するべきかと存じまする!」


 鼻息荒く織田を糾弾する長井道利。長谷川重成や日根野弘就がそれに同調する。対して安藤守就や氏家直元など西美濃衆は冷めた目で見ていた。その反応から察するに、既に織田の調略の手は伸びているのだろう。


 浅井と織田は既に盟を結んでいる。劣勢は明らかだ。既に龍興を見限っている国衆も多くいるだろう。問題は、我が殿がどう考えているかである。殿は終始、無言であった。


 結局、この美濃から織田勢を追い出すため、戦を起こすこととなった。息巻いている龍興に同調する長谷川重成と日根野。西美濃三人衆との温度差は明白である。


 しかし、反対派の意見も取り入れた龍興。おそらく龍興も戦をしたくないのだろう。戦をすれば銭が無くなる。それはいただけない。


 そこで反信長で共同歩調をとれる犬山城の織田信清と共に攻めることにしたのである。龍興としては美濃に入って来なければ良いのだ。そのため、尾張の犬山で堰き止めようとしているのである。


 この織田信清は織田信長の従兄弟だ。従兄弟である義兄でもあるのだ。信清の妻が信長の姉ということらしい。だというのに信長を裏切る。それだけのことがあったのだろう。


 何の成果もないまま、稲葉山城を後にする殿。俺はそれに黙って付き従うのみである。龍興の起こす戦に加勢するも、加勢しないも殿の命に付き従うまで。


 菩提山城に帰って数日間はこの話題で持ちきりだった。しかし、殿は一向に兵を起こそうとはしない。どうやら龍興に加勢しないようだ。


 しかし、戦が無いのであれば功を上げることも出来ないのは事実。俺としても都合が良くない。そのため、俺は彦六の元を訪ねてこう願い出ることにした。


「どうか俺を此度の戦に派遣くだされ」

「どういうことだ?」

「このまま静観すると殿が治部大輔様に更に疎まれてしまいます。そうならないためにも、形だけでも参戦の様相を整えておくことが大事だ思います」

「だから体裁を取り繕うためにも誰かを派遣しろと。そしてお前が立候補すると。そういうことだな」

「はいっ」

「しかしなぁ。流石に某の一存でそれを決めるわけにはいかん。殿には伝えておくゆえ、屋敷にて待機してよ」

「かしこまりました」


 大人しく引き下がる。どんな形にせよ、戦場に出たい。そして落ち武者狩りをしたい。お金を稼ぎたいのだ。家臣を一人増やしてしまった。稼がねば食わせてやれぬ。


 落胆しながら屋敷に戻る。いやいや待て待て。そういえば山賊狩りをした剥ぎ取りの品の精査が終わっていない。何か良いものがあれば売り払って私腹を肥やそう。


「太助は居るか!?」

「なにー?」

「この前、剥ぎ取った刀を全て持って来い」


 太助が次々に刀を持って来る。俺はそれの拵えを外して銘を確認する。無銘。無銘。無銘。無銘のオンパレードだ。そう美味い話は無いか。


「お?」


 兼国の銘がある。おそらくは関の兼国だろう。岩手弾正の側近か近しい人物が持っていたに違いない。良い品の一振りだ。


 俺が手に入れたのは打ち刀が十振り、脇差と短刀を併せて十二振りである。その中で打ち刀に兼国と兼音の刀が、短刀に兼常の銘があった。そんなものか。


 てっきり、武士だから全員が銘のある業物を使ってると思ったが、実戦で使われるのは案外こんなものなのだな。少し、がっかりしてしまった。


 それでも状態も良いので、幾ばくかの銭にはなるはずだ。困窮したら売りに出そう。今、俺の手元にあるのは関兼友の大小と兼国と兼音の打ち刀、それから兼常の短刀である。


「旦那様、これを」


 そんな俺に葛がおずおずと刀を渡してきた。これは岩手弾正から奪った刀と脇差である。そういえば、そのまま殿に拝謁すると言って葛に預けたまんまだった。


 銘を見る。そこには来国長と銘が切られていた。紛れもない名刀である。やはり腐っても領主だった男。良い刀を佩刀している。使われた形跡は、ない。


 脇差には則光とあった。備前の長船則光だろうか。ありがたく使わせてもらおう。そうなると、白鞘が必要だ。きちんと保管して後世に残さなければ。


 先程の意見から一転、来国長と長船則光だけを残し兼友の大小と兼国と兼音、それから兼常は手放すことにする。折角だ。兼友の大小は新右衛門の褒美用に取っておくことにしよう。


 塩屋の権兵衛に兼国と兼音、兼常の三振りを引き取ってもらう。三振りで十貫になった。どうせ拾い物である。良い臨時収入になったと思おう。


 それから追い剝いだ着物や腹巻、腹当も処分してしまう。これらは全部で五貫になった。やはり銭にするのならば名刀の方がコストパフォーマンスが良い。


 沙汰が降りるまで暇なので畑仕事に精を出した。そろそろ収穫しても良いころ合いである。ジャガイモを掘り起こし、南瓜の弦を切って収穫する。


 ジャガイモは五つだったのが十倍の五十個にまで膨れ上がった。南瓜も二十個になっている。トマトも十分に実っている。実に順調だ。


 結局、殿からは声が掛からなかった。どうやら駄目だということらしい。しかし、そんな俺の元に一通の手紙が届いた。竹腰重時からである。


 何の変哲もない、近況が記された手紙である。内容は以下の通りだ。俺の仕官先が見つかって良かったこと。栄が早く迎えに来いと駄々を捏ねていること。一色龍興の命により織田との犬山城の戦に出陣すること。


 これを読んだ俺は閃いた。竹腰重時には一宿一飯の恩がある。もちろん、栄を助けた礼だというのは百も承知だ。しかし、助けた礼以上の持て成しを受けている。恩は返さねば。俺は再び彦六の屋敷を尋ねた。


「どうした翔太郎。出陣の件は――」

「この手紙を読んでくれ」


 彦六の言葉を遮って手紙を彦六の胸に押し付ける。彦六はくしゃくしゃになった手紙を丁寧に伸ばしてから手紙を読み進める。


「ほうほう。これがお前が世話になったという竹腰殿か。犬山へと出陣するみたいだな。犬山城ということは下野守殿の救援か。で、これがどうした?」

「出来ましたらば竹腰様に陣中見舞いを送りたいと考えています」


 陣中見舞い。現代でも使われる用語だが、この時代では文字通り陣中を見舞うのだ。そうすれば栄には会わずに竹腰に会うことが出来、あわよくば戦にも参戦することが出来る。


「お前も諦めんやつだな」

「家臣を一人召し抱えてしまったので。稼がないといかんのです」


 その一言で俺は戦に参戦する気満々だということが伝わっただろう。それでも良い。それで駄目なら駄目なのだ。おとなしく引き下がることしかできない。


「わかったわかった。きちんと掛け合ってくるゆえ、屋敷で大人しく待っておれ」


 彦六のその言葉を聞いてすごすごと引き下がる。五十貫は大金だと思ったが、家臣が一人、老人が一人、下人が一人、飯炊きが一人である。食えるかどうか微妙なラインだ。意外に銭が掛かる。


 装備一式を揃えなければならなかったのが痛かった。白鞘の出費もある。武士として生きるのは何かと銭が掛かるのだと身につまされる。


 用心棒だなんだと気軽にお金を稼げるのはゲームの世界の話だけ。そんなことを勝手にやってみろ。殿にこっぴどく叱られるにきまってる。叱られるだけで済んだらまだマシな方だろう。


 言われた通り、大人しく屋敷で待機する。このイモは種芋とした使うため、食べないが南瓜は種を確保して食べてしまう。味噌汁に入れてしまおう。


「旦那様、これはどのようにして食すので?」

「あー、これは南瓜と言ってな。九州、えーと西国、たとえば……豊後や肥前の野菜だ。煮れば美味くなるぞ。腹持ちも良い。味噌汁に入れよう」


 段々と味噌汁が贅沢になってきた。と言っても現代基準だとまだまだ貧相だ。出汁のないお湯に味噌を解き、その日の気分で大根、蕪、牛蒡、蓮根、茄子、南瓜、葱を入れるだけである。あー、牛肉が食べたい。


 他の足軽組頭と比べたらマシな生活をしているのだろうか。他の足軽組頭は家臣など雇ったりしてないんだろうな。そりゃ生活が困窮するわけだ。明らかに二人ほど余計なのだから。


「はぁーっ」


 俺は人知れず溜息を吐く。ああ、もっと稼げるようになって家臣も増やして、それですべてを家臣に丸投げしたい。そんなことを考えながら殿からの返事を今や遅しと待つのであった。


―――


 翌日。俺は殿に呼び出されたため、菩提山城に登城した。杉山内蔵之助のような面倒なおっさ……御仁が居ても大変なので、精一杯の一張羅を着ていく。それこそ杉山内蔵之助に仕立ててもらった服だ。


「来たか」


 近習である半十郎が俺に声をかける。どうやら殿が待っているそうだ。俺は半十郎の後に続いて殿の居る執務室に向かう。


「春弓翔太郎、まかり越してございまする」

「そうか、通せ」


 そういうと半十郎が襖を少し開いてから、更に襖を開く。半十郎に中に入るよう促される。刀を半十郎に手渡し、恐る恐る中へ進み出でた。どうして怯えているのだろうか。別に悪いこともしていないのに。


 それは俺に後ろめたい部分があるからだろう。竹腰を引き合いに出し、許可を貰って私腹を肥やしに行こうとしているのだから。


「彦六から聞いているぞ。何でも犬山の戦に加わりたいそうだな」

「……はい」


 覚悟を決めて答えた。適当に取り繕ったところで、相手は竹中半兵衛。意図もたやすく看破されるのが関の山だ。それなら素直に吐露してしまった方が好感が持てるというもの。


「なら儂の名代として陣中見舞いを届けてくれ」

「へ?」


 存外、すんなりと認められてしまったために素っ頓狂な声を出してしまった。もっと駄目だの何だの言われる覚悟で来ていただけに拍子抜けである。


「其方のことだ。儂を論破するだけの説得材料は持ってきていたのだろう?」

「はぁ、まぁ。ですが稚児が頭を捻った程度の知恵しか出てきませんでしたがね」

「概ね、参戦しなければ儂の美濃での立場が危ういだの、竹腰に貰った恩を返したいだの、その辺りだろう」

「御見それしました」


 深々と頭を下げる。全く持ってその通りだ。


「誰か行ってくれるのならばそれに越したことはない。儂とて無暗に立場を危うくしたいわけではないのでな。ただ、これは既に負け戦が決まっているようなもの。あまり気張るでないぞ。ほどほどが良いのだ」

「はぁ。お味方が、負けるのですか?」

「そうだ。織田上総介殿は数年前にも犬山城を攻めているが小口城すら抜けずに終わった。その失敗を反省しない男ではない。小口城、黒田城があるからと言って油断していては足元を救われるぞ」


 あの竹中半兵衛が言うのだからそうなのだろう。俺は考えるのを放棄していた。良くない傾向である。改めよう。


「とはいえ、戦はそう直ぐには起こらん。織田上総介殿が戦の準備をしていると聞くが、早くて年明けであろうな」

「え? そうなのですか?」

「当たり前だ。そうぽんぽんと何度も戦を起こせるわけがないだろう。犬山城の件はまだ噂に過ぎぬ。其方が先走り過ぎなのだ。だが、油断ばかりしているとあっという間に攻めてくる。それが織田上総介という男だ」


 俺なんかの持っている後世の知識より新加納の戦いで実際に信長を追い返している半兵衛の言葉の方が説得力がある。油断してはならない。それだけは覚えておこう。


「そんなことよりも冬支度を行っておけよ。関ケ原の方は積雪ですごいことになるぞ」

「え、岐阜……美濃でも積雪はあるのですか?」

「当たり前だろう。山間部だって雪は多いぞ。準備しないと凍え死ぬことになるからな。抜かるなよ」

「かしこまりました」


 深く頭を下げ、退室する。なんというか、俺の取り越し苦労のようだ。いや、だって戦の常識とか知らないんだもん。仕方ないじゃないか。


 ゲームなんかでは次々と宣戦布告して征服していたけど、現実はそうも上手くは行かないよな。そんなここから数年で天下の大半を手中に収めるとか、逆立ちしたって無理だろ。それでこそゲームでしかない。


 あの織田信長でさえ美濃を攻め盗るのに十年以上掛かっているのだ。そこから数年で天下に覇を唱えるなんて無理無理。


「っと、それどころじゃないな」


 これから本格的な冬が到来する。家のすき間風を埋めないといけないし、薪も拾いに行かなければならない。雪が積もったらそれどころでは無くなってしまうぞ。


 急いで冬支度に取り掛かる。まず、屋敷だ。現代の家とは異なり、隙間風が多い。この時代、綿の布団も普及していないため、寒さがより堪える。


 まずは隙間風を埋めよう。と言っても、簡単に埋められるものではない。木板で出来ている屋敷の寝室部分、つまり小間の壁に土を塗っていく。粘性のある土をだ。


 この状況で気を付けなければならないのは土壁で密室となった一酸化炭素中毒。避難訓練で姿勢を低くして逃げることを考えると、一酸化炭素は空気よりも軽いはずだから天井に逃がす穴を用意しておこう。


 と言ってもこの小間で火を熾すつもりはない。せいぜい温石で暖をとるくらいだ。それで凌げるかどうかは怪しい。布団があればなんとかなるのに。


 太助には毎日のように枝を拾わせている。しかし、それでも追いつかないかもしれない。念のため、薪を用意しておこうか。斧を担ぎ、手ごろな木を伐る。


 そんな大きな木ではない。直径三十センチ程の細い木だ。それを細かく薪にしていく。屋敷で乾かして薪として使う。台所が薪や枝で一杯になるが、念には念を入れておく。


「こんなもんで冬は越せるだろうか」

「十分でしょう」


 源爺が答える。もうすぐ秋も終わる。そうなると直ぐに冬。そして雪だ。来年の目標は羽毛布団をつくること。羽毛布団の羽毛って、水鳥だったはず。


 ということはその辺の川を泳いでいる鳥を捕まえて家畜化すればよいのだろうか。そんなことを考えながら冬の到来に身構えるのであった。


―――


永禄六年(一五六三年) 美濃国 菩提山城 垂井 冬


 冬が来た。十二月に入ると垂井の町にもちらほらと雪が降ってきた。これが根雪になるのだろう。我が家は食糧も燃料も十分である。火を絶やさないことだけは心掛けたい。


「寒いな」

「冬ですので」


 葛が応える。スコップもスノーダンプもないので除雪が一苦労だ。それでも殿から呼ばれたら登城しなければならない。いつの時代もお役所勤めは大変だ。


 雪が積もったら除雪と称して周りの雪を屋敷の壁に投げつける。雪も立派な防風の役割を果たしてくれるのだ。かまくらみたいなものである。一番の天敵は風なのだ。風がなければまだ耐えられる。


 朝餉と夕餉の汁の暖かさが心地良い。南瓜が良く茹でられている。現代の品種だからか甘い。大根も南瓜もジャガイモも豆も雪の下に眠らせてある。庭が天然の冷凍庫となっているのだ。


「旦那様、今日はどうなさいますか?」

「正直、することはないんだよな」


 朝餉の前に稽古は済ませてあるし、刀の手入れも済んでいる。俺のような底辺の足軽組頭に回ってくる仕事は多くなく、登城する機会も少ない。今は積雪の時期だ。模擬戦などの稽古もない。


 そもそも、立身出世をそこまで望んでいない俺としては頑張る必要は無いのである。銭は稼ぎたいが、出世はしたくない。典型的な現代人で笑みがこぼれてしまう。


「では、お屋敷でゆるりとなされるのですね?」


 そういうと葛が身を寄せてきた。太助は外を走り回っているし、源爺は買い出しへと向かっている。今、この屋敷には俺と葛しかいない。


 潤んだ瞳で俺を見る葛。心なしか頬が赤く染まっているように思う。偶には昼間からそういうのもアリか。俺は葛を小間に連れ込んだ。冬場は人恋しくなる季節。こういう機会が増えてくるのだろう。


 ただ、そんなことばかりはしていられない。きちんとやることはやっておかないと、後々に後悔するのは自分である。塩屋の権兵衛の所に赴き、世間話に花を咲かせる。


 これがやることかと思うかもしれないが、立派な情報収集だ。特に戦国の世である。足下では織田と一色が争っているのだ。対岸の火事ではない。


「邪魔するよ」

「邪魔するなら帰ってー」

「そっか。じゃあまた来るわ」

「いやいやいや! 冗談ですやん!」


 権兵衛の店の手代である吾作と軽口を叩き合いながら織田の動向を尋ねる。やはり、冬の間に軍備を着々と整えているようなのだ。


「尾張では織田の殿様による米が買い占められてますよ」

「ってことは、春になったら攻め込む気か?」

「三河で起きてる一向一揆の後詰めって言う話も出てるみたいですよ」

「ああ、とくが……松平も大変だ」


 織田は米を買い占めている。三河の一向一揆も収まる気配はない。織田は留まることを知らないな。他に可能性があるとすれば。


「織田が伊勢に向かう話は?」

「ありませんね。織田の殿様は美濃に執着のようで。御内儀にでも強請られたのでしょう」


 御内儀というと、帰蝶か。濃姫と言った方が良いだろうか。確かに濃姫は美濃国主である斎藤道三の娘だ。それに信長は道三から美濃を譲られていたとも聞く。美濃を狙うのは正しい戦略だ。


「美濃でも東の方では餓死者や凍死者が出ているとか。織田に戦を仕掛けるとかで年貢を引き上げているとお聞きしております」


 東と言うと恵那郡や土岐郡の方だろうか。あちらは確かに血気盛んな領主がいる印象だ。一色義龍に恩があるのか、信長憎しで動いているのだろう。


「竹中の殿様はどうなさるのかね?」

「さあ、俺にもわからん。だが、戦に積極的に参加するような素振りはなさそうだ」

「そのようでございますね。米を買い足す素振りがございませぬ」

「殿はきちんと備蓄に努めている。戦になるからと言って買い足したりはしないよ」

「左様でございますか。それでは商売になりませぬな。春弓様、何か買われていきませんか?」

「そうだな。では少し味噌を買い足していこうか」


 やはり織田は年明け雪解けに攻めてくるようだ。俺がこの情報を掴んでいるということは、殿はもっと前からこの情報を掴んでいたのだろう。まだまだ精進が足りていないな。


 もうすぐ年が明ける。俺がこの時代に転移してきて半年が過ぎた。ようやく馴染めてきた。そんな感じがする。春になったら戦だ。初めての戦。そのことを考えると、胸がとくんと高鳴るのであった。


―――


永禄六年(一五六三年) 美濃国 菩提山城 垂井 初春


 年が明け、雪が解けた。段々と暖かくなってくる今日この頃。そろそろ田を起こした方が良いだろうか。そんなことを考えていた時だった。殿に呼び出されたのは。


 直ぐに登城し用件を尋ねる。曰く、その時が来たと。どうやら俺は数名を率いて陣中見舞いへ向かわなければならないらしい。殿は約束を守ってくれたようだ。


 屋敷に戻り、戦の支度をする。配下である蕨生新右衛門公秀にも急ぎ準備を整えて馳せ参じるよう太助に伝えてもらった。


 源爺と太助には屋敷に残ってもらう。参戦するのは俺と新右衛門の二人だけである。足軽組頭と足軽といったところだろうか。上等じゃないか。


 胴丸を付け、兜を身に着ける。余計な装飾の付いていない、シンプルな兜だ。頭にわざわざ重たい鹿の角とか三日月とか付ける意味が分からない。前線で戦う気が無いのだろう。


 それから惣面を付ければ完成だ。気を付けたいのは流れ矢である。一対一ではない。多対多の戦なのだ。どこから矢や弾が飛んでくるかわからない。用心しなければ。


 腰に数打の刀を佩いで、二、三日分の食糧を持てば準備は完了だ。新右衛門も準備万端のようである。さて、ひと稼ぎしてくるとしますか。


「源爺、太助。留守を頼むぞ」

「かしこまりました」

「任せてよ!」


 頼もしい声に後押しされながら、まずは竹腰重時の屋敷の屋敷へと向かうことにした。以前も通った道を再び通る。折角なので新右衛門と世間話をする。


「新右衛門は鷹匠と言ったな。代々鷹匠の家系なのか?」

「左様にございます。鷹は良いですぞ。あの猛々しい姿。くるりとした瞳。どれをとっても愛おしゅうございます」


 鷹のことになるとぺらぺらと喋り出す新右衛門。どうやら好きなことは饒舌になるようだ。聞けば新右衛門、槍働きは得意ではなく、どちらかというと算術や土いじりなどが好きなようである。


 覚えておこう。新右衛門は算術、農耕、畜産(鷹匠)が得意であると。これがいつの日か役に立つかもしれない。えーと、なんだっけ。国語で習ったな。そうだ、鶏鳴狗盗だ。いや、ちょっと違うか?


 そんなことを会話していたら、いつの間にか竹腰重時の領内へと到着していた。騒々しい。何かあったのだろうか。領内を走っている一人の武者が俺たちに気が付いた。俺は慌てて殿の家紋である丸に九枚笹の旗を上げた。


「む、竹中様の御家来衆か?」

「春弓翔太郎と申します。竹腰様にお取次ぎ願いたい。翔太郎が来たと。そうお伝え願えればご理解いただけるはず」

「承知した。付いて参られよ」


 見慣れた屋敷の一室に通される。すると、鎧兜に身を包んだ竹腰重時が現れた。頭を下げようとすると、竹腰重時がそれを遮る。


「良い良い。儂と其方の仲ではないか」

「では、お言葉に甘えて」


 脚と言葉を崩す。後ろでは新右衛門が緊張からか、固まっていた。


「久しぶりだな。一年ぶりじゃないか?」

「そのくらいになりますね。竹腰様のお陰で竹中様に召し抱えてもらえました」

「話は聞いているぞ。稲葉山城を乗っ取ったらしいじゃないか」

「殿が斉藤飛騨守に天誅を下したまでにございます」


 和やかな雑談から話は進む。どうやら竹腰重時は俺の動向を気にしてくれていたようだ。竹腰重時は五百石の知行取り。対して俺は五十貫の俸禄である。


「それはそうと、物騒な装いですね。御出陣ですか?」

「そうだ。織田が動き出したようだ。なんでも犬山城の支城である黒田城と小口城が織田方に寝返ったらしい」

「そうですか。では、俺にも助力させてください」

「そうか。忝い」


 予想していた、事前に聞いていた通りだ。俺は頭を下げ、竹腰の陣幕を借りたい旨を告げる。別に陣借りではないのだが、立場としてそう扱った方が後腐れないだろうとの判断だ。


 たった二人の与力でしかないが竹腰重時の陣に居座る。そして竹腰重時から兄の竹腰尚光へ。兄の竹腰尚光から国主である一色龍興に竹中から兵が届いたとの知らせが行く。たった二人の兵が来たと。


 そんなことを言われた怒らない方がおかしい。馬鹿にしているのかと。たった二人で何ができるのかと。一色勢は総勢、一万の兵を動員している。たった二人で何ができるのかと。


 お怒りはご尤もである。そこで俺は国主である一色龍興に呼び出されてしまった。大丈夫。殿からきちんと策はもらっている。


「其の方、何か申し開きはあるか?」


 いきなり御白州のような環境になっているのはどうしてだろうか。諸将も俺をじっと見ている。もちろん、敵意の籠った目でだ。


「私は竹中半兵衛の使いにございます。我が殿の体調が芳しくなく、馳せ参じられぬことを恥じておりました。せめてもの償いをとこちらを渡すよう、命じられております」


 そう言って俺は懐から砂金の入った袋を二つ取り出した。それを龍興の近習に手渡す。砂金はこの時代でも有効な贈り物だ。そして龍興は銭を欲している。これで丸く収まるはずである。


「武士ともあろうものが銭で解決か」


 誰かがそう言ったのが俺の耳に届いた。じろりと周囲を見る。そして俺は売り言葉に買い言葉と言わんばかりに龍興に対し、こう言い放つ。


「また、この春弓翔太郎も陣幕の末席にお加え下さい。必ずお役に立って見せましょう」


 俺が戦線に加わるところまで殿はお見通しである。さて、ここからが俺の腕の見せ所だ。

行き詰っています。

よろしければ感想などでご意見いただければ幸いです。


なんだか、主人公のキャラ付けが薄いような気がして気になっています。

五十貫での召し抱えもやり過ぎだろうか。


稲葉山城の乗っ取り、時系列変えたのは悪手だろうか。

主人公はスローライフして戦国時代を乗り切って一藩主、一旗本して過ごすのが目標です。


もう少し執筆してご意見いただき、取り入れることが出来たら連載したいなぁ。


皆様のアドバイス、助言、軽い意見など何でもください。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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久し振りに面白い作品に出合いました。今読んでいる7-80の作品のなかでも上位の良さです。私も昔書くのに挑戦しましたがすぐに才能不足が発覚、今は読むのに専念、紙の本も大量に、とわいえ週に3冊がやっとに減…
[良い点] 拝読しましたが面白いと思います。 特に半兵衛がズレたキャラっていうのが良いですね。 主人公の根本にある行動理念は成りあがる事でしょうか? そこを強調するのが良いかと思います。 ヒロインズは…
[良い点] 竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りといえば謎の男斎藤飛騨守ですねえ 諱も通称も血統も何もかも謎の男斎藤飛騨守 いったい何者なんだ斎藤飛騨守(笑) [気になる点] 主人公がなんか戦国の世にアッサリ…
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