巡礼者
ラディスさんと私は巡礼の門を抜けた。
荷物を背負って歩いたことははじめてなので、背中がずしりと重たい気がする。
王都の門を抜けると平原が広がっていて、右も左も真っ白に雪が被っている。
踏み固められた雪原の中に残る道に一歩踏み出す。
さくさくと新しく薄く積もった雪を踏みしめながら、歩いていく。
「巡礼の旅ははじめてですか、ルシル様」
「はい。話には聞いたことがある程度です」
北へ北へと向かえばきっと、北の果てへと辿り着く。
切羽詰まっていた私は、ともかくシェザード様に会わなければいけないという一心で、そう思っていた。
ラディスさんは私の返答に、小さく溜息をついた。
溜息は白く濁り、消えていく。
「僕や他の傭兵たちは、巡礼の旅の護衛として雇われることもありますから、何度か同行した経験があります。雪原では方向感覚を失い、時間もかかりますから、大抵の場合は巡礼の旅は春から秋にかけて行うのですけれどね。それでも、どうしてもかなえたい望みのある者は、冬でも女神の元へ行きます」
「私は、私が巡礼の旅に出ると思ったことがなかったものですから、普段からもっと興味を持って調べておけば良かったと思います」
「巡礼の旅に出るのは神官だけ。神の塔に入ることができるのは、教会の特権だと、最近のカダールではそれが定説になっていましたからね」
「教会も神官の方々も、正しいのだと、信じていました」
「皆、所詮は同じ人間ですから。勿論正しい者もいるでしょうが」
徐々に王都が遠くなる。
雪原と、その先には雪をかぶった木々が並ぶ森林が広がっている。
雲一つない空には日の光が輝いていて、雲一つ浮かんでいない。
光が雪に反射して、眩しいぐらいだ。
「北の果てまでは、整備された街道が真っすぐ繋がっています。脇道もありますが、一番大きな道を進んでいけばまず間違いなく、辿り着くことができます」
ラディスさんは私たちが歩いている雪道の先を指さした。
雪の狭間から、石畳が少しだけ顔をのぞかせている。
「今は良く分かりませんけれどね。少なくとも、道と思しき場所を進んでいけば大丈夫です」
「雪をかき分けて進むようなことをしなければ、大丈夫ということですね」
「ええ、そうですね。途中、街や村が点在しています。補給と休憩はそこで行います。そのほかに、夜を明かすための小屋が街道の端にいくつか準備されていますので、夜になる前に小屋まで辿り着くのが目標になりますね。小屋には暖炉がありますし、薪も寝台も準備されています。荷物の中に火打石がはいっていますので、火をつけて暖を取ることになるでしょう」
「その、小屋というのは誰でも使用できるものなのですか?」
「基本的には神官のための小屋です。粛清前は、神官たちは他の巡礼者を追い出していたものですが、今はどうでしょうね。この時期に巡礼の旅に出る者はほとんどいないので、大丈夫だとは思います」
「追い出された巡礼者の方々はどうしていたのですか?」
「野宿ですね、基本的には。野営の準備をして、夜を明かします。けれど、獣や夜盗がでますので、多少の蓄えがある者たちは僕たち傭兵を雇います。そうでないものは……、どうなったのでしょうね」
ラディスさんは言葉を濁した。
私もそれ以上は聞かなかった。
カダールの人々は巡礼者には敬意を払う。けれど――そうでない人々も、勿論いるのだろう。
私たちは黙々と歩いた。
雪道を長時間歩いた経験はない。
それに、最近までベッドの上の住人だった私には、以前ほどの体力がないのは確かだ。
徐々に息が上がり、足が痛んだ。
けれど、泣き言は言っていられない。
ラディスさんは私に歩調を合わせてくれているけれど、余計なことは言わなかった。
それがかえってありがたかった。
夕暮れまで歩き、日が落ちる前にラディスさんが言っていた小屋に辿り着くことができた。
丸太で組まれた小屋の前には、女神の石像がある。
巡礼者用の小屋であるという証らしい。
私達が辿り着く前に、先に辿り着いていた神官服を着た男性と女性が、私たちを小屋に招き入れてくれた。
暖炉には赤々と火が灯り、あたたかい。
私は疲れていたので、少しだけ食事をとると、小屋の端で毛布にくるまり、すぐに眠ってしまった。
ラディスさんは神官の方々と何か話をしていたようだった。
「――天候が、――です」
「――もう、二月。空は晴れていましたが」
「大きな雪雲が、北の方角に見えます。吹雪いたら、足止めされてしまう――」
ラディスさんたちの会話が、子守歌のように部屋に響いている。
私は微睡ながら、『吹雪』という単語を聞いていた。
少しだけ、不安だった。
王都から出発して、隣町まで徒では休憩を挟みながら一週間ほど。
王国の北は南側と比べて街が少ないらしい。
順調な道行だと、ラディスさんが話をしてくれた。
北の方角には暗雲が立ち込めているけれど、王都の近郊は良く晴れていて、陽光に照らされた凍った小川が解け始めている風景を見ることもできた。
隣町でラディスさんと共に補給と休憩を行った。
準備ができ次第すぐに出発したいと言ったけれど、きちんとした宿で休むことも大切だとラディスさんに宥められた。
ラディスさんとは別の一人きりの部屋で、体を清めて衣服を洗い、新しいものに取りかえる。
痛んでいた足の裏は、赤く腫れて水泡ができ、それがつぶれている場所もあった。
痛みに奥歯を噛みしめながら、清潔になるように丁寧に洗った。
シェザード様にいつかしていただいた手当を思い出しながら、荷物の中にあった清潔な布をあてて包帯を巻く。
そうすると、痛みは少し楽になった。
それから、食事もそこそこにぐっすりと眠った。
久々のベッドの有難みを感じながら、良く眠ることができた。
シェザード様の姿は無い。
補給のために寄った道具屋さんや食料品店の方の話だと、シェザード様に似た方は数日前に街に来たのだという。
私よりもシェザード様の方が足が速いのだろう。時間と距離が開いていく。気持ちばかりが急いてしまう。
「どのみち、目的地は同じなのですから、大丈夫です。いずれ会うことができます」
動揺する私に気づいたのだろう。
ラディスさんはそれよりも、きちんと休んで体調を回復するようにと言った。
歩き方のせいか、それとも表情のせいか、ラディスさんは私の足の状態に気づいているようだった。
けれど、私が助けを求めない限りは触れないでいてくれている。
あくまでも雇われている立場ということを崩そうとしない。一歩距離を置いた立場でいてくれるのが有難い。
一日休んで翌日の朝出立した。
遠くに見えていた暗雲が、私たちの進む方角に向かって迫ってきているように感じられる。
更に一週間ほどで、王都から北の果てへの中間地点の街へ到着した。
巡礼者のために準備された宿で休息をとった日の夜。
三月ももうすぐだというのに、雪が降り出した。
私は一人きりの部屋のベッドに座り、暗い窓の外を見つめていた。
足の裏は擦り切れて、踵からは血が滲んでいる。ラディスさんに手渡された軟膏を塗って、ひやりとした室内で素足のまま過ごす。
ベッドに座っていると少し楽になったけれど、心臓の音に合わせるように、傷口がずきずきと痛んだ。
(シェザード様に見られたらきっと怒られるわね)
私は両足を引き寄せて、膝を抱える。
声が聞きたい。
――ルシル、無理はしないで欲しいとあれほど言っただろう。
怒った顔で、心配をしてくれるシェザード様の姿を想像して、私は目を閉じる。
「雪……、やむわよね、きっと」
私の願いもむなしく、降り始めた雪は翌朝には吹雪になっていた。
着替えを済ませて外に出ようとすると、隣室に泊まっていたラディスさんが私の部屋の扉の前へと先に訪れてくれた。
「ルシル。この吹雪の中歩くのは危険です。進むべき道を見失い、遭難してしまう可能性もある。ルシルの足の状態もあまり良くない。吹雪がおさまるまで、この街に滞在します。なるだけ歩かずに、部屋でよく休んでください」
「でも……」
「遭難したら、エドに会う前に命を落としてしまいますよ。僕の言うことを聞かないのはルシルの勝手ですが、僕はルシルと共に死にに行く気はありません。吹雪の中を無謀にも進むというのなら、お一人でどうぞ」
ラディスさんはそういうと、扉を閉めて部屋に戻っていった。
私は何も言うことができず、ベッドに戻って、白くけぶる窓の外を見つめる。
びゅうびゅうと、風の音が聞こえる。
街の風景も見ることができない程だ。
「ラディスさんの言うとおりね……」
私は小さく息をついた。
数日すれば――きっと、吹雪はやむだろう。
きっと。




