助力
私は再び部屋に戻された。
ジゼルが朝食の準備をしてくれるのを、はやる気持ちを抑えて辛抱強く待っていた。
部屋の外には、アルタイル様の言う通りに見張りがいるのだろう。
ここは城の上階で、窓から外に出ることは不可能に近い。
試してみたことはないけれど、怪我をするか最悪死んでしまう可能性の方が高い。
シェザード様と共に寝起きをしていた部屋が、途端に寒々しい牢獄になってしまったような気がした。
「……お嬢様、朝食の準備ができましたよ。アルタイル様のいうことをきいて、学園に通いましょう? それが一番だと、私は思います」
「……ありがとう、ジゼル」
乾燥させた茸は保存食として良く食べられている。
卵はいつでも鳥が産んでくれるので、卵と茸が混ざったキッシュは朝食としてはかなり一般的だ。
私たちにとっては、だけれど。
冬になると食事もままならない方々も、カダールには多くいる。
牢獄について考えると、ヴィクターが言っていたことを思い出す。
私はなるだけ沢山、朝食を食べた。
食べる気はしなかったけれど、無理やり胃の中に押し込んだ。
これからのことを考えると、食べておかないと駄目だ。
体が動かなければ、シェザード様を追いかけることも難しくなってしまう。
「お嬢様。……お嬢様が何か事情を抱えていること、私も、それからクラリスお嬢様も、気付いていました。それが何かは分かりませんでしたが、いつか話して頂けるだろうと、思っていました」
いつも静かに傍にいてくれるジゼルが珍しく、私の食事中に口を開いた。
私は口の中のキッシュを飲み込んで、紅茶に口をつける。
いつもと一緒の食事をしているのに、まるで味がしない。
いつもの部屋、いつもの食事なのに――シェザード様がいないというだけで、まるで世界が変わってしまったみたいだ。
「ごめんなさい。……皆、私を気遣っていてくれたのね。私は、愚かだわ」
女神様との約束は、誰にも話すことができない。
だから、誰にも知られることはない。
そう、思い込んでいた。
けれど実際は、クラリスもジゼルも、私の様子のおかしさに気づいていた。
そしてシェザード様も。
シェザード様は「大丈夫だ」と、私に何度も言ってくれていた。
冬の式典の時も、大丈夫だと、言っていた。
あの時にはもう、神託を受けることを決めていたのだろう。
傍にいたのに、気付くことができなかった。
私は、いつも――駄目ね。
でも、駄目な私でも、一つだけ誇れるものがある。
「ごめんなさい、ジゼル。……私は、シェザード様の元へ行く。……そうしないと、もう、二度と会えないような気がするの」
「お嬢様の身に一体何が起こったのです? 私の方こそ、お嬢様の傍にずっとついていながら、何も気づくことができませんでした。……お嬢様は、私の大切な方です。私にできることがあれば、なんでもします。だから、……教えてください。お嬢様の身は、何に呪われているのですか。春に、何が起こるのですか」
「呪われてはいないわ。……それだけは、確か。でも、……言えないの。約束、だから」
ジゼルは苦し気な表情を浮かべた。
それからきゅっと唇を噛む。
ジゼルにそんな表情をさせてしまうのが、心苦しい。
全て、私の問題なのに。
「今までありがとう、ジゼル。大好きよ。……お父様もお母様も、クラリスも。ジゼルも、私の家族。……本当に、感謝しているわ」
「お嬢様……、そんなこと、言わないでください。ジゼルはずっと傍に居ます。お嬢様の傍に。殿下とお嬢様の御子がお生まれになったら、お世話をさせて頂くのですから」
「ええ……、そうなると、良いわね。きっと、そうなるわ。だから、そのためにも……、私は、行かなくてはいけないの」
「駄目です、お嬢様。殿下との約束です。お嬢様は、お部屋から出られません。申し訳ありませんが、しばらくは、外側から鍵をかけさせて頂きます」
「お願いよ、ジゼル」
「駄目です。……私にも、お嬢様の身を守る義務があります。もう二度と、お嬢様があのような目に合わないように。あんな思いは、もう沢山です」
ジゼルは空になった食器を食事を運ぶための鉄製のカートに乗せると、部屋から出て行った。
ガチャリと、扉の鍵がかけられる音がした。
「……やはり、窓しかないのかしら」
一人になった私は、すぐに外に出られるように制服の上から厚手のマントを羽織り、手袋をはめた。
靴も、雪用の中が毛皮になっているブーツに履き替えた。
それからすぐに寝室の側面にある、大きな窓辺に向かう。
バルコニーがある窓を開くと、冷たい風が部屋の中へ一気に入ってくる。
手すりに触れると、手袋ごしでもその冷たさが分かるほどだった。
「雪が積もっているけれど、飛び降りたら骨を折りそうよね」
眼下には、見回りをする兵士の方の姿と、真っ白な庭園がある。
庭園を抜ければ、お城の外に出られることは知っている。
それでも、城の正面門を抜けなければいけないのだけれど――どうにかして、外に。
「女神様、どうか、力をお貸しください」
――飛び降りるしかない。
うまくいけば、ふんわりとした雪の上に落ちることができる。そうすれば、怪我はしなくてすむだろう。
「ルシル! 迎えに来ましたわよ!」
フランセスの場違いな明るい声が部屋の外から響いたのはそんな時だった。
私は慌ててバルコニーの手すりにかけようとしていた足を戻すと、窓を閉めて入り口の扉の方へと向かった。
外側からかけられていた鍵が、あっさり開かれている。
扉の前には、制服を着たフランセスが、しっしっと、兵士の方々を手で追い払っている姿があった。
「お城の前で待っていましたのに、あまり遅いから中まで来させていただきましたわ。外は寒いですし」
「フランセス……、どうしたのですか、一体」
「どうしたもこうしたも、レグルス先生が卒業ぐらいきちんとしないと、お嫁さんにしてくれないっていうから、学園に通いますのよ。それに、ルシルのことを学園では私が酷い言葉で貶めていましたでしょう? セリカもいなくなってしまったし、一人では不安でしょうと思って、一緒に行こうかと思いましたの」
「ありがとうございます」
「元々私が悪いのですし、お礼には及びませんわ。私もお友達が多いわけではありませんのよ。ルシルは、お友達です」
フランセスはどことなく照れたように言った。
女神様にお祈りをしたら、フランセスがやってきた。
女神様は私の祈りを聞いてくれている。
私はフランセスの手を掴んで部屋の中に入れると、ぱたんと扉を閉めた。
「ど、どうしましたの? あら、殿下が居ませんわね。いつも、ルシルに勝手に触れるなと怒るのに」
「フランセス、お願いがあるのです」
迷惑をかけてしまうことは分かっている。
けれど今、頼れるのはフランセスしかいない。
「なんですの?」
「シェザード様は、神の塔に向かいました。私は今、追いかけることができないように、ここに閉じ込められているのです」
「閉じ込められている? どうりで、仰々しい見張りが立っていると思いましたわ。酷いことをするものですわね」
「私はどうしても、シェザード様に会いに行かなければいけないの。そうしないと、……後悔すると思うから」
「わかりましたわ」
フランセスは深く考えることなく、あっさりと頷いてくれた。
お願いした私の方がかえって吃驚してしまい、私よりも少し低い位置にあるフランセスの顔をまじまじと見つめた。
「良いのですか……? 詳しく説明していないのに」
「よろしくてよ。ルシルは困っているのでしょう? そして、ルシルは、殿下を愛しているのでしょう? それなら、私の為すべきことは一つしかありません」
フランセスは私を勇気づけるように、にっこりと微笑んでくれた。
「私、大騒ぎするのは得意ですの。以前も何度か、アルタイル様に会いたいと言ってお城を訪れては、お城の方々を困らせることがありましたわ。今となっては若気の至りと言いますか、恥ずかしい歴史と言いましょうか。ともかく、私にお任せなさい」
「ありがとうございます、フランセス。……フランセスは、私の大切なお友達です。どうか、先生と幸せになってくださいね」
「結婚式には呼びますわよ」
「はい……、私もです」
フランセスは私の手を両手で包むと、祝福を授けるようにして軽く口づけてくれる。
それから「気を付けて、おいきなさい」と言った。
まるで、――女神様が、私に告げてくれているようだった。
「あなたたち、フランセス・エアリーが直々に城に足を運んだというのに、その態度は一体何ですの……!」
再び扉を開いたフランセス様が、扉の前の兵士たちに向かって大声を張り上げる。
「アルタイル様の元へ案内なさい! 新年のご挨拶をしにきましたのよ! ほら、何をしているのです、早くなさい!」
兵士たちは困ったように顔を見合わせている。
フランセスは彼らの背中をぐいぐいと押していく。
彼らは身分の高いフランセス様をどう扱ったら良いのか分からずに、困り果てているようだった。
扉が、開いている。
私はフランセスたちの背後をすり抜けるようにして、部屋から抜け出した。
そのまま足早に、お城の出口の方へと向かう。
何人かの方々とすれ違ったけれど、私を閉じ込めるという話は城の者たち全員にはまだ伝わっていないのだろう。
驚いた顔をされたけれど、それだけだった。
私は城の正面門まで来ることができた。
物陰に隠れて様子をうかがっていると、ノア様が正面門に停まっているエアリー家の馬車の陰から、手招きをしているのに気付いた。