出立
アルタイル様が王位を継承し、正式に国王となられた。
城の前庭に集まった民に、アルタイル様は新年の挨拶を行った。
その傍らにはシェザード様と私。そして、宰相が控えていた。
集まった皆の中には、ダイアナさんやエレインさん、そして、ラディスさんたち傭兵の方々の姿があった。
ラディスさんからシェザード様の身分をすでに聞いていたのだろう、ダイアナさんは私と目が合うとにっこり微笑んでくれた。
エレインさんはシェザード様の姿を見て泣いているように見えたけれど、周囲を傭兵の皆様に囲まれて背中をばんばん叩かれると、ひっかいたりやり返したりしていた。案外元気そうで安心した。
アルタイル様の即位を祝って、街から天灯が空に放たれる。
良く晴れた空に浮かぶ灯は、真昼の街に浮かんだ満天の星のようだった。
おだやかな新年を、私たちは過ごした。
カストル様とアセラ様は、王家の保有する別邸の一つに移り住んだ。
治療はもう終わったようだけれど、アセラ様の心はこちらに戻ってきていないようだ。
レグルス先生は、「アセラ様は最近は、腹に赤子がいると言っている。陛下との子だと。陛下はもう良いのだと言っていた。アセラ様がそれで幸せなら、夢を見たままで良い、と」言っていた。
そうして――教会の神官たちに対する大規模な粛清が行われた。
騎士団の方々と、傭兵の方々、各地の兵士が一丸となり、悪事に加担していた神官たちを調べ上げて捕縛したらしい。
カダールでは、処刑は許されていない。
そのせいで、「牢獄はもう満杯だ」と、エアリー公爵もお父様も溜息交じりに言っていた。
一日。二日。三日。
私は月日を数えるようになった。
あと何日、シェザード様と一緒に過ごせるのだろう。
あと何日、私は。
慌ただしくも静かな新年が、過ぎていく。
二月になれば、少しだけ春の匂いが感じられる。
雪は残っているけれど、吹雪くこともなくなり、徐々に過ごしやすくなってくる。
学園の三学期が始まるのも、二月から。
私もフランセスも、それからアルタイル様もシェザード様も、残り少ないけれど学園に通うための準備をはじめていた。
三月になれば、春風が吹き、雪が解ける。
そして、シェザード様の卒業式が、待っている。
見届けよう、最後まで。
そして、笑顔でお別れを言おう。
学園への登校を翌日に控えた朝。
私はいつものように、朝を迎えた。
二月一日の、良く晴れた日。
シェザード様と一緒に登校しようと、約束をしていた。
けれど、目覚めたときベッドには、私しかいなかった。
「……シェザード様……?」
私はいつも隣にあった温もりに、手を伸ばす。
シーツはひやりと冷たい。
人の体温の温もりもすっかり失われている。
先に目覚めたのかしら。
いつも、私が起きるまで待っていてくださるのに。
「寝坊、してしまったのかしら……」
私は慌ててベッドから降りた。きょろきょろと部屋を見渡して、リビングルームに向かう。
誰もいない。
「……何か、用事があったのよね、きっと。お腹がすいたとか、……喉が渇いた、とか」
不安にかられながら、私は自分を落ち着かせるために呟いた。
ややあって、部屋の扉が叩かれた。
「お嬢様、ルシルお嬢様、朝ですよ。もう、お目覚めになりましたか」
ジゼルの声だった。
私は部屋の扉をあける。
いつも通りのジゼルの姿がそこにあって、少しだけほっとした。
「ジゼル、シェザード様がいらっしゃらないの。……私、寝坊してしまった?」
「いえ、お嬢様。寝坊はしておりませんよ」
ジゼルは私から視線をそっと逸らした。
それから口元に微笑みを浮かべて、もう一度私の目を真っ直ぐに見た。
「お嬢様、殿下なら大丈夫です」
「大丈夫というのは、どういう意味なの?」
「……落ち着いて聞いてくださいね」
ジゼルは私の手を、優しくとった。
「殿下は、神の塔に向かわれました。神託を受ける必要があると、言って。お嬢様のことは、アルタイル様と私に託されております。心配せずに、待っているようにと」
――神の塔。
どうして、神の塔に。
そんなこと、一言もおっしゃっていなかったのに。
――私の為だ。
「ジゼル、いつ、いつ出立なさったの? 夜は、一緒に眠ったのに。私、気付かなかった……!」
「落ち着いて、お嬢様。大丈夫ですから」
私はジゼルに縋りついた。
――大丈夫なんかじゃない。
神の塔は、カダール王国の北の果てにある。
神託を受けるための巡礼の旅は、神官たちの義務の一つだ。
巡礼の旅を行うには、まずは王都にある大教会で身を清めるところからはじまる。
そこから北の果てまでは、馬も馬車も使えないために、おおよそ一か月ほどかかる。
天候によっては、もっと長くかかる場合もある。
つまり――
私はもう、シェザード様に会えないかもしれない。
「ジゼル、着替えます。それから、アルタイル様に会いに行きます」
「お嬢様、……心配なお気持ちは分かりますが、堪えてください。殿下はお嬢様を連れての旅は危険だと判断したのですよ」
「それは、……分かっています。シェザード様は、私の体を、いつも気遣ってくださっていたもの。……ともかく、着替えを」
「分かりました」
ジゼルは私に制服を着せてくれた。
今日は登校する日なのだから、それは正しいのだろう。
私は大人しくしていた。ここでジゼルと言い合いをしても、時間ばかりが過ぎてしまうだけだ。
そうしたら、シェザード様がもっと、遠く、離れてしまう。
制服に着替えた私は、アルタイル様の元へと出向いた。
アルタイル様はすっかり準備を整えていて、朝から忙しそうに政務室で宰相と話し合いを行っていた。
「お忙しいところ、失礼します。ルシルです、アルタイル様、少しだけお話をよろしいでしょうか」
「……ルシル。来ると思っていました。ジゼルから話を聞きましたか」
政務室の中に、アルタイル様は私を招いた。
それから、宰相に下がるように言った。
アルタイル様と二人きりになるのは良いことではないので、私はジゼルを共にしている。
ジゼルは何も言わずに私に従い、壁際で待機してくれた。
「……シェザード様が、神の塔へ向かわれたと聞きました。……いつ、出立なさったのですか?」
「夜明けに教会で儀式を行い、そのまま旅立ちました。今から、数時間前といったところでしょうか」
「どうして、どうして教えて下さらなかったのです……?」
「言えばルシルは心配するだろう。共に来ようとするだろう。兄上はそうおっしゃっていました。……ルシルを連れての旅よりも、兄上一人の方が安全です。二月とはいえ、未だ雪が残っていますから、女性の足には辛い道行だ。兄上なら、大丈夫です」
「私は……、シェザード様を、追いかけます」
シェザード様はお強い。
きっと、ご無事に神の塔に辿り着くだろう。
けれど、私は。
私は、大丈夫じゃない。
このままもう二度とシェザード様と会えず、お別れも告げずことができずに、春を迎えるのは嫌だ。
(我儘で、勝手なのは分かっている。でも、私は……)
「駄目ですよ、ルシル。僕はあなたを、兄上から任されています。危険なことはさせられない。あなたが、いつものように学園に通って兄上の帰りを待つことが、兄上の望みです」
「アルタイル様は、シェザード様が神の塔に行かれた理由を知っているのですか?」
「……兄上から相談を受けていました。……ルシル、あなたには何か、口に出せない秘密があるのでしょう? それはあなたの命に関わること。何らかの呪縛があなたの自由を奪っているのだとしたら、女神に縋るより、方法はありません」
「女神様は皆に神託を授けるわけではないと言われています……」
「けれど、可能性は全て試さなければ。あなたを救うためです。兄上はそのためなら、命を投げ出すこともいとわないでしょう。……本当は、年が明けたらすぐに出立するとおっしゃっていました。けれど、僕が止めました。吹雪の中、北の果てに向かうのは危険です。二月になれば、少しは天候が落ち着くから、と」
「そんなに、前から……、私は、何も気づかなくて……」
「隠していたことは、謝ります。……けれど、全て、あなたの為なのですよ、ルシル」
アルタイル様の声音は、どこまでも落ち着いていた。
「……春には、戻られるはずです。神託を受けることができれば、きっとあなたを救うことができる。だから、ルシル。心を落ち着けて、兄上を信じて待っていてください」
「私は……」
「ルシル。……お願いだから、言うことをきいてください。あなたがどうしても兄上を追うというのなら、見張りをつけて部屋に閉じ込めないといけなくなる。僕は、それをしたくありません」
私は力なく首を振った。
分かっている。
アルタイル様の言うことは、正しい。
けれどどうしても、それを受け入れることはできない。
シェザード様と、こんな形でお別れになってしまうのは、どうしても嫌だった。
「私からも、お願いです。どうか、シェザード様のところに向かわせてください。自分勝手で、我儘なお願いだということは理解しています。でも、どうしても私は……!」
「……ルシル。……冷たいことを言うようですが、兄上のもとに向かったところで、あなたは足手まといになるだけです」
「分かっています。でも……」
「不安な気持ちは分かりますが、少し、頭を冷やしてください。ジゼル、ルシルを部屋に。……行いたくはなかったのですが、見張りをつけます」
アルタイル様は、悲しそうに言った。
ジゼルは頷くと、私の手を引いてアルタイル様の部屋から出た。
私はアルタイル様から視線を逸らした。
もうきっと、何を言っても無駄だろう。
私は――どうすれば良いのだろう。
そんなこと、考えなくても分かる。
シェザード様を追うことが、今の私にできること。
どんな結果になったとしても、シェザード様に会えないまま最後を迎えるよりは、その方がずっと良い。




