新たな出発
城の広いホールに、沢山の人が集まっている。
皆美しく着飾っていて、冬の寒さを忘れるほどの賑やかさに、街も城も満ちている。
「――王妃様の体調が思わしくなく、国王陛下は献身的な看病を為さっておられる。それ故、本日は不在だ。国王陛下に変わり、私から皆に伝えることがある」
長い髭にリボンの飾りをつけている老齢の男性、ヴィルシュッタット宰相の声がホールに朗々と響いた。
ホールの正面奥にある壇上には、カストル様とアセラ様の席が設けられているけれど、今は空席になっている。
ヴィルシュタット宰相とアルタイル様とシェザード様が並んでいる。
私は皆から見えない位置で、フランセスと共にシェザード様達を見ていた。
シェザード様には側にいるようにと言われたけれど、一緒に壇上に登るのは遠慮させて頂いた。
フランセスはレグルス先生が一緒にパーティーに出てくれないと嫌だと駄々をこねて、結局出席を控えたようだ。
ドレスではなく医師の手伝いをするために誂えた服に身を包んでいる。
白い生地に灰色の十字の模様が入っている服はあまり飾り気はないけれど、フランセスは元々愛らしい容姿をしているので、よく似合っていた。
「カストル様は王妃様の看病に専念されたいと望まれている。王位は、本日をもって、アルタイル様に譲られることとなった」
名前を呼ばれて、アルタイル様は一歩前に出た。
「僕はまだ若く、心許ないと思われる方もいるでしょう。ですが、僕には兄上や、皆様がいます。どうか僕に力や知恵をお貸しください」
「無論です、殿下」
「私も、同様に」
「ハウゼン家は王家に変わらぬ忠誠を誓います」
アルタイル様の言葉に、お父様が臣下の礼を行うと、エアリー公爵やハウゼン卿がそれに倣った。
他の貴族の方々もその姿を見て慌てたように、臣下の礼をとりはじめる。
アルタイル様は臆することなく、落ち着いた眼差しで頭を垂れる方々を見つめていた。
「皆も、王都で起った争乱については記憶に新しいだろう。我が国を、我が国の国民を堕落し貶めようとした、エデンという薬物は、我が国に長年巣くっていた、恐ろしい毒蜘蛛が関わっていた。アルタイル様は恐れず、戦い、毒蜘蛛を討ち果たした」
「僕一人の力ではありません。僕にそれを教え、聡し、支えてくださったのは兄上です。僕は兄上にこそ王に相応しいと何度も言いましたが、兄上は王になることを固辞しました」
会場が少しだけざわめいた。
皆シェザード様の立場を知っているからだろう。
「私は、ルシル・フラストリアを愛しています」
シェザード様は、はっきりとそうおっしゃった。
私は目を見開き、フランセスが「まぁ、素敵ですわ」と言いながら、私の腕にぎゅっと抱きついてくる。
「アセラ母上への愛に生きたカストル父上のように、私もまた、王になることよりも、ルシルと添い遂げ、フラストリア家を継ぐことの方が、大切だと思っています。アルタイルは、私の我が儘を受け入れて、王になる重圧を、私の代わりに引き受けてくれました。私は心優しい弟を、支えていきたいと考えています」
シェザード様がこうして――皆の前に立ち、言葉を話すというのは、はじめて見る光景だった。
感嘆のため息をついてしまうほどに、それは自信に満ちあふれ、堂々とした美しい姿だ。
シェザード様とアルタイル様は視線を合わせると、それがごく自然であるように、握手を交わした。
顔をあげた皆から、拍手が湧き上がる。
どんよりと淀んでいた空がいつのまにか晴れたのだろう。ホールの窓から明るい光が差し込み、皆の顔を照らした。
この国の新しい門出を、女神様が祝福しているように感じられた。
空の向こう側でネフティス様が微笑んでいる気がした。
――よく、頑張りましたね、ルシル。
そんな言葉が聞こえたような気がして、私は目尻に滲んだ涙をそっと拭った。
「良かったです、良かったですわね……、ルシル、あなたのお陰ですわ。ルシルがシェザード様を救ったのですわね。そして、私も。ルシルがいなければ、私も、レグルス先生の側にいようだなんて思わなかったですし」
フランセスが私の腕にぎゅうぎゅう体を押しつけながら言った。
レグルス先生とフランセスについては、良いのか悪いのかよく分からないけれど、フランセスが幸せならきっと良いのだろう。
アルタイル様は王の席に座り、その隣にヴィルシュタット宰相が控えた。
シェザード様は私の元へ戻ってくると、私とフランセスの様子を見て、俄に目を見開いた。
「……フランセス。俺のルシルに勝手に触れるな」
「あら。シェザード様、お友達として仲良くするのは良いことではありませんの? それにしても、皆様の前での愛の告白、素晴らしかったです。私もいつか、熱烈な愛の告白をされてみたいと思っておりますわ」
「アルタイルは婚約者を探しているようだが」
「アルタイル様のことはもう良いのです。アルタイル様は私の手には負えませんもの。その、なんというか、完璧すぎると言えばよろしいのかしら……」
「……それはまるで、私は完璧ではないと言われているようだな」
いつの間にか、レグルス先生が背後に立っていた。
私の腕に掴まっていたフランセスがびくりと震える。
私も正直吃驚した。
シェザード様は私たちの様子が面白かったようで、口元を押さえた。笑わないように我慢しているような仕草だった。
「フランセス、シェザード殿下とルシルの邪魔をするのではないよ。いつまでそんな服を着ているんだ、着替えはどうした?」
「先生がエスコートしてくださらないから、ドレスは着ませんのよ。式典は社交の場でもありますから、私が姿を見せたら男性達から求婚されてしまいますもの」
フランセスが拗ねたように言う。
「確かに、エアリー家の家柄を考えれば、その可能性は高いですね。最近のフランセスは以前よりもずっと可愛らしいですし」
私もフランセスを応援することにした。
先生は困ったように眉をひそめたあと、フランセスに手を差し出す。
「こちらに来なさい。……私も、衣服を整える。それが許される立場ではないこと、理解しているが、エアリー公爵に、挨拶をしよう」
「……はい!」
先生の手を取って、フランセスは花が咲いたように笑った。
去って行く二人を見送っていた私は、シェザード様に腕をひかれてその腕の中に抱きしめられた。
「ルシル。……見ていてくれたか」
「勿論です! とっても素敵でした。本当に、素敵で、……シェザード様のお側にいられることが、まるで夢のように感じられます」
「俺も、ルシルが俺を想ってくれていることが、奇跡のように感じられる。ありがとう、ルシル」
シェザード様は祈るようにそう言った。
それから「あまり抱きしめると、折角のドレスが乱れてしまうな」と言って、私からそっと体を離した。