雪原の狼
シェザード様のお部屋で二人で過ごすというのも外聞が悪い。
そのため、アルタイル様の計らいで城の奥にある居住用の空間に、あらためて私とシェザード様の部屋が準備され、必要な物はジゼルを筆頭として、侍女の方々が準備してくださることになった。
支度が整うまではと、シェザード様は私を連れてご自分のお部屋へと向かった。
シェザード様の自室に入るのは初めてだ。
寮の部屋と同じく、広いけれどあまり物のない空間だった。
濃い群青色のシーツのベッドと、ソファとテーブルと、文机。
書棚には、様々な本が並んでいる。
「ルシル、少し横になるか? 疲れただろう」
「で、でも、着替えもせずにベッドに横になるのは……、髪も乱れて……、髪は、もう手遅れですけれど」
シェザード様に促されて、リビングを通り過ぎてベッドルームへと入る。
てっきり、ソファで休むのだと思っていたのだけれど。
壁に備え付けられた鏡に映った自分の姿に、私は慌てて乱れている髪を手櫛で直した。
「二人きりだ、気にしない。俺も休む。こちらに」
「……は、はい」
シェザード様はベッドに座った。
片手を伸ばされて、私はおずおずとシェザード様の手に自分のそれを重ねる。
ぐい、と手を引かれて、両腕の中に抱き込まれる。
ぐるりと世界が反転した。
背中に柔らかい感触があたっている。
天井を見上げる私に覆い被さるようにして、シェザード様が私を見下ろしていた。
長い前髪が、顔に影を落としている。
「ルシル。……俺は、また、お前を失うのかと思った」
シェザード様は私の体の形を確かめるようにして、背中や腰を抱いている。
体に僅かな重みを感じる。
「ごめんなさい、私……、あのときは必死で。助けてくださって、ありがとうございました」
「母上を助けてルシルが、塔から落ちてしまったら、……そう考えるだけで、心が凍るようだ。……父上の気持ちが、今の俺には理解できる。以前の俺ならきっと、理解できずに全てを投げだそうとしていたかもしれない」
「シェザード様……、お辛い、ですよね。ごめんなさい、上手く言えなくて」
「あぁそうかと、腑に落ちたような心持ちだ。辛くはない。自分でも不思議だとは思う。それよりも――」
シェザード様は私の頬の横に腕をつくと、私の顔をのぞき込むようにする。
長い銀の前髪が垂れて、私の顔に触れる。
少しだけ、くすぐったい。
「俺に触れられて、嫌ではないか、ルシル。……俺は、ルシルに相応しくない。この身は、汚れているだろう」
「そんな……」
「怖くないか。俺は、顔も知らない、最低な男の子供だ」
「怖くありません。嫌なんて、どうしてそう思うのです」
苦しげに眉根を寄せるシェザード様に私は手を伸ばした。
ぎゅっと、力一杯、無理矢理に抱きしめる。
シェザード様の体から力が抜ける。抵抗する気はないのだろう。
私は自分の胸に、シェザード様の頭を抱き込んだ。ふわりとした髪の感触が気持ち良い。
ゆっくりと、髪を撫でた。
「心臓の音、聞こえますか?」
「あぁ。聞こえる」
「私も、シェザード様にこうして頂くと、心地よくて、すぐに眠たくなってしまいます。心音は……、母親の胎内にいるときにする音に似ているとか」
「随分、早い」
「緊張しています。……胸が、痛いぐらいに苦しいのです。……好きな方と一緒にいるのですから、仕方ない、です」
「……まだ、俺を好きだと言ってくれるんだな、ルシル。……ありがとう。お前は、どこまでも優しいな」
「優しくなんてありません。私は、我が儘で、自分勝手です」
「お前が我が儘で自分勝手だとしたら、俺はどうなる? お前よりもずっと、俺は、勝手だ。……お前に相応しくないと分かった今でも、お前を離したくない。どこかに去ってしまった方が皆の為だとは理解しているのに、……ルシル。お前と共に在りたいと、願ってしまう」
シェザード様は――そんな風に、感じたのね。
傷ついていない。辛くないなんて。
そんなわけ、ないわよね。
私はシェザード様を強く抱きしめる。
「一緒にいてください。私と、ずっと一緒に。大好きです。愛しています。シェザード様の血筋なんて、関係ありません。私は、シェザード様を愛しているのですから」
「ルシル……」
「シェザード様の血に……、たとえば、狼の血が混じっていたとしても、私は、シェザード様が好きです」
「狼? 何故、狼なんだ……?」
「……雪原の狼に、似ていると思っていて……」
「……ありがとう、ルシル」
シェザード様はどこか驚いたような声音で言った。
「俺は……、お前に救われている。本当に、ありがとう」
どこか吹っ切れたように、シェザード様は言って、笑った。
笑うと体が揺れる。
それが心地よくて、私はシェザード様の髪に自分の指を埋めた。




