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隠された過去



 万が一のことを考えて、窓の前にはアルタイル様が立った。

 私はシェザード様の胸に抱きしめられていた。

 カストル様はアセラ様をソファに座らせると、テーブルの上に置かれている美しい細工の小箱から、指先でつまめる程度の大きさの錠剤を取り出した。

 アセラ様の口に入れて、紅茶のカップを渡す。

 アセラ様はそれを飲み込んで、深く息をついた。

 震える手が、縋るようにカストル様の衣服を掴んでいる。

 それは、エデンだ。

 けれどその行為を咎める者は、誰も居なかった。

 私も何も言えずに、ただ――カストル様の為さることを、静かに見ていることしかできなかった。


「……ルシル。……アセラを、助けてくれて、感謝する」


 アセラ様は目を閉じて、ソファに体を預け沈み込むようにして座っている。

 カストル様はアセラ様の髪を撫でると、私に向き直って深々と礼をしてくださった。


「いえ……、ご無事で、なによりです。……王妃様は、……心を病んでおられるのですか」


 私はシェザード様の腕の中からそっと離れて、カストル様に尋ねる。

 今のカストル様なら、話ができるように思えた。

 当事者であるシェザード様やアルタイル様よりは、一歩引いた立場の私の方が、尋ねやすいような気がする。

 それに。

 ――これ以上、シェザード様ご自身の言葉で、辛い事実に触れて欲しくなかった。


「病んでいるのだろうな。……年々、現実と夢の区別がつかなくなってきているようだ」


 カストル様は逡巡したように黙り込んだ後、ぽつりと言った。


「……これは、アセラと私しか知らないことだ。それでも聞きたいのか。シェザード、アルタイル。そして、ルシル。知らないままでいた方が幸せなこともある」


「どんな事実でも、受け入れる覚悟はできています。私は、己のことが知りたい。……父上や母上に疎まれる理由がそこにあるというのなら、……自分のためにも、私を愛してくれるルシルのためにも、そして、これから王になるアルタイルのためにも、真実を、知りたい」


 シェザード様ははっきりと言った。

 真摯な眼差しが、真っ直ぐにカストル様を見つめている。

 カストル様は疲れに倦んだ表情で、膝の上で組んだ両手に額をあてた。


「お前の言っていた通り、……シェザード。お前は、ギルフォードとアセラの子だ」


 森の中にひっそりと倒れている古びた倒木を思わせる声音だった。

 私は胸の前で両手を組む。

 シェザード様は小さく息を飲んだけれど、それだけだった。 


「やはり、そうなのですね……」


 もう、分かっていたのだろう。

 そこには激しい動揺も、怒りも、悲しみもなかった。


「だが、お前の言うように、不義密通の果ての子ではない。……アセラは、私を愛している。私も、同様に。私たちの婚姻は、両国の同盟を強固にするものという意味もあったが、お互いに望んだものだった」


「ならば、何故」


 ぞわりと、背筋を悪寒が走る。

 気づいてしまった可能性に、そのあまりにも――恐ろしい真実に、目を背けたくなってしまう。


「お前は、十八歳になるのだな、シェザード。……つまり、およそ十八年前。私とアセラは婚姻を結んだ。そうして、お前が産まれた。婚姻の日から数えて、おおよそ十月十日後。誰も、何も疑わなかった。無論、私も。赤子のお前はアセラに似ていた。銀の髪に、紫の瞳」


 カストル様は顔を上げて、シェザード様を見つめる。


「アセラに似た美しい御子が産まれたと、私は喜んだ。アセラも、嬉しそうにしていた」


 カストル様は、淡々と過去の記憶を辿る。

 ソファで目を閉じているアセラ様には、もう何も聞こえていないのだろう。

 その口元には美しい微笑みがたたえられている。


「赤子の成長は早い。……徐々に変わっていくお前の顔立ちを見て、アセラの態度も変わっていった。シェザード、お前は、ギルフォードによく似ていた。アセラは気づいていた、お前が私の血を受けていないことを」


「つまり、母上は、ギルフォードに思いを寄せていた……?」


「甘い恋愛や思慕がそこにあれば、まだ良かったのだろうな。そうではなかった」


 アルタイル様の問いに、カストル様は首を振った。


「思慕は、一方的なものだった。ギルフォードの、な。そして、アセラが私の元へ嫁ぐ日、強引に想いを果たしたそうだ。……傷物になってしまったことが表沙汰になれば、私の元へ嫁げなくなってしまう。そう思い、アセラは誰にも告げずに、それを隠し通すことを選んだのだと、泣きながら言っていた」


「……赤子の内に、私を始末してしまえば良かったのではないですか」


 シェザード様の言葉に、私は目を見開いた。

 その可能性があったことを考えるだけで、心が切り裂かれるように痛んだ。

 私はシェザード様の手を両手で握りしめた。

 紫色の瞳が私を見下ろす。大丈夫だと、言ってくれているように思えた。


「良いか、シェザード。たとえギルフォードの血が流れていたとしても、お前はアセラの子。私の子供だ。……そのようなことが、できるはずはない。……だが、アセラはお前を見るたびに、愛情と憎しみの狭間で苦しみ続け、ゆっくりと、精神を病んでいった」


「だから、エデンを?」


「アルタイル、お前が産まれた時は、まだ良かった。アセラは幸せそうだった。私はシェザードの出自を隠し通すことに決めた。だが、私の血を受けていないシェザードを、王にすることはできない。幸いにして、フォードがお前を引き取ると名乗りを上げてきた。ルシルとの婚約が決まり……これで、ようやく、アセラが苦しみから解放される。そう思っていた」


 カストル様とアセラ様も苦しんだのだろう。

 けれど――あまりにも、自分勝手だ。

 シェザード様のことなんて、何も考えていない。

 自分たちのことばかり。


 ――私も、それは、一緒ね。


 私もアセラ様を想って、助けたわけじゃない。シェザード様の為だ。私の全部は、シェザード様のためにある。


 ――愛とは、盲目で、勝手なものなのかもしれない。


「そんな矢先だ。気鬱を治す薬を飲んでいるから、気分が良いのだと、アセラが言い出したのは」


「……エデンですね。……母上は、どこからそれを手に入れたのです」


 アルタイル様が硬い声音で言う。

 シェザード様よりもアルタイル様の方が傷ついているような表情を浮かべていた。


「王都の劇場に供を連れて観劇に出かけた。悲恋を題材にした演目が流行っていると言ってな。……その話はあまりにも残酷で、余計に気鬱になってしまったのだという。そこに、劇場の支配人が挨拶に来た。金の髪の美しい男だそうだ。……その男は、悲しませてしまった詫びとして、アセラに薬を渡したそうだ」


「ヴィクターか……」


 私が見たものと同じ、演目。

 私の心を乱したあの演劇は、アセラ様も同様に、まるで自分のことを言われているように感じられたのかもしれない。

 本当に愛している人を騙し、脅されて不義密通を続けなければいけなかった、女性の話。

 アセラ様は――ギルフォードによって成されたことを、思い出してしまったのかもしれない。

 そこにエデンが差し出されてしまえば、きっと、藁にも縋る思いで、それを飲んでしまうだろう。


「アセラが話をしてくるまで、私は何もしらなかった。アセラは私に何も言わずに度々劇場に通って、薬を――エデンを、手に入れていたようだ。私が知ったときには、もう、駄目だった。エデンを飲まないと、依存症状に苦しむようになっていた。……けれど、……劇場の支配人は、アセラに告げたらしい。エデンは、グリーディアの騎士団長、ギルフォードから買っているのだと」


「……そんな」


 私は息を飲んだ。

 ヴィクターはそのとき、シェザード様がアセラ様とギルフォードの子供であるという確信はなかったのかもしれない。

 隣国の姫であったアセラ様になんらかの揺さぶりをかけるか、交渉をするつもりだったのかもしれない。

 そこでどんなやりとりが起こったのかは分からないけれど。

 アセラ様はきっとそのとき――心が限界をむかえてしまったのだろう。


「アセラの取り乱しようは、手がつけられないほどだった。……ギルフォードに触れることは、私たちの間では法度だった。だから、……それが悪い薬だと知りながら、私はエデンに商用許可を出した。その後は……、教会の神官長から、エデンを手に入れていた」


「神官長……? 何故?」


「……アルタイル、お前はフォードやラムセスと共に教会を調べているだろう。そこで起こっていることを、知っているだろう。……エデンは、重宝するそうだ。人を簡単に従わせることができる」


 カストル様はアセラ様の美しい顔を、そっと撫でた。


「話は終わりだ。……断じられるべき行動を取っていることは、理解している。あとは、お前達の好きにして良い」


 「それでも、私はアセラを愛している」と、最後にカストル様は穏やかな声音で言った。




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