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王都への帰還


 柔らかい光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。

 ふと目を覚ますと、シェザード様の秀麗な顔が視界いっぱいに広がった。


 白い肌に、浮き出た首の骨や、私にはない喉仏の膨らみ、しっかりとした鎖骨が首筋に陰影を作り出している。

 閉じられた瞼から伸びる長い睫毛が、頬に影を落としている。

 睫毛は髪の色と同じ銀色をしていて、案外柔らかい銀の髪が額に落ちていた。


(シェザード様に、知られてしまった……)


 全てを話すことができたわけではない。

 けれどーー春に、私が死んでしまうこと。

 それはきっと伝わったように思う。

 シェザード様は、それでも私を受け入れてくださった。

 怒ったりもせず、否定もせず、無理やり聞き出すようなこともないのにーーまるで、全部分かっている、みたいだった。


 私は自分の頬を、シェザード様の胸に擦り寄せる。

 規則正しい心音が、鼓膜を揺らす。

 シェザード様の手のひらが、私の髪を撫でた。


「おはよう、ルシル」


 優しい声が、聞こえる。

 私は視線を上げる。神秘的な紫色の瞳と目が合う。

 あぁ。好きだな、と思う。

 雪原の狼が微睡んでいるような、黙っていると少し怖くみえる顔立ちをしたシェザード様が見せてくれる、優しい表情や声音が、好き。

 抱きしめてくださる腕の力強さが、私よりもずっと大きな体が、全部、好き。


「おはようございます、シェザード様。……昨日は……ごめんなさい。私、情けないですよね。たくさん、泣いてしまいました」


「昨日の話はもうしなくて良い。ルシルは、何も心配しなくて良い。……それよりも、ルシル。お前は泣き顔も愛らしいな。他の男には見せたくない」


「……あ、あの……はい……」


「そのかわり、俺の前でなら、いくらでも泣いて良い」


「ありがとうございます……。ごめんなさい。私、きちんと言うことが、できないのに」


「何か理由があるのだろう。そうしなくてはならない程の、理由が。……気に病む必要はない。言葉にしなくとも、伝わることは沢山ある」


 シェザード様は微笑むと、私の額や目尻に口付けた。

 私は目を閉じてそれを受け入れた。触れる唇の感触が、気持ち良い。

 あと何度、同じ朝を迎えることができるのだろう。

 一日一日を心に刻んで、大切にしたい。

 忘れたくない。

 ずっと、覚えていたい。

 シェザード様が私を大切にしてくださったこと、愛してくださったこと、全部。


「ずっとこのまま微睡んでいたいが、準備をしないと迎えがきてしまうな。ジゼルを待たせるわけにもいかない。起きられるか、ルシル?」


「大丈夫です。もう体は、なんともありません」


 体力は、以前のようにとまではいかないけれど、かなり戻ってきていると思う。

 レグルス先生が「ルシルはまだ若いからだろう。歳をとってしまえばそう簡単に体力は戻らない。私のように」と言って、フランセスに「先生もまだお若いですわ」と励まされていた。


 私たちは簡単な食事を済ませて身支度を整えると、エアリー公爵家からの迎えが来た。

 護衛の方々は雪道に強い毛足の長い馬に騎乗している。

 私たち用には、足元がソリになっている馬車が用意されていた。

 私とジゼルが馬車に乗ることになり、シェザード様は騎馬にての移動となった。

 その方が、周囲に危険がないかを確認できて良いのだと言う。

 

 レグルス先生とフランセスに見送られて、私たちは王都へ向かった。


 天候に恵まれたせいだろう。

 吹雪くこともない道行は、踏み固められた街道を進んだ。

 エアリー公爵領から王都は案外近い。

 早馬を走らせれば、まる一日もかからない距離にある。

 けれど、雪道の悪路を移動するには、その倍以上は時間がかかる。

 無理はいけないと、馬車はゆっくりと進んでいく。

 冬の間は、野盗なども襲う相手がいないのだろう。街道にはあまり姿を見せない。

 そのかわり、吹雪で立ち往生してしまい、命を落とす者も少なくない。

 特に馬も馬車も使うことのできない庶民の方々は、隣町への移動でさえ命懸けとなる。


 途中の町で宿泊をして、再び移動をすることを繰り返して数日。

 王都に辿り着いたのは、出立してから三日後のことだった。


 お父様は王都では争乱が起こっていたと言っていたけれど、そんな爪痕は町の中には感じられなかった。

 年末の式典の準備なのだろう。

 街はいつもよりも飾り付けられて華やかに見えた。

 私たちを乗せた馬車は、城へと向かった。


 城に到着すると、エアリー公爵家の方々とはそこでお別れとなった。

 シェザード様の来訪を、城の兵士がアルタイル様に伝えに行ってくれると、アルタイル様はすぐに姿を見せてくれた。

 いつもよりも慌てたように、小走りでこちらにやってくるアルタイル様の表情には、驚きと安堵が混じり合っていた。それでも嬉しそうに、微笑みを浮かべてくださる。


「兄上、ルシル。ご無事でなによりでした。ご様子は、フランセスやレグルス先生から手紙を貰っていたので知っていました。こうして再び話ができること、本当に良かったと思います」


「アルタイル。……すまなかった。俺は、約束を違えてしまった。お前に全て押しつける形になってしまったな」


「良いのです。ダルトワファミリーとの戦いは、この国を守るため。王としての責務です。僕がもっと早くに動くべきだったのでしょう」


「俺も、もっと早くに、お前と話をするべきだった。助力を頼めば、お前はきっと手を貸してくれていただろう。それをしなかったのは、俺の問題だ。すまない、アルタイル」


「兄上……、良いのです。僕にも謝らなければいけないことが沢山あります。外は、寒かったでしょう。奥に行きましょう、体を温めて、話はそれから」


「あぁ。そうだな」


「ルシルの体はもう大丈夫なのですか?」


 気遣わしげにアルタイル様に問われて、私は頷いた。


「はい。ご心配をおかけしました。今はもう、なんともありません」


「それは良かった。……温かい飲み物を準備しましょう。兄上は、お酒の方が良いでしょうか」


「いや、良い。まだやるべきことがある」


 アルタイル様に案内されて、私たちは城の奥へと進んだ。

 私はシェザード様に手を引かれている。

 城はフラストリア家よりもずっと広く、長く過ごしていた療養所よりもずっとずっと広い。

 天井は高く、美しい調度品が置かれている。

 美しいのだけれど、どこか他人行儀で無機質だ。

 シェザード様がずっと過ごしていた場所。

 一人きりで、孤独に。

 そう思うと胸が苦しく、もう大丈夫だと伝えたくて、私の温もりを分けて差し上げたくて、握った手の指先に知らず力が籠もっていた。

 ジゼルは一歩下がって、静かに私たちの後ろを歩いている。

 足音が長い回廊に響く。


 応接間の大きな暖炉には赤々と炎が灯っていた。

 体を温めるため、シナモンスティクが入った紅茶が振る舞われる。

 シナモンの独特な香りが、鼻腔をくすぐった。

 応接間のソファにアルタイル様と向かい合って座った。

 ジゼルは私たちの後ろに控えている。

 長旅で疲れたでしょうからとアルタイル様に椅子を勧められても、「大丈夫です」と断っていた。


「王都はようやく落ち着きましたよ、兄上。ダルトワファミリーは元々、アダモスの力で維持されていたようなものだそうです。ノアの話では、ダルトワの屋敷に乗り込んだ時には、アダモスはすでに事切れていたとか。病気に見えたそうですよ」


「アダモスは病気だったらしい。それを、ヴィクターが……、薬を使い殺めたようだ」


「ヴィクターという男は」


「自死した」


「そうですか……」


「エデンの出所について、最後に言い残して言った。グリーディアの騎士団長から買い付けていた、と」


「グリーディアの騎士団長。……ギルフォードのことですね」


「お前は会ったことがあるのか、アルタイル」


 シェザード様は淡々と話をしている。

 内心穏やかではないのかもしれないが、その表情からは心情までは窺い知ることができなかった。


「いえ、直接会ったことはありません。グリーディアの王族と挨拶をすることは何度かありましたが、騎士団長の姿はそこにはありませんでした。武勇の誉れも高く、その名は有名のようですが」


「……その名を、母上の前で口にしたことはあるか?」


「母上の……?」


 アルタイル様は訝しげに眉をひそめた。

 それから、目を伏せる。


「……兄上、それは、……まさかとは、思いますが」


「お前も気づいているだろう。母上の様子に。……俺をまるで恐れるかのように、嫌っていること。それから」


「グリーディアに、帰ろうとしないこと、ですね」


 アルタイル様は伏せていた目を開くと、深く頷いた。




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